1項目 ファーストキスと異世界転移


 ……俺は、今、初めてのキスをした。



 それは、この恋に"終わり"を告げる、とてもとても悲しいモノ。



 突如、ライトノベルの世界から現れた"大嫌いなヒロイン"。



 しかし、そんな"煙たいだけだった少女"は、気がつけば、"掛け替えのない大切な存在"に変わっていたんだ。



 約一年間にも及ぶ、同居生活。



 その中で、ゆっくりと、"忍冬朱夏"という人物に魅了されて行った。



 人形の様に整った顔も、気を抜けば吸い込まれてしまいそうになる真紅の瞳も、平均よりも小柄な身体も、不器用すぎる"優しさ"も……。



 喜怒哀楽が激しくて、実はとっても寂しがりで、だけど、誰よりも"仲間想い"な彼女を、俺は、愛していたんだ。



 ……だからこそ、幸せになってもらいたい。



 たったそれだけの願いを込めて、俺は彼女の産みの親である、"原作者"と共に、彼女をラノベの世界に戻す為に奔走したんだ。



 本音を言えば、絶対に手放したくなどない。



 これからも、ずっと、二人で楽しく過ごしたい。



 ……しかし、これから朱夏に訪れる"素敵な未来"を、俺はよく知っていた。



 だからこそ、自分の気持ちを無理やり抑え込むと、不思議な"魔法の書"を持つ生徒会長の助言を得て、方法を見つけ出したんだ。



『忍冬朱夏と、キスをする』



 この神聖な行為を終えた時、彼女は、元の世界に帰ると、この世あらざる"書物"は示した。



 ……しかも、この場所での生活を全て忘れた状態で。



 でも、"二度と戻る事のできない幸せな思い出"を経た俺は、"今生の別れ"を決意して、今、こうして唇を合わせているのだ。



 想像していたよりも、ずっと柔らかい"彼女"を、切ない気持ちで感じながら……。



 ……朱夏、朱夏、朱夏。



 何度も、頭の中で名前を叫び続けた。



 もうすぐ、この世界で一番大好きな少女は、春の桜吹雪と共に消えてしまう。



 考えれば考えるほど、真冬の寒波の如く、心は凍てついて行くのだった。



 同時に、惜別の涙が溢れ出す。



 キミが、君の事だけが、大好きだったから。



 さようなら、朱夏。



 きっと、"あっちの世界"でも幸せに……。



 ――――本当は、そうして綺麗に"お別れ"する筈だったんだ。



 ……にも関わらず、俺は何故、今、見知らぬ柄の悪そうな"オッサン"と話しているのだろうか。



「おいおい、聞いてんのかよ」



 その"日本語"でハッと我に帰ると、俺はもう一度、周囲を見渡した。



 辺りに広がる景色。



 ……それは、間違いなく、先程までの世界とは違うモノだった。



 足元に広がる粗末な石畳も、カラフルな石造の家や、賑わう出店も、街行く"欧風"な顔立ちをした人々も、決して、さっきいた筈の"日本国"とはかけ離れていたから。



 訳が、分からない。



 それに、何よりも……。



「ホント、何が起きたのよ……」



 隣には、呆然とした顔のまま固まる、"忍冬朱夏"もいる。



 そんな不可解な状況を目の前に、気がつけば、これまでの"別れ"に対する苦悩や悲しみは、綺麗さっぱり吹き飛んでいったのである。



 ……不覚にも、朱夏がいる、その"事実"だけには、安心しながら……。



 だからこそ、なんの考えも浮かばずに、何度も問いかけてくる"オッサン"の声も一切届かない。



 何で、"日本語"を喋っているのかの違和感にツッコむ余裕もない。



 ……つまり、現実を受け止められないのだ。



 しかし、彼は、そんなポカンとする俺たちに痺れを切らしたのか、周囲に歩く群衆など気にせずに、「おいっ! いい加減、返事をしねえか! 」と、声を荒げた。



 ……だが、それから何故か、何かに気がついたかの様な表情を浮かべる。



 同時に、俺と朱夏の容姿をマジマジと見つめる。



 そして、こう言ったのであった。



「……てか、お前達、"異世界人"か? いや、ちげえねえ。こんな"ナリ"をした奴なんて、"現地人"じゃ考えられねえもんな」



 すっかり納得した様子で、顎に手を当てながら、何度も頷く。



「異世界人って……」



 思わずそう零すと、朱夏は不安なのか、俺の手を強く握った。



 ……だが、そんな俺達の困惑の表情を見ると、彼は途端にバカ笑いを決め込んだのだ。



「あ〜っはっは!! まあ、いきなり"こんな世界"に迷い込んでくれば、そんな顔にもなるわな!! まあ、良いっ!! お前達は、実に"運が良い"。とりあえず、詳しい話は場所を変えてするとしようっ!! 早く、馬車に乗れ!! 」



 ガサツな口調でそう促されると、彼は俺と朱夏の背中を雑に押しながら、荷物で溢れた屋形に押し込んだ。



「えっ? えっ?! 」



 俺は、訳も分からずにそう言うしかなかった。



 ……朱夏も、同じ反応だった。



 そして、手際良く準備を終えた"謎のオッサン"は、馬に跨ると、運転を開始したのであった。




「じゃあ、行くとしようかっ! "アイツの所"へっ!! 」



 こうして、今、どんな状況なのか、どうして、こんな場所に辿り着いたのか、何の"ヒント"もないまま、俺達は"何処か"に連れて行かれたのであった。



 道中、俺は少しずつ冷静さを取り戻すと、カーテンで仕切られて外観が見えない、妙に揺れが気になる箱の中で、小声で朱夏と話をした。



「……マジで、一体、どうなってるんだよ」



 そう呟くと、彼女は、そっと肩を寄せた。



「知らないわよ。……でも、さっき、あのオジサンが言っていたわね。『こんな世界に迷い込んできた』って」



 朱夏の発言を聞くと、俺は改めて、この"非現実的な現状"の真実について、理解した。



 いや、理解せざるを得なかったのだ。



「つまり、これって……」



 恐る恐る確認を取ると、彼女は頷いた。



「そうね。どうやら、これは、アンタの良く観るラノベやアニメみたいな、"異世界転移"って言うのが正解なのかもしれないわ」



 ……そこで、実感した。



 俺と朱夏は、"別れのキス"をした筈だった。



 しかし、その結果、"願い"とは全く違う現象が起きてしまったのだ。



 ……何故か、"異世界に飛ばされる"という。



 この事実を痛感すると、俺は寝る前に何度も妄想した"憧れの展開"に胸が躍る事もなく、ただただ、不安な気持ちで一杯になったのであった。



 ……これから先、俺達は、どうなってしまうんだ……?



 それに、結局、混乱する頭の中、促されるがままに"第一村人"に連行されてしまっている。



 よく子どもの頃、母みどりから言われた『知らない人について行っちゃダメですよ〜』と言う言葉の意味を痛感する。



 だって、どう考えても怪しいじゃん、アイツ。



 このままだと、俺だけならまだしも、朱夏にまで危険が及ぶに違いない。



 ……ならば、早く逃げないと……。



 俺は本能的な危機感から"あらぬ未来"を想像して肝を冷やすと、彼女にこう促した。



「……よし、とりあえず逃げるぞ」



 外の見えない薄暗い屋形の中で、脱出を決意した。



「確かに、考えもなしだったわね。……もし逃げられたとしても、今後、とても"辛い日々"が待ち受けているかもしれない。でも、私は"周"と一緒ならば、乗り越えられる気がするわ」



 妙に自信満々な顔で両手を握りしめて、そう告げる彼女。



 ……実に嬉しい返事だ。



 こんな状況にも関わらず、惚けかける。



 本当に、コイツを好きになってよかった。




 ……結局、お別れはできなかったが。



 まあ、その話は、落ち着いた後でも良い。




 それよりも、今は……。



 ……すっかり二人の意思が共有された所で、俺はゆっくりと荷馬車の出口のカーテンに手をかけた。



 強がりながらも、恐怖で身体は震えている。




 そして、足の骨の一本や二本は折れる覚悟で、外へと飛び出そうとしたのだ。



 ――――しかし、そんな時だった。




「キィッ!!!! 」



 先程まで激しい揺れを放っていた荷馬車は、すっかりと落ち着きを取り戻したのだ。




 続けて、逃亡を決意した俺達を妨げる様に、オッサンは、「よし、着いたぞ〜」と言った。



 ……やばい。逃げ遅れた。



 そう思うのも束の間、彼は能天気に鼻歌を歌いながらカーテンを開く。



 ――――そこで見た光景を前に、俺と朱夏は呆然とせざるを得なかったのである。




 何故ならば……。




 眼前には、見上げる程に大きな、映画やアニメの産物とでも言うべき、"立派な城"が聳え立っていたからである。



 ミサイルでも放たない限り、ピクリともしなそうな立派な外壁に、この国の繁栄を象徴する様な、ゆうに50メートルは超えるであろう、堂々とした佇まいをする天井の尖ったグレーの"建物"。



 周囲には、守衛と思しき"中世の騎士風な兵隊"が多数控えている。



「……えっ? 」



 思わず、ボソッとそう零す。



 ……もし、俺たちが"酷い目"に遭うにしては、あまりにも豪華絢爛な舞台。



 本来、こういう危機の時に拉致されるのは、スラム街にある"ボロボロの掘立て小屋"と大抵決まっているのだが……。



 だからこそ、彼の"意図"が全く分からなくなった。



 それに、さっき、『運がいい』って……。



 とは言え、これから何が起きるにしても、周囲に見える鉄壁の"警備"を前にして、逃げられる自信はなかった。



 故に、俺の考えは変わった。



「……何があっても、俺がお前を守るから……」



 せめて、朱夏を逃すだけの時間を……。



 だからこそ、安心させようとする。



 すると、俺の言葉に対して、彼女はニコッと微笑んだ。



「それは、私も、同じよ……」



 そんな、甘いやり取りを続けている間に、まだ名も知らぬ中年は兵隊との世間話を終えると、こう告げたのであった。



「じゃあ、ついて来い。……まあ、悪い様にはしねえよっ! 」



 結局、なにも抵抗出来ない俺と朱夏は、ついて行かざるを得なかった。



 ……ただ、そんな中でも、俺の意志は固い。



 全く事情が分からない中でも、『死んでも朱夏だけは助ける』と。



 きっと、彼女も同じ気持ちなのだろうという所だけは、悩みの種なのだが……。



 そして、まだ頭の整理が出来ぬ状態のまま、俺達は"立派な城"の中へと足を踏み入れたのであった。

 

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