2項目 アパートの中心で、自由を叫ぶ
……私は、この世界が嫌いだ。
理由は、至ってシンプルなもの。
だって、息苦しさを感じるんだもん。
両親は、私を理想の娘に仕立てようとする。
子どもの頃からずっとその意向に抗えず、まるで、操り人形の様に指示通り生きて来た。
すると、周囲は私の人格を勝手に付け足して行った。
『彼女は、こんな女性に違いない』って。
だから、その期待にも応えた。みんな喜ぶし。
……そして、気がつけば、すっかり仮初の私は出来上がっていたのである。
本当は、こんな自分が大っ嫌いなのに。
もっともっと、自分らしくいたいのに。
でも、反抗する勇気もなかった。
だからこそ、今もこうして授業中に窓の外を眺めてたら"私の理想像"が見つかる様な気がした。
……もう疲れたな。
心の中で小さく呟く。
……もうこんな世界、抜け出したい。自由になりたい。
心の底からそう思う。
でも、その願いが叶う事がないのを、私はよく理解していた。
まるで、カゴの中の鳥の様な生活をこれからもしなければならない事を……。
―――だが、そんな時。
気がつけば、抗い難い眠気が全身を包み込んで行くのであった。
……あれっ? なんで……。
クラスで優等生を演じていた私は、一回だって居眠りなどしたことが無い。
それが、それこそか、
にも関わらず、次第に意識は遠のいて行くのであった。
……このままじゃ……。
思ったのも束の間、気がつけば視界は闇の中へと堕ちたのであった。
――「★○△×□……」
聞き取る事ができない、謎の"声"と共に。
……そして、私は意識を手放した。――
*********
あの夢から、約一週間が経過した。
そう、あの"悪夢"から。
あれから、俺はいつも通りの生活をしている。
朝早くに起きて、洗濯から始まり、食事の下処理を終えると、部屋の掃除に取り掛かる。
夕方には、近所のスーパーで豚肉の小間切れの特売をやると広告に書いてあったので、それに期待を寄せながら、掃除機をかけていた。
……そんな時、何かにぶつかる。
「……痛っ!! 何すんのよっ!! 」
声の方に目を向けると、そこには一人の少女がいた。
さいけんガールのヒロインが。
……端的に言おう。
……つまり、夢じゃなかったのだ。
彼女が突然現れたあの日、俺たちは冷静になったところで話をした。
すると、やはり"忍冬朱夏"というラノベのヒロインは、この世界に迷い込んでしまったという事が再確認された。
最初は驚いたものだが、7日も経過すれば慣れるものだ。
それに、なぜ、いまだにコイツがここに居座っているのか。
『つまり、私はあの"窮屈な世界"から抜け出せたって事?! やった〜! これからは自由に生きられるのね!! 』
この一言から始まったのである。
朱夏は、異世界に転移して来た事を、心の底から喜んでいた。
更には……。
『じゃあ、行く当てもないし、不本意だけど、この汚くて狭いアパートに住まわせてもらうわね。エッチな事したらボコボコに殴るから』
俺の意思など関係なく、勝手にポンポンと話を進められてしまった。
もう一度言おう。
俺の意思など関係なく。
いや、それが葵たんの方だったら喜んで首を縦に振ったのだが。
むしろ、『一緒に住んでくださいっ! 』と、土下座でお願いしていたであろうに。
とは言え、結局、反論する勇気のない俺は、彼女の無茶振りを受け入れざるを得なかったのだ。
だが、朱夏が創作物だという事実は伏せておいた。
理由は簡単。
だって、そんな事を告げたら、この暴力系ヒロインは「なに、人のプライベートを覗き見してんのよ! この変態っ! 」とか喚いて殴ってくるに違いなかったから。
そうならない為にも、彼女がシャワーを浴びている隙を見て、さいけんガール関連のグッズは全て、クローゼットの奥底に封印させてもらったのであった。
その後、半強制的に生活に必要な備品やら下着やらを買わされる羽目に。
無論、費用は俺持ち。
これまで、いざと言う時のために貯め込んできた預金残高は、思わぬ形で大打撃を食らった。
……という訳で、彼女の強引な決定によって、俺の平凡な日常という最高の贅沢は奪われてしまったのであった。
「……てか、お前、本当に元の世界に帰る方法を見つけなくて良いのかよ」
掃除機が小指に軽く当たった事によって喚き散らかす朱夏に、ため息交じりでそう問う。
すると、まるで実家の様な振る舞いで、"物珍しそうに"俺のタブレットを操作する彼女は、「ナニイッテンノ」とでも言わんばかりの表情を浮かべた。
「だから言ったじゃない。私は、この世界で自由を手に入れたの。それなら、戻る必要なんてどこにあるの? 一回で分からないとかバカなの? 」
……マジでムカつくな。こういう傲慢な設定が好きじゃないんだよ。
「そうですか」
舌打ちをした。
だが、いちいち腹を立てていたら精神的に良くないと悟った俺は、掃除機の電源を切って部屋の清掃を終えた。
それから、まだ特売まで時間がある事を確認すると、終業式の時に配られたプリントを見て、大きくため息をついたのである。
「はぁ……。後一週間で学校かぁ……」
春休みは、もうすぐ終わってしまう。
元々、友達の少ない(ほぼボッチな)俺にとって、学校という場所は苦痛以外の何者でもないのだ。
本当なら、毎日朝から晩までアニメやラノベだけを読んで生活をしたい。
だが、愛する妹を連れてカナダに転勤した両親との約束がある為、決して、それだけは出来なかった。
『ちゃんと高校に行かないと、仕送りをストップするから』
このオリハルコンよりも硬い誓約がある以上、どうしても通学は避けられないのである。
だからこそ、憂鬱な気持ちにさせられながらも、そろそろ始まる"高校2年生"への第一歩を踏み出す為に、重い腰を上げざるを得なかったのである。
……すると、そんな様子の俺を見た朱夏は、ナチュラルに嫌味を口にした。
「アンタ、学校行ってたんだ。ヒキコモリかと思ってたわ」
……ち、ちくしょう。断じて違うわっ!
そう思って悔しさを滲ませていると、彼女はプリントに興味を示す。
続けて、髪の毛が鼻先を掠めるほど近づいて来た。
……ほぼ平らな胸が当たる。
それに、勝手にクローゼットを物色されて着ているサイズオーバーのTシャツの隙間からは……。
……ちょっとだけドキッとする。
それは仕方がないじゃないか。俺だって、まだまだ思春期なんだから。女子への耐性なんか一つもないし。
だが、そんな心の騒めきなど気にも留めない彼女は、真剣な表情で新学期からの内容が書かれた文章に目を通していた。
「ふむふむ。なるほどね……」
……そして、すっかりと概要を読み終えた時、こんな事を言い出したのであった。
「あのね、周。私、学校に行きたいわ」
……はっ? 何をおっしゃってるのかしら? このお嬢様ったら。
「いやいや、おかしいだろ。お前はこの世界でやっと自由を手に入れたんだろう? それなら、社会のしがらみなんか気にせずにダラダラと過ごしてればいいじゃんか」
先程までの罵詈雑言への仕返しも兼ねて、小馬鹿にした様な口調でそう吐き捨てる。
だって、お前が言ってた事だし。いつまでも我が家に寄生されるのは癪だけど。
……だが、そんな俺の形成逆転の一手は、あっさりと翻されたのであった。
「あのねぇ……。私はアンタと違って、そんな堕落した生活なんて一切望んでないのよ。これからは、"私の私だけの自由な意思"で、失われた高校生活を取り戻したいの。それに、学生が勉学に励むのは当たり前でしょ? そんな事も分からないなんて、本当に周はミジンコレベルのアホなのね」
……ぐ、グヌっ。俺がめちゃくちゃ器の小さい人間になってしまった。
何一つとして、言い返す言葉がねえ……。
この傲慢女に対する憎悪が増すばかりであった。
……とは言え、実際問題、彼女が学校に通うのは不可能に近い。
何故ならば、この日本国においては、戸籍という確固たる身元証明がない限り、何も出来ないのだから。
「まあ、現実として、厳しいかもな……」
真剣な口調でそう零す。
すると、朱夏は俺が言わんとする理由を察した様で、切ない表情を浮かべて俯いた。
「……やっぱりそうよね。どこから来たかも説明出来ない私なんかじゃ……」
隣で小さくなって落ち込む彼女を見ていると、ちょっとだけ、不憫に思った。
だって、やっと手に入れた自由なのに。
これから思い描く素敵な日々は、身分証という名の紙切れ一枚によって妨げられてしまうのだから。
そう思うと、俺は不覚にも"彼女の力になりたい"と考えてしまったのであった。
……だが、その術を知らない。
ドラマに出てくる様な裏社会との繋がりがある訳でもないし、相手を洗脳する魔法も使えない。
だからこそ、無力さを感じた。
俺って、本当に何もできないんだな。
そう自責の念に苛まれる。
だが、そんな様子を見た朱夏は、無理やり笑った。
「なんで、アンタの方が落ち込んでんのよっ! 仕方ないじゃない! それはそれなんだから、もう学校は諦めるわっ! 」
……思えば、いつもそうだった。
作品の中の"忍冬朱夏"という人間は、辛い時や切ない時、必ずこうして空元気を見せるのだ。
結局、一人になった途端、"悲しみの揺り返し"に泣き崩れるクセに。
そこまで分かっているのに、このまま放置し続けても良いのだろうか。
これから先、この世界で彼女にどんな困難が押し寄せるか分からない。
……だが、それならば、せめて現在だけでも願いを叶えてやらなきゃ、男が廃らないか?
俺はそう思うと、どうしたら朱夏を学校に行かせられるかを、真剣に考え始めた。
どうにか学校に行かせる方法は……。
……そんな風に脳内のフル回転させる。
すると、円周率よりも低い可能性を見出したのであった。
というより、思い出した。
「無理かもしれんが……」
俺は作り笑いを浮かべる朱夏を横目に、スマホを取り出した。
それから、"ある人物"に電話をする。
突然の乱行に「もう良いって言ってるじゃない! 」と、強気で歯向かうヒロイン。
でも、無視して本能の赴くがままに連絡先の相手とコンタクトを取ったのであった。
「……あっ、うん。それでね……」
そして、すっかり電話を終えると、俺は小さくため息をつく。
「いきなり何をしているの……? 」
彼女がポカンとしながらそう問うのに対して、俺はこう返答したのであった。
「実は、俺の学校、叔父が理事長をやってるんだよ。明日会う約束をこじつけた。そこで、2人で直談判してみようぜ!! 」
編入出来るかの話は置いといて、元気付ける様にそう宣言をすると、朱夏は頬を赤らめながら、目を輝かせた。
「本当に……? 」
だが、すぐに元に戻る。
「そうならそうと先に言いなさいよっ! だいたい、親戚が理事長って言う事すらも忘れてたの? だから、"ヒキコモリ"はダメなのよね」
……まあ、そりゃあそうだ。別にヒキコモリではないけど。彼女の罵詈雑言が相まって、つくづく自分の馬鹿さを思い知った。ヒキコモリではないけど。
とは言え、ほんの少しだけではあるが、可能性は見えたのは事実。
「じゃあ、早速方法を考えるわよっ!! 」
すっかり機嫌を取り戻した朱夏に促されると、俺達は編入に向けての作戦を立てる為、小さなテーブルを囲って会議を始めるのであった。
話し合いの最中、嬉しそうに案を出す彼女が、ほんの少しだけ、可愛く見えた。
でも、きっとそれは、俺の大いなる勘違いに違いない。
そう思うと、一瞬でもうつつを抜かしてしまった事を葵ちゃんに謝るのであった。
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