十一話 キラーフィッシュ

 翌朝目が覚めた神矢は、体を起こして自分の腕、体を見た。

 驚くほど体が軽い。昨日の疲れが全く残っていない。体力が全快していた。

 昨晩、洞窟内で固い地面に軽く敷いた程度のタオルの上で、とても熟睡などできるはずもないような状況で寝たにも関わらずだ。

 次々と目を覚ました生徒たちも、不思議な感覚に戸惑っていた。

「何だ? なんかめっちゃ元気になった気がする」

「昨日風邪気味だったけど、治ったみたい」

「こんな目覚めのいい朝迎えた事ない」

 神矢は周囲を見回した。洞窟内部だが、外側同様に周囲の岩が光を帯びて明るい。

 隣で寝ていた九条も目を覚まし、自身の身体の回復に驚いていた。

「……ますますわけわからんようになってきたな」

「とりあえず、わけわからないなりに事実を受け入れましょう」

 考えた所でわからない事を考えても仕方がないのだ。考察や議論は、もう少し現状が落ち着いてからでいい。

 少し離れた所では、兵藤が喚いていた。

「ここはゲームでお馴染みの回復ポイントだ! やっぱりここはファンタジーの世界なんだ! 今に怪物みたいなのも出て来るぞ!」

「……彼が現実逃避するのも無理ないな」

 九条は哀れんだ目で彼を見た。

 朝食を済ませ、神矢たちは再び外の探索をする事にした。

 校舎を浦賀に乗っ取られた以上、ここでしばらく生活しなければならないのだ。校舎を取り返しに行くにしても、色々と準備がいる。まずはこの洞窟を拠点として、周囲の探索及び生活に必要なものを色々と揃えなければならない。

 まずは、拠点の安全性だった。洞窟内は本当に安全なのかどうか。洞窟の奥に、危険な生物がいないかどうかの確認だ。それに関しては、矢吹たちがすることになった。

 神矢たちの探索グループは、今回は少しメンバーが変わることになった。

 神矢、九条、上原、宍戸、小川の五人だ。

 鮎川と雪野は今回残って、薪拾いや昨日の他グループが見つけた木の実や、水源となる川で水の調達をする事になった。

 女子の上原と宍戸だが、二人は基本一緒にいる事が多い。上原はウェーブのかかった髪で、やや吊り目で勝ち気な印象の生徒だ。髪を後ろで括っているのが宍戸で、メガネをかけた丸顔の生徒だ。

 確か雪野とも仲はそれなりに良かった気がする。

 とにかく洞窟を出て、神矢たちはジャージ姿で探索を始めた。

 他グループが探索した場所などは、木に布を巻いたりして目印がつけてある。それらを確認しながら、先へと進んだ。

 上原と宍戸は少しはしゃぎながら神矢たちの後ろをついてくる。

 彼女たちが今回神矢たちと探索する理由は、他グループから探索の話を聞いたかららしい。よほど興味をひく話があったのか、自分たちも行ってみたいとのことだった。

 小川に関しては、よくわからない。上原たちの方をちらちらと盗み見るようにしていた。

 九条が小川に顔を寄せて聞いた。

「……どっちだ?」

「え! なにが!」

 慌てる小川。神矢もそれを見て気付いた。

 なるほど。そういうことか……。

「ま、こういう状況だ。頼れるって所を見せた方がいいぞ」

 ニヤニヤして九条はアドバイスした。

「ねえ、九条さんっていくつですか?」

 宍戸が興味津々に聞いてきた。

「ん? 今年で二十二になるな」

「何月生まれ?」

「九月だよ。九月九日。わっかりやすいだろ?」

「すっごーい! 名前にも九が入ってて九だらけじゃないですか!」

「そうなんだよ。そのせいで昔のあだ名が九ちゃんだったよ」

 宍戸と上原は爆笑した。

 その後も、彼女たちは色々と九条に聞いてきた。結婚はしているのか、彼女はいるのか、母校はどこなのかと聞かれ、九条は戸惑いながらも答えた。

 九条は独身で、今は付き合っている女性もいないらしい。

 そんな質問攻めを受けている九条を、小川は睨み付けていた。

「何だあいつ。味方じゃねえのかよ」

 神矢は付き合ってられないとばかりに、ため息をついて先頭に立って探索を続けた。

 途中、異臭がした。茂みを探ると鹿のような動物の屍骸があった。腹部が食い荒らされた状態で腐乱が始まっていて、半分白骨化している。

「……気持ち悪い。早く行こう」上原たちが嫌がったので、その場から離れた。

 それから少し進むと、水の流れる音が聞こえ、さらに進むと、大きな川の前に出た。川幅はおよそ十メートル。流れは緩やかだが濁っていて、そのままではとても飲めそうではない。

 水に関しては昨日の岩場の水か、雪野たちが汲みに行っている川が良さそうだ。

「この川何か採れるかな?」覗きこんで言う上原。

「ナマズとか、うなぎとかいそう」言って男三人を見る宍戸。「ねえ、中入って何か獲ってよ」

 神矢は頭を掻いた。

「無茶言うな。今まで得体の知れない危険な生物を多く見てきたんだ。この川に危険な生物がいないとも限らないだろう」

「何だ。神矢はやっぱり駄目ね。男らしいとこ見せなさいよ」

 勝手なことを言う。誰がそんな危険なことをするか。そう思っていると、小川が靴と靴下を脱いで、川に入ろうとした。

「ちょっと待て! 不用意だぞ!」神矢は慌てて止めた。

「腰抜けは引っ込んでろ!」小川は神矢の手を振り払った。

 よく言う。最初の探索で、梨のような蜘蛛に追いかけられて我先に助かろうとしたのはどこのどいつだ。

 上原や宍戸に男らしいところを見せたいのはわかるが、あまりに危険だった。

「こういった場所にはピラニアとかが相場だな」

 九条の言葉に、小川は水面すれすれで足を止めた。

「ワニとかもいそうですね」神矢も続けて言った。

「さっきウナギがどうとか言ってたけど、電気ウナギも相場だよな?」

「ヒルとかは確実にいるでしょうね」

 次々と言う九条と神矢に、小川は入るのを止めて靴下を履いた。

「そんなのいないって。冗談に決まってんじゃん」

 上原と宍戸はおもしろくなさそうに言った。

 神矢はため息をついた。彼女たちには、今まで探索に参加していなかったから、少し危機感が足りてないようだ。

「ちょっと待ってろ」言って、神矢は近くの茂みに入った。先ほど見つけた鹿の屍骸を引きずって持ってくる。

「ちょ、ちょっと神矢、何してんのよ! そんな気持ち悪い物持ってこないでよ!」

「これで、この川が危険かそうでないかわかるだろ?」

 神矢は屍骸の足を持って、残りを川へと沈めた。

 数秒後。何かが集まってきて、川面が激しく跳ねた。

「……え? ちょっと、ホントに?」引きつった笑みを浮かべる上原。

「もういいだろう」神矢は屍骸を持ち上げ、陸に上げた。

 残っていた肉にむしゃぶりついていた魚と、小さなナマズのような魚、大きなヒルもかなりくっついていた。引き上げると、それらは地面に落ちた。

「……う…そ」上原も宍戸も絶句していた。腰が砕けたように、その場にへたり込む。

 小川も同様だった。

「入らなくて良かったな」九条が彼の肩を叩いた。

「ピラニアに、ヒルに、これは……カンディルか?」

 神矢の言葉に、九条は驚いた。

「カンディルってあれか? 動物の体内に入り込んで内側から吸血するっていう」

「な、何それ?」怯えた声で訊ねる上原。

「アマゾン川とか熱帯の川にいるナマズ科の魚だよ。動物の肛門や尿道、膣などから体内に入ってくる。血に敏感だから、怪我とかしていると特に危険だな。そこから食い破って入ってくるらしい。ヒレには矢のような返しがあって、一度入られたら簡単に抜くことはできない。感染症によって死者も出ているって話だ」

「神矢くん詳しいな」九条が関心した。

「テレビで知ったんですよ。まあ、テレビで見たよりも、全部サイズがやたらとでかいし牙も凄い。ピラニアよりも獰猛で肉を食い漁っている。これも地上のとは違いますね。……これでわかったろ? ここがどれだけ危険な場所かって」

 神矢はへたり込んで怯える彼女たちを見た。

 そんな彼女たちの前に、小川が怒りの形相で立った。

「……下手したら俺は死ぬ所だった」

「ご、ごめん」

「謝って済む問題か? 何ならお前らがこの川に入るか!」

 怒鳴りつける小川に、上原たちは体を竦めた。

「その辺で止めておけって。彼女たちも充分わかっただろう」

 小川の肩に手を置いて、九条が宥めた。

 彼は舌打ちして、彼女たちと距離を取った。

「やれやれだな」九条が頭を掻きながら神矢の近くにきた。

「ホントにやれやれですね。あいつも人のこと責められないのに」

「若いうちはそういうこともあるさ」

「限度ってもんがありますよ」

「確かに」九条は苦笑した。「ところで、これらって食えるのか?」

 九条は地面で跳ねているピラニアとカンディルを指した。

「ピラニアはテレビで食べているのを見たけど、カンディルは知らないですね」

「まあ、このさい食えそうなもんは持って行こう。贅沢は言ってられん」

 九条はピラニアとカンディルにとどめを指して動かなくなったのを確認してから鞄の中に入れていった。

 ふと、宍戸と城戸がいないことに気付き神矢は周囲を見回した。

 川の上流の方で小川と揉めているようだった。

 小川はまだ先程のことで怒っているのか。

 神矢はため息をついて、彼らに近づいた。言い争いが聞こえてくる。

「お前がそんな女とは思わなかったよ!」

「……だから謝ってるじゃない。悪かったって言ってるでしょう」宍戸が拗ねたように言っている。

「ふざけんな! 俺はお前らを許さないぞ! 俺を殺そうとしやがって!」

「何言ってんのよ! あんたが勝手に川に入ろうとしたんでしょ!」上原は小川を睨みつけた。

 小川が怒りの形相で、彼女たちに近づく。

 神矢は嫌な予感がして走り出した。

「ちょ、ちょっと何」後ずさりする宍戸に飛び掛り、小川が突然彼女の首を絞めた。

「お前が悪いんだ! お前がこんなヤツだって知ってたら好きになんかならなかったのによ!」

「ちょっと止めてよ! 何してんのよ!」

 上原が小川の体を叩いて止めようとする。

「うるさい! お前も死ね!」

 小川は上原を蹴り飛ばした。そして、ピラニアやカンディルの住む川に彼女は落ちた。

 神矢は舌打ちして川辺に駆け寄った。

「綾ちゃん! 綾ちゃん! この何すんのよ!」宍戸は小川の腕を思い切り噛んだ。そして、怯んだところにその顔を引っかく。彼の腕に噛み傷、顔に引っかき傷ができた。

「うわ! こいつ!」小川は後ろに下がり、そして、足場が崩れた。

 叫び声を上げて、彼も川へと落ちた。

「い、いやあ! た、助けて! あたし泳げないのよ!」

「く、喰われちまう! 助けてくれぇ!」

 恐怖でもがく上原と小川。

「お、おい! 早く助けないと!」慌てる九条。

 小川が絶叫した。

「痛い痛い痛い! は、早く助け! 喰われる!」

 小川が溺れる場所では水面で弾けるピラニアやカンディルの群れが見えた。宍戸がつけた傷に反応して、上原よりも先に彼を襲っているのだ。

 小川の周囲の水が血に染まっていく。

 神矢はジャージの上を脱ぎ捨て、迷わずに川に飛び込んだ。

「お、おい神矢君! 無茶だ!」九条が陸から怒鳴った。「ああもう! 何てことを!」

「オイ! 早く掴まれ!」

 神矢は泳いで上原のところまでいき、彼女の脇に手を回した、上原がしがみついてきて、水面下に沈みそうなるが力の限りで引っ張る。必死に泳いで岸に近づく。小川はもう無理だ。ピラニアらが彼を襲っている間に、上原を助けるしかない。

「は、早く助けて! 食べられちゃう!」

「これにつかまれ!」九条が木の枝を差し出してきた。

 上原と神矢は木の枝を掴んで、何とか陸に這上がった。

 荒い息を吐きながら、神矢たちは小川を見た。顔だけが水面に浮かんでいてその目にはすでに生気はない。その両目が突然内側から食い破られ、中からカンディルが顔を出した。

 悲鳴をあげ、涙を流し抱き合う上原と宍戸。恐怖で体を震わせていた。

 小川は沈んで姿は見えなくなった。赤い血だけが水面に浮かんで流れていった。

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