31項目 美女と美男


 教室で本性をカミングアウトしてから数日、私は今、とても気分が良い。



 なぜなら、これまでずっと気掛かりだった、"仮初の自分"からの解放のおかげだ。



「おはよー! 忍冬さんっ! 」



 長谷川さんからの声にも、自然に思いのまま、反応が出来る。


「おはようっ! 今日も元気かしら!! 」



 演劇の練習の為、早朝に集まった仲間達と、普通に話せる。



「ビックリしたけど、こっちの朱夏ちゃんの方が、ずっとしっくり来るよ」

「それは、本当にごめんなさい。でも、これからは自分を飾ったりしないから! 」

「なんか、不思議な感じがするけど、親近感が湧くな! 」



 ……一言だけ言わせて欲しいわ。



 もう、最高っ!!!!



 やっと、自由に自分を表現出来る様になったわっ!!!!



 本当に、土國くんが突然、カミングアウトしてくれた時は、どうなることかと思ったけど、感謝しかない。



 にしても、まるで、何かに"吹っ切れた"みたいで、すっかり元の"めんどくさい"彼に戻っちゃったけど。



 まあ、どちらにしても、今度、ちゃんとした形で土國くんにはお礼をしなきゃいけないわね。



 ……後、私がみんなに勇気を振り絞って本当の話を伝えた時、周は泣いて喜んでくれていたわね。



 家に帰ってその事について追求した時は、「はぁ?! そんな訳ねえし! 」なんて、強がっていたけど。



 だが、その後にこんな事を言った。



「……まあ、お前の自由に近づけて、良かったんじゃねえの? 」



 彼が言った言葉には、素直に「うん……」と、答えたわ。



 だって、嬉しかったから。



 偶然の産物かもしれないけど、これで、少しだけ彼が安心してくれた気がして。



 ここ最近、お友達の宝穣さんとの距離が近いのには、少し引っかかるけど。



 なんか、別の意味が含まれている気が……。



 もしそうなら……。



 ……いや、嘘よ。



 彼は、ハッキリと宝穣さんの事を"親友"って言っていたんだもの。



 別に私が周を好きなんて事実はないけど、彼の友情を見守るのも、同居人の努め。



 だからこそ、この前、ぎこちなくコチラを見つめた周に、優しく笑いかけた訳だし。



 ……どちらにしても、"ネオ朱夏"、誕生よ。



 そんな事を考えながらも、私は舞台を最高の完成度にする為、台本を手に取った。



 ……のだが。



「それにしても、また"池谷"くんは来ないね」



 長谷川さんがボソッとそう呟くと、感情は変わる。



 そう、彼は私が"怒り"を口にしてから、余計にやる気を無くした様で、グループメッセージで練習のスケジュールを送信しても、既読無視を決め込んでいた。



 更には、休み時間のたびに、不機嫌そうな表情でいなくなる。



 結果、話をする機会もなく、ずっと"主演不在"のまま、レッスンは続いていたのだ。



「ホント、あり得ねえよな。何回か、個人的に説得したんだけど、『その話はやめろ』とか言って、逃げやがるんだよ」



 小人役に抜擢されていた駆流は、そう小さくため息を吐く。



 すると、他のキャストの何人かは愚痴を漏らした。



「やっぱり、役を変えた方が良くない? 」

「そうだよ。あんなサボってばっかりで輪を乱す奴がいたら、1位なんか取れないし」

「間違い無いよね。もう、ここら辺で手を打った方が……」



 その声から、すっかり池谷くんが人望を失ってしまっていたのが分かる。



 まあ、それはそうなるのも仕方ないとは思う。



 だって、実際に、クラスの雰囲気とはそぐわない程に"冷めた目"をしているんだもの。



 もう既に、文化祭まで半月を切っていた。



 そうなったら、もう少しやる気のある"代役"を立てるのが、得策。



 ……でも、本当にそれで良いのかしら。



 たとえ、どんな理由があるにせよ、みんなで決めた配役。



 私は、一度決めた事を曲げる様な真似はしたくない。



 それに、このまま話が進んでしまったら、今後の彼はどうなるの?



 ……きっと、みんなが白い目で見るに違いない。



 だったら……。



「……いや、やっぱり、王子様役は、池谷くんで行きましょう」



 周囲から陰口が聞こえる中、私はそう告げる。



 だが、周囲は抗った。



「で、でも、このままやる気のない状態で行くと……」



 長谷川さんはそう漏らす。



 だけど、私は大きく首を振った。



「それは、私が絶対に"させない"から。きっと、池谷くんを説得して、最高の白雪姫にして見せるっ!! 」



 自信満々に宣言する。



 ……すると、土國くんは『やれやれ』と言った表情を見せた後で、同意してくれた。



「……まあ、良いんじゃねえの? ヒロインの忍冬ちゃんがそうしたい訳だし。それなら、今からグラウンドに行ってみると良い。アイツ、今頃は一人でサッカーのシュート練してるだろうし」



 ……彼の言葉を聞くと、私は大きく頷いた。



 そっか。



 つまり、今が、彼と腹を割って話す"絶好のチャンス"って事ね。



 そう思うと、私は立ち上がった。



「じゃあ、今から話を付けてくるわねっ! みんなは気にせずに練習を続けていて。……きっと、池谷くんを連れてくるからっ!! 」



 私は、その言葉を残すと、走って教室から出て行った。



 ……きっと、分からせて見せるんだ。



 いや、絶対に。



 だから、待っていなさい。最低な"王子様"さん。



 そんな想いを胸に……。



*********



 息を切らしてグラウンドに辿り着くと、土國くんの言っていた通り、彼はゴールポスト目掛けてボールを蹴っていた。



 その視線は、真剣そのもの。



 動き、表情からして、池谷くんが如何にサッカーが好きかを物語っている気がした。



 だからこそ、一瞬だけ声を掛けることを躊躇する。



 ……この人、意外と悪い人じゃないのかも。



 そう思ってしまったからだ。



 だけど、私は彼を連れて帰ってくると、みんなに宣言した。



 ならば、ここで『やっぱり説得は無理でした』なんて敗走する事は許されない。



 そう思うと、一度、深く深呼吸をした後で、遠目に見える彼に向けて、こう叫んだのであった。



「ちょっと、池谷くんっ!!!! 少し話があるんだけどっ!!!! 」



 私が大声で呼びかけた事で、気づいた様子。



 それを確認すると、彼の元へと駆け込んだ。



「いきなり、なんだよ。また、文化祭の話か? 」


 長い髪から滴る汗を拭きながら、彼は素っ気なくそう答えた。



 ……相変わらず、面倒臭い人だ。



「そうよ、分かっているなら話が早いわ。それなら、早く教室に来なさい。もうみんな、準備を始めているわよ」



 私は彼の腕を無理やり掴むと、そう促して連れて行こうとした。



 だが、それに対して、分かりやすくイライラとする池谷くん。



「やめろ。おれは今、忙しいんだ」



 だが、ここで引き下がっては行けないと思った私は、手の力を強めた。


「いつまでも、逃げてんじゃないわよ。みんなの気持ちを考えたことがあるのかしら。これはもう、アンタだけの問題じゃないのよ」


「だから、それなら"代役"を立てれば良いじゃねえか」


「そんな事ないわよ! もう決まった事なの。だから、早く……」



 不器用に説得を続けた。



 ……だが、そのやり方は、余計に彼の感情を逆撫でしてしまったのであった。



「めんどくせえんだよ!!!! どいつもこいつも、おれに"期待"ばっかりしやがって!!!! 失敗したら、手のひらを返すくせに……」



 普段は冷静な彼は、私の手を勢いよく振り解くと、金切り声を上げて怒鳴ったのだ。



 首の血管が浮き出るほどに。



 続けて、大きくため息を吐くと、「はぁ……。白けちまったわ」と言いながら、私を取り残して部室の方へと去ろうとした。



 ……その時、私は呆然と彼の言葉を聞いて思った。



 今、"期待"って言葉を出したわよね。



 それに、『手のひらを返す』って……。



 もしかしたら、何かしらのトラウマがあったのかもしれない。



 何だか、不思議と"親近感"が湧いた。



 もしかしたら、池谷くんは、私と同じなのかもしれないって。



 いつも、自然的に誰かから押し付けられる"重圧"に怯えているのかもしれない。



 それを感じ取れたから。



 私は、この前、やっとその殻を破る事が出来た。



 だが、彼はまだ、抜け出せていないんだ。



 周りから与えられるプレッシャーから。



 そう思うと、勝手ながら過去の自分を投影して、心の底から救ってあげたいと思った。



 すっかり、演劇の話など忘れて……。



 ……だからこそ、私は臆する事なく、もう一度、彼を引き止めた。



「分かるわよ、アンタの気持ち……」



 背中を向ける池谷くんにそう告げると、彼はピタリと足を止めた。



「私も、ちょっと前まで、ずっと"本当の自分"が出せなくて、悩んでいたんだもの。それは、『みんなの"期待"に答えなくちゃ』とか、『ガッカリさせたくない』なんて、勝手に思い込んでいたからなの」



 そう心の声を赤裸々に曝け出すと、彼は暫く黙った後で、ボソッとこう答えた。



「……何が言いたいんだよ」



 その口調からは、彼の中に眠る"苦悩"が感じ取れる。



 きっと、今もなお、苦しんでいるんだろう。



 そう思うと、私は優しくこう告げた。



「つまり、アンタと私は同じなのよ。だから、気持ちが分かるって話。他人から"人物像"を作られるのって、本当に疲れるものね」



 そして、最後に一番伝えたかった言葉を伝える。



「過去に、何があったのかは分からない。……でも、トラウマもプレッシャーも、全部捨てちゃえばいい。だって、"池谷 輝男"の人生は、アンタにしか作れないのだから」



 正直、もう文化祭の事なんてどうでもよくなっていた。



 それよりも、彼自身と向き合いたいと思ったから。



 もう良いんだよ。自分を苦しめなくて。



 そんな気持ちの中で……。



 すると、池谷くんは私の話を聞き終えた所で、ゆっくりと振り返った。



 同時に、切ない表情を浮かべる。



 今までの、無関心な顔とは違って。



「……まあ、確かにお前の言う通りかもしれない。多分、怖いんだよ。昔、サッカーの試合で

起きた"あの事件"から……」



 そう始めると、彼は私を信用してくれたのか、ある昔話を始めた。



 ___小学生の時の池谷くんは、元々、明るくて活発な少年だった。



 無論、運動神経も抜群に良く、所属していたクラブ内では将来を期待される存在。



 ……しかし、事件は起きた。



 エースとして挑んだ県大会の準決勝。


 

 チームの頑張りもあったが、後半の残り5分のところで1-2の絶望的な場面。



 そこで、奇跡の様な形でPKを獲得したのだ。



 もちろん、キッカーには、一番上手い"池谷"を指名。



 周りは、確実に決めてくれると確信していた。



 ……だが、結果は違った。



 ゴールネットを揺らす為に思い切り踏み込んだ左足。



 それは、無慈悲にも軸足のブレによって阻害される。



 体勢を崩した勢いで、転倒をしてしまい、掠めたボールは、相手チームによってクリアされてしまったのだ。



 ……結果、彼の最低な"失敗"によって、チームは敗北。



 その時、周囲から聞こえた声。



「はぁ……。がっかりだよ」

「なんで、あの場面でコケるかな」



 その出来事は、彼の胸に、深い深い"トラウマ"として刻まれてしまったのだ。__



「それから、おれは誰よりも失敗を恐れる様になっちまったんだ……」



 すっかり座り込んだ池谷くんは、切なそうにそう呟く。



 ……そんな事があったのか。



 つまり、彼がこれまでずっと王子様役に対して消極的だった理由は、"過去のトラウマ"にあるからなのだと理解した。



 傷つかない為に。



 その事実に気がつくと、私はこれまで彼に取ってきた行動に、反省をした。



 知らぬ間に、彼に重圧を与えてしまっていたのだから……。



 だからこそ、俯いたままの彼に向けて、私は謝罪を述べる。



「ごめんなさい……。私、あなたに迷惑をかけていたのね……」



 しかし、池谷くんは小さく首を振った。



「いや、気にすんな。おれもダサかったなって思ってるしな。それよりも……」



 彼はそう続けると、私と目を合わせる。



 そして、こんな事を言ったのであった。



「さっき、忍冬が言った、『池谷 輝男の人生は、アンタにしか作れない』って話。アレを聞いた瞬間、何だか胸のつかえが取れた気がしたわ」



 ……そう告げた瞬間、彼は私に向けて、初めて"笑顔"を見せた。



「それは、良かった……」



 思わず、動揺しながらそう返事をする。



 すると、彼はそんな私の態度など気にする事もなく立ち上がると、こう宣言したのであった。



「ある意味で、お前はおれの"恩人"だ。だから、"王子様役"、謹んで引き受けさせてもらうよ。……正直、本当のおれはとても臆病だ。もし、プレッシャーに打ちしがれそうになった時は、フォローを頼んだぜ」



 ……彼がそう言った瞬間、私は何故か、泣きそうになる。



 以前の自分との比較の中で。



 つ、伝わったんだ、って。



 だが、ここでコチラが嬉し泣きをしたら妙な空気になる。



 そう思うと、我慢した。



 そして、心の中で喜びに浸りながら、彼の"お願い"を受け入れる形で、自身ありげに返答したのであった。



「任せなさいっ! これから、アンタも含めた"クラス一丸"となって、最高の舞台を作り上げるわよ!! 」



 胸を張る私を見て、彼は大いに笑った。



「ハハッ。そうだな。クラスメイトにも迷惑をかけちまった。これからは、気持ちを切り替えて文化祭に力を注ぐよ! 」



 今、新しい"池谷 輝男"は、動き出した。



 それは、正直、不意の結果ではある。



 しかし、少しでも同じ境遇であった人間の助けになった事だけは、素直に嬉しかった。



 よし、私ももっともっと、頑張らないと。



 そう固く決意をしたところで、演劇の"最後のピース"が揃ったのであった。

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