44項目 最後のお節介


 俺の憶測は、どうやら大間違いだったみたいだ。



 ……この、目の前にいる"豊後大地"こそ、俺の尊敬する、作家、"夜桜漆枝"。



 それが果たして、本当の事なのか、まだ疑ってしまう自分がいる。



 しかし、先程の会話の中で、すぐに朱夏の存在を見抜いた辺り、間違いなく"本人"である。



 だからこそ、俺は、俯いた。



「……それでだね。僕が言いたい事は、一つなんだ」



 彼は、先程までの"陽気"なテンションとは打って変わって、真面目な口調でそう話を始めた。



 ……なんだか、嫌な予感がする。



 だって、きっと……。



「あのね、小原くん。キミには、特別なお願いがある。それはね、彼女を元の世界に帰す方法を、探し出して欲しいんだ」



 やはり、彼は、予想通りの言葉を俺に投げかけた。



 ……まあ、そうだよな。



 だって、普通に考えたら、彼女は現代日本に留まるよりも、元の世界で幸せに生活する方が良いに決まっているから。



 そう願うのも当然の話。



 彼が"さいけんガール"の世界観を作り上げた、張本人ならば、余計に。



 これから、朱夏に訪れる"充実した日々"についても、熟知しているからこそ。



 しかし、その提案に対して、アッサリ首を縦に振る事が出来ない自分がいる。



 だからこそ、抗った。



「……でも、今、朱夏はこの世界で作品とは違う形で、"自由"を手に入れています。だから、時期尚早な考えは、逆に彼女を傷つける選択になりかねないのでは……」



 俺は、ワガママな気持ちが脳裏をグルグルと掻き乱す中、そんな言い訳にも近い返答をした。



 すると、彼は小さく首を振る。



「……確かにね。もしかしたら、忍冬朱夏は、今、とても幸せな生活をしているのかもしれない。それは、この前、空やキミと話している姿を見ればすぐにわかる。だけどね……」



 豊後父は、そこで言葉を詰まらせた。



 まるで、自分の創り上げた"さいけんガール"の展開を思い出す様に。



「彼女の頭には、"桜の髪飾り"が付いていたよね。それって、つまり、まだ"木鉢 中"と出会う前って事じゃん。キミはどうやら、僕の作品を読んでくれているみたいだから分かるだろうけど、これから、"忍冬朱夏"の元に、どれだけ素敵な日々が訪れるかはわかっているよね? 」



 ……とてもとても、痛いところを突かれた。



 確かに、俺は知っている。



 今後の彼女に訪れる、美しいラブコメを。



 木鉢中と出逢う事で、次第に開けて行く朱夏の最高の"未来"を……。



 だからこそ、一度、"帰還への手掛かり"を探すべきか悩んだんだ。



 そんな事は、重々承知している。



 ……でも、彼女が、この世界で輝いている姿も見つめ続けてきた。



 だからこそ、俺はサポートすると決意したんだ。


 それに、木鉢中とは違う形で、幸せにしようと誓ったのである。



 でも、多分、今の俺が彼の提案を否定する理由は、もっと"汚いもの"。



 俺は、朱夏が好きだ。



 もう二度と、手放したくない。



 そんなエゴイスティックな気持ちこそが、一番の足枷となる。



 嫌だ。これからも、ずっと共に歩みたい。



 何度も何度も、そう叫び続ける自分がいる。



 ……しかし、そんな気持ちを察してか、豊後父は小さくため息を吐くと、おもむろに鞄から"ある一冊の本"を取り出した。



「キミの気持ちは、分かるよ。すっかり、あのヒロインを慕ってしまったんだね。……だけど、もし、少しでも彼女の幸せを最優先に願うならば、"コレ"を読んでくれ」



 彼がそう言って差し出してきたのは、"さいけんガール"の最終巻だった。



 いまだに目を通していない、その作品。



 俺は結局、【才色兼備ガールは、レールから外れたい】の結末を知らないのだ。



 今までは、朱夏に気を遣って読むことを控えてきた。



 しかし、今、また同じ事を言えるか。



 違う。



 ……俺は、怖いんだ。



 彼女が、"違う形"でハッピーエンドを迎えてしまうかもしれないと思うと。



 だからこそ、クローゼットの奥底に封印したまま。



 俺は、そんな自分の弱さに打ちひしがれる。



 何故ならば、今、原作者から促されても、躊躇してしまっているのだから……。



 それに、俺の行動が本当に彼女の為になっているのか、疑問を感じた。



 ……確かに、豊後父の言う通りなのかもしれない。



 だって、幾らこの世界で"自由"を手に入れたとしても、結局のところ、朱夏には必ず打ち当たる"壁"があるから。



 結局、彼女は"居てはいけない存在"である事には変わりないのだから。



 俺はそこまで先の事など考えていなかった。



 彼女が、本当の意味で"幸せ"になれるのか。



 多分、此処では決して叶わないだろう。



 そう思うと同時に、俺は自分の"想い"を捨てる決意をしたのであった。



「……お、俺に出来る事があるなら……」



 力なく、彼の意見に頷く。



 すると、豊後父は、俺の気持ちを察したのか、対面から肩を叩いた。



「……すまんね。君には、とても辛い"選択"をさせてしまう事になる。それは、僕も一緒だ。せっかく、こうして、自分の作った"キャラクター"と話す機会が出来たのだから。だけど、察してもらえると有り難い」



 その言葉を聞くと、どうしようもない感情が全身を支配した。



 ……道標をなくした様な気がして。



 しかし、無理やり笑顔を見せた。



 だって、これは全て、朱夏自身の為なのだから。



 そう思うと、俺は彼が差し出してくれた"さいけんガール"の最終巻を手に取る。



 ちゃんと、向き合わなきゃいけないんだ。



 ……そう覚悟を決めると、こう告げたのであった。



「もしかしたら、彼女が帰れる"手掛かり"があるかもしれない場所を知っています。次の休日、そこで聞き取りを始めてみますね」



 俺の発言に、彼は切なく微笑んだ。



 ……そこで、始めて、豊後父も同じ気持ちである事に気がつく。



 いや、俺以上に、朱夏の事を想っているに違いない。



 だったら、同じ方向へ進まなくてどうするんだ。


「そうなのか。じゃあ、その件については、君に任せるとしよう。僕の方でも、色々と過去の事象なんかを調べてみるね」


「はい……」



 そう約束をすると、俺達は"朱夏"を元の世界に戻す為の第一歩を踏み出し始めたのであった。



 ……きっと、それが一番良い結末なのだと、信じて。



*********



 すっかり太陽が鳴りを潜めてしまった中、俺はぼんやりとした気持ちで街を歩いていた。


 ……どうしようも出来ない"感情"を携えて。



 そして、気がつけば、まるで、誘導された様に、ある場所にたどり着く。



 ……その場所は、朱夏と一緒に半分だけの花火を観た、目の前に大きなマンションが聳え立つ暗がりの公園。



 思い出を探りながらベンチに腰を掛ける。



 すると、あの日、七色に輝く大輪を見つめながらウットリとした表情を見せた、彼女の浴衣姿が、フラッシュバックした。



『綺麗……』



 この世界の誰よりも美しく、素敵なお前。



 あの時、俺は決意をした筈だった。



 どんな事があっても、絶対に彼女を支え続けると。



 原作なんかに負けないくらい、素晴らしい日々を与えると。



 ……だけど、もうそんな"目標"は、必要ない。



 それも全部、俺のワガママでしかないと痛感したのだから。



 ……朱夏、朱夏、朱夏。



 ……朱夏……。



 どうしようもなく、何度も叫び続ける名前。



 あまりにも呼び慣れた名前。



 そんな、日常に溶け込み過ぎた"当たり前の存在"との別れが近づいている事に気がつくと、俺の頬からは熱いものが伝った。



「……なんで、だよ……」



 抑えきれない感情が"涙"という形を以って溢れ出すと、空からは、真っ白な雪が降り注ぐ。



 まるで、俺の心に寄り添う様に。



 だけど、すぐに瞼を擦る。



 ……もう、これから弱音を吐くのはやめよう。



 そうじゃないと……。



 だからこそ、真っ白な息の中、俺は深呼吸をすると、一人立ち上がって、弱りきった身体から決別をしたのであった。



「……朱夏、必ず、元の世界に戻してやるからな」



 そう小さな声で宣言をすると、俺は"まだ"彼女がいる自宅へと不確かな足取りで進むのであった。



 ……これから、俺は"最後のお節介"を行う。



 すべては、大好きな女性ひとの為に……。

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