八十三話 洞窟の悪意

 松明にライターで火を灯し、薄闇の中を彷徨い続けて、どれだけの時間がたったのだろうか。目印となる光の石は残り僅かだった。

 息は荒く、汗が顎から滴り落ち、足が鉛のように重い。

 神矢はその場に腰を下ろして、少し休憩することにした。

 水を口に含んで、口の中を湿らせてからゆっくりと飲み込む。身体に染み渡るようだった。

 水にも限りがある。少しでも温存しないと、この先も険しい道が続くかもしれない。

 目を閉じて、呼吸を整える。

 体力回復は洞窟効果が続いているのかかなり早かった。

 数十分程で、ある程度回復したので再び歩き出す。

 少し進むと、前方に光が見えた。何かが松明の火に反射したのだろうか。

 近づいて壁に埋もれている拳大のソレの原石を見て、神矢は驚愕した。

「……まさか、ダイヤモンドか?」

 地底世界ではお馴染みの鉱物である。周囲を見回すと、サファイア、ルビー、エメラルドも、かなりの大きさの物が松明に照らされて光っていた。

 こんな一攫千金チャンス、普通ならば直ぐに取ろうとするだろう。だが、これに似た状況が脳裏に浮かんだため、直ぐには動かなかった。

 映画『センターオブジアース』にあるワンシーンだ。

 主人公たちは鉱山の奥で、様々な宝石の原石を見つけ、一人が喜んで回収を始めるが、主人公がある音を聞いてみんなに注意を促すという場面がある。

 神矢はそれを思い出し、足元を見て、目を閉じて息を吐いた。……何もその場面を忠実に再現する必要はないだろう。まるで、神矢にもそれを体験させようという洞窟の悪意でもあるようだ。

 神矢の足元は、いつの間にか映画と同じく、岩の地面ではなく白雲母しろうんもの地面に変わっていた。

 鉱物の一種であるが、それは薄氷のように薄く脆い。

 映画ではこの下が地底の奥底にまで続いていて、ふとした拍子に割れて落下するという事態に陥る。

 神矢は、同じようにならないことを祈りながら、ゆっくりと、宝石には目もくれずに先に進んだ。岩の地面まで残り5メートル。あと少し、と言う所で、足元でピシッ、と音がした。まずい! 神矢は急いで走った。が、あと1メートルというところで、雲母が割れて神矢は落下した。

 頭の中が真っ白になる。死んだと思った。家族の顔と雪野たちの顔が思い浮かんだ。

 父さん母さんゴメン! 雪野さん、上原さん、宍戸さん、逃げ出してゴメン!

 時間にして秒にも満たなかっただろう。雲母の下は十センチ程低い岩の地面になっていた。

 だが、神矢にとっては死を意識した高さだった。四つん這いになり、小刻みに呼吸をして、恐怖に身体を震わせる。

「……くそ! 脅かすなよ!」

 神矢はどうにか立ち上がって、死の恐怖の代価として、ヤケクソ気味にダイヤモンド数個と各種宝石を鞄に詰めた。

 先を進むと、今度は広い空間に出た。足元は崖になっており、下は深淵の闇で何も見えない。崖の中央に一本、歩道脇の縁石ほどの幅の一本道が、対岸への道だった。

 小学校の帰り道、縁石の上を歩いて帰ったのを思い出す。他の小学生もよく縁石の上を歩いて、横に落ちたら死亡、などというよく分からない遊びをしていた。

 これは落ちたら命を失う一本道だ。しかも道は凹凸が激しく、バランスを非常に崩しやすい状態である。

「……だからさ、映画じゃないんだからさ」

 ため息混じりに独りごちる。大冒険アクション映画にありそうなこんな危険な道があることに、神矢は誰に向けていいかわからない怒りを覚えた。

 深淵の闇から、引き摺り込もうとする手が伸びてきそうだった。

 そんな負のイメージを払拭しようと、神矢は何度目かの深呼吸をした。

 対岸までおよそ10メートル。たった10メートルだ。落ち着いて、集中すれば問題ない。

 松明はここでは邪魔になる。いざという時に、両手が使えるようにするために、神矢は松明の火を消してペンライトを点けて口に咥えた。松明はいったんリュックにしまっておく。

 体幹には自信がある。慎重に歩を進めていけば大丈夫だ。

 恐怖はあった。が、神矢は集中して、その細い、一歩間違えれば深淵の餌食となるその道の上に足を踏み出す。

 ゆっくりゆっくり、一歩ずつバランスを取りながら進む。

 自然と息が荒くなる。心臓の鼓動も急かすように強く速くなる。冷や汗が額を伝い落ち、足元の闇の中に消えていく。

 残り半分ほどまで進むと、道が1メートル程途切れていた。

「………勘弁してくれよ」

 こんな足場の悪い狭い道で、かつ周囲が薄暗い中で飛び移るなど無謀な賭けでしかない。だが、他に選択肢はない。

 小刻みに深呼吸をして、神矢は意を決して跳躍した。

 狙いを定めてどうにか片足を地につける。が、出っ張りに脚を取られてバランスを崩した。身体が横に傾いたが、無理矢理体を捻って、その細い道の線上に倒れ込みしがみついた。

 破裂するのではないかと思うくらいに、心臓が激しく速く脈打つ。全身からはまた汗が噴き出していた。

 神矢はそのまま這いずるように、その細い道の上を進んだ。立ち上がってこの上を歩ける気がしない。

 どうにかそのまま対岸に辿り着き、神矢は仰向けに転がった。

 先ほどの白雲母といい、この崖の真ん中の細い道といい、寿命が一気に縮まった気がする。もっとも、この弱肉強食の地底世界で、今までに寿命が縮まる思いは何度もしているから、ひょっとしたら、実はもう寿命は残り少ないのかもしれない。

 そんな馬鹿なことを考えて、無理矢理気分を落ち着かせる。

 少し落ち着いてから立ち上がり、ペンライトを松明に変えて神矢は奥に進んだ。

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