64項目 愛と夢物語の果てに


 ……やっと、学校が終わった。

 


 放課後を告げるチャイムが鳴ると同時に。


 この音は、ある意味、スタートの合図だ。


 だからこそ、緊張をもたらす。



 そう、だって……。



 これから……。



 そう思うのも束の間、"私"は、一番後ろの窓際から二番目の席にて、近づいてくるクラスメイト達の「また四月にね〜」などと言う馴れ合いの輪に、若干の煩わしさを覚える。



 ……今日は、今日ばっかりは、それどころじゃないから。


 彼の宣言。


『今日、彼は私にキッスをする』


 これが、"いつも通りの私"の妨げになっているのだ。


 ソワソワが止まらないのは、仕方がない事。


 だからこそ、期待を込めて、隣の周の方に視線をずらした。



 ……すると、彼はとても真面目な顔をしていた。



 考えてみれば、学園生活の一日中、ずっとそうだった。



 やっぱり、私とのキッスに対して、かなり緊張しているのかしら。



 なんて思いながらも、私の胸の鼓動も次第に高まって行った。



 ……彼の唇を見つめて、より一層。



 そんなくすぐったい感情が全身を支配した時、私は、はやる気持ちを抑えられずに、教室を離れようとした。



 いつも通り、時間差で下校する為に。



 もう一度、待ち合わせをするために。



「じゃあ、私は今日、用事があるから先に帰るわね」



 クラスメイトにそう挨拶を交わすと、私は、ゆっくりと立ち上がって、教室を後にしようとする。



 ーーーーしかし、その時だった。



「ガタッ!!!! 」



 突然、隣の席からはそんな音が聞こえる。



 ……すると、周は私に合わせる様に、勢い良く立ち上がっていたのだ。



 それから、躊躇する事なく、目を合わせながら手を掴んだのであった。



 ……えっ? いきなり、ど、どうしたの?!



 普段、周が絶対に取らない行動を目の前に、思わず、動揺を隠せない。



 同時に、教室の声は、ピタリと止まるので合った。



 なんという……呆然とするクラスメイト達。



 まるで、時間が止まってしまったかの様に、辺りは静寂に包まれる。



 だが、そんな周りの目など、一切気にしない彼は、まだ状況を呑み込めない私に、誰よりも優しく、暖かい笑顔を見せたのであった。



 ……そして、こう告げる。



「じゃあ、行こっか」



 ……柔らかさを孕んだその声が鼓膜から脳内に到達した途端、私は無意識に微笑んでいた。



 何故ならば、この胸がときめいたから。



 ……まるで、彼が劇なんかではない、"本物の王子様"にさえ見えた。



 普段のみっともない姿とは、比べ物にならない程に。



 だからこそ、すっかり心が奪われると、二人の世界に入った中で、ただ、ただ、小さく頷いたのであった。



「うん……」



 その呼応を喜んだ周は、同時に、私の右手を取りながら、そのまま教室を出ていった。



 ……なんだか、今日の彼は、全くの別人の様にも感じる。



 その気持ちに対して、"違和感"を感じる事はない。



 だって、ずっとずっと喜びの方が大きいもの。



 きっと、周は学校に示したかったんだ。



 『忍冬朱夏は、俺のモノだ』って。



 だから、こうして、一歩踏み出す度に騒つく廊下でも、迷いなく真っ直ぐに歩み続ける。



 私は、それについて行くだけ。



 ……だって、彼は私が幸せになる為の"道標"なんだもん。



 過去も、今も、きっと、これからも……。



 私が指定した行き先までの道中、特に、会話をする事はなかった。



 いや、する必要がなかったというのが正しい。



 ……だって、いま、二人の気持ちは"ひとつ"になっているのだから……。



 ……そんな暖かい沈黙が心に安心感を与えた所で、私達は、"例の公園"にたどり着いたのあった。



 最中、ふと、私が最後に書いた『やりたい事リスト』の内容を思い出した。



 それは……。



*********



 私は、今から、人生で初めてのキスをする。



 相手は、これまで生きてきた17年間の中で初めて愛した、一人の"青年"だ。



 春休みを告げるチャイムが鳴り響いた放課後。


 連休への喜びに沸く教室から、切り離される様に、ずっと私の手を引いてたどり着いた公園。



 花火大会の時、感動をもたらしてくれた場所。

 彼を失いかけた時、寒空の下でひとり涙したのもここだった。



 気がつけば、私にとって、酸いも甘いも経験した、思い出の土地になっていたのだ。



 だからこそ、ファーストキッスは、"目の前にマンションが聳え立つ公園"を選んだ。



 ……この時、この瞬間を、最高のシチュエーションで迎えたいから。



 少し、これまでの思い出を巡る様に遠回りをしたから、気がつけば太陽は眠りかけている。



 ……でも、ハッキリと顔を見られるのが恥ずかしいから、好都合だなとか思ったりもした。

 


 ――そして、夕焼けに染まるベンチから、人気のない木陰に移動すると、その時は訪れたのであった。



 彼は、まるでこれまでの鬱憤を晴らすかの如く、清々しいまでの微笑みを見せると、「……じゃあ、準備はいい? 」と、そっと、私の手を取ったのである。



 ……右手は、震えていた。



 きっと、いつものテンパリ癖がそうさせているの。



 ホント、ヘタレなんだから、バカ。



 私だって、この胸のときめきを前にとっても緊張しているんだから、少しくらい男らしくしなさいよ。



 そんな煩わしさを感じつつ、でも、"彼らしさ"を感じられた。



 次第に、ドキドキと心臓の音が早くなるたびに、彼を求める感情は増幅して行く。



 だからこそ、私は周をすっかり信用すると、ゆっくりと瞼を閉じたのであった。



 ……早く、幸せにしてみせなさい。私もしてあげるから。



 多分、周も、同じ気持ちだよね。



 この時を、"世界で一番素敵な瞬間"だって思ってくれているに違いない。



 象徴する様に、彼の指先からは、ほんのりと優しい温もりが伝わってくる。



 まるで、この時を待ち望んでいたかの様に。



 ……早く、キスがしたい。



 だけど、何故か、周は、目の前が暗闇に包まれる私を置き去りにした。



 そっと目を閉じてから、約一分。



 彼はまた、"おあずけ"をする。



 その時間は、とても煩わしい。



 永遠にすら感じさせられる。



 ……もう、私は、限界だ。



 早く、彼が欲しい。



 ずっと望んでいた"このひととき"を迎えたい。



 ……すると、不意に、ある"ポエム"を思い出した。



【愛の花】



 これは、交際後、改めて読んだ際、彼の詩集の中であった一作。



 初めて目を通した時、馬鹿にした作品。



『ねえ、お花さん。ボクの未来は、美しく咲き誇ってますか? ねえ、お花さん。ボクの心は、可憐に咲き誇って見えますか? もしキミがボクのネモフィラなら、きっと何処に行ったって幸せになれるんだもん。だから、ボクの初恋に恋をしてほしい、な。』



 いまでも、本当にカッコ悪い最低な出来栄え。



 でも、改めて思う事があった。



 この詩の"ボク"は、"私"なのだと。



 お花に問いかけたくなるくらい、恋は盲目。



 気がつけば、このポエムを、何度も何度も読み返している自分がいた。



 だって、私にとっての"ネモフィラ"は、"小原周"、あなた自身なのだから……。



 花言葉と同じ。



 きっと、二人で未来へと歩めば、"どこまでも成功"するに決まっている。


 

 だからこそ、私は握る手の力を強める。



 『早く貴方を頂戴』と、何度も何度も心の中で叫びながら。



 ……これから始まるラブストーリーのプロローグは、ここでおしまいなんだもん。



 これから、この世で最も愛する男性ひとと、新たな"幸せ"を掴み取るんだから。



 たとえ、どんな悲しい出来事に遭遇したって、乗り越えられる自信がある。



 長いときを共に過ごして、分かったんだ。



 にも関わらず、何故、土壇場で躊躇するの?



 もう良い加減にして。



 そんな仕草をされると、不安になるじゃない。



 実は、アンタは、この"始まり"を望んでいないの?



 これは、私の"エゴイスティック"なの?




 そんな悲痛の叫びが、"心"のグラスに期待とは別の感情をブレンドして行く。



 ……しかし、土壇場で抱いた"ネガティブな気持ち"は、周の覚悟によって、全て掻き消されたのであった。

 


 ____「チュッ」




 小さく聴こえたその音と共に、私の口元からは、柔らかい感触が伝わってきた。



 ……少し湿った、彼の、唇が。



 何もかもどうでも良くなるくらいの幸福感が、全身を優しく包み込む。



 同時に、これまで彼と歩んできた約1年間の記憶が、脳内を走馬灯の様に駆け巡って行く。



 彼の喜び、哀しみ、怒り、そして、優しさ……。



 その全ての表情が鮮明に思い出された時、私は、この世で一番"美しい刹那"に酔いしれた。



 "前の世界"での記憶すらも、すっかり忘れてしまう程に……。

 


 ……ありがとう、周。大好きだよ。これからも、ずっと……。



 心の中で小さく呟くと、まるで夏の日に咲き誇る大輪の花火のごとく、燃えがってゆく。



 徐々に、全身の細胞が生き生きと活性化して行くのを、強く、強く感じる。



 ……同時に、激しい高揚感によって、身体が浮遊する様な、"不思議な感覚"を覚えたのであった。



 そう思っていると、まだ物足りない気持ちをよそに、彼は一度、私から離れた。



 同時に、ずっと想ってきた本心は、清らかな気持ちを携えて漏れたのであった。



「好き、だよ。バカ周……」



 瞼を開く前に、そう口ずさむ。



 それから、ゆっくりと視界を解放した。



 ……すると、周は、泣いていた。



 なんで泣いているのかは、全く理解できない。



 なんだか、ほんの少しだけ、悲しそうな顔をしている様にも思えた。



 でも、きっとこれは、気のせい。



 だって、周の唇からは、しっかりと"幸福感"が伝わってきたんだもの。



 それに、これから先も、私の今一番『やりたい事』は、ずっと続いて行くのだから。



『小原周と、ずっと楽しく過ごしたい』



 彼を、悩みから解放してあげたい。



 たとえ、それを話してくれなくても、強い"絆"で結ばれていれば、"ガーゼ"にはなれると信じている。



 だからこそ、照れながらも探る様に、私は平静を装って、彼を茶化した。



「アンタ、なんで泣いているのよ。そんなに、私とキスが出来た事が嬉しかったのかしら? 」



 ……まだキスの余韻から抜け出せず、辿々しくなってしまった。



 今、鏡の前で真っ赤になった自分を見たら、爆発するだろう。



 でも、その反応は、彼も同じだった。



「う、うるせっ! 」



 涙を流しながらも、耳たぶまで紅く染め上げて、その場でジタバタする周。



 でも、ホッとした表情を、すぐに見せた。



 そこで、安心した。



 やっぱり、嬉しかったんじゃない。



 素敵な気持ちを、共有出来たんだ。



 だからこそ、私は、どうしても伝えたかった一言を口にしようとした。



 これから先も、一緒にいられる為の"おまじない"として……。



「私と、ずっと……」




 ――――だが、そう言いかけた矢先……。




「おいおい、兄ちゃん達よ、イチャイチャしているところ悪いんだが、そんな所につっ立ったら通行の邪魔なんだよ!! 早くどいてくれっ!! 」


 決して上品とは言えない怒鳴り口調の男の声が耳元を掠めると、私は口を紡ぐ。



 ……なによ、このおじさん。ここは"想い出がいっぱい詰まった公園"の片隅で……。



 二人だけのとろけるほど甘い時間を邪魔された事に、激しい苛立ちを覚えた。



 だからこそ、『邪魔をしたのは、あなたじゃないっ! 』と言えるように、確認を兼ねて、周囲を見渡した。



 ――――その瞬間、私は言葉を失った。



 だって……。



 そこに広がっていた光景は、現代日本とはかけ離れた場所であったから。



 足元には粗末な石畳が敷き詰められ、周辺には土壁のカラフルな家が並び、映画の類でしか見た事のない立派な"西洋を彷彿とさせる城"が遠くに見える。

 更には、道行く人々も、とても東洋人とは思えない“欧風”な容姿をしており、先程、声をかけられた中年は、博物館にでも寄贈されていそうな古い馬車を引いていたのだ。

 


 まるで“夢の中”とでも言うべき光景の連続に、思わず、こう漏らす。



「一体、何が起こったの……? 」



 ……同時に、この状況が"嘘である"と信じたい一心で、周の顔を見つめた。



 ……しかし、彼も私と同じ反応をしていたのだ。



 そして、この余りにも非現実的な"二度目の転移"が夢じゃない事を痛感させられる様に、周は呆然としたまま、ボソッとこう漏らしたのであった。



「……えっ? 」

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