26項目 この店で、親友は恋を告げた


 高校からの長い坂を降りて、最寄駅の隣駅に位置するイタリアンレストランに辿り着くと、俺は一つ深呼吸をした。



 ……だって、このお店って、気軽に入れるファミレスと違う佇まいなんだもん。緊張するじゃないか。



 そんな事実を目の前に、分かりやすく動揺してしまう。



 先程、朱夏からの返信が来た。



『分かったわ。アンタの親友ですものね。それなら、ついでに宝穣さんにも遠回しに土國くんの応援を仰げないか聞いておきなさい』



 彼女も彼女なりに、宝穣さんを仲間に引き入れようとしている事を確認。



 まあ、それは良い事だけど……。



 朱夏は、駆流の慕う相手を知らない。むしろ、その人が、これから会う人なんだけどね。



 どちらにしても、信頼する二人には付き合ってもらいたい。



 ……とまあ、今回は重要な極秘ミッションがあるにも関わらず、その舞台が、こんなにも俺に似合わない場所だとは。



 正直、外観からでも俺を受け付けていないのが分かる。



 だからこそ、ガラス張りの店内を、眉間にシワを寄せながら覗き込んだ。



 もし、先に宝穣さんが入っていたならいい。


 だが、ここに一人で待機となった場合、俺は周囲の気まずさから溶けて無くなってしまうであろうから。



 ふむふむ。まだ来ていない様子だ。



 恥を忍んで、内見を済ませておいて良かったよ。



 それに、老夫婦や、リア充カップル、それに、仕事終わりと思しきサラリーマン……。



 ……めっちゃ大人の空間っ!!



 まともに思春期すらも経験していない俺には、敷居が高いわっ!!



 てか、宝穣さんったら、何でこんな素敵なお店を知ってんだよ。



 もしかして、歳上のイケメン彼氏とかいたりするからか?



 ……だとするならば、駆流は……。



 そんな事を考えながら、店の入り口でガタガタと震えていると、背後からこんな声が聞こえた。



「……いつも通り、大丈夫? 」



「う、うわっ!!!! 」



 思わず動揺からそう叫ぶと、慌てて振り返る。



 すると、そこには苦笑いを浮かべた制服姿の宝穣さんがいた。



 なんか、この娘と学校以外の場所で会う時って、いつもビクビクしている気がする……。



 まあ、何にせよ、切り替えなければ。



「や、やあっ! 早かったねっ! 」



 俺が紳士レベル1の振る舞いを見せると、宝穣さんは笑った。



「うんっ! 楽しみだったから、急いで来ちゃったっ! 」



 相変わらず、眩しすぎる程の正統派ヒロインオーラ。



 若干、照れ臭くなり動揺を隠せなくなる。



 だからこそ、「じ、じゃあ、入ろうか」と、切り替えて『何も気にしてませんよ』みたいな顔でエスコートをした。



 そして、俺は、その、"オシャレすぎる"イタリアンレストランへと入ったのであった。



*********



 客席の少ない店内に足を運ぶと、その空気感に呑まれてしまっている。



 まるで、ヨーロッパにでも旅行して来たかの様な、内装。



 隣で愛を囁き合うカップル、ピッツァをつまみに一人でビールを嗜む中年サラリーマン、本場を彷彿とさせるオシャレでイケメンなシェフ。



 ……俺、今、違う世界軸にでも放り込まれてしまったのか?



 これじゃ、肝心の"謝罪を込めてスマートにご馳走"も、"駆流の好感度についてのリサーチ"も叶わない。



 良い匂いがする食事の味すらも、感じられないかもしれない。



 ……まずいな。敵は、強い。



 そう思って不安な気持ちで一杯になっていると、宝穣さんは当たり前の様に可愛いウェイトレスからメニューを貰って、普段通りの余裕を見せたのであった。



「……で、何にする? 」



 彼女は、俺がキョロキョロしているのを不審がりながら、首を傾げてそう問いかける。



 ……いかんいかん。負けるな、小原周、16歳。



 ここで萎縮していては、何も成長出来ないぞ。



 そう思うと、「なにが?! 」と、トーンを間違えた声で、慌ててメニューを取った。



 すると、そこに記されていたのは、見慣れない単語ばかり。



 トリテリーニ、ペンネモンテクリスト、フェトチーネアルフレード。



 俺は基本、自炊をするが、こんなパスタの名称など聞いた事がない。


 せいぜい、スパゲティなど、ボロネーゼとか、ナポリタンくらいしか作らないし。



 だが、ここで無知なところを見せたら、親友に引かれてしまうかもしれない。



 そう思うと、逃げる様に彼女が何を頼むのかリサーチをかけた。



「れ、レディファーストは基本だから、さ、先に選んで良いよっ! 」



 その言葉に、宝穣さんは「優しいんだね……」と、微笑んだ。



 俺が窮地の末に、絞り出した"見苦しい作戦"などとは、つゆ知らず……。



 良心が痛む。



 それから、すっかり注文を決めた様子だ。



「じゃあ、これにしよっかな……」



 彼女は、"あるメニュー"を指差した。



 そこで、俺は勝利の方程式を掴む。



 だからこそ、こう頷いた。



「き、奇遇だね、俺もそれにしようとしていたんだ……」



 見苦しく放ったその言葉に、宝穣さんは「おっ、気が合うねぇ〜」と、純粋に喜んでいた姿に、安堵する。



 よし、何を頼むか決まれば、後はこっちのものだ。



 少し自信が湧いてきた。



 すると、俺の視線に気がついたウエイトレスは、『待ってました』と言わんばかりに注文を取りに来たのだ。



 そこで、自信満々にこう告げたのであった。



「この、ふぇ、フェト……チーネ、アル……」



 しかし、あまりにも言い慣れないそのワードに、言葉が詰まる。



 それに痺れを切らしたのか、ウエイトレスは「フェットゥチーネ・アル・ブッロで宜しいですか? 」と、問いかけて来た。



 俺は、その失態を目の前に、先ほど、一瞬だけ湧いた自信をすっかり仕舞い込むと、「は、はい……」と、子犬の様に小さくなるのであった。



 ニコニコと見つめる宝穣さんの、優しい視線に痛みを感じながら。



 ――それから、すっかり届いたパスタに口鼓しながら、何となく心ここにあらずな状態で、彼女と話した。



 まあ、パスタも、クリームベースで、バターが効いていて、かなり旨い。


 どうやら、本場よりもアメリカで一般的なメニューらしく、エビやマッシュルームなどがガーリックのアクセントで生き生きと存在感を示している。



 ……知らんけど。



 その間、宝穣さんは俺に気を遣ってくれているのか、随分と話題を振ってくれていた。



「……それでね、周くんが自主練に付き合ってくれたおかげで、スパイクの精度が随分上がって来たんだよっ! 」



 辺りの雰囲気など気にせず、真っ直ぐに声をかけてくれている。



 ……本当に、これで良いのだろうか。



 俺はそう思うと、先程まで萎縮していた自分が如何にかっこ悪いかを痛感する。



 このまま、気を遣わせ続けていて良いのか?



 だからこそ、自然体で話すのに集中する事にしたのであった。



「少しでも力になれて嬉しいよ。まあ、元々、宝穣さんの実力があったからで、俺は関係ないよ〜」



 若干、引き攣った笑顔でそう返答。



 すると、彼女は丁寧にフォークでパスタを包みながら首を振る。



「そんな事はないって。本心だよ。……最近、付き合ってくれなくて、寂しかったんだからね」



 小さな口を膨らませる。



 素直に、可愛い素振りだ。



 それに、今、寂しかったって言っていた様な……。



 まあ、良い。



 それよりも、まずは謝罪だ。



「ホント、ごめん。なんか、クラスメイト達が俺達の友情関係を勘違いしちゃったから、宝穣さんにまで迷惑をかけてしまうと思って」



 申し訳なさそうに、そう伝えた。



 だが、彼女はそれにすらも"不満"を抱いている様子だ。



「そんなの、気にしなくても良いんだよ。あたしは、周くんと"二人"の時間をとても大切に思っていたんだから……」



 想像以上に、俺を信頼してくれている事に、少しだけ口角が緩みそうになる。



 ……だって、俺、他人からアテにされる機会なんて無かった訳だし。



「ホント、申し訳ない。陰キャな俺には、なかなかしんどくて……」



 そこで、会話は途切れた。



 ……なんか、宝穣さんは、ジーッと俺を見つめてるし。



 その気まずさに耐えられなくなると、慌てて、話題を変えた。



「……ところで、良くこんな素敵なお店知っていたね」


「あ、うん。それは、もし、一緒に行くなら……。じゃなかった。前々から、一回行ってみたいって思ってたからね」


「そかそか。俺なんか、せいぜいファミレスが限界だから、さ」


「まあ、ファミレスもファミレスで、美味しいからねっ! 」



 ……そこで、また会話は終了。



 なんだろうか。



 今日は、何故か、上手く話せない。



 今、謝罪という一つ目のミッションはクリアしたものの、これからどうやって、駆流に対するリサーチへと話題を発展させれば良いのか、俺のスキルでは分からないのだ。



 ……だが、せっかくの二人きり。ここで聞かずして、いつ聞くのだ。



 そう決心すると、これから、彼らが素敵な恋に落ちてくれる事を願いながら、こんな問いをした。



「……ところで、宝穣さんには、彼氏とかいるの? 」



 まず第一に確認すべき案件。



 さっき、一瞬、言葉に詰まっていたのは疑問だが、こんなイタリアンで堂々と出来るのは、紛れもなく、経験値からだろうし。



 そう思いながら、一つ目の鍵を開ける様に彼女の目を見つめる。



「……いや、彼氏なんていないよ」



 よし、セーフ。



 とりあえず、安心したぜ。



 ここでもし『今は歳上の彼氏とラブラブだよ』なんて返事が返って来ていたら、その時点でゲームオーバーなのだから。



「そっか。宝穣さんって、とっても可愛いし、優しいし、居て当たり前だと思っていたよ」



 ホッとしたからこそ、本心でそう告げた。



 ……しかし、その発言に、何故か"しおらしくなる"彼女。



「あ、ありがとう……」



 ……んっ? なんだ? この反応。



 確かに今、俺らしからぬ大胆な発言をしたのは、事実。



 でも、それは、彼女に対する"敬意"であり、本心から言ったつもりだ。



 いや、もしかして、嫌だったか? 引かれたのか?



 そんな風に、彼女を不快にさせてしまったのではないかと、焦る。



 だが、特に問題ではなかった様だ。



「逆に、周くんは、彼女さんとかいないの? 例えば、"忍冬さん"とか……」



 ……安堵したと思ったら、妙な事を聞いてくる。



 何を言っているんだ。アイツと俺が付き合うなんて、絶対に有り得ない。



 そもそも、俺は彼女のサポート役。



 これから訪れる筈だった素敵な日々を、そんな事情を知っているが故、補填したいと思って奔走しているだけなのだから。



 それ以上でも、それ以下でもないのだよ。



「いやいや。アイツは、ただの"部活仲間"だから。付き合う訳がないじゃん」



 そうキッパリと訂正を行うと、宝穣さんは、あからさまにホッとしていた。



「そうなんだ……。にしても、本当に仲良しだよね。だって、"アイツ"なんて呼ぶくらいだし」



 ……おっと、危ない。



 思わず、朱夏との関係を詮索されかねない発言をしてしまった。



 このまま深掘りされるのは、関係を聞かれそうで良くない。



 そう考えると、俺は"本題"に入るための準備として、こう続けたのであった。



「じゃあ、好きな人とかはいるの? 例えば、クラスメイトとかで……」



 我ながら、素晴らしく自然な質問。



 ここで、首を縦に振るならば、もしかしたら駆流の可能性もある。



 すると、その"本質"を見抜く駆け引きに対して、こう返して来たのであった。



「う、うん。好きな人は、いるよ。クラスメイトの中に……」



 なるほどな。



 つまり、今、"駆流"が選ばれる確率が、クラスの男子1/20まで狭まった訳だ。いや、俺を除く1/19か。



 これって、マジで可能性があるんじゃないか?


 逆に、もし、他の男子だったとしても、同じ教室にいる以上、朱夏と共に幾らでもやり様がある。



 俺も、親友として彼女とのパイプがある訳だし、朱夏には彼のイメージアップに努めてもらえば、いつの日か……。



 この方程式が完成すれば、駆流が彼女と付き合う確率は、グンと上がるのだ。



 徐々に現実的になって来た、彼の恋愛の応援。



 俺は、宝穣さんと駆流、どっちの事も大好きだからこそ、絶対に付き合ってもらいたい。



 二人の性格を、良く理解しているからこそ、お似合いだと信じているし。



 そう思って得意げにニヤニヤしていると、宝穣さんは何故か、「……やっぱり、もう無理」と、切なそうに呟いた。



 ……あれ?



 もしかして、しつこく色んな事を聞きすぎたか?



 しかも、恋愛関係の話なんて、かなりナイーブ。



 つまり、俺の発言によって、彼女を怒らせてしまったのではないか?



 ……やらかしてしまったのか。



 あまりにも、懐に入り込みすぎたのかもしれない。



 決して、そんなつもりじゃなかったのだが、結果的に、親友を傷つけてしまったのか。



 そう思っているうちに、俺は自分が身の丈にも合わず、調子に乗った事を反省した。



 何が、協力だよ。



 人の気持ちも考えられない分際で。



 俺は、最低だ。



 象徴する様に、彼女は悲しげな目で俯いている。



 ……ホント、これじゃ、友人失格だよ。




 俺は、すっかり黙り込んでしまった宝穣さんに素直に謝ろうと思った。



 ……しかし、その時だった。



「……あのね、周くん」



 彼女は、何かを決意した様子で、真っ直ぐに俺を見つめた。



 ……んっ? いきなりどうした?



 今、俺は失礼な事を聞いて、彼女を怒らせた筈なのに……。



 ――そう呆然とするのも束の間、宝穣さんは、小さく息を吸い込むと、俺に向けてこう言い放ったのであった。



「……あたしの"好きな人"は、周くん。"あなた"なんだよ」



 …………。



 …………。



「……えっ? いきなり、どうしたの? 」



 完全に思考が停止する。



 だって、今、宝穣さんは……。



 突然告げられた、ありえない言葉に、俺はポカンと口を開けたまま固まった。



 あまりにも非現実的なその一言を前にして……。



 だが、彼女はそれが"現実"である事を証明するように、真剣な口調でこう続けたのであった。



「あたしは、周くんが、好き。誰にも取られたくないし、ずっと二人でいたい。願いが叶うなら……付き合いたい……」



 彼女らしく、ハッキリとそう宣言された。



 店内の人々など気にせずに、まるで、この世界で二人っきりになってしまったみたいに。



 しかし、俺の方は、まだ唐突な"告白"を理解しきれていない。



 だからこそ。



「いやいや、何かの間違いだよね? 俺だよ、俺。こんな陰キャだし」


「間違いなんかじゃないよ。周くんが誰よりも優しいのを知っているし」


「それは、嬉しいけど、俺となんか付き合ったら、みんなに白い目で見られかねない」


「そんな事、気にしないよ。あたしは、あなたと居られるなら、それだけで幸せだから」


「だ、だけどさ……」



 そんなやり取りを繰り返している内に、いよいよ俺はその現実を理解した。



 ……つまり、彼女が恋愛感情を抱く、その対象こそ、紛れもなく、"俺"その人だったのだから。



 同時に、「それくらい、好きなんだよ……」と、上目遣いで訴えかける宝穣さんを前にして、顔を赤らめて目を逸らした。



「そ、それは、嬉しいが……」



 焦りから、言葉に詰まる。



 ……だが、情けない俺に、彼女は堂々とこう宣言したのであった。



「今すぐに、答えが欲しい訳ではないよ。……でも、いつか、いつの日か、必ず、周くんが振り向いてくれる様に、頑張るからっ!! だから、今はあたしの"想い"を受け取って欲しいんだっ!! 」



 彼女の危機迫る"覚悟"に、呆然とせざるを得なかった。



 同時に考える。



 ……俺は、果たして、宝穣さんの事をどう思っているのだろうか。



 そう考えている内に、俺は自然と、「わ、分かった……」と力なく返事をしたのであった。



 こうして、事態は思わぬ形で発展したのである。



 気がつけば、駆流のサポートの話などが吹き飛んでしまっていた。



 俺は、これから、どの様な決断を下せば良いのだろうか。



 そんな"悩み"が胸の奥を刺激したのだから。



 そう思うと、これから宝穣さんと"親友"ではなく、"恋愛の対象"という意味で接して行かなければならない現実に、頭は混乱するのであった。



 ……最中、何故か俺の脳裏には、"朱夏"の顔が浮かんだ、気がした。

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