十二話 狼

 高校の校舎が謎の地底空間に引き摺り込まれて三日目。

 大ムカデにやられたのが四人。蝿だか蜂だかわからないのにやられたのが二人。黒豹にやられたのが二人。そして、今小川が目の前で死んだ。

 七十人のうち既に九人が命を落としている。

 死と隣り合わせの地底のジャングルでのサバイバル。正直、目の前で起きた惨たらしい人の死に恐怖がない訳がなかった。

 だが、恐怖に怯えている場合ではない。無理矢理にでも気持ちを切り替えなければ、次は自分の番かも知れない。

 そう自分に言い聞かせてきた。

 黒豹の事件の後に九条に言われた「あまり無理をするなよ」の言葉を思い出す。

 あれは、実は神矢も怯えていたのを無理して冷静を保っていたことに対する発言だったのか。

 九条を見た。その表情に、小川の死を引きずっている様子はない。

 彼もまた冷静を装っているだけなのか。

「……さすがにこれはもう喰えないな。まあ、あまり喰いたくもなかったんだけど」

 九条は鞄につめたピラニアを川へと捨てた。

 ピラニアを見れば、上原たちは小川の死を思い出す。そういった配慮だった。

 川から少しだけ離れて、神矢たちは休息をとる事にした。

 未だ恐怖で口が聞けない二人に九条が近づき、彼女らの視線にあわせてしゃがんだ。

「君らのせいじゃない。正当防衛だよ」

「で、でもわたし……」宍戸は小川を川に落としたことを気にしているのだろう。

「綾ちゃんが落とされて、それでかっとなって」

 上原が宍戸の顔を見て、そして小さく笑みを浮かべた。

「ありがと。凛。それと」上原は神矢の顔も見た。「神矢もありがと。助けてくれて」

 神矢は黙って頷いた。

「それとごめんね」と彼女は謝った。

「……何が?」神矢は怪訝な顔をした。

「いろいろ、あんたのこと悪く言って」

 神矢はため息ついて、「別にいいよ」と答えた。

「意外とあんた頼りになるのね。教室じゃ全然目立たないモブだけど」言ってから、彼女はまたすまなさそうに神矢を見た。「……ごめん。また余計なこと」

「だからいいって」

 神矢は頭を掻いて、彼女たちから離れた。

「とにかく、二人とも無事で良かった。にしても、神矢くん、君はちょっと無茶しすぎだろう」

 九条が叱咤するように言って神矢を見た。

「……今度からは気をつけます」神矢は九条に謝った。それから、「少し回りを見てきます」と告げて、周囲の見回りに行くことにした。

「……わかった。けど、気をつけるんだぞ」と九条の言葉に、背中越しに手を上げて答えた。

 探索をしながら少し考える。

 この地底世界に来てから、調子が狂っている自分がいた。目立たず、程ほどに過ごしてきた高校生活だが、ここでは何故かいろいろと行動している。

 行動しなければ命が危うい、ということもあるが、それにしても目立ちすぎだ。

 弱肉強食のこのジャングル。ここにいる間は、自分の力を発揮できる。

 だが、それでいいのだろうか。ここでは頼りにされていいかもしれないが、地上に出られたらその時はどうなる。

 小学校の時も、みんなから頼りにされた。運動会、勉強に置いて常にクラスの先頭に立って頑張った。上級生たちでさえ、相手にならなかった。

 最初は頼りにしてくれていた彼らの神矢を見る目が、段々と嫉妬と憎悪に変わっていった。

 陰湿な嫌がらせを思い出し、神矢は拳を握った。あいつらのせいで母さんは精神に大きな傷を負ったのだ。

 あの時の気持ちをまた味わいたくなかった。

 もう目立つことは止めよう。また同じ事の繰り返しになるだけだ。

 神矢は近くの木に手を当て、軽く深呼吸をした。

 何故か鮎川、雪野、九条の顔が浮かんだ。

 ここに来てから行動を共にした三人。彼らも同じだろうか。

「……変に期待するのはやめておこう」

 呟くように言って、神矢は一旦戻ろうとした。その時、動物の唸り声がした。

 茂みの奥から聞こえてくる。

 様子を見に茂みを掻き分けると、灰色オオカミらしき動物が一匹、西洋梨の形をした蜘蛛に取り囲まれていた。蜘蛛の数は七匹。やはり群れで行動するらしい。

 狼も群れで行動するはずだ。はぐれたのだろうか。

 その狼は足に怪我をしているようだった。蜘蛛にやられたのかどうかは定かではないが、形成は圧倒的に不利。

 蜘蛛が蠍のように腹部を持ち上げ、先端から糸を撒き散らした。その糸に絡め取られ動けなくなる狼。それでも一生懸命に噛み切ろうと必死にもがいている。

 神矢は咄嗟に、蜘蛛の背後から飛び掛って頭をナイフで突き刺した。続いて、すぐ横にいた蜘蛛の体を切り裂く。そして、狼の傍へと駆け寄った。

 その灰色オオカミの体長は二メートル弱あった。身長百七十弱の神矢よりも大きい。

 神矢に向かって牙を剥く狼。だが、糸が口輪のような役目を果たして、あまり口が開かない。

「大人しくしろ! 動けるようにしてやる!」

 言葉が通じたわけはないだろうが、狼は神矢を見た後大人しく従った。

 神矢は狼の体の糸を切って、自由に動けるようにしてやった。口の糸は、神矢自身が噛まれたら元も子もないので、そのままにしておいた。

 蜘蛛が茂みからさらに三匹現れた。

「……さて。いけるか」神矢はナイフを水平に持って体の前で構えた。

 狼が突然遠吠えをした。遠吠えだとそれほど口を開ける必要はない。

「おい、まさか」神矢は背筋が冷たくなった。仲間を呼んでいるのだ。

 遠吠えが響き渡り、そして、狼の仲間が一匹茂みを突き破って現れた。

「……うそだろ」神矢はその狼を見て、後ろの木に背を預け、顔を引き攣らせた。

 それは馬並、いやそれ以上の体躯を持つ狼だった。

「ファンタジーの世界にこんなんいたよな……」

 神矢の呟きにこちらを見る巨大な狼。だが、すぐに視線を蜘蛛たちに向け、突進した。

 次々と蜘蛛を踏み潰し、噛み潰し、蹴散らす狼。残った蜘蛛は次々とその場から去っていった。

 巨大な狼は、襲われていた狼の体を心配そうに舐め、口の蜘蛛の糸も噛みちぎった。

 二匹はグルルと何やら声を出して、意志を疎通させているようだ。

 襲われていたのはまだ子供なのだろう。大人サイズでこれなのだから。

 巨狼は神矢の顔を見た。そして、顔を近づけ匂いを嗅いだ。

 やられる。神矢は半ば諦めの気持ちで、ナイフを水平に構えた。

 全く何をやっているんだ俺は、と自分を嘲笑う。狼など放っておけば良かったのだ。自然界の出来事に人間が介入などしてどうなるというのだ。

 だが、頭では分かっていても、身体が勝手に反応していたのだ。それは、上原の時も同じだった。たいして親しくもないただのクラスメイトを、何故命をかけて助けてやる必要があったのだろうか。

 自分でもわからないが、もうここでこの狼に殺されて終わるのだからどうでもいいのかもしれない。だが、簡単に自分の命をくれてやる程、諦めがいい性分でもない。

 やれるだけの事はやる。

 そう身構えていたが、巨狼はクルリと身を翻し子狼と一緒にその場を去っていった。

「……助かったのか?」神矢はその場に腰を落とし、大きく息を吐いた。

 木にもたれてしばらく座り込んでいると、また茂みから音がした。狼の仲間か、それとも先程の蜘蛛かと思い、慌ててまた身構える。

 掻き分けて出てきたのは九条だった。その後ろから上原たちも来た。

「どうした! なんか犬の遠吠えみたい声がして様子みにきたらでっかい犬の足跡が地面についてるし! いったい何があった! 無事なのか!」

「犬じゃない。狼ですよ」神矢は九条に疲れた声で言った。そして、今の一部始終を話した。

「……さすがに死んだと思いましたね」

「馬並の狼? やっぱりでかいのは昆虫だけじゃないってことか……。いやそれにしても無事でよかった」

 九条は胸を撫で下ろした。

「……神矢、怪我は?」

 上原も心配そうに尋ねた。少し意外に思った。「……大丈夫だ」

「……そう。よかった」彼女も安堵した。それから、視線を神矢から逸らし少し顔を赤くして、「……言っておくけど、一応アンタはわたしを助けてくれたんだから、そのあと死なれたら寝覚めが悪いだけだし」と、何か言い訳みたいに言っていた。

「あ、綾ちゃん? え?」宍戸が何やら困惑した声を出している。

 なんのやりとりかわからないので、神矢はスルーした。

「とりあえずそろそろ洞窟に戻ろう。また狼とか蜘蛛とか来たらまずい」

 九条の言葉に頷いて、神矢たちは洞窟に戻ることにした。

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