53項目 背後より愛をこめて
豊後さんからの、初めてのお誘い。
それは、夕食にはまだ早いという事で、喫茶店から始まった。
……店名は『モアイ』。
この前、彼女の父親と今後の朱夏に対する、"方針"を決めた場所。
まさか、今度は娘の方とやって来るなんて、夢にも思っていなかった。
それはさておき、実の所、俺もあんまりこの様な、大人が出入りする"カフェ"などに来る事もほとんどなかったので、若干、緊張する。
「いやぁ〜。やっぱり、喫茶店の雰囲気って良いものだよね〜」
だからこそ、席に座るなり、引き攣った笑顔でそう強がるのであった。
すると、対面にいる彼女は、何故か頬を赤らめながら、ぼーっと俺を見ていた。
「……あのぉ、豊後さん? 」
俺が苦笑いを浮かべながら、恐る恐る、そう尋ねると、彼女はハッと我に帰った。
「あっ! す、すいませんっ! ところで、何を頼みますか?! 」
豊後さんはオロオロとした手つきで、俺にメニューを渡した。
「あ、ありがとう……」
なんだか心配になってしまいながらも、とりあえず、オーダーを決めることに。
……ふむふむ。こういう時は、何を頼めば良いんだ?
前回訪れた時は、豊後父が、常連という事もあって、彼のおすすめをご馳走になったんだが。
実際、あんなにポンコツな振る舞いが多いものの、彼の舌は本物だったらしく、強く勧められた"ブレンド"は、喉の奥まで染み込まれるほどの良い香りが口内に幸せをもたらしてくれて、実に美味しかった。
だからこそ、目の前にいる"後輩の親"を見習って、というより、パクって、分かったフリをしながら格好を付けて、こう告げた。
「俺、ブレンドにしよっかなぁ……」
……なんか、少し落ち着くな。
最近は、ずっと朱夏の事ばかり考えて気を張っていたが故、豊後さんとの突然の予定は、息抜きになっているのだ。
「じゃあ、豊後さんはどうする? 」
少しだけ心の余裕が生じ始めると、"先輩らしい振る舞い"を見せつつ、そう問う。
すると、彼女は、こんな事を言い出したのである。
「……じゃあ、空も同じので」
……意外だなと思った。
外見や容姿、性格からして、豊後さんがブレンドコーヒーを飲むイメージが無かったから。
……最も合っているのは、オレンジジュースとかかな。
まあ、そんな話はさておき、すっかり飲み物が決まると、渋めの雰囲気が漂うマスターを呼んで、「ブレンド二つで」と、"慣れない口調"でオーダーをしたのであった。
……その5分後。
「いただきます……」
豊後さんは、小さな口で、眼鏡が曇るほどに、「フーフー」と、一生懸命にコーヒーを冷ましていた。
……なんだか、その仕草こそ、まるで子どもの様な"いじらしさ"にも似た雰囲気があって、ホッコリする。
でも、砂糖やミルクなどは全く入れていない。
……へぇ。意外と、無糖派なのか。
俺でも、多少は甘くしているのに、意外と大人だな。
そんな事を思っていると、彼女は、やっと飲めると判断したのか、ゆっくりと、その真っ黒な飲み物を啜ったのである。
すると……。
「うわっ。に、苦っ……」
豊後さんは、コーヒーに口つけるや否や、渋い顔をして舌を出していた。
……その姿を見て、俺は、思わず、笑ってしまった。
「アッハハ〜! 飲めなかったんだ! それなら、先に言ってくれれば良かったのに〜」
久しぶりに、心の底から、明るい声を上げた気がする。
……だが、当の本人は、至って、真剣だった。
「ち、違うんですっ! き、今日は、調子が、悪くって……」
なんだか、必死に弁明している姿が、より一層、滑稽で笑ってしまう。
「ご、ごめんな〜! 豊後さん、面白くてさ! 」
すると、彼女は顔を真っ赤にしながら、「ぷく〜」と口を膨らませた後で、同じく微笑んだのであった。
「ホント、変な先輩ですっ」
……その表情を、一瞬だけ、可愛いと思ってしまった。
後、気がつけば、俺はすっかりと元気を取り戻していたのである。
結局、訳も分からず二人で笑い合っている内に。
なんだか、その様子を前に、豊後さんの初めての姿を見れた気がして、部長として少しだけ誇らしく思えた。
それから、俺達は"共通の話題"として、彼女の詩集についての話をする。
「空の師匠は、小原先輩ですからっ! 」とか言って、まだ"黒歴史"を抉ってくる辺り、心にはダメージを受けたが……。
制作の苦労とか、全くないわ。
ただただ、中二病を発動させていただけ。
でも、それを打ち明けるのが恥ずかしくて、"別のカッコいい理由"を作り上げて、少しでもメンタルを保つのであった。
どちらにしても、いつの間にか、すっかり彼女との会話に夢中になっていた。
素直に、楽しい。
元々、あまり表に出ないという性格が似ているからこそ、落ち着きを与えてくれるのかもしれない。
……ホント、この子は、とても良い人だよな。
なんて、心の中で思いながら。
そんなこんなで、気がつけば小一時間の談笑は、豊後さんとの"関係を深める形"で収束したのであった。
「そろそろ、お腹も空いてきましたし、行きましょうか! 」
彼女は、すっかり俺を信用し切った表情で、そう促した。
時計の針は、19:00。
いつも、自宅で食事を摂るのはこの辺り。
考えてみれば、会話に夢中になっていたのもあって、あまり時間を気にしていなかった気がする。
そんな事を考えながらも、彼女からエスコートを受ける形で、俺達は"蕎麦屋"へと足を進めるのであった。
……お会計の際、『誘ったのは空なので、払いますっ! 』と、何度も抗って来たのも、実に彼女らしいな、とか思いながら。
流石に、歳上のメンツがあったから、ご馳走したけどね。
……なんだか、これまで以上に、「俺は"先輩"になったもんだな」って思ったりもして、少しだけ自分の成長を喜んだ。
今、改めて思う。
豊後さん、本当にありがとう。
俺、すっかり元気になったよ。
これで、また頑張れる……。
そんな言葉を言いかけたが、嬉しそうにこれから向かう"蕎麦屋"の説明をする彼女の姿を前にすると、伝えるタイミングを失うのであった。
*********
空は、やりました。
今日、初めて、憧れの小原先輩と二人で食事に行く機会を手に入れた。
……彼が『夜まで一人だ』と聞いた時点で、こんな絶好のチャンス、逃すわけには行かない、そう思ったんだ。
勇気を振り絞って、本当に良かったと思っている。
……だって、小原先輩は、とても楽しそうにしてくれているから。
朱夏さんには悪いけど、空も空なりに、頑張らなきゃいけないって思ってしまった。
だからこそ、こうして、二人っきりでお気に入りの"蕎麦屋"に来られた事自体が、夢のよう。
クリスマスは、寂しさで泣いちゃったけど、今は、嬉しさで涙しそうになる。
それと、喫茶店で話してる時に思った。
彼との会話は、想像以上に弾んだと。
……その態度は、普段、学校で見られる"合わせてくれている"雰囲気ではなく、素直に笑ってくれているんだと明白に確認できたのだ。
そうする内に、空も自然と緊張感が薄れて行き、気がつけば、大好きな【フレンチなひとときは部室から】の制作秘話を聞いたり、こちらの作品に関する、嬉しい"寸評"を披露してくれたりと、とても充実した時を過ごしていた。
……最中、彼の一つ一つの表情を見つめる。
最近は、いつも何かに悩んでいた小原先輩。
それは、表情や口調から、すぐに理解できた。
放課後だって、そう。
とっても暗い顔をしていたの。
……多分、原因が"朱夏さん"にあるのは、よく分かった。
空にとって、彼女は、先輩と同じくらい大切。
でも、彼をこんな悲しい顔にさせちゃダメだよ。
実は、あの時、『空が慰めてあげなきゃ』って思ったのも、誘った理由の一つなんだ。
それも、結局、自分のワガママなのが本音なんだけど。
だけど、結果的に、小原先輩は元気を取り戻してくれたんだ。
その事実さえあれば、空の"罪悪感"は随分と薄れて行く。
同時に、抑えきれない感情が芽生える。
……もし、これからも、ずっとこうして、二人でゆっくりと歩幅を合わせられるなら、どれだけ幸せなんだろうって……。
今だって、空イチオシの天そばを啜りながら、「何これ、めっちゃうまいっ!! 」と、不器用な食レポをしてくれる彼の笑顔に、癒されているんだ。
……ホント、子どもみたいに無邪気に笑う彼。
こんな表情もするんだな。
気がつけば、空は食事の事などすっかり忘れて、彼に魅入ってしまっていた。
……最近、よくやってしまう、悪い癖を。
でも、許してくれるよね。
今日の、今だけは、彼を独り占めしても。
――――そう考えている内に、気がつけば、夢のような"150分"は、あっという間に終わりを告げてしまった。
パパに連絡した時、『21:00には帰る』と約束しちゃったし。
そんな中、彼は、すっかり食事を終えてお店から出ると、白い息を吐きながら、感謝を口にした。
「今日は、誘ってくれて本当にありがとうっ! なんか、元気が出たよ!! 」
素の笑顔でそう笑う彼。
空も、本心を告げる。
「いいえ。空も、とっても楽しかったです! 」
そんな返事に頷いた小原先輩は、バス停まで送ってくれると言ってくれた。
……ポケットに手を突っ込んで、猫背で前を歩く彼の後ろ姿。
なんだか、切なくなる。
帰りのルートに足を運んだ瞬間、この"美しすぎる夢"が終わりに近づいているのだと、実感させられるから。
……同時に、『帰りたくない』、そんな願望が何度も頭の中をこだましたのであった。
もっと、彼と話したい。
もっともっと、彼の事を知りたい。
ずっとずっと、"笑顔"にしてあげたい……。
気がつけば、空はすっかり朱夏さんの存在を忘れていた。
本当は、二人の関係を見守らなきゃいけないのに。
でも、この胸の高鳴りが、そうさせてくれないのだ。
先程までに見た、彼の所作や、行動、何もかもが、空の胸を刺激した。
その感情は、次第に増幅して行く。
心拍数が速くなるのと連動するように。
……小原先輩、いなくならないで……。
そんな衝動が、頭の中を埋め尽くした。
同時に、無意識に身体が動く。
……彼を、離したくない。
そんな、自分勝手な気持ちだけが、"あり得ない行動"を取らせたのであった。
――――気がつけば、空は、彼を後ろから、思いっきり抱きしめていた。
同時に、伝わる彼の鼓動。これまで、感じた事がない程の安心感に、温もり。
その全てが、愛おしかった。
ずっと、こうしていたい。
……すると、小原先輩は、空が引き起こした突然の行動に、「ビクッ」とした。
「い、いきなり、どうしたの……? 」
彼は、振り向きもせずに、そう問う。
その言葉に、空は気がつけば、理性など失った状態で、こんな事を告げた。
「『ぼくの物語。それは、まだ分からない。後悔、感動、恋。バッドエンドが怖くって、すぐに足踏みしちゃう弱い自分。だけど、「フレフレ、自分」って、心が何度も叫ぶんだ。だからこそ、今は、真っ白なキャンバスでも、いつかは七色の"絵画"になると信じてみよう。だから、何度でも言うね。"キミが好きだ"。根拠はないけど、必ず、"最高のストーリー"を描くはずだから……』」
無意識に、彼の作品の中で一番"心が打たれた一節"を、口ずさんでいたのである。
彼は、そんな、空のある意味、"告白"とも取れる発言に、こう言ったのである。
「よ、よく覚えていてくれたね。今、こうなっている理由はよく分からないけど……」
小原先輩の言葉を聞くと、気がつけば、空は彼の背中で泣いていた。
……ずっと、一緒にいたいんだもん。
やっぱり、諦めるなんて、出来ないよ……。
フレフレ、豊後空。
そんな"独善的"な気持ちの中で。
だからこそ、彼の上着の上からでも伝わる心臓の早まる音を頼りに、何度も首を振った。
「違うんです。空は、小原先輩がずっと、"好き"なんです……」
そう打ち明けた途端、辺り一帯は、静寂に包まれた。
……それが、何を意味するのかは、分からない。
でも、衝動的に想いを伝えてしまった事に対して、不思議と後悔はなかった。
むしろ、勇気を持って、踏み出せた"達成感"が自分に自信を与える。
……小原先輩、空は、あなたが大好きです。
世界中の誰よりも……。
これからも、共に支え合いたい。
そう願ってしまったんだ。
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