62項目 恋路の戸締まり
……朱夏の疑惑を掻い潜ってやって来た、生徒会室。
その中に入るや否や、風林会長は怪しく微笑んだ。
「……呼ばれた理由は"たった一つ"であると分かっているようだな……」
この前、手がかりを探す中で、あんな事があったんだ。
そんなもん、"異世界"に関する話に決まっている。
だからこそ、俺は小さく頷いた。
「は、はい。それに、"俺自身"も話があったので……」
そう伝えると、理解の早さに満足する彼女は、おもむろに部屋の鍵を閉めた。
「ならば、先にコチラの"本題"から伝えさせてもらおう」
どこか品位を感じさせる振る舞いでソファに座り、足を組みながらそう告げられると、俺は「ゴクリ」と生唾を飲んだ。
「そ、それは……」
すると、そんな風に固まる俺に対して、会長はアッサリと本題を口にしたのであった。
「……まずは、貴方が別世界に拘る理由、それを確認しておこうと思う……」
初手からの核心を前に、俺は固まった。
……だって、言えるはずがないじゃないか。
『ラノベの世界から現れた女の子と一緒に住んでいる』などと伝えれば、下手をしたら、何かの"障害"を画策される可能性だってあるのだから。
もしかしたら、異の者を滅する立場であるかもしれない。
これは、中二的な発想ではなく、純粋に疑う事。
俺は、安全な上で朱夏を元の世界に戻したいと思っている。
だからこそ、【叡智の書】が示した"キス"に全てを賭けて行動しているのだから……。
「そ、それは……」
俺がそんな事を考えながら口を紡ぐ。
だが、対する会長は無機質な表情で俺をじっと見つめ続けていた。
そして、微妙な間の後で、こんな事を告げたのであった。
「……まあ、貴方が隠そうとしても、結果は見えているのだけど。何故ならば、この【叡智の書】は、ずっと"小原周"を示し続けているのだから」
……彼女の発言を目の前に、俺は冷や汗をかく。
だって、それが意味する理由って……。
そんな風に唖然としていると、付け加えるように"本質"を唱えたのであった。
「……要は、貴方に"異の者"との接触の痕跡があったという話。だから、接触した」
……どうやら、全ては筒抜けだった。
幾ら俺が朱夏の存在を隠そうと、彼女が持つ"不思議な本"は、全てを理解していたんだ。
故に、会長は"あのタイミング"で関わって来た。
……実に、間抜けな話だ。
本来ならば、アンティーク店で彼女が現れた時点で、もっと違和感を持つべきだったのに。
焦りから。信用しすぎたのかもしれない。
途端に、不安を感じる。
だからこそ、恐る恐る俺はこう問うた。
「……もし、そうだとしたら、"彼女"はどうなってしまうんですか? 」
すると、朱夏の消失に対して"恐怖心"を抱く俺を目の前に、ニヤッと口元を緩めた。
「……これは、時空干渉において、由々しき状況。このまま放置すれば、大変な事になる。"忍冬朱夏"……と言ったっけ? だから、早急に事態を収束したい」
風林会長が見せた、不穏すぎる笑顔。
後、今聞かされた『収束したい』という言葉。
やはり、彼女は全てを知っていた。
朱夏の経緯も。
更には、これから何らかの"宜しくない行動"を起こすだろうと判断出来た。
それに、"大変な事"とは……。
……何にせよ、考える時間など残されていない。
どうにかして、阻止、せねば……。
俺はそう思うと、彼女に嘆願をした。
「"朱夏"を酷い目に遭わせるのだけは、本当にやめてくださいっ!! 俺に出来る事ならば、何でもしますっ!! だから、お願いです!! 」
――――気がつけば、その場で土下座をしていた。
大好きな恋人を守りたいという一心で。
だが、そんな俺の感情的な振る舞いに対して、会長は小さくため息を吐く。
「……できれば、コチラも強行手段は取りたくない。そこで、"鍵"を握っている貴方を利用させてもらう事にした。それには、もう一つ理由がある」
それから、彼女は"本題"に大切な"事柄"を付け加えた。
「もう時間がない。偶発的に起きた異世界転移において、"平穏"を保てる期間は、約一年。それが過ぎ去る時、世界は滅亡へと導かれるであろう……。だから、以前、【叡智の書】に示された"方法"を、早急に遂行して欲しいのだ」
……そこで、俺は理解してしまった。
つまり、このミッションには、ハッキリとした"期限"があるのだ。
もし、失敗した場合は、"滅亡"を阻止する為に、会長、はたまた【叡智の書】の作用によって、朱夏は殺されてしまうかもしれない。
彼女と出逢ったのは、三月の中旬。
つまり、後、約2ヶ月弱の間で、否が応でも"お別れ"を済まさねばならないのだ。
……心のどこかで思っていたんだ。
せっかく付き合えたんだからって。
少しくらい、この"温もり"を堪能させてもらっても、良いんじゃないかって。
交際の前に悲しませた分、この世界で幸せな想いをさせてあげてからでも遅くないと。
別れを約束した豊後父にも、悪いとは思っている。
正直、彼女を帰す事ができるのは俺にしか居ないのだから、しっかりとした形で"綺麗にお別れ"をしたいと。
……でも、そんな傲慢な考えは、決して打ち消す事が出来ない"タイムリミット"という現実を前に、チリの如く散って行った。
まだ、2ヶ月もあるじゃない。
もう、2ヶ月しかないんだと。
それなら、どうするべきなんだ?
いつまでも、機会ばかりを伺っては居られないのだという"強迫観念"が芽生えた。
「そんなのって……」
俺は、思わず、その場で崩れた。
……すると、そんな俺の弱々しい姿を見かねたのか、会長はおもむろに【叡智の書】を差し出した。
「何にせよ、今出来る事や、思う事を尋ねると良い。そうすれば、少しは気が晴れるというもの」
彼女からの無機質な気遣いに、俺はボンヤリとした顔で"異界の本"を手に取った。
それから、まだ整理しきれていない頭の中、こんな問いかけをしたのである。
……以前とは違い、声に出した上で。
「……俺は、彼女を幸せにしたい。この世界での思い出を、とても"綺麗"なものだったって思わせたいんだ……」
質問になっていない心の声を呟くと、【叡智の書】は、眩い閃光を放った。
しかし、前回のような衝撃はなかった。
それよりも、朱夏と過ごせる期間が迫っている事実の方が、より重要だったから……。
すると、俺の言葉に呼応した書物は、文字を羅列する。
……しかし、そこでも。
『否。お主の思考せし"未来"は訪れる事はない』
キッパリと、否定的な回答が返ってくる。
そこで、俺は絶望を味わった。
「ど、どうして……」
捻り出した様に放った俺の一言に、書物は無感情で答えた。
『理由は、簡単な話。異界の者に宿し現世での"記憶"は、時空干渉の際に消え去るが故。元の時間軸から再び人生を歩み始めるであろう』
……あまりにも辛すぎる"結末"を前に、立ち尽くすしかなかった。
だって……。
朱夏が"さいけんガール"に戻った瞬間、この世界での出来事は、すべて無かったことになってしまうのだから。
俺や、豊後さん、それに、クラスメイト達との思い出の全てが……。
正直、居た堪れなくなる。
悔しいし、悲しい。
だって、アイツが、自分の力で"成長"し続けて来た姿を真横で見て来たのだから。
……いや、そんなのは綺麗事だ。
心のどこかで思っていたんだ。
……きっと、元の世界でも、たまに俺を思い出しながら『なんで、勝手な事をしたのよ』なんて、怒るんだろうなって。
でも、それすらも叶わない。
何故ならば、忍冬朱夏は、俺と出逢う前に戻ってしまうのだから……。
忘れられたくなんて、ないよ。
この事実は、俺を自己中心的にした。
「全部、なかった事にするなんて、そんなの……」
……気がつけば、泣いていた。
まるで、駄々を捏ねる子どもの様に……。
同時に、脳裏には彼女の喜怒哀楽が映し出される。
……出会いから、学園生活、文化祭や体育祭などのイベントに、何度も二人で歩いたアパートへの帰り道……。
そのすべての記憶は、輝いていた。
だが、それら全てが、息を吹くように簡単に消失してしまう現実。
そこに、打ちひしがれるしかなかった。
……だが、そんな風に呆然と泣き崩れる俺に対して、会長は、そっと白いレースのハンカチを渡す。
「……今は、泣いている暇はない。貴方は、"忍冬朱夏"の幸せを誰よりも願っていると言った。……ならば、進むしかない筈」
その言葉に後押しされると、俺は落ち込んでいても状況が変わらないのだと、痛感する。
……じゃないと、朱夏は……。
だったら、ずっとしみったれてても良いのかよ。
いや、ダメだよ。
それに、考えてもみれば、彼女の美しい"未来"は確約されているんだ。
良い事じゃないか。
俺達との記憶なんて、元の世界で朱夏にとっては"足枷"にしかならないに決まっている。
これから、"木鉢中"との恋路は甘酸っぱくも美しく始まる訳だし。
……だったら、絶望を味わうのは俺一人で充分。
そう、そうだよ。
きっと、豊後さんやクラスメイト、両親も彼女の失踪に悲しむかもしれない。
それなら、その感情も、全部俺が"引き受ければ"良いんだ。
もう二度と、こんな"恋"なんてする事はない。
だったら、最後の最後まで胸を張って、朱夏とラブコメをしよう。
たとえ、"彼女の歴史"にその事実が残らなかったとしても……。
……そして、すぐ目の前に押し寄せる"別れ"と向き合って、しっかりと『さようなら』を……。
すっかり考えが纏まると、俺は無理やり笑った。
続けて、意を決した上で、風林会長にこう宣言したのであった。
「……俺は、朱夏を、世界中の誰よりも愛してる。だから、もう少しだけ時間をください。きっと、ちゃんと、この手で"元の世界に帰す"と誓いますっ!! 」
震え声で叫んだその"宣誓"を聞いた彼女は、微笑を浮かべた。
「……ならば、信用させてもらう。こちらからの接触は控えよう。ぜひ、忍冬朱夏を安全に転移させて欲しい……」
そう約束をして硬い握手をした所で、俺は涙を拭うと、生徒会室を後にした。
廊下を歩く足音は、いつもよりも小さい。
それは、失う事への恐怖から。
だけど、仕方のない事。
時間がそれを許さないのだから。
そう考えると、記憶にも残らない"俺という主人公"は、時計を見つめた後で歯軋りをすると、ボソッとこんな事を口にしたのであった。
「……俺は、一生忘れないからな」
意固地になりながら出た一言と共に、"キス"をする日付は自然に思い浮かんだ。
"春休み前、最後の登校日"と。
これは、俺の最期のワガママ。
どうせ、全てが無くなるなら、ギリギリまで、『朱夏の笑顔が見たい』という、自己中心的な考えが導き出した"答え"なのだから。
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