三十ニ話 愛憎

 宮木はポケットに手を入れて、先程睦月から渡された小さい袋を取り出した。

「コレが何かわかるか?」

「何だソレ?」

「毒だよ。睦月が様々な毒の素材を組み合わせて作った物だ。おそらくは、軽く致死量を超えているだろうな」

 睦月は言った。わたしがしくじったら、使ってくれと。今がその時ではないか。

 菅原と林が動こうした。

「動くな! お前らの前でぶち撒けるぞ!」

「……バカか? そんな事をすればお前もその毒を吸い込むだろうが」引き攣った笑みで言う林。

「それがどうした」と、宮木はフンっと、鼻で笑った。

 状況に戸惑う生徒たちに向けて、宮木は大声で怒鳴った。

「今のうちに浦賀のやり方に反発を覚えている者は校舎から出て行くんだ! そして、洞窟のやつらと合流しろ!」

 騒めく一同。動くかどうか悩んでいるようだ。逃げて捕まれば、酷い目に遭うか、下手すれば殺されると思っているのかもしれない。

「このままここにいてもいつかは浦賀の気まぐれで殺されるかもしれないんだぞ! このままずっと浦賀に怯えて生きていくつもりか!」

 浦賀たちから視線を逸らさずに、宮木は大声で言った。

 騒めきは大きくなり、そして動きがあった。

「あ、あたしはイヤ! 死にたくもないし、犯されるのもイヤよ!」

「ぼ、僕ももうイヤだ! 戦闘訓練て言われてただ殴られる日々なんて耐えられない!」

「オレだって!」「わたしだって!」

 一つの意思は伝播して、水面を広がる波紋のように皆へと伝わっていく。

「逃げるなら今だ! あの子と宮木の覚悟を無駄にするな!」

 誰かが言って、次々と食堂を飛び出していく。

「お、お前ら待て! そんなのは俺たちが許さない!」

 浦賀の手下たちが引き留めようとするが、勢いに乗った人の波は止まらない。人がどんどん減っていった。

 櫛谷も逃げただろうか。そう考えた時だった。

「うああ! 死ね櫛谷!」

「京香! 危ない!」

 女子の叫び声と悲鳴が聞こえた。思わず、宮木はそちらに視線をやってしまった。

 瞬間に、宮木の腕に激痛が走った。端にいた林がフォークで腕を突き刺していた。手から毒の袋が落ちて、それをすかさず林は手のひらで受け止めた。そして、袋をテーブルにそっと置くと、宮木の顔を殴りつけた。

「てめえ! やってくれやがったな!」

 床に倒れ、腕と殴られた頬に激痛を感じながらも宮木は先程の女子の声がした方を見た。

 櫛谷が倒れていて、その前に倉崎が立っていた。倉崎の手には果物ナイフが握られていて、ナイフには血がついていた。少し離れて山田が青褪めた顔で立っている。

「京香! 大丈夫!」

 山田の声に反応して、櫛谷は上半身を起こし、腕を押さえて倉崎を見た。

「な、何すんのよ!」

 腕から出血はしているものの、どうやら命には別状ないらしく、少しだけホッとする。だが、依然状況は最悪だった。

 今食堂に残っているのは、浦賀たち三人とその手下が四人、保険医の早瀬、宮木、櫛谷、倉崎、山田の十二人だ。

「何をしているんだ倉崎!」

 怒鳴る宮木に、倉崎は憎悪の目で櫛谷を睨みつけた。

「わたしの橋下くんの初めてを奪ったそのビッチが許せないんですよ! せっかくその女の食事に毒キノコを混ぜたっていうのに、先輩たちのせいで台無しじゃないですか!」

 倉崎の言っている意味が分からない。櫛谷の食事に毒キノコを入れた? いったい何故? 橋下とは誰の事を言っているのか。

「橋下って、一年の陸上部のヤツか?」

 手下その一が言った。

「初めてを奪ったって、この前、櫛谷を抱かせてやったことを言っているのか?」

「そうよ!」倉崎はナイフの切っ先を櫛谷へと定めた。

「彼はわたしだけのものなのよ! わたしの魂なの! それを汚したそのビッチは絶対に許さない!」

 倉崎の声が食堂に響き、少しの間静寂が訪れた。

 あまりの理由に、皆唖然となっている。

 やがて、笑い声が静寂を打ち破った。浦賀だ。腹を抱えて大爆笑しだした。

「何がおかしいのよ!」倉崎が怒鳴る。

 浦賀は笑い過ぎて答えられないのか、手のひらを彼女に向けて待ったのポーズをした。

「こ、こんな面白展開、わ、笑わずにいられるかよ。愛憎劇たっぷりのリアル昼ドラが目の前で次々と展開されているんだ。こんなん、無理だって……あ、ダメだ、ツボに入って……」

 そしてまた浦賀は大声で笑い出した。

 とても信じられない神経をしている。人が死んで、みんなが逃げて、こんな状態になっているというのに。

 倉崎は浦賀から視線を櫛谷へと向けた。笑う浦賀を無視して、櫛谷に止めを刺す気だ。

「京香に近づくな!」

 山田が櫛谷を庇うように倉崎の前に立ったが、恐怖で足が震えている。

「お前もビッチの仲間よね。二人ともコイツをアソコに突っ込んでぐちゃぐちゃにしてから殺してやるわよ」

「加奈子! わたしはいいから逃げて!」

 櫛谷が叫ぶ。

 そんな彼女たちを見て、浦賀は心底楽しそうに笑っていた。

「見ろよお前ら! こんな面白いもんリアルでなかなか見れないぜ! 演劇でもドラマでもない迫力があっておもしれー!」

 ドカリと浦賀は脚をテーブルへと乗せた。その拍子に、先程林に取り上げられた毒袋が落ちた。

 宮木は咄嗟にそれを受け取ろうと手を伸ばした。

「あ! させるか!」

 林もそれに気づいて手を伸ばしてくる。先に手にしたのは宮木だった。

 倉崎がナイフの先を櫛谷たちに向けて突進する。

「櫛谷! 山田! 目を瞑って鼻と口を閉じろ!」

 宮木は立ち上がり、数歩走って毒袋を倉崎目がけて投げつけた。毒袋は倉崎の顔に当たり、中身がぶち撒けられる。

 倉崎の悲鳴が響いた。

「うああ! 目が焼ける! ゲホゲホ! の、喉が! ちくしょう!」

 倉崎はやみくもにナイフを振り回した。毒は櫛谷たちのところまでは飛散していないようだ。

「山田! 櫛谷を連れて今のうちに逃げろ!」

 宮木は叫んだ。

「わ、わかった! 京香! 行くよ!」

「で、でも宮木が!」

「いいから行けぇ!」

 叫ぶ宮木の横腹に衝撃がきた。林に蹴られたのだ。

 床に倒れ、宮木は悶絶した。

「クソが! てめえ、じっとしてろ!」

 宮木は蹴られた箇所を手で押さえつつ櫛谷たちを見た。

 櫛谷と目が合った。彼女の目には涙が浮かんでいた。

 早く行け! と、目で訴える。

「京香! 早く!」山田に促され、そして櫛谷たちも逃走した。

 

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