七十八話 マーキング
アナグマは、仲間同士で肛門線から出る分泌物を腰に押し付け合い、その匂いで仲間かどうかを判断する。これはマーキングの際にも出される分泌液で、巣穴近くにも糞などと同時に撒かれている。
普通はかなり臭いものだが、このラーテルのは何故か爽やかな匂いだった。蟻蜜の効果なのだろうか。
匂いをつけ終わったラーテルたちは、空のペットボトルをじーっと見続けていた。
「……ひょっとしてまたコレに汲んでこいって事なのか?」
神矢はペットボトルを持って、ラーテルたちの動きに注意しながらゆっくりと動いた。
ラーテルたちは神矢を見ていたが、特に何もする気はなさそうだった。
「……動いても大丈夫なのか?」
続いて林もスローモーションの動きでゆっくりと動いたが、ラーテルはただ見ているだけだ。
さらに、片桐も九条も友坂もスローモーションの動きでラーテルたちの前を通っていく。
10頭のラーテルベアは動かない。
……ラーテルたちに知性があるとしたら、こいつら何をやっているんだと思っているかも知れない。
「……でも、どの穴から来たかわかんねーぞ?」
「大丈夫。ちゃんと覚えている」
不安そうな片桐に神矢は言った。
「さ、さすが神矢くん。頼りになるわね。雪野ちゃんたちが惚れるのも無理ないわ……」
「その話は今は勘弁してください……」
不思議そうな顔になる友坂に、九条が「……神矢くんにも事情があるんだよ」と、諭してくれた。
再び洞穴を通って、外に出る。ラーテルベアたちはついてこなかった。
全員がホッとした瞬間だった。
「良かった……また生きて帰れた……」
林が涙を堪えるように上を向いている。
「絶対死んだと思った……。夢じゃないよな? 実は今、俺たちはあのクマたちに喰われている最中で、死にかけている間際の夢じゃないよな?」
生きて出てこれたのに、片桐が不安な声で言った。
「本当に生きて出てこれたの? あ、あはは、良かった……。生きてるんだ。ふぇぇ……」
友坂が安心して泣き出してしまった。
気を抜くのは校舎に着いてからにして欲しかったが、今は生きて戻れた事を喜んでもいいだろう。
三人が喜び合っている間に、神矢は九条と共にミツツボアリから蜜をペットボトルに溜めた。
ついでに先ほどラーテルベアが酔っぱらいとなっていた蜜酒も入れておいてやる。
興味本位で神矢もその蜜酒を舐めてみた。なるほど、確かに林がコッソリと手に入れようとした理由も頷けた。だからといって、隠していたことに関しては、後で矢吹に報告しておくことにする。
蜜を溜めたペットボトルを、巣穴の近くに置いておく事にした。さすがにまた巣穴に入って、ラーテルの群れに囲まれたくなかった。
校舎に無事に帰ってきたが、神矢は正面玄関口手前の広場よりも、さらに手前のジャングルの木の陰で立ち止まった。
「神矢くん? どうしたのよ? 早く雪野ちゃんたちに無事な姿見せてあげなよ。心配してるわよ」
訝し気な顔で友坂が言ってきた。
彼女の言う通り、雪野たちは必ず神矢が探索に行った事に気づいて、今も待っている事だろう。
心配して待ってくれている彼女たちには、本当に心から申し訳ないとは思う。
だが、神矢は彼女たちと顔を合わせたくなかった。
「……神矢くんはこのまま洞窟の方に行くといい。矢吹くんへの報告や雪野さんたちには上手く言っておくよ」
九条が神矢の意を汲み取ってくれた。
「……なんかわかんねーが、お前がそうしたいってんなら、俺は何も言わねーよ」
林の言葉に神矢は驚いた。九条も彼を見て、目をパチパチさせている。
「んだよ二人とも。何か変なこと言ったか俺?」
神矢と九条は顔を見合わせた。
林は浦賀の手下として、矢吹から悪評を聞かされてきた。確かに、真面目と言うには程遠い人格だと思っていた。仕事はあまりやる気がなさそうだったし、矢吹の指示に不満も抱いているようだった。
神矢も、あまり林を良く思っていなかった。過去に神矢を影からけなし、嫌がらせをしてきた奴らと同等の存在だと思っていた。そんな彼が、神矢に気遣いを見せるとは。
九条が林の肩を叩いて、感慨深く頷いた。
「……人は変われるもんなんだな」
「……九条さん、俺を今までどういう目で見てたんだよ」
「ゲスだったでしょ? わたしの身体も弄んだし」
友坂の言葉に、林は頭を掻いた。
「あー、そうだな。今までの俺は確かにゲスかったかも。お前にも悪いことしたと思ってるよ」
「ちょっ……ホントにどうしたのよ、気持ち悪い……」
片桐が腕組みをして言った。
「……今回の体験で少し林の気持ちが分かった気がする。俺たちは今まで甘えていたんだなって」
「片桐まで……。そ、そんなこと言ったら、わたしだって!」
なんかしんみりとした雰囲気になってきたので、神矢は居た堪れなくなって、九条に先の件を頼んだ。
「九条さん、お願いします」
「わかった。洞窟組のみんなによろしくな」
神矢は頷いて、洞窟へと一人向かった。
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