二十八話 怪力

 矢吹の話を聞き終えた後、神矢は洞窟内部に一旦戻った。

 九条と鮎川、そして雪野と上原が、「様子はどうだった?」と訊ねてきた。

「矢吹さんなら大丈夫ですよ。少し話をしてくれました」

 神矢は浦賀についてのみ、九条たちに話した。矢吹自身の過去に関しては、胸の内にしまっておくことにした。話したところで、安っぽい同情を買うだけだ。

 彼自身もそれを望まないだろうし、神矢が逆の立場ならそう思う。

「……それにしてもその浦賀って生徒はとんでもないやつだな」

 九条は苦い顔をして言った。

「……ここには警察とかがいないしね。浦賀君にとったら天国よ」

「……校舎にいる女子たち大丈夫かな」

 上原と雪野の顔には怯えの色が浮かんでいる。

 周りの生徒たちは、矢吹に言われた通りに迎撃の準備をしていた。

 武器の手入れ。罠の設置。投石用の石。神矢たちが動物撃退用に採って来たあの鳳仙花の実もある。

 動物撃退に使用する為に準備した物を、まさか同じ校舎内にいた生徒に向けるとは誰も思わなかっただろう。

「……何でこんなことになるんだよ」

 誰かがそう漏らしている。

 とその時、入り口から男子の悲鳴が聞こえた。

「浦賀たちか!」

 その場に緊張が走った。そして、各自が武器を手にして、入り口へと向かう。

 神矢は鳳仙花の実と、サバイバルナイフを手にした。その横で兵藤が投石用の石を手にしていた。

 入り口付近で目にしたもの。それは一頭のオランウータンだった。

「お前ら来たか」

 矢吹が既に手に竹槍を持って警戒していた。

 オランウータンは洞窟の前で座り込んで、出てきた神矢たちを不思議そうに見ていた。手にはバナナを持っていた。

「……な、なんだこいつ?」戦闘態勢の男子たちを前にして、オランウータンは大きく欠伸をし、長い腕で背中を掻いて、バナナを食べている。そののんびりした雰囲気にみんな警戒を解き始めた。

「なんか…無害そうじゃねえ?」

「そうだな。マヌケな顔してやがるし、動きもとろそうだ」

 そんな彼らに神矢は舌打ちした。

「見た目に騙されるな! オランウータンはとんでもない怪力だ! 人間の体なんか簡単に捻り潰されるぞ! 迂闊に近付くな!」

 言ったのは九条だった。

「ま、マジか?」

 慌てて距離をとる男子。

 オランウータンの握力は、およそ二百から三百キロと言われている。掴まればただでは済まない。

「……とりあえず様子を見よう。刺激しないようにして、なおかつ洞窟内には絶対に入れるなよ」

 九条の言葉に全員頷いた。オランウータンの目的が何なのかはわからない。今のところ攻撃の意思はないようだが。

 本来オランウータンは、主に樹上で生活する生き物だ。オス以外は地上に降りる事はほとんどない。オスにしても短い距離を移動する程度なのだが、目の前のオランウータンは地上でくつろいでいる。考えられないことだ。やはり、このジャングルの生物は常識を逸脱しているらしい。

 誰もが九条の指示通りに慎重に行動している時、石が神矢たちの背後から飛んできてオランウータンの顔へと直撃した。

 オランウータンは顔を抑え、そして雄叫びをあげた。歯をむき出しにして敵意を顕にし、こちらへと突進してきた。

「まずい! お前ら避けろ!」

 矢吹が叫び、悲鳴をあげながら散り散りになる生徒たち。

 そのうちの一人が、オランウータンに右腕を掴まれた。三年の坂木だった。その瞬間坂木の腕は、鈍い音がしてあらぬ方向へと曲がった。痛みに絶叫する坂木。その肩に、オランウータンは噛み付いた。

 さらにその頭をも掴み、首を捻り切った。

 それを見た他の男子たちの悲鳴が周囲に響く。

 神矢の足元に、坂木の頭部が転がった。眼と口を開いていて、目と目が合った。

 彼はこの洞窟へと案内してくれた三年の生徒だ。陸上部で、この夏の大会に賭けていたと話していたのを思い出す。

 神矢はオランウータンを睨み付けた。

 オランウータンも神矢に目をつけ、そして襲い掛かってきた。

「逃げるんだ! 神矢君!」叫ぶ九条。

 だが、神矢は退くつもりはなかった。後ろは洞窟だ。神矢が突破されれば、中に入られてしまう。中は非戦闘員の女子たちがいる。

 神矢は手に持っていた鳳仙花の実をオランウータンの体へと投げつけた。

 実が弾け花粉が飛び出し、オランウータンはくしゃみをした。神矢はサバイバルナイフを手にして距離を詰めて、オランウータンの腕を切りつけた。が、剛毛で深く切れない。

 すぐに、切っ先をオランウータンの顔へと向けて、目を突き刺した。

 痛みで悲鳴をあげ、喚き散らすように叫びながら、オランウータンは神矢から逃げるように離れていった。

「……悪いけどこっちも殺されるわけにはいかないんだよ」

 弱肉強食のこの世界に余計な情は命取りに成り兼ねない。オランウータンの姿が見えなくなって、全員がホッと安堵の息をはいた。

 そして、矢吹が怒鳴った。

「誰だ! 石投げた奴は! あれほど刺激するなと言われただろう!」

 男子たちは顔を見合わせ、それぞれ自分じゃないと言い張った。

 神矢は彼らを見回した。そして、一人いなくなっている男子に気付いた。洞窟から出て来た時は確かにいた。だが、今はその姿がない。

 神矢は訊ねた。

「……兵藤はどこ行った?」

「あれ? さっきまでいたのに……。まさか、あいつか! 石投げたの!」

「きっとそうだ! 一人死んだから逃げたんだ!」

 一斉に男子たちは、兵藤を犯人だと決めつけた。

「まだそうだと決まったわけじゃないが、とりあえず彼を捜そう。君らは洞窟内を見てきてくれ。俺らは周辺を捜してみる。いいか、もう一度言うが彼がやったとは限らない。決めつけてかかる前に彼の話を聞くんだ。見つかったら呼びに来てくれ。わかったな?」

 みんな九条の言葉を聞いていないようで、躍起になって兵藤を捜し始めた。

「俺たちも周辺を捜しましょう。だけどその前に……」

 神矢は首と胴体の離れた坂木の遺体を見た。

「……そうだな。彼を埋葬しないとな」

「俺は女子たちを宥めてくる。悪いが頼めるか?」

 矢吹の言葉に、神矢たちは頷いた。



 神矢は九条とともに、彼を少し離れた場所へ埋葬した。他の男子たちのほとんどは全く手伝おうとしなかった。河野や他の何人かは手伝おうとしてくれたが、遺体の状態を見て吐き出してしまい断念していた。

 埋葬した後、神矢と九条の服には彼の血が着いていた。後で洗い流さなければ、この血の匂いに他の獣が引きつけられても困る。

 九条が神矢の顔を見て訊いた。

「……大丈夫か?」

「問題ないです」

 九条は息を深く吐いた。

「……前にも言ったが、あまり無理をするなよ」

 神矢は少し苛ついて、九条に言い返した。彼は心配してくれただけだが、そんな彼だからこそ、鬱憤をぶつけてしまったのかもしれない。

「多少の無理は仕方ないでしょう。今まで仲間だった人が目の前で無惨に殺されたんです。心を押し殺さないとやってられない。それに、俺や九条さんがやらなかったら誰が坂木さんを埋葬するんですか? アイツらは遺体を気持ち悪がって、誰も埋葬しなかったじゃないですか」

 九条は黙っていた。神矢は続ける。

「この前のカエルやナメクジの片付けだってそうだ。俺と九条さんと矢吹さんがやるハメになった。結局、アイツらは自分たちが嫌なことは全部他人に押し付けるしか能がない奴らなんですよ。本当にくだらない連中だ」

「ソレが君の本音かい?」

 神矢は九条を見た。

「そうですよ。俺は本当はアイツらとは関わりたくなかった。あんなクズどもと馴れ合いたくなかった。だから、なるべく一人で生きていこうとした。けど、ここで一人で生きていくのは無理だから、仕方なく一緒にいたんです。俺が今までやったことは全部仕方なくなんですよ」

 言う神矢を九条が真顔で見つめる。

「……なるほど。神矢くんが今までどういう思でいたのかよーくわかった」

「軽蔑しましたか? 俺はアイツらをそういう目で見ていたんですよ」

「ああ、よーくわかったよ。君が優しすぎるんだってことがな」

 それを聞いて神矢は面食らった。

「仕方なくで、他人を命懸けで助けるか? 蜘蛛に襲われている狼を助けたりするか? オランウータンに立ち向かったりするか? 無惨に殺された遺体を埋葬するか? 仕方なくでそんなこと出来ないだろ。君は自分で思っているより、よっぽど情に熱いんだよ」

「お、俺は──!」

「君の気持ちはわかる。俺も似たようなもんだからな」

 九条が少し侘しそうな笑みを浮かべて言った。

 その笑みで、神矢は少し冷静さを取り戻した。

「……それはどういう──」

 神矢が訊く前に、九条は言った。

「とりあえず、今は兵藤くんを探そう。君も言いたいこと言って、少し落ち着いたんじゃないか?」

 その通りだった。自分でも思っていた以上に、色々と溜め込んでいたらしい。

 神矢は息を吐き、九条を見て頭を下げた。

「すいません。九条さんに当たるつもりはなかったんですけど……」

「いいさ。君も色々と一人で抱え込む所があるからな。吐き出してくれて良かった。本当は酒でも飲みながら愚痴るのが良いんだけどな。君が未成年なのが残念だ」

 神矢は苦笑した。

「そうですね。地上に出れたら、いつか飲みに行きましょう」

「お、それは楽しみだな」

 笑みを浮かべる二人。

 そして、神矢たちも兵藤を探すことにした。

 


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