65項目 ひとりぼっちの空に


 どうも、おかしい。



 いや、絶対におかしい。



 こんな事、あり得ない……。



 そう思うのも、当然の話である。



 だって……。



 ――――『はぁ? そんな生徒、知らねえな』



 これは、我が部活動の顧問を務める"子守先生"の発言だ。



 空の名前は、豊後空。


 ひょんな事から、玉響学園の文芸部に所属する、至って普通の高校生。



 ……つい、先週までは。



 何故ならば、今、この学校で起きている、あまりにも悲しい"異変"を目の当たりにしているからだ。



 空が所属する文芸部には、自分を含めて三人の部員が所属していたはず。



 しかし、春休みに入ってここ一週間、一切、部室に現れる事は無かった。



 だから、理由を探るべく、顧問に聞きに行ったのだ。



 ……それで、先程の回答。



 空は、しっかりと思い出や、名前を覚えている。



 ……なのに、そんな二人の存在を、担任でもある"彼"が認知していない。



 その事実を前に、動揺しない訳がない。



 まさか、"夢"や"ドッキリ"なのではないか。



 そう疑いをかけると同時に、空は二人の関係者の元に、片っ端から聞き込みを始めたのであった。



 生徒会副会長や、以前、海で偶然会った"2年B組の友人"も見かけたので、確認を行った。



 正直、上級生と話すのは、かなり勇気を振り絞ったが。



 ……でも、その努力も虚しく、口を揃えてこう言った。



『いや、そんな人、知らないよ』



 ……やはり、誰も先輩達を知る者はいなかったのだ。



 ならば、と、以前、何度か会ったことのある実父にも同じように問いかけた。



 すると、返ってきた答えは……。



『ごめんね、パパも心当たりがないなぁ。もしかしたら、空も疲れているのかもしれないね。ゆっくり、休んだ方がいいよ』



 認知していないどころか、顔を見た途端、あらぬ心配をされる。



 そんな、あまりにも非現実的な状況を目の前に、一瞬、"空自身"がおかしくなってしまったのかもしれないと、疑いかけてしまう。



 ……でも、忘れられる訳がないじゃん。



 空の"初恋の相手"は、"周先輩"、ただ一人なんだもん。



 それに、恋敵でありながら、最も心を開けた"朱夏さん"の事だって。



 なのに、彼らは"何の痕跡も残さずに"、消えてしまった。



 ……空だけを残して。



 こんなの、あり得ないに決まっている。



 彼らは、そんな人達じゃないのを知っているから。



 だから、この一週間は、必死に、聞き込みをしたり、街を歩いて探し続けたんだ。



 大好きな二人と、もう一度会うために。



 ……そんな行動を続けるうちに、空は学園の中で完全に『変な子』になっちゃったんだ。



 でも、そんなことは、どうでも良かった。



 他人の事を考える余裕なんて無かったから。



 また、三人で仲良く部活動をしたい。



 もう一度、朱夏さんと喧嘩をしたい。



 ……また、周先輩の温もりを感じたい……。



 抑えきれない衝動が高まった結果、空は毎日、毎晩、疲れ切った身体で泣いていた。



 ……あまりにも悲しくて、残酷なこの"結末"を信じたくなくて。



 スマホ画面を見ても、"最初から何も無かったみたい"に、三人で撮った写真や、朱夏さんとのメッセージのやり取りも消えている。



 とっても大切にしていた【フレンチなひとときは部室から】の一冊も、何処を探しても見当たらなかった。



 そんな事実を積み重ねて行くうちに、まるで世界にたった一人だけ取り残された様な、強い孤独感を覚えてしまう。



 早く、安心したい。



 これはきっと、"嫌な夢"なんだって。



 でも、頬をつねっても、頭を叩いても、新しい朝を迎える事は無かったのだ。



 だからこそ、今日も一日中、彼らの痕跡を辿る"たった一人の旅"を終えると、食事も摂らずに自室のベッドに身を委ねた。



 ……暗闇の中、考える。



 どうすれば、彼らを見つけ出せるのかって。



 なんで、いなくなっちゃったんだって。



 ――すると、そんな時、以前、二人が同居していると打ち明けられた際に、"アパート"の住所を教えてもらった事を思い出した。



 朱夏さんはあの時、『今度、遊びに来るといいわよ』と言ってくれたけど、結局、躊躇してしまったその場所を。



 ……そこが、最後の手掛かりだ。



 きっと、何かの"証拠"があるに違いない……。



 空はそう思うと、『ど、どうした?! 』と、心配をする父母の制止を振り切って、夜の街を走り出した。



 ……周先輩、朱夏さん。



 きっと、空が見つけるからね。



 また、みんなで楽しくしよう。



 もう、ワガママは言わないから。



 そんな気持ちの中で……。



*********



 数十分間、一心不乱に走って辿り着いた、木造のボロボロのアパート。



 そこは、彼らがかつて口にしていた"外観"そのものだった。



「……本当に、あった……」



 ボソッと呟くと、不意に期待をしてしまう。



 きっと、ここにいるに違いないって。



 だからこそ、到着するや否や、荒れきった呼吸など気にせず、彼らが住むという"101号室"に足を進めた。



 廊下から見える小窓の明かりは消えていた。



 今は、22:00。



 もしかしたら、早めに寝ているのかもしれない。



 そんな前向きな気持ちを込めて、空はチャイムを鳴らす。



 ……お願い、出てきて。



 そう心で叫び続けながら、何度も、何度も、鳴らし続けた。



 ……でも、そのあまりにも遠い"数センチ"先に辿り着く事は、できなかった。



 誰も、いない。



 それから、空は外の方に移って、ジーッと中を覗く。



 ――――だが、その瞬間、決して受け入れたくなかった、"最悪の事実"が待ち構えていた事に気がついてしまった。



 ……なんと、彼が居住していた筈の部屋の窓には、カーテンすら掛けられていなかったのだ。



 暗がりの中、街頭に照らされた室内をジーッと見ると、"もぬけの殻"。



 家具や生活を感じさせる物は、一つも見つからなかった。



 まるで、最初から、誰も住んでいなかったかの様に……。



 ……そこで、ついに"痛感"した。



 彼らは、本当に、この世界から"存在ごと消え去ってしまった"のだと。



 その事実を目の前に、気がつけば、空は、その場に崩れ去った。



 激しい絶望感から、全身の力は抜けて行く。



 同時に、殺風景なアパートの一室を目の前に、瞬きすらも忘れて、涙を流していた。



 そして、こんな事を思った。


 

 ……二人とも、本当にずるいよ。



 朱夏さん、まだ、"ギブアップ"なんて言っていないんだよ?



 ここ最近、"文芸コンクール"の制作で忙しかったから、あまりアプローチの機会がなかったけど、完成次第、また挑戦状を叩きつけるつもりだった。



 だけど、交際の事実を知った時は、辛い反面、不覚にも、二人が幸せそうにしている姿を見て、嬉しかったりもしたの。



 だって、空は、二人の事が"大好きだった"から。



 どんな時だって、あなたは空の成功や成長を"自分のこと"の様に喜んでくれたよね。



 とっても、幸せだったの。



 いつも、必ず、臆病な性格から解放してくれるのは、彼女だったから。



 ……正直、恋敵になる覚悟をするのは、とても怖いし、辛かったんだよ?



 だけど、そんな最低なワガママを前にしても尚、あなたは空を見捨てなかった。



 いくら怒っても、突き放す様な真似は決してしなかった。



 その"器の大きさ"に、救われていたんだと、今、改めて実感させられる。



 ……本当に、彼女は、この世で一番"尊敬出来る先輩"であり、"最高の親友"だったんだ。



 後、"周先輩"。



 あなたは、本当に最低な人。



 どれだけ、空の事を悩ませれば気が済むの?



 思えば、中学生の終わり頃からずっと、彼とは仲良くしていた。



 空の人生は、彼のポエムによって、変わったんだ。



 それから、好きだとを自覚してから、今まで、ずっと心の奥底に刻まれている、この"ときめき"。



 だから、空は何があっても、絶対に周先輩を笑顔にするって決めたんだ。



 恋をし続けるって。



 あなたがお願いしたから、"文芸コンクール"への参加も決めたんだよ?



 やっと、出来上がったのに。



 きっと、周先輩が驚く様な"完成度"だよ?



 褒められたくて、喜んで貰いたくて、寝る間も惜しんで頑張ったの。



 ……そうすれば、また、彼と"詩集談義"が出来るって思ったから。



 それこそが、いつか、周先輩と結ばれるキッカケになると、信じていたから……。



 なのに、"足掻く機会"すらも与えてくれないなんて。



 あなたは、"部長失格"です。



 だって、こんなに悲しむ後輩を置き去りにして、何処かに居なくなってしまったんだから……。



 本当に、心の底から、大好きだった。



 会いたい、会いたい、会いたい、会いたい……。



 桜の花びらが鼻先をくすぐる夜、空はそんな気持ちで胸がいっぱいになった。



 ……同時に、理解した。



 もう二度と、彼らが部室に現れる事はないのだって。



 二人の存在は、"過去"の回想でしか感じられないのだって。



 ……そう思っている内に、ボロボロになった心と身体は、こんな結論を出した。



 ……これが、"失恋"なんだ、って。



 もう、疲れた……。



 その瞬間、何もかもがどうでも良くなった。



 彼らが居ない世界でなんか、生きたくない。



 いや、生きている意味なんてない。



 だって、空にとって……。



 最後の別れを告げる様に、【フレンチなひとときは部室から】の表題作を口ずさむ。



「フレンチな、ひと、とき、は……」



 ……実に、惨めで、切なかった。



 そんな気持ちが胸いっぱいに染み渡ると、連動する様に、身体全体は"浮遊感"に包まれた。



 でも、気にするだけの力は残っていなかった。



 ……それは、そうだよ。



 もう、空の大切な"居場所"は、チリの如く消え去ってしまったんだもん。



 そんな悲壮感に支配されていると、耳元で、聞き慣れない音が掠めるのであった。




 ――――「ヒュン」



 同時に、空は、地面を潤す涙の一滴だけを残して、"この世界"から、切り離されたのであった。



 ……さようなら、大好きなひと。



 そんな気持ちの中で。

 

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