二十九.五話 地上にて
高校の校舎が地面の中にまるごと沈んで十日余り。
前代未聞のこの事件に連日日本中が騒いでいた。
このシンクホールと呼ばれる大陥没は世界各地でも起きている。
2007年にグアテマラシティで起きた大陥没は、深さ100メートルにも及び、ビル30階に相当する深さだった。そして、2010年同じくグアテマラで、深さ60メートルの大陥没が起きている。
日本で今回起きたこの巨大陥没は、ゆうに500メートルを超えていた。
生徒たちの安否はおろか、校舎自体も未だ確認できていない。校舎が沈んだ後、そこはぽっかりと大きな穴が空いたようになっていた。
一番下は地面に埋もれて確認できていない。
それほどの深さの地中に校舎は吸い込まれたのだ。
校舎内の生徒たち及び教師の安否は絶望視されていた。これほど深い地中に埋もれて生きていられるはずがない。
何故こんなことが起きたのか。それは地殻変動による影響ではないかと言われている。
何故起きたか、などは校舎内にいた者たちの家族にはどうでもいいことだ。とにかく、息子、娘たちがどうなったかが知りたい。例えそれが、絶望的なものだとしても。
そんな家族を狙って、マスコミはお涙頂戴の報道を世界に伝えていく。
未だ校舎の跡地前には、残された家族とそのコメントを求めるマスコミでごった返していた。
敷地内は当然立ち入り禁止である。
人の感情に付け込んでそれをネタにするマスコミが、正臣は嫌いだった。
真実を報道するのは構わない。人の多種多様の意見を報道するのも自由だ。だが、視聴率優先で他人の心を踏みにじるその根性が気に入らない。
もし今正臣の車に近づいてきたら跳ねてやろうか。そんなことを思った。
息子の祐稀が通う高校校舎が地面に消えたという知らせを受けたのは、正臣が海外出張から丁度帰る時だった。
出張先で事業の話がうまくいき、これでようやく祐稀に苦労させずに済むと思った矢先の出来事だ。
祐稀は子供の頃から秀でた才能の持ち主だった。一度教えたことはすぐに覚え、見ただけで自分のものにする子だった。親としても鼻が高かった。
だが、周囲の生徒やその親は妬み、そして憎しみを募らせた。祐稀もイジメを受け始め、家にも近所の嫌がらせが始まった。妻はノイローゼとなり、自殺未遂にまで追い込まれた。正臣は何度も警察に話した。だが、ろくに調べもせずに、適当にあしらわれた。
そんな状況でも、祐稀は心を強く持ちイジメになど屈しなかった。身体能力も同年代の中ではつねにトップであり、ある時イジメグループに暴行されかけたが、返り討ちにしたこともあった。
祐稀が戦っているのに、父親の自分が泣き言を言ってはいられない。
家族で新しい土地に移り住むことを決意し、S県のこの地に越してきたのだ。
祐稀には本当に苦労させた。妻の面倒を押し付けるようにして、自分は仕事に集中した。それも自分に、家族を守るためだと言い聞かせて。
祐稀はそれをわかってくれていたのか、何も言わなかった。息子はこれらの原因が自分にあると思っているところがあった。一度、そのことで謝ってきたことがあった。
「母さんがこんなことになったのは俺のせいだよ。ごめん」
「お前は何も悪くない! 周りの奴らが愚かなんだ!」
正臣はどうしようもない怒りを覚えた。
何故息子が、妻が、自分たちが皆苦しまなければならないのか。何もしていないのに。
胸に溜めた怒りを吐き出すように、正臣は息を吐いた。
車を発進させて、正臣は自宅に戻ることにした。
自宅にいる妻は、今近所に住む内藤という若い女性が見てくれている。幸運にもヘルパーの仕事をしているので、祐稀が学校の時は彼女が見てくれていた。
自宅について中に入ると、内藤が顔を見せた。
「あ、おかえりなさい」
「家内の様子はどうですか?」
「落ち着いてらっしゃいますよ。居間でドラマを見ておられます」
「そうですか」
正臣は妻の様子を見に、居間に入った。
テレビに映っていたのはドラマでなく、校舎が沈んだニュースの画面だった。
正臣は慌ててテレビを消そうとリモコンを手にした。祐稀のことを知られたくない。
そこに妻の手がそっと添えられた。
「大丈夫よ。ちゃんとわかっているから。この沈んだ校舎って祐稀の通う学校よね。あの子校舎ごと沈んだんでしょう?」
「いや、これは」慌てて否定しようとしたが、言葉に詰まった。
「大丈夫。祐稀は生きているわ。わたしにはわかるの」
正臣は驚いた。息子が校舎ごと沈んことをわかっていても取り乱さない。
「あの子は生きてる。わたしにはわかる」
妻はもう一度言って、正臣を見た。
「あの子は今一生懸命に生きようとしている。祐稀が頑張っているのにわたしがいつまでもこんなんじゃいけない」妻の目はまっすぐに正臣を見ていた。
普通は大事な息子が事故に巻き込まれたなら取り乱してしまう。精神が不安定だった今までの妻ならなおさらだ。だが実際には吹っ切れたような表情で、母親としての強さを取り戻している。
祐稀が事故にあったことで、何か別のスイッチが入ったのだろうか。
そんな正臣の混乱する思考には気づかず、妻はテレビを見ながら言った。
「待ちましょう。祐稀が帰ってくるのを。必ずあの子は帰ってくるわ」
母親としての直感なのか何かはわからないが、妻はそう断言した。
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