9項目 逃げるべきか呑むべきか


 俺は今、何故か、空き教室でこの学校のアイドル的存在の女子と二人っきりでいる。



「ごめんね、いきなり連れて来ちゃって」



 本来、決して交わる事のない学園カースト最上位の美少女は、照れ笑いを浮かべながら謝罪をした。



 ……近くで見ると引くくらい可愛い。



 そう思って、一瞬、宝穣さんの美しさに見惚れかけたが、慌てて正気を取り戻す。



「……で、何の用? 」


 緊張から、まるで尋問を受ける悪人の様に、素っ気ない態度での返答になってしまった。



 だって、今の状況、どう考えてもおかしいし。



 こんな学園ラブコメみたいな展開が俺に訪れるなんて、絶対にあり得ないし。



 ……となると、何か裏があるに違いない。



 そう思うと、気づかれない様に、いつでも逃げられる姿勢を取る。



 ……すると、宝穣さんは猜疑心満載の俺に向けてゆっくりと口を開いた。



「実はね……」



 艶肌の良い唇から、そんな言葉が出る。



 続けて、躊躇しているのか、少し頬を赤らめながらモジモジとし出す。



 えっ? 何、この甘ったるい空気。



 もしかして、俺は今から告られるの?



 まあ、それなら速攻でオッケーなんだけど。朱夏に自慢してマウントを取ってやろう。



 ……って、待て待てっ!!



 ただでさえ真っ暗闇な学園生活を送っている俺に、そんな夢みたいな奇跡が訪れる訳がないんだ。



 そういえば、昔、ネットで"美人局"という美女を使って男から金をむしり取る詐欺についての記事を見た事があるな。



 まさか、俺が告白を受け入れて腰にでも触れた瞬間、宝穣さんの取り巻きの男子達が現れて、「ワテの女に何すんじゃい! 」とか言われてボコボコにされた挙句、財布を奪われるのでは……。



 そう思うと、本能的にここから離脱しなければマズイと判断した。



 学校での居場所がなくなるのは御免だし。今もないけど。

 



 だからこそ、「あの、俺、急用を思い出したから、帰るね……」と、後退りをして逃げ出そうとする。



 ――しかし、そんな時だった。



「……あのね、あたし、小原くんに"選手宣誓の台詞"を考えて欲しいのっ!! 」



 ……はっ? いきなりどうしたのかしら。ナニソレイミワカンナイ。



 宝穣さんが突然、トンチンカンな依頼を始めたのを聞くと、状況が理解出来ないまま固まった。



 だが、彼女は更に追撃を続ける。



「実はね、同じ実行委員の土國君から、小原くんは"ユーモアの溢れるお洒落な文章"を書くのが得意だって聞いたのっ! あたし、運動は得意なんだけど、そういう類のセンスはまるっきりで……。だから、お願いっ!! 」



 彼女は、両手をパンッと合わせたまま姿勢で深くお辞儀をすると、そう嘆願をして来たのであった。



 ……そこで、宝穣さんから繰り出された余りにも分かりやすい説明を聞いて、やっと内容を理解した。



 にしても、いきなり選手宣誓の台詞を考えろって言われても……。


 何にせよ、あとで駆流の事は殴らせてもらおう。


 多分、彼女が困っているのを見て、アイツは『頼りになる男性』とでも思われたかったが故、たまたま文芸部に所属する俺を紹介したのであろうな。



 去年、俺の禁書を読んで爆笑してたクセに。



 そう思うと、色んな駆け引きを察した結果、丁重に断る事を決めたのであった。



「ご、ごめんね。申し訳ないけど、俺じゃ力にはなれないかも……」



 まあ、当然だよね。



 こんな可愛い女の子に、俺の作った"痛いコメント"なんて読ませる訳には行かないし。

 文才がないのは、あの時、ハッキリと痛感したしね。



 そう思うと、申し訳ない気持ちと共に、静かにその場を去ろうとした。



「では、これで……」



 ……だが、彼女は俺の腕を掴んで食い下がる。



「ちょっ、ちょっと待ってっ!! あたしは、闇雲にお願いしてる訳じゃないんだって!! 本気で、小原くんに頼みたいって思ったんだよぉ!! 」



 ……んっ? どういう事?



 そう言うと、宝穣さんは、おもむろに鞄の中からある一冊の書物を出した。



【フレンチなひとときは部室から】



 ……う、うわぁーーーー!!!! またこのパターンかよ!!!! どんだけ出回ってんだ、コレっ!!!!



 同時に、血の気が引いた。



「な、なんで、それを……」



 思わず逃げ足を止めて、引き攣った笑顔でそう問う。



 しかし、そんな俺の気持ちとは裏腹に、彼女は照れ臭そうにこんな事を言い出したのである。



「……あのね、あたし、この詩集を読んで、本当に心の底から感動したの。この学園に、『こんな素敵な文章が書ける人がいるんだ』って。だから、協力してくれない、かなぁ? 」



 不安そうな顔で詩集を抱えて、上目遣いでそう訴えかけてくる宝穣さん。



 ……ち、ちくしょうっ!! 潤んだ瞳が可愛いな、クソっ!!



 マジで、俺みたいな彼女いない歴=年齢の童貞は、一瞬でも気を抜いたら惚れてしまうわ!!



 そう心の中で思いっきり叫ぶと、顔を真っ赤にして目を逸らした。



「お、俺じゃ、力になれないかもしれないけど、やるだけやってみるよ……」



 下心に負けて、思わず、承諾してしまった。



 すると、宝穣さんはホッと胸を撫で下ろした様な表情を見せた。



 その後、すぐに笑顔になる。



「良かった……。ありがとねっ! 小原くんっ!! 」



「は、はい……」



 ……こうして、余りにもハードルの高い『学園屈指の美少女の選手宣誓を考える』というミッションが追加されるのであった。



*********



 無茶な依頼を受けてしまってから2日が経過した。



 相変わらず、どんな台詞が宝穣さんに相応しいのかは分からなかった為、なかなかペンが進まない。



 せっかく、部室には体育祭の準備で忙しい朱夏がいないというのに……。後、最近、何故か豊後さんも来ない。



 そう思いながら、真っ白なノートを目の前に、眉間にシワを寄せることしか出来ていないのであった。



 ガッツリ中二病に偏った文章や、葵ちゃんに対する恋文ならすぐに浮かんでくるのになぁ……。



 でも今回は、そんな独善的な表現をしてはいけない。



 だって、ね……。



 それに、考えてもみれば、彼女がこの体育祭の選手宣誓を通して、どんな事が伝えたいのかを聞き忘れてしまったのであった。


 あの時、ちゃんと聞いておかなかったのが悔やまれる。

 格好を付けて『俺も、俺なりに宝穣さんの事をイメージした台詞を考えてみるね』とか、見栄なんか張らなきゃ良かった。



 ……まあ、どちらにせよ、このままだと約一週間後に迫った体育祭には間に合わなくなる。



 となると、結論は簡単に出た。



 今はしょうもないプライドなど捨てるべきなのだ。



「直接聞くしかないか……」



 俺はそう決意すると、重い腰を上げて、宝穣さんを探す旅に出るのであった。



 ……しかし、その行動が如何にハードルが高いかを、俺は痛感する。



 やっと見つけても、常に彼女は友人達に囲まれていたのだ。



 委員会を終えて部活へと向かう時もずっと。



 コミュ力がない俺は、そこに割って入る勇気など持ち合わせていない。



 だからこそ、一人になる機会を伺う。



 誰にも姿が見られない様に、周囲に細心の注意を払いながら。



 だって、もし宝穣さんが俺といる所を見られてしまったら、彼女自身も変人扱いされる可能性があるしね。


 ぼっちは自分にも卑屈なものなのさ。



 だからこそ、持ち前のステルス機能を駆使して彼女の後を追いかけながら、じーっとその時を待つのであった。



 まるで、獲物を狙うクロコダイルの様に。



 後、この事は朱夏には相談しないでおこう。


 だって、それをしてしまったら、ここまで一人で行って来た努力が無駄になるのだから。



 ……とは強がってはみたものの、結局、一度も話せないまま、気がつけば3日が経過したのであった。



*********



 最近、教室でまことしやかに囁かれる噂。



「宝穣さん、ストーカー被害に遭っているらしいよ」

「マジで? カノジョ、人気者だしね」



 ……それは聞き捨てならない。



 それじゃ、俺が彼女から"選手宣誓のテーマ"が聞き出せないじゃないか。



 とは言え、ここ最近、彼女の周りをウロウロとする怪しいヤツなど見た事がない。



 伊達に機会を伺っていないのだよ、俺は。



 つまり、ウワサは噂なのだ。



 とりあえず、今日も一人になるタイミングを待とうではないか。



 ……そう思っている間に、またもや、太陽は沈みかけてしまっていたのだ。



 全ての部活が練習メニューを終えて帰宅の途に就く頃、同様に彼女の所属するバレー部のメンバー達もつつがなく解散を始めていた。



「それじゃ、芽衣センパイ、また明日です! 」



 後輩達と思しき連中が宝穣さんにそう言ったのを最後に、体育館から全員の声が途絶えたのを確認した。



 普段の彼女は、たいてい同級生の何人かと共に学校を出ていた。



 しかし、今日に限っては、彼女達も早上がりしているのも確認済みだ。



 だが、宝穣さんはまだ体育館の中にいる。



 ……つまり、今、やっと一人になった。



 これは話をする絶好のチャンス。



 苦節3日。



 やっと、その瞬間は来たのだと、妙な達成感にジーンとする。



 そう思うと、俺は周囲に誰も居ないかの最終確認を終えた後で、足早に館内へと駆け込んだのであった。



「あ、あの、宝穣さん……」



 ……だが、その瞬間だった。



「この、変態ストーカー野郎がっ!!!! 」



 そんな叫びが聞こえると、俺は見事なまでの"一本背負い"をされて、背中から地面に叩きつけられたのである。



「グハッ!!!! 」



 思わず血反吐を吐く勢いで咳き込む。



 一体、何が起きたんだ?



 それに、今、『ストーカー野郎』って……。



 そう思って失いかけた意識の中、目の前にいる"巨体"を見る。



 すると、そこに居たのは、我が文芸部の顧問、子守先生だったのだ。



「この野郎っ!! ……って、周じゃねえか!! 」



 やっと俺の存在に気がついたのか、彼は驚きを隠せない様子。



 それから、騒然とした声を聞きつけたのか、宝穣さんは急いでこちらにやって来たのだ。



「誰か知らないけど、もう、コソコソ追いかけてくるのはやめてっ!! ……って、小原くん?! 」



 練習着姿の彼女は、俺を見て驚く。



「……ど、どうも……」



 そこで、やっと宝穣さんと合流出来たのであった。



 ……あまりにも痛い代償と共に。



 ……後、どうやら今回のストーカー騒動の犯人は、"俺"だった様だ。



 そこで、子守先生と宝穣さんには、しっかりと事情を説明して納得してもらった。



 これからは、この様な行動は慎もう。



 そう反省を踏まえながら。



*********


「話したい事があるなら、直接言ってくれればよかったのに……。で、どうしたの? 」



 辺りが暗くなった帰り道、すっかり制服に着替えた宝穣さんは俺にそう問いかける。



 今回のストーカー騒動、実は事前にこっそり担任の子守先生に相談していたらしい。



 いつも友達が群がる彼女がひとりでいたのは、犯人を誘き出して撃退する為の作戦だったとの事。



 だから、あのタイミングか。



 マジで痛すぎて成仏するかと思ったわ。



 まあ、気を取り直して……。




「あの、肝心な事を、聞いていなかったなって……」



 それから、俺は理由を辿々しく説明した。



 この体育祭の選手宣誓を通して、学校のみんなにどの様な思いを伝えたいのかと。



 最初から聞いておけば、ストーカーなんていう不名誉な呼ばれ方をする事もなかったのだが……。



 すると、そんな俺の問いに対して、宝穣さんは少し考える。



「……そーだなぁ」


 続けて、ニコッと笑いながらこう返答したのであった。



「あたしはこの学校が大好きで、一緒に喜んだり笑い合える仲間がとっても大切なんだ。そんなみんなと、最高の体育祭を作り上げられたら良いなぁ、そういう気持ちを伝えたいのかもっ!! 」



 ……なるほど、とてもとても素晴らしい回答。



 まるで、某人気アイドルアニメの主人公の様な。



 それを聞くと、自分が暗黒の学園生活真っ只中である事を棚に上げ、少し考えた。



「実に、宝穣さんらしいな……」



 ……瞬間、少しだけアイデアが浮かんで来そうになった。



 彼女は、本当にこの玉響学園を愛しているのが伝わったから。



 部活に勉学に、委員会にと、忙しくも充実した時間を過ごしているのは、陰キャな俺から見ても分かる。



 その全てが、彼女を外見以上に輝がせているのである。



 だからこそ、純粋な気持ちで今の言葉が自然に出て来たのだから……。



 何故、彼女が人気者なのかを全て理解できた気がする。



 そう思っている内に、俺は心の底から彼女に協力をしたくなった。



 ……うん。絶対に、最高の"選手宣誓"をさせてやる。



 だからこそ、俺は初めて彼女としっかり目を合わせて、こう告げたのであった。



「……なんか、ちょっとだけ書けそうな気がして来たよ」



 すると、宝穣さんは大いに喜んでくれた。



「本当に?! 小原くんに作って貰えるなんて、とっても嬉しいよぉ!! 完成したら、真っ先に見せてねっ!! 」



 素敵すぎるオーラでそう笑った彼女に、俺は照れ臭くなった。



 ……すると、すっかり話が纏まったタイミングで、彼女はお洒落な黄色のケースに守られたスマートフォンを取り出した。



「……じゃあ、SNSおしえてよっ! もし、また行き詰まる事があったら、いつでも電話でもメッセージでもしてね。ホント、頼りにしてるからさっ! 」



 そう促されると、俺は驚きを隠せなかった。



 ……だって、それって。



 そう思いながら、慣れない手つきで真っ黒の地味なスマホを取り出す。



 ……そして、すっかり連絡先を交換し終える。



「無茶な事に付き合わせちゃってごめんね。完成、本当に楽しみにしてるねっ!! 」



 そう言うと、宝穣さんは押していた自転車に乗り込んだ。



 続けて、「じゃあ、また明日ねっ! 」と大きく手を振ると、俺から離れて行ったのであった。




 ……てか、今、何が起きたんだ? 夢か?



 そう思いながら、恐る恐るスマホのメッセージアプリを開く。



 すると、確かにそこには、"宝穣芽衣"と言う名前があったのだ。



「はは、マジか……」



 こうして、俺は人生で初めて、"純粋"な女子の連絡先を知ったのであった。



 何故か、感動で泣きそうになる。



 ほんの一ミリだけ、リア充に近づいた気がして……。



 だが、すぐに首を振ると頬を叩く。



 ……いかん、ここで目的を見失ってはいけない。



 これから彼女の為に、"最高の選手宣誓"を創り上げるんだろ?


 だったら、浮かれている暇なんかないじゃないかっ!



 そう気持ちを入れ替えると、すっかり遅くなった帰路の途中で"半額マーク"が付いていない極上ハンバーグ弁当を2つ買った。



 そして、腹を空かせて不機嫌になっているであろう朱夏が待つアパートへと、スキップで帰るのであった。

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