七十五話 酔っ払い

 朝から出発して、校舎を南東に向かう事およそ一時間半。

 神矢たちは、枝からぶら下がるミツツボアリの群れを発見した。

「デカ! これもう水風船じゃん! よくこんなに溜め込んで落っこちないないわね」

 友坂がミツツボアリを見て顔を顰めた。彼女は初めて見たようだ。

 蟻の腹に入っている蜜の量は、およそ500ml。これをずっとぶら下げている蟻の脚の力にはやはり驚嘆しかなかった。

「目撃情報通りだな。この周辺でラーテルベアを見たらしいから、みんな気をつけろよ」

 九条が周囲を警戒しつつ、注意を促がす。

 神矢も九条も、手に弓矢を持っていた。他の三人はクロスボウである。腰には、サバンナ横断に持っていった爆竹と毒入りスライムが入った小袋もある。

「とりあえず、休憩がてらこの蟻の蜜を少し食べようぜ」

 林の提案に、「そうだな」と九条は頷いた。

 片桐がナイフを取り出して、蟻へと向ける。

「この腹を切り裂けばいいのか?」

 慌てて神矢はそれを止めた。

「ダメだ。下手に攻撃しない方がいい。そんなことしなくても、腹を少し押すだけで出てくる」

「……わかった」

 片桐は大人しく従った。

 片桐は三年の問題児の一人で、浦賀の手下でもあった。矢吹によると、地上ではそれなりに悪さをしていたらしいが、浦賀に仲間を殺されて以来は随分とおとなしくなったらしい。

 いちいち同情していたらキリがないし、気を使うつもりもなかった。

 九条がペットボトルに蟻の蜜を注いでいき、その内の一本を片桐へと渡す。

 それを舐めて片桐は「……やっぱり美味いなコレ」と苦笑して言った。

「片桐よぉ。お前暗いぞ。生きていりゃあいいこともあるさ」

 林が片桐の肩を叩いて慰めた。

「へー、林がそんな事言うなんて意外だわ」

 友坂が目を丸くして、驚いていた。

 林は悟ったかのように、目を細めて笑みを浮かべた。

「……この地底で何度か死ぬ思いをして、それでも俺は五体無事に生きている。生きているって素晴らしいことなんだと、俺は悟ったんだよ」

「……気持ち悪。あ、林が変な事言うから、蜜をジャージにこぼしちゃったじゃない。んもう」

 蟻の蜜を舐めていた友坂の辛辣な声を、林は気を悪くした様子もなく笑って受け流した。

「……マジかよ。凄えな林」片桐も林を得体の知れないもの見るかのようだった。

 神矢たちも、林の変化に少し驚いていた。矢吹からは、なかなかの下衆だと聞いていたのだが、死線を乗り越えて彼の中で何かが変わったのかも知れない。

 しかし、片桐に優しくしたりいい事を言ったりしているが、林が先程から少しソワソワしているような態度をとっていたのに、神矢は気づいていた。

「……林さん?」神矢が声をかけると、「な、なんだい? 神矢くん?」と少し声が上ずった。明らかに怪しい。

「あ、林、もしかしてトイレ?」

 友坂の言葉に、林は何度も頷いた。

「そ、そうなんだよ。実はさっきから腹の具合が悪くてだな。ちょっとその辺で野糞してくるけどいいかな?」

「うっわ、サイッテー」

 軽蔑の顔になる友坂に、九条は苦笑いした。

「……周囲をちゃんと確認するんだぞ。下半身丸出しで襲われたくはないだろう?」

「わかってるって。じゃ、ちょいと行ってくるわ」

 そう言って、林はそそくさと走って茂みに入っていった。

 その間に、残りのペットボトルに蜜を入れていると、林が血相を変えて走って戻ってきた。

「た、大変だ! ラーテルベアの群れがいやがった!」



 慎重に歩みを進めて、神矢たちはラーテルベアたちの群れに近づいた。風の吹く方向に注意して、木の影から覗いて見ると、ラーテルベアが五頭いるのを確認した。

 ラーテルは群れを成さない動物である。単独、もしくはつがいで行動するはずなのだが、この群れは家族なのだろうか。

 戯れあっているのか、二頭が互いの頭を叩き合っていた。

 別のラーテルは地面に仰向けに転がって、何やらうめき声をあげていた。

 残りの二頭は、木の枝にぶら下がっているミツツボアリの尻から、蜜を飲んでいた。

 なるほど。合点がいった。やはり、このラーテルベアとミツツボアリは共生関係にあるのだ。

 地上のラーテルであれば、ミツオシエという種類の小鳥が蜂の巣を探して、それをラーテルに教えることでラーテルは蜂蜜にありつける。ミツオシエもまたそのおこぼれをもらうといった共生関係にある。それと同じなのだろう。

「ああ、お、俺の蜜酒が……」

 林が妙な事を言った。

「蜜酒?」神矢と九条が林を見ると、「あ、しまった」と林は口を押さえた。

「どういうことだ? 先ほどから落ち着きがなかったのは、その蜜酒が関係あるのか?」

 詰問口調で訊く神矢に、林は狼狽えた。

「後で話を聞かせてもらう。今は、あのラーテルたちを刺激しないように……」

 突然、風向きが変わった。さっきまで風下にいて匂いで気づかれることがなかったが、急に神矢たちの後ろから風が吹くようになって、匂いがラーテルにまで届いてしまった。

 ラーテルたちが一斉にこちらを見た。どこか眠そうな、焦点があっていないような、そんな目で神矢たちを見つめる。

 だが、急に襲いかかってくるような事はなかった。

 寝転がっていた一頭が立ち上がろうとして、身体をふらつかせて、横にドスンと倒れた。また立ちあがろうとして、今度を尻もちをついた。

 ミツツボアリから蜜を飲んでいたラーテルが、こちらに向かって走った。が、直ぐにコケてひっくり返り、手足をジタバタさせてもがいていた。

 別の一頭がそのラーテルに近づいて、つまづいて二転、三転して頭を地面にぶつけている。

 神矢たちは呆気に取られていた。

「……な、何してんだこいつら? 酔っ払いかよ」

 片桐の酔っ払いの言葉に、神矢は先程林が言った蜜酒のことが気になった。

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