八十八話 未知の生物

 湖の水に触れると、若干温かみがあった。指先を舐めてみると、僅かに塩の味がした。この塩分濃度は海水ではないようだが、果たしてこれは飲めるのだろうか。恐る恐る、手のひらにすくって口に含んでみる。

 含むだけのつもりだったが、身体がその水を欲していたかのように自然に喉元が嚥下して体内へと流れ込んでしまっていた。

 地底世界で得た水は、どれも地上のものより美味かった。しかし、その中でもこの地底水は群を抜いていた。

「またこのパターンか……」

 神矢は諦めの吐息を吐き出し、空のペットボトルにその水を入れて飲んだ。身体に染み渡るようだった。

 一息ついて、神矢は次に水中を泳ぐ黄金魚を見た。

 水だけではこの先体力は続かない。やはり、エネルギーとなるものを口にしたい。

 どうやって、あの魚を捕まえるか。

 水面で手を泳がせながら考える。

 釣りはどうだろう。糸はカッターシャツの糸を紡ぎ合わせて使えばいけるか。餌は何がある? 天井のグロウワームは餌にならないか。針はどうする? リュックのジッパーの金具はどうだ。金槌で上手く変形すれば使えないか。

 考えていると、手に何かが触れて驚いた。見ると、魚の方から神矢の手に近寄ってきていた。

 天敵のいない場所では生き物は警戒することがなくなるという。この魚もそうなのだろう。

 とりあえずは簡単に捕まえる事が出来た。

 せっかく消した松明だが、再度火をつけて、その火で黄金の魚を焼くことにする。

 香ばしい匂いが、周囲に立ち込めた。煙や漂う匂いすら金色に視えたのはきっと気のせいだろう。その匂いで腹が盛大に鳴った。黄金色だった魚が焼けると、どういう原理かわからないがさらに輝きが増した。……いや、これもきっと気のせいだ。

 焼けたのを見計らって、一口齧る。

 驚愕に目を見開き、その魚を凝視する。

 これは果たして魚なのだろうか。

 味付けしていないのに、口の中に広がる極上の味。人間の脳では処理しきれずにただただ言葉を失った。

 表現がまるで思いつかない。美味い、などというありふれた言葉は、この魚に対して冒涜に思えた。この味に感想を求める事自体が間違っている気がした。この味に当てはまる表現は古今東西どのような言語をもってしても皆無だ。

 きっと、このことを誰かに話したとしても、大袈裟だと鼻で笑われるだろう。黒河あたりなら、絶対に小馬鹿にした顔で揶揄ってくるに違いない。だから、このことは胸の内に秘めておくことにした。

 気づけば完食していた。内臓も頭も骨までも食べ尽くしている。

 サイズは普通の魚ではあるが、含まれるエネルギー量が違う。ゲームなどで、食べ物で体力回復ができたりするが、これがまさにそれだった。神矢の体力は完全に回復していた。

 神矢は手を合わせて、その黄金の魚に、そして、湖に手を合わせて感謝を示した。

 理屈ではなく、本能からの感謝だった。

 体力は回復した。素晴らしい景色と素晴らしい食材に後ろ髪を引かれながらも、神矢は先を急ぐことにした。



 洞窟の奥へと進むにつれて、息が少し白くなってきたことに気づいた。空気がさらに冷えてきている。よく見れば、霜のようなものが壁などに見られた。

 このままでは、体温体力ともに奪われてしまう。神矢はリュックからタオルを出して身体に巻き付けて、防寒対策をした。それでも寒いが、やらないよりマシだ。

 神矢は体力を温存しながらも、少しずつ先に進んだ。松明の熱が少しだけ身体を暖めてくれた。

 少し曲がった所で、神矢は驚いた。突然人影が現れたのだ。咄嗟に身構えると、相手も同じポーズを取る。

 落ち着いてみて見れば、それは氷でできた壁だった。松明の光が当たり、鏡のようになっていてそれに神矢の姿が映っただけだった。

「……脅かすな」

 神矢はその氷の壁を見た。厚さはそれほどではない。その場に落ちている石で叩くと簡単に割れて奥に行けるようになっていた。

 さらに奥に進んでいくと、再び開けた場所に出た。中央に太い柱があり地面と天井を支えているように見えた。

 そして、その空間の周囲には六ヶ所も分かれ道がある。

 どの道に行けば正解なのか。一つ一つ確かめていくにしてもこの寒さだと体力が持たないだろう。ここで間違えると、おそらくは助からない。もっとも、全部の穴がハズレだという可能性も充分にある。

 神矢は直感を信じて、一つの穴へ入ろうと考えた。その時、穴の奥から奇妙な生物が出てきたので、神矢は手にサバイバルナイフを持ち身構えた。

 その生物を見て、神矢は驚愕に目を剥く。

 何だこの生物は?

 銀一色の体で、二本足で立ち、手が少し長い。指は三本。体長はおよそ百二十から百三十センチといったところか。どことなくテナガザルを銀色に染めたような生き物だ。だが顔は、眼の部分が甲虫のような丸く黒い眼で、鼻の部分は小さな穴が二つ、口は線を引いたようなものである。体毛のようなものもなく、全体に丸みを帯びていて、何とも不思議な生物だった。

 その生物は神矢に気づくと、慌てて穴の方に戻った。そして、陰から顔だけをそっと覗かせて様子を伺い始めた。まるで人間の子どものような仕草だった。

 神矢に怯えているようだ。だが、神矢も相手が未知の生物である以上警戒を解くつもりはない。

 その銀色の生物から遠ざかるように、別の穴に入ろうとじりじりと距離を縮める。

 穴に近づいたその時、地面から突き上げるような揺れが起きた。

 また地震だ。

 立っていられず、思わずその場に膝をつく。直後、頭に衝撃を感じた。

 天井から崩れた石が神矢の頭に直撃したのだ。意識が遠のいていく中、銀色の生物が神矢へと近づいてくるのが見えた。

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