六十四話 蚕蛾再び

 巣穴から出た場所の周囲はジャングルのようだったが、どの位置に出たのかが全く分からなかった。

 前を進んでいたラーテルが神矢を見た。

 黄色い目と神矢の目とが合う。やはり、敵意が感じられない。あの巨狼の時と同じで、知性を感じさせた。

 知性があるとして、何故神矢たちを襲わずにここに連れてきたのだろうか。目的は何なのか。

「……神矢くん、このラーテル、キングコブラと戦ったヤツじゃないか? 首筋に血がついている」

 九条の言葉通り、ラーテルの首には血がついていた。コブラに噛まれた箇所だ。

「先輩。ひょっとして、こいつ、神矢先輩に助けられたと思ってんじゃないっすか? ほら、蛇にやられそうになったのを弓矢で助けたじゃないっすか」

「バカか黒川。動物がそんな賢いわけないだろうが。それに、仮にそうだとして、俺たちをここまで連れてきた目的は何なんだよ。意味が分からないだろうが」

 林の言う通りだ。

 ラーテルが神矢の目を見た後、奥の方を見て何かを指し示した。

「……この先に何かあるというのか。……九条さん、いってみましょう」

「……そうだな。さてさて、鬼が出るか蛇が出るか」

「既にクマみたいなラーテルが出てますけどね」

 軽口をたたきあいながら、先へと進むと白い塊が樹の間にあるのが見えた。

 あれはまさか。

 茂みがガサリと動いて、林が驚いて変なポーズになった。

 出てきた生物を見て神矢は目を見張った。

「お前は──」

 白くフワフワモコモコした真っ白な小型犬サイズの蚕蛾だった。この蚕蛾が数日前に出会ったやつなのかはわからないが、これがいるということは、ここは蚕蛾の森ということか。

 蚕蛾が神矢の足元にやってきて、その手を脚にちょこんと乗せた。

 こいつはあの時の蚕蛾に違いない。神矢はしゃがんで蚕蛾の頭を撫でた。

 それは極上の絹糸の集合体。数日前にも触ったが、手を優しく包み込むこの質感はこの世のものとは思えないものだった。

「……な、なんなんだ? その生きたぬいぐるみは? お、俺にも触らせろよ」

 林が引き寄せられるように、蚕蛾に近寄ってその身体を触る。

「……マジかよ。コレ、蛾だろう? なのに何でこんなに心が洗われるような感じになるんだよ……」

 涙ぐむ林。ラーテルからの危機的状況から一転した癒しで、急激に心が緩んだのだろう。

「……話には聞いていたが、これほどとは」と、九条もまた蚕蛾を見て衝撃を受けていた。

「……虫如きで何を言ってんだ、こいつら?」

 黒河には人の心というものがないらしい。そんなヤツのことは無視する事にして、目の前にいる蚕蛾を見て疑問に思った。

 この蛾に出会ったのはもう十日以上前になる。その時は蚕蛾について知らなかったが、図書室で調べたところ、宮木や宍戸が言ったように、蚕蛾は数千年もかけて人間が作り出した家畜用の生き物だ。幼虫も成虫も人が世話をしないと生きていけない生き物となっている。そして、寿命は一週間程だ。

 なのにこの蚕蛾は、この地底の野生の中で生きているし、寿命も長い。そして、神矢を覚えているという知能まで兼ね備えている。もはや昆虫の範疇を超えていた。

 地底生物が地上のものと異なっているのは今更だが、蚕蛾に至ってはさすがに異常過ぎた。人間の手によって改良された蚕蛾が何故野生としてこんなところにいるのか。

 憶測の一つとして考えられるのは、いつの時代でどれくらいの規模かはわからないが、神矢たちが今この地底にいるように、似たような陥没が昔にも起きたのではないだろうか。

 そして、蚕蛾がこの地底へとやってきて、地球の核エネルギーに当てられて今のように進化した。

 そうとでも考えなければ、説明がつかなかった。

 とにかくこの森へと戻ってこれたのだ。後は矢吹たちと合流して校舎へと帰るのみだ。

 蚕蛾がラーテルの方を振り向いて、ゆっくりと歩いていき、そして通り過ぎた。

 その後をラーテルが歩速を合わせてついていく。

「何だ? あのもふもふ蛾はラーテルと仲が良いのか?」

 林がそんなことを言う。

 確かに敵対関係では無さそうだ。でなければ、一瞬のうちに蚕蛾は踏み潰されているはず。ラーテルは、そうしないように気をつけているようにも見えた。

 やがて茂みの奥に姿を消して、少ししてラーテルが白いモノを口に咥えて戻ってきた。

 蚕蛾が孵った後の繭だった。

 ラーテルは呆気に取られる神矢たちの横を通って、チラリとこちらを見た後、巣穴へと戻って行った。

 ラーテルが蚕の繭を何に使うのかはわからないが、今のを見てラーテルと蚕蛾が共生関係にあることが伺えた。ひょっとしたら、蚕蛾は繭を提供することでラーテルに身を守ってもらっているのかもしれない。

 ふと、神矢はこの蚕蛾の森で視線を感じたことを思い出した。蚕蛾の視線かと思ったが、ラーテルの可能性もあったのだ。

 蚕蛾は神矢たちを敵とは見なしていない。先ほどの説が正しかったとして、人間に飼われていた時の記憶が遺伝子レベルで蚕蛾に残っていたなら、人間とも共生関係にあったことを本能でわかっていたのかもしれない。そして、その蚕蛾がラーテルにも、神矢たちが敵ではないと伝えた。と考えるには、あまりに荒唐無稽だろうか。

 神矢は頭を横に振った。

 ダメだ。こんなことを考えるとは疲れているんだ。

 今はとにかく校舎に戻りたかった。

「矢吹くんたち、まだいるかな。一応確認しに行こう」

 九条の提案で、神矢たちは矢吹たちと別れた場所に向かった。

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