19項目 サマーフレンズ


 両親がカナダに帰ってから一週間。



 連日の晴天がアスファルトすらも溶かしてしまいそうな昼間、俺は買い物から帰ると、そんな状況など忘れる程、テンションを上げていた。


「ウッフフ〜」



 汗だくになりながらニヤニヤする俺を見た朱夏は、おもむろにスマホを開くと、「もしもし……? 円ちゃん? 」と、電話を始めた。



 ……どうやら、頭がおかしくなったと思われたらしい。



「いやいや、違うって!! 」


 彼女から電話を奪って切ると、俺は慌てて弁明した。



「単純に、朱夏との同居を心配してくれたからか、仕送り額が増えていたんだよ」



 そう告げると、彼女は怪訝な表情でジーッと俺を見た。



「……それはありがたい事だけど、まさか、"オタクグッズ"を買い占めようとしたりしてない? 」



 ……完全に痛い所を突かれた。



 これまでは、少ないお金を切り盛りして、貯蓄の末に残った少額で悩みに悩んでグッズやラノベを購入していた。



 だが、朱夏が来てからは赤字生活が続いていて、それどころではなかった。



 むしろ、バイトでも始めようかと思っていた程だし。



 だからこそ、今、突然に起きたブルジョワを前に、久しぶりの"オタ活"衝動が抑えきれなかったのである。



「べ、別にぃ〜? 」


 分かりやすく目を逸らしてシラを切る。



 すると、彼女は大きくため息を吐いた。



「はぁ……。やっぱり。そんな事のために、仕送り額を増やしてくれた訳じゃないわよ? ご両親も悲しむわ」



 呆れた口調で軽くいなされる。



「まあ、確かにそうだが、少しくらいは……」



 小さな声で抵抗をする。少しだけ、ほんの少しくらいは良いだろ。



 ……だが、そんな時、俺の煩悩をかき消すように、朱夏の電話が鳴った。



 また、妹か。次はどんな嫌味を言って来やがる。



 そう思っていたのだが……。



「あっ、空ちゃん! どうしたの? ……うんうん。なるほどね……」



 どうやら、通話の相手は豊後さんらしい。



 内心ホッとしているのも束の間、彼女はすっかり電話を切り終えると、こんな事を言い出した。



「空ちゃん、泳げないみたいで、練習がしたいらしいの。だから、来週、海に連れて行ってあげる事にしたわ」



 なるほどね。確かに、体育祭時の大縄跳びを見ている辺り、かなり運動神経悪そうだし。人のことは言えないが。



 ……まあ、なんにせよ、朱夏が海まで行くなら、俺はその日はフリーなわけだ。



 それなら、こっそりと"ライトノベル"でも買いに行くか。



 ……ウフフ。宴の予感がするな。



「そかそか! まあ、楽しんでこいよ! 」



 俺がにこやかな笑顔でそう告げると、彼女は首を傾げた。



「……何言ってんの? アンタも行くのよ? 」


「はっ? 」



 いきなり何を言い出すのかね、この娘は。



 そんなもん、俺が行ったところで豊後さんに引かれるだろうし、ましてや、あんな溶けてしまうほど暑い所にわざわざ行きたくもない。



 だが、そんな俺に。



「……てか、か弱い女の子二人だけで海に行かせるとか正気? アンタは文芸部の"部長"なんだから、安全を確保する義務があると思うの」



 ……そこで出ますは"部長"という魔法の言葉。



 書類上は事実だが、一回もそんな呼び方なんかしなかった癖に。



 それに、"か弱い"とか言うが、お前は俺の事をガンガン殴ったり蹴ったりしてくるじゃねえか。



 下手したら、俺よりも喧嘩強いぞ、お前。



 そう思って「いや、行かないっしょ」と素っ気なく返事をした。



 すると、朱夏はおもむろにスマホを取り出す。



「……もし来なかったら、円ちゃんに"セクハラをされた"って言うわよ……」



「そ、それは……」



 ……裏技を使われた結果、俺も海に同行する事が決まったのであった。



*********



「海だぁーーーー!!!! 」



 服の中に水着を着てきた朱夏は、一目散にTシャツを脱ぐと、目の前に広がる太平洋に向かって大きな声で叫んだ。



 ……彼女は、この日の為に新品の水着を買っていた。あれだけラノベを買おうとしていた俺を制止していたクセに。



 それに、買い物には何故か同行させられ、散々、似合っているかの確認を取らされたのを思い出す。



 その手の刺激が強い店になど、一度も行った事がない俺が爆発したのは、言わずもがな。



 まずそもそも、俺に頼るのがナンセンス。何年、ぼっち生活をして来たと思ってるんだ。



 結局、まともに姿すら見られないまま、朱夏の独断と偏見で選んだ水着を、今、この灼熱の"材木座海岸"で身に纏っている。



 ……それにしても、普段の彼女より"大胆な衣装"は、とても新鮮だ。



 フリルの付いた白のビキニに、スカートタイプのショーツ。普段ツインテールの髪は後ろに束ねられていた。



 とは言え、胸が慎ましやかなのが災いしてか、余り色気は感じられない。そこは男として素直に残念。



 だが、同居人が肌を露出しているというシチュエーションを見て、目のやり場に困ってしまうのは必然だった。これは、思春期だから仕方がない。



 まあ、一言で言えば……素直に可愛い。



「……で、どうかしら? 」



 邪念を捨てるため借りて来たパラソルを集中して立てる俺に、朱夏は褒めて欲しそうな顔で問う。


「……まあ、良いんじゃね? 」



 焼きつく程の太陽にほだされながら、目も合わせずにそんな返答をした。



「反応薄っ……。女の子をちゃんと褒めないと、モテないわよ? 」



 ……朱夏は不満そうにしていたが、そんなものは、確認を取る以前の問題。



「あの娘、めっちゃ可愛くね? 」

「何処かの女優さんかしら」

「ブボボボボ〜!! 」



 真夏の海岸に相応しくない余計な声が聞こえた気がしたが、いかに、朱夏がこの場所にて"良い意味で"目立っているかを物語っている。



 ……加えて、そんな彼女の隣にいる、俺も、ね。



「何、あのヒョロガリ」

「もしかして、あの可愛い子の彼氏? センスないわぁ」

「マジでないわぁ」



 ……み〜なさん、聞こえてますよっ!! ショックでそのまま身投げしなくなるからやめて!!



 そんな感じで完全に出鼻を挫かれて泣きそうになっていると、豊後さんが着替えを終えてやって来た。



「お、お待たせしました〜」



 申し訳なさそうに駆け足をする。



 ……そこで、驚いた事がある。



 彼女が来ている水着。


 少し幼さを感じる花柄のワンピースタイプ。



 だが、それよりも気になる事。



 ……それは。



「へ、変じゃないですか? 」



 レンズ越しに潤んだ瞳で、上目遣いをする彼女の胸の谷間。



 ……い、意外とあるなぁ。



 例えるなら、ソフトボール2個が並んでいるくらい。



 なんか、イメージと違ったが故、ちょっとだけドキドキした。



「お、おう……」



 思わず、目を逸らす。


 続けて、朱夏の大人しい所の方に自然と視線が移った。



 ……なんか、安心するわ。



「ボコっ」



 同時に、頭を殴られる。



「……なにか言いたげねぇ」



 これまでで最も恐ろしい表情を浮かべた彼女を見て、俺の中に芽生えた"やましい気持ち"はすっかり落ち着いたのであった。



 ――そこから、朱夏は泳げない豊後さんを連れて、照り返しの激しい海へと向かって行った。



「さあ、空ちゃん、行くわよっ! 」



 とか、手を繋いで、興奮気味な声で。



 ……またすっかり目的を見失っているな。



 そう思いながら、俺はパラソルの日陰に隠れて二人の様子を眺めていたのだった。



 ……考えてもみれば、さいけんガールの中でも、"海回"ってあったよなぁ。



 なんとなく思い出した"原作"。



 作中では、嫌々連れて来られた"木鉢中"が、実は泳げない事を知って、マウントを取られながらも朱夏から教わってたっけ。



 その間に、彼女を狙ったヤンキーに絡まれて、彼がカッコよく助けるなんていう胸熱なイベントもあったな。



 彼女の窮地を救った事により訪れた甘ったるい雰囲気を、"葵ちゃん"は、遠目で哀しみながら見ているなんて言う、おまけ付きで。



 あの時は、可哀想で泣いたね。なんだよ、中って。隣で幼馴染が辛い思いをしているぞってね。



 まあ、結局、その事がキッカケで二人の距離はまた近づいて行ってしまうんだけど。



 ……もし、俺が同じ状況なら、逃げてしまうかもしれない。非行少年、怖いし。



 そう思うと、弱い自分を"木鉢中"と照らし合わせて、ほんの少しだけ切ない気持ちにさせられたのであった。



「ほらぁっ! 空ちゃんっ! 」


「つ、冷たいですぅ〜」



 なんて、水をかけ合ってはしゃぐ二人を見つめながら……。




 ……後、実はこの前、宝穣さんにも海水浴に誘われていた。



『ちょうど部活が休みだから、クラスメイトの数人で海に行くんだっ! よかったら行こうよ! 』



 俺を頭数に入れてくれていた事が嬉しかったが、奇しくも、その日付が今日だった。



 だから、断った。



 『ごめん。その日、文芸部の活動があって』と告げたら、残念そうにしていたのが心苦しかった。



 まあ、こんなピカピカな舞台でクラスメイト達に囲まれてしまったら、俺は仏像の如く動けなくなっていた可能性もあるし。



 だって、教室で話しかけられるのとは違って、リア充にしか訪れる事の許されない、海だもの。朱夏のせいで来ちまったけど。



 まだ、お友達となんて、メンタル的に無理っしょ。



 そう内心ホッとすると、俺はビニールシートの上に寝そべって、ゆっくりと目を瞑った。



 ……のだが。



「おいおいっ! 周じゃね?! 」



 随分と聞き覚えのある声が聞こえる。



 ……んっ? なんだ? 気がつけば寝てしまって夢でも見てるのか?



 そう思ってゆっくりと目を開く。



 すると、そこにいたのは、トランクスタイプの水着を着た"駆流"だったのだ。



「……う、うわっ! 」



 こんな、"材木座海岸"なんて言う、絶対に会うはずのない場所で見た"余りにも見慣れた顔"に、思わず身体を起こす。



「な、なんで、お前がいるんだよっ! 」



 動揺しながらそう問うと、彼は格好つけながらこんな返答をした。



「……それは、海が、浜辺の寂しい女子達が、オレを、呼んでいるからさ……」



 ヤツがドヤ顔でくだらない妄言を放つと、背後から数名のクラスメイトがやって来た。



「アレ、小原くんじゃん! 」

「こんな所で会うなんてな! 」



 ……そう嬉々として話しかけてくる連中の中には、宝穣さんの姿もあった。



「やあ、今日は文芸部の活動って聞いていたけど……」



 とても素敵なグリーンのビキニ姿とは裏腹に、若干、引き攣った笑顔でそう確認を取ってきた。



 そこから、何故か微妙な雰囲気が漂う。



「なになに?! このイベント、周も誘われてたの?! 」



 とか、騒ぐ駆流を差し置いて。



「実は、部員の後輩から泳ぎを教えてほしいって言われたから、3人で海に来たんだよ」



 気まずい空気の中、そう説明。



 すると、彼女はジーッと俺を見つめながら近づいて来る。



 とても美しい形の"マシュマロ"と共に。



 それから、照れまくる俺をよそに、その言葉が真実である事を信じた様子を見せた。



「……そっかっ! それなら仕方ないねっ! 」



 宝穣さんがやっと笑顔を見せた所で、俺はホッとした。



 ……まあ、確かに、部活動があると聞いていた当人が、海で遊んでいたら、それは友人としてショックを受けるのは分かる。



 俺だったら、3日は引きこもるだろうし。



 という事で、なんとか弁明は済んだ。



 それから、海沿いで楽しむ朱夏と豊後さんを見つけた何人かの女子が、手を振りながら向かって行った。



「あ、あら、ご、ごきげんよう……」



 ……突然現れた学友を前に、途端に"お嬢様モード"に切り替わる彼女の姿に少しだけ笑える。



 そんな風に、奇跡に近い合流を遂げると、宝穣さんはこんな提案を始めたのだ。



「……あっ、それなら、みんなで遊ぼうよっ! どうせ、目的は同じわけだし。後、あたしは意外と泳ぎが上手いから、"後輩ちゃん"にもレクチャー出来ると思うよっ! 」



 ……断る理由がなかった。



「うん、わかった」



 だからこそ、力なくそう返答。



 こうして、結局、俺達"文芸部"は、2年B組の連中と共に、ひと夏の思い出を共有する事になったのであった。



 俺のメンタル、持つかな。



 そう不安を覚えているのも束の間。



「お、お前ごときが、"忍冬ちゃん"の水着姿を……」



 などと、殺気立った口調で睨み付けてくる駆流を見て、大きくため息を吐くのであった。

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