十三話 要望
地底生活四日目。
このジャングルがいったい何なのか、何故地底にこんな場所があるのか。
救助の目処も立たず地上へと帰る手段もわからない。ジャングルには危険な生物が多く、危険と隣り合わせのこの状況では、皆が精神的に参ってきてもおかしくない状態のはずだった。
だが、洞窟内で過ごしたメンバーは、誰もそんな状態にはならず、とりあえずの所は心身共に問題はなかった。
「なんかさ、この洞窟にいると考えが変わるよな。前向きになるっていうか」
「そうそう。身体に活力が湧いてくるんだよな」
「聞いて聞いて、わたし、ニキビがコンプレックスなんだけど、綺麗に治ったみたいなの」
「わたしもわたしも、肩凝りが酷いんだけど今はものすごい軽いのよ!」
そんな事を言っているが、当然、現代社会で快適な生活に慣れてきた彼らにとって現状はとても厳しいものだった。
「……でも、フカフカの布団で寝たいよな……」
「……身体や髪の毛がベタベタする。シャワー浴びたい……」
「……エアコン欲しい」
「マックが食べたい……」
「ゲームが」「SNSが」「ネットが」「……エロDVDの返却期限が」
挙げればキリがないが、中でも今一番望んでいるモノ。特に女子生徒たちからの激しい要望があった。
「というかまずトイレを何とかしてよ!」
「そうよ! 茂みでするなんてもうホントに嫌! 男子は隙あらば覗こうとするし、覗き防止で数人でトイレの見張りも必要だし、足元に虫がいるしもう耐えらんないのよ! 矢吹くんリーダーなんだから何とかしなさいよ!」
何故か責め立てられる矢吹。ギャイギャイ騒ぐ女子の剣幕に、さすがの矢吹もたじろいでいた。
洞窟内でそんな場面を目撃してしまった神矢と九条の元に、矢吹はこちらへとやってきて腕を組んで言い放った。
「そういうことだ。お前ら手伝え」
「……何でそうなるんですか?」と神矢。
「お前らがたまたまそこにいたからだ」
「理由になってないだろ」と九条。
「いいから手伝え」
神矢と九条は顔を見合わせた。まあ、「お前らがやれ」ではなく「手伝え」なのだから、押し付けではない分まだマシか。それに、確かにトイレ問題は女子生徒にとって重大な問題なのだろう。だが、女子でなくとも気持ちはわかる。水洗トイレに慣れきった現代人が、地面に穴掘ったトイレで用を足すというのは、どうしても抵抗がある。
「しかし、トイレって言ってもどうしたらいいんだ? 俺に思いつくのは、周囲のブラインドとして木の枝や葉っぱとかを組んで見えないようにして、後は穴を掘るくらいしかないぞ?」
九条の意見に、神矢は首を横に振った。
「サバイバルに慣れた人たちなら、それで充分なんでしょうけど、現代に慣れた女子たちはそれでは納得しないでしょう。それにこの人数でそれをやったら、一つ二つのトイレでは追いつかなくなります。あまり深くは掘れないし用を足しては埋めてを繰り返していたらキリがない」
先ほどの女子たちの剣幕を思い出し、神矢はため息をついた。
「あーもう面倒臭えな。その辺ですりゃいいだろうが。用は慣れだ慣れ。よし、俺がビシッと言ってきてやる」
早くも矢吹は諦めている。その肩に九条は両手を置いて、矢吹の顔を正面から見た。
「女というものは、想像以上に繊細で、そして、ハラスメント発言に対して過敏だ。特に団結した時の女子程恐ろしいものはない。君らの人生の先輩として忠告しておく」
九条の真剣な顔に、矢吹は「お、おう。わかった」と頷いた。
……九条にはそういった苦い経験でもあるのだろうか。
とりあえずは気にしない事にして、神矢は洞窟の奥へと視線をやった。昨晩、各グループの探索の報告をしていた時の事を思い出す。
神矢たちのグループの報告では、小川の死は、事故として伝えた。そして、ピラニアやカンディルが生息する川に近づかないように注意を呼びかけた。
他グループからの報告では特に目新しいものはなかった。危険なジャングルということで、どうしても慎重に石橋を叩いて渡っているために探索範囲はかなり狭いようだ。
洞窟の内を調べていた矢吹だったが、奥のほうは三叉路に道が分かれており、真ん中奥は人が通るのは不可能な小さな隙間が空いていて、左右への道は行き止まりという事だった。とりあえず、危険性はないとのことだ。
「とりあえず、ダメで元々、トイレの設置場所として洞窟奥の行き止まりの通路を見ましょうか」
神矢の提案に、九条たちは頷いた。
洞窟の奥へと向かい、三叉路となっている右手側へと進む。やや外側に向けてカーブがかっていた。
気持ち少し開けた場所があったが、行き止まりだった。
「ほらな。言った通り行き止まりだろ。こんな所で用を足したら臭いは充満するわ、細菌は発生するわでロクな事にならんだろ。結局、出したモノも掃除しなきゃならんくなるしな。やっぱり、外で土掘ってそこにして埋めるのが一番いいんだよ」
矢吹の言葉に、「まあ一応調べましょう」と答えて、神矢は地面や壁を調べた。そして、壁と地面の境目に、拳大の小さな穴を発見した。そこを持っていたペンライトで照らして見てみると、中は空洞のようだった。
動物が穴を開けるにしては、この岩はあまりに硬すぎる。おそらく自然に出来たモノだろう。顔を近づけて中を観察していると、僅かに水の流れるような音が聞こえた。地下水でも流れているのだろうか。
「その辺の小さい石ころ取ってくれますか?」
九条が石を拾って神矢へと渡し、それを穴の中へと少し勢いつけて転がすと、ぽちゃんっと水が跳ねる音がした。
「どうだ? 何かわかったか?」
九条の言葉に、神矢は顔を上げて二人を見た。
「……大したものはできないけど、とりあえずは何とかなるかもしれませんよ」
洞窟奥右手側に女子専用トイレが出来た。
通路手前に『女子トイレ』と書かれた看板をつくり、その奥の小さな空間がトイレとなる。
壁と地面の境目にあった僅かな空洞。その空洞手前に丸みを帯びた板で僅かな傾斜を作り、そこに用を足して後は水が入ったペットボトルで流し込むという実にシンプルなモノだった。
トイレ空間には、消臭効果兼虫除け効果兼尻を拭くためのミントが備えられている。通常は自生しているミントは珍しいのだが、このジャングルでは大量に生えていた。しかも、大葉くらいの大きさだった。
このシンプルなトイレに女子生徒は、
「……まあまあね」
「……この際、贅沢は言ってられないわ。茂みでするよりかはマシか」
「でも、葉っぱで拭くって……紙がないから仕方ないんだけども……もうちょっと何とかならなかったのかな」
と、渋々納得した様子だった。
神矢たちの午前の時間はトイレ作成で潰れてしまい、今は外で昼食を摂っていた。
校舎内にあった食糧のほとんどは、校舎組が独占しており、現在ある食糧は、探索グループが見つけたリンゴや、野生の鳥の卵、蜜蟻、鮭がメインだった。
中でも鮭が一番量が多く食べ応えがあり、スモークして保存食としても使えるので重宝している。
何故、鮭がこんな地底にいるかはもう考えない事にする。
食器に関しては、皿代わりに大きな葉っぱを使い、箸は木の枝の皮を剥いだものを使用していた。
焼いた鮭の切り身を九条とともに食べていると、雪野と上原が近づいてきた。
「神矢くんがあのトイレ作ってくれたんだって? 凄いじゃない! アレは助かるわ!」
「雰囲気も良いしね。周りの岩が光っていて、ミントの香りもいい感じだし充分じゃない?」
どうやら、二人には好評らしい。
「別に大したことしてない。たまたま洞窟の奥に小さな穴があって奥で水が流れていたから、それをそのまま利用しただけだし」
ただあるものを利用しただけ。これで感謝されても居た堪れないだけだった。
「それでもありがとう。他の生徒たちは文句たらたらだけど気にしないでね」雪野が笑顔で言ってくる。
「そうよ。自分たちでは何もしないくせに、文句を言うのは筋違いよ」と、上原は他の女子たちを睨みつけた。
「気にしてないから別にいい」
神矢はそう言って、鮭の切り身を食べ終えた。
ふと、隣で九条が何やら考え込んでいた。
「どうかしたんですか?」
「ん? ああ、いやな。トイレはまあ必要なんだが、やはり、現代人にとってはアレもいるかなーって思って」
それを聞いて、神矢は頭の中でサバイバルに必要な物をいくつか思い浮かべた。どれのことを言っているのだろうか。
「え? なになに? まだ何かいるの? わたしたちも手伝うよ」雪野たちが協力を申し出てきた。
「……うん。みんな、昨日、一昨日とこの洞窟の地面にタオルを敷いて寝ても意外とぐっすりと眠れたと思う」
「そうね。最初は冷たくて痛かったけど、不思議と熟睡できたわね」と、上原。
「……でも、やはり危険だと思うんだ」
「どういう事?」聞いたのは雪野だ。
それに九条が答えた。
「サバイバルを行うにあたって、必要なものの一つ。それはベッドだよ」
「へ? ベッド?」上原と雪野の声が重なった。
「ふかふかなベッドは当然無理だよ。とにかく、地面から少し浮かせる寝台がいるんだ。地面にはいろいろな虫が這っていたりするから、それに噛まれたりしないようにするんだ。あと、地面に体温を奪われない為でもある」
「へぇー、そうなんだ。でも、こんな所でそんなものどうやって作るの?」
「木材を組んで台座を作り、そこになるべく平らな木を並べるくらいかな。最悪の寝心地なのは間違いないだろうね」
周囲には多くの木材の原料となる木々が生えている。だが、木材へと加工する手間が半端ないのだ。ノコギリはないし、あったとしても切り出すのにどれたけ時間がかかるのかわかったものじゃない。
「例え出来たとしても、人数分揃えるのは不可能だ。その内、誰かが言い出すだろうけど、今は虫除け草を周囲において地面に寝るしかないだろうね。地面の冷たさはどうしようもないけど」
神矢はそう言って肩を竦めた。
「寒かったら仲の良い者同時でくっついて寝るってものもアリだな」
九条の言葉に、雪野と上原が「誰かとくっつく……」と言って、何故か神矢を見て顔を赤らめた。
「九条さん……。それセクハラですよ」
「えぇ? 何で? 別に恋人同士って言ってるわけじゃ……っと、恋人同士なら興奮してその場で……うおっほん! 失礼。そんなつもりで言ったわけじゃないんだけどな」
別に九条は間違ったことは言っていない。体温低下は、体調不良や下手すれば命に関わることなのだ。セクハラとか言っている場合ではない。
……しかし、九条がハラスメントがどうとか言っていたが、なるほど。こういうことか。
とにかく、まずはふかふかベッドじゃないにしても寝る為の何かが必要だ。神矢は午後の探索で、何かないか一応探すことにした。
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