46項目 重要人と魔法の書
ぼーっとした表情の生徒会長は、ただただ足を進める。
最中、何を問いかけても回答が得られない気がしたから、黙り込んでついて行くだけ。
その沈黙が、あらぬ考えをもたらすのだ。
……薄らと残る、喜怒哀楽の感情を携えて……。
____「周くん」
今も、モヤがかかった脳内の奥底から、そんな声が微かに聞こえた気がした。
しかし、まるで樹海にでも迷い込んでしまったかの様に、真実は森の中に消え去って行く。
一体、何がこんなに感情を揺さぶるのだろう。
……ここ最近の"記憶の乖離"の正体は……。
それよりも、今は、朱夏を元の世界に戻す方法だ。
解決に必要不可欠なのは、明らかに"鍵"となっている古文書を持つ風林生徒会長。
火山くんの行動から察するに、彼女は普段、言葉を喋れない様子だった。
でも、先程、間違いなく、ハッキリと自分の口で話をした。
……いや、もっと前からか。
『貴方は、まだダメ』
以前、火山くんと共に我が文芸部に訪れた際、会長はそんな事を言っていた。
多分、あの言葉には"意味"があったんだ。
もしかしたら、彼女は、何処かで俺との接触のタイミングを伺っていたのかもしれない。
理由は、分からない。
でも、朱夏に関する上で必要不可欠な、"異世界"に関する手掛かりに一番近い"人物"である事は間違いない筈だ。
だって、あの"古文書"は、彼女の手の中にあるのだから……。
……そんな確証が脳裏を埋め尽くしている間に、彼女は約1時間の徒歩に終止符を打った。
"ある場所"でピタッと足を止めたのだ。
「……さあ、到着よ。ここで、少し話をしましょうか」
……訪れた先は、玉響学園だった。
*********
通い慣れた学校の、踏み入れた事のない生徒会室に入り込むと、俺は一際目立つローテーブルが中心に置かれたソファに座るよう促された。
「……それで、何故、学校に……? 」
俺が動揺しながらそう問う、彼女は無表情でこう呟いた。
「ここが、一番"安全"だから……」
その発言に疑問を持ちつつも、手招きに応じて腰をかける。
……すると、そんな俺を見た会長は、こう問いかけて来た。
「貴方の悩みは、一体なに……? 」
あまり表情を読み取れないポーカーフェイスでそう尋ねてくる彼女。
しかし、全ての気持ちを話すには、まだ時期尚早だと判断。
……まだ、全てを信用するのは違う、と。
だからこそ、言葉を紡いだ。
「そ、それは……」
俺が黙り込んだ事によって、会長は警戒心を察してか、予め沸かされていたポットを手に取ると、慣れた手つきで紅茶を淹れた。
続けて、微笑を浮かべる。
「もし、警戒しているのなら、それはお門違い。ワタシは貴方の"味方"であるつもり。だから、悩みがあるなら、この場で話すべき。……じゃないと、後悔する」
笑顔とは裏腹に淡白な口調。
しかし、不思議と信用できる存在であるのだと本能が察した。
……後、『後悔する』という不確かな根拠に背中を押されたのだ。
だからこそ、"大事なところ"を隠した上で、俺は悩みを打ち明けた。
「……実は、最近の俺はおかしいんです。何か、大切な事を忘れてしまっていて。それに、以前、俺はあのアンティークショップで会長が持つ"古文書"を見た。なのに、店主は『そんなもの知らない』と、否定をされてしまったんです。……そこには確かに"異世界"についての日記が記されていた筈なのに……」
朱夏の帰還について、さりげなく探りを入れる形で、例の書物についての核心を突く。
……すると、その"苦悩"に答えるかの如く、会長は膝の上に置いていた"古文書"をテーブルの上でゆっくりと開いたのである。
「……この本の存在が、何を意味するか分かる? 」
あまり答えになっていない返事をする彼女。
「……いえ、分かりません」
正直にそう伝えると、彼女は真顔になった。
「実は、この書物は、"この世ならざる物"なの」
……その言葉を聞いた瞬間、俺の中で"点と線"が繋がる。
何者かによって記されていた『異世界に帰還する』の内容は、やはり正しかったのだと。
……つまり、この古びた本は、"この世とは異なる世界"の書物なのだ。
更に、先程、店主の記憶から"古文書"の記憶が抜け落ちていたのは、もしかしたら、この本による"何らかの作用"によって生じた歪みだとも考えられる。
そんな事実を目の前に、俺は、やはり"古文書"の中に朱夏が元の世界に帰る為の"ヒント"が隠されているのだと理解した。
……正直、安心した。
だって、さっきまでは、手掛かりを掴めなかったどころか、鍵となる書物の所在すらも不明になってしまっていたのだから。
しかし、一転、生徒会長は"異世界に関する重要事項"を引っ提げた上で、こうして現れたんだ。
「もしかして、この本に俺の疑問の"答え"が……」
ボソッと喜びの声を溢した俺に、彼女は微笑を浮かべた。
「……貴方の考える通り。この"一冊"は、いわゆる、【叡智の書】と言われている。もし、悩み事があるならば、今すぐに本を手に取り、願うと良い。さすれば、何らかの助言をもたらすであろう」
あまりにもファンタジーな展開に、俺は喜びを忘れて、思わず驚愕に溺れかける。
……【叡智の書】だと?
そんなの、科学が発達し切ったテクノロジー国家の中では人々の脳内から打ち出された"娯楽"としてしか存在しない筈。
何故、会長はその様な代物を持っているんだ?
本来ならば、茶化しているとしか考えられない御伽話。
だが、今、会長は間違いなく『助言をもたらす』と言っていた。
それに、今は、疑問なんて抱いている余裕はない。
……なによりも、朱夏を幸せにする為には……。
そう思うと、『少しでも可能性があるなら』と、藁にもすがる思いで、会長の手から"その書"を手に取る。
そして、ゆっくりと【叡智の書】を開いたのだ。
同時に、前回、目を通した際に記されていた"異世界"に関する項目を探した。
……しかし。
何故か、どこを読んでも何も書いていない"白紙"になっていたのだ。
間違いなく、同じ本で間違いない筈。
あんな中二心をくすぐる表紙、忘れるわけがない。
にも関わらず、まるで何かの"証拠隠滅"をしてしまった様に、真っ白。
「一体、何が……」
呆然としながらそう零すと、彼女は猜疑心を抱く俺にこう告げたのであった。
「……まあ、論理など気にせずに、早く"相談"をしてみると良い。すぐに信用出来るであろう」
気品よく座りながら、ティーカップに口を運ぶ会長。
……何故か、異様なまでの説得力があった。
だからこそ、俺は、彼女に促されるがままに、今、立ちはだかる"壁"についての悩みを心の中で念じた。
『俺は、朱夏を救いたい。幸せになって欲しい。だから、彼女が元いた"世界"に帰してあげたい。その方法を教えて欲しいんだ』
本気で願っている事を、心の中で思いっきり叫ぶ。
______その途端……。
汚くて粗末だった筈の【叡智の書】は、俺の手元で神々しい"純白の閃光"を放ち出した。
……えっ?! 今、何が起きているんだ?!
俺は、今、目の前で起きている"非現実的"な出来事に、思わず、それを手放しそうになる。
そんな中、あまりの眩さに瞑りかけていた瞼を広げて、書物の方に目をやる。
……すると、まるで、本自体が"自我"を持ったかの様に、真っ白だったページからは、文字が浮かび上がって来たのだ。
動揺を隠せず、脂汗を流す。
……こんな事、あり得るのかよ。
そして、文章が具現化すると同時に、生徒会室を覆い尽くす程に眩い光は、なりを潜めたのであった。
一瞬、腰が抜けそうになった俺は、慌てて【叡智の書】に記された内容を確認した。
……すると。
『お主の望む解決策は、ただ一つ。お主が、お主自身が、"異界の住人"との接吻を交わす事以外に方法はない。其れを以って、門は開かれるであろう』
……あの"古文書"は、本当に、俺の相談に答えてくれたのである。
その事に驚きが隠せず、一瞬だけ、思考は停止した。
だが、すぐに首を振る。
いや、今はこの不思議な本に衝撃を受けている場合ではない。
それよりも、今、ここに掲載された"助言"。
これが意味する事について考える。
つまり、"異界の住人"とは、朱夏の事である。
そこまでは分かる。
……だが、それ以上に。
"接吻"、すなわち、"キッス"をせねば、朱夏が元の世界に戻れる可能性は全て消え去るという事だ。
今、この【叡智の書】が示した"奇跡"の様な術を見せつけられた事により、その方法が正しいのであろうと言う憶測は立つ。
……しかし。
いきなり、そんな事ができる訳がないじゃないか。
確かに、俺は朱夏が好きだ。
むしろ、したい。
でも、それはコチラの独善的な考えなだけであり、相手の気持ちも考慮しなければならないに決まっている。
正直、キスするだけならば、とても容易い。
眠っている間とかに、さりげなく行ってしまえば良い訳で。めちゃくちゃ緊張するけど。
……だけど、本当にそれで良いのであろうか。
何故ならば、俺は朱夏がまだファーストキッスを終えていない事実を知っているから。
にも関わらず、俺が卑怯に、コッソリと、その"神聖な行為"を盗んでしまっても良いのだろうか。
……いや、絶対に許されない。
やっぱり、それを行うならば、しっかりと"好き同士"になってからが良いに決まっている。
【叡智の書】が示す助言から察するに、この目標を達成する事が出来るのは、俺のみ。
つまり、俺自身がキスをする以外には、方法がないのだ。
そうなると、やるべき事は、たった一つに絞られた。
……俺は『朱夏を惚れさせなければならない』のだ。
正直、現在、彼女がコチラの事をどう思っているのかは、疑問だ。
多分、クラスメイトや他人より特別扱いされているのは、すぐに分かる。
しかし、それ以上の想いを抱いてくれているかと考えると、全く自信がない。
"ただの同居人"くらいにしか思っていないかもしれないし。
……となると、俺がいきなり告白なんかしたら、『アンタ、いきなりどうしたの? 頭でもおかしくなったのかしら』なんて言われかねないのだ。
その場合、逆に、朱夏との距離感は遠ざかるばかり。
ならば、やはり、まずはしっかりと相手に慕って貰った上で"交際関係になる"のが正攻法であると判断した。
もし、そうなれたら、俺は喜びで失神してしまうかもしれないが。
……とは言え、これは全て、彼女との"お別れ"の為。
その事実が重くのしかかると、心は哀しみを抱き始めた。
でも、その先の"未来"で朱夏がラノベの世界で輝けるならば……。
……俺は、そう思うと、決意を固めた。
「……分かった。やってやるよ……」
ボソッとそう呟くと、会長はニコッと笑った。
「やはり、【叡智の書】に相談してよかったみたい……」
その言葉を聞くと、俺は大きく頷いた。
「はい。正直、ここまで早く"やるべき事"が分かると思いませんでしたから。ありがとうございます、会長っ!! 」
礼儀正しくお辞儀をする。
「何に"苦悩"していたのか、コチラはわからない。でも、きっと、"貴方"には乗り越えてもらわなければならない運命がついて回る。だから、なにかあったら、いつでも相談してくれるといい」
その言葉に、ひとたびの"安心感"に包み込まれた。
……だが、そこで、一つの"疑問"が思い浮かぶ。
「……ところで、何故、会長はこんな"代物"を持っているんですか? 」
俺が根本的な疑問を投げかける。
すると、彼女は小さく首を振った。
「……知らなくていい事も沢山ある。後、この事は、口外禁止。さもなくば……」
途端に恐ろしい表情に変わる風林会長を目の前に、俺は、身の毛もよだつほどの恐怖を感じた。
だからこそ、先程の非礼な発言を撤回する。
「わ、わかりました……」
そして、すっかり用事が済むと、俺は【叡智の書】を閉じようとした。
____しかし、その時だった。
先程まで記されていた助言の下には、再び、文字が浮かび上がって来たのである。
……そこには。
『助言の"代償"として、来たるその日まで、お主の"蘇りかけた記憶"を預からせて貰う』
……その文章に目を通した途端、刹那の間、"ある人物"の姿が脳内で鮮明に映し出された。
そうだよ。赤髪のポニーテールで、運動神経が良くて、何よりも、俺に「好きだ」と伝えてくれた親友。
彼女の名前は……。____
____だが、全てを思い出しかけた瞬間、俺の中にずっと燻り続けていた"違和感"は、全て塵の様に、消え去ったのであった。
……あれ? 今、何を考えていたんだっけ?
まあ、そんな事はどうでも良い。
それよりも、今は朱夏の事に集中せねばならない。
いや、それ以外に、悩む事なんて何もないじゃないか。
とにかく、彼女を"世界で一番幸せ"にする為、元の世界に戻すため、俺は行動せねばならない。
しっかりと、【叡智の書】によって示されたんだ。
そう決意をすると、すっかり文字の消えたその本を閉じると、会長に返した。
「何にせよ、本当にありがとうございます。……もし、また何か悩みがあった際は、相談するかもしれません」
俺の言葉に、彼女は満足そうにしていた。
「いつでも、どうぞ……」
そして、有事の際に備えて連絡先を交換すると、俺は"非現実的"な時間を終えて、生徒会室から"確かな足取り"で出て行ったのであった。
……俺は、これから、朱夏と"ラブコメ"をする。
たとえ、その選択が"哀しい明日"への第一歩になってしまうとしても。
もう止まれないんだ。
どんな事があっても、朱夏と"キス"を以って、"お別れ"をしなければならなくなったのだから。
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