四十二話 巨狼の恩返し

 翌日の朝、神矢は誰かに体中を揺さぶられて目を覚ました。相手は宍戸だった。

 女子が男子部屋に入ってくる事は珍しいことではない。他の女子が、お喋りのために夜やってきてそのまま寝るということもよくあるので、宍戸がきた所で驚く事はないが、何故自分を起こしたのかが分からなかった。

「……朝早くから悪いけど、ちょっといい?」

 彼女に言われて神矢は外へと連れ出された。

 入口で見張りをしている二人の男子は、壁にもたれかかり眠りこけている。

 これでは見張りの意味がない。矢吹に一度気合いを入れ直してもらった方がいいなと思いながら、宍戸に近くの茂みまで連れていかれた。洞窟周辺には罠も多く設置したし、竹で作った鳴子も設置してあり獣が襲ってくればすぐにわかる。

「こんな朝早くから何?」

 神矢が訊くと、宍戸はこちらに背中を向けたまま言った。

「……どっちなの?」

「え?」

「綾ちゃんか遥かどっちなの?」

「……えっと、言っている意味がわからないんだけど?」

 神矢は戸惑った。

 宍戸はようやく神矢の顔を見た。

「どっちが好きなのかって聞いてるのよ!」

 やや苛立った口調で言う宍戸。

「はい?」

 何だ? いったい宍戸は何を言っているのだろうか? 状況に整理がつかず、神矢は戸惑いの連鎖に陥った。そんな神矢を無視して宍戸はまくし立てた。

「遥も綾ちゃんも、あんたに命を助けられてからすごくあんたのこと意識してる! 最近はわたしといるよりもあんたといる時間のほうが長いのよ! なのにあんたときたら二人の気持ちを知ってか知らずかずっと同じ調子でいるし! ここではっきりさせなさいよ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。雪野さんと上原さんが俺を意識してる? そんなわけないと思うけど、仮にそうだとして何で宍戸さんがそんなに怒るんだよ?」

「何でってそれは!」言おうとして、宍戸は言葉に詰まった。

 その時、宍戸の後ろの茂みで何かが動いた。そして、茂みの下から流れてくる赤い液体に気づく。

 音に反応して宍戸は振り向いた。

 そこには、あの巨狼が立っていた。口にくわえているのは鹿の死体だろうか。狩ったばかりの獲物なのだろう。首があらぬ方向に曲がり息絶えている。

 この巨体で、周囲に張り巡らせてある数々の罠や鳴子を避けてここまできたというのか。だとしたら、相当な頭脳を持っていることになる。神矢たちが到底勝てるような相手ではないことが窺い知れた。

 宍戸が声を上げようとした瞬間に、神矢は彼女の口を塞いだ。

「大きな声を出すな! 刺激すれば襲ってくるぞ!」

 小声で宍戸を叱咤する。宍戸は恐怖で足を震わせながら頷いた。

 この狼が数日前の狼と同じかは判別つかない。

「俺が注意を引くから宍戸さんはその隙に逃げるんだ」

「……あ、足がすくんで動けない」

 神矢は舌打ちしたい気分だった。宍戸を庇うように前に立ち、狼を睨みつけた。獣と目を合わせるのは危険な行為だが、注意をひきつけるためこの際仕方ない。

 狼が神矢たちを見据える。

 神矢は眉間に皺を寄せた。

 狼の目は獲物を狙う目ではなかった。狼の立ち姿も堂々としており、獲物を狙う姿勢ではない。その圧倒的な存在感は、神々しさすら感じるものだった。

 狼は神矢の目の前で鹿を落とし、鼻先で神矢の足元へと寄せた。

「……くれるのか? あの猪もお前がやったものなんだな? ということは、お前はやっぱりあの時の」

 以前蜘蛛に襲われていた狼の親だろう。やはり、これはその時の礼のつもりなのかもしれない。

 狼の目に敵意はない。まるで地球のような青い瞳には、知性と優しさが感じられた。

 狼は神矢に背中を向けて、その場を立ち去った。

「……狼の恩返しか」神矢は呟いて、へたり込んでいる宍戸に振り返った。「大丈夫か?」彼女に手を差し延べる。

 宍戸は目を合わせようとはせずに、その手を借りて立ち上がった。恐怖によるものだろう。まだ足が奮えており、目にも涙が浮かんでいる。

「……あんたがそんなんだから、わたしも」宍戸が言って、神矢を見た。

 その時、「お前ら! 見張りが寝てたら意味ないだろう!」と、誰かが怒鳴る声が聞こえた。

 宍戸は神矢に言った。

「綾ちゃんたちには悪いけど、こうなったらわたしも参戦するから」

 そして彼女は洞窟の方にこっそりと戻って行った。見張りを起こさずに外に出たのを咎められないようにする為だろう。

 それにしても、彼女の言葉の意味が最初から最後までわからないままで、神矢は首を捻るしかなかった。

 洞窟に戻ると、見張りを怒っていた生徒たちの視線が集まった。

「神矢、お前何で外にいるんだよ? 外に出たんだったら、ついでに見張り起こせよな」

「もう朝だし、みんなももう起きる頃だしいいと思ったんだ。まあ見張りの緊張感の無さに関しては、矢吹さんにもう一回言ってもらうつもりだよ。それより、そこにまた新鮮な鹿の死体が置いてあるんだ。みんなで運んで解体をしよう」

「何ぃ? 何でまた死骸が?」

「矢吹さんにも聞いてもらうからまとめて話すよ」

 そして、洞窟内で矢吹とみんなを集めて、神矢は巨狼のことを話した。

 大勢の前で話すのは相変わらず苦手だから、要点だけを話した。

 みんなも少なからず驚いた様子だった。

「マジかよ。巨狼の恩返しか……凄ぇな」

「これからも肉運んできてくれるのかな?」

 矢吹が腕組みして少し考えた後、言った。

「……基本、狼は群れで行動する動物だ。もしその狼が仲間と一緒だとすると、この辺りはそいつらが多くいる可能性もあるな。神矢の言う狼は大丈夫かもしれんが他の奴らはどうかわからん。警戒を怠るなよ。ということで、見張りをする奴らは気合い入れていけ。どうしても眠たければ、他の奴と交代するとかして絶対に見張りをサボるなよ」

 みんなが気を引き締めるのが伝わってきた。

 その後、鹿の肉を解体して宮木が調理してみんなで食べた。

 猪の肉も、鹿の肉もみんな舌鼓を打って食べた。

 これからもこういう肉が食べられるとは限らない。洞窟組は肉の味をじっくりと堪能した。

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