十五話 地底温泉
巨大岩に囲まれたそこには、かなり大きめの池があった。人が十人程は入れそうだ。
水面からは湯気が出ており、それがお湯であることが伺える。
温泉はさらに地下から湧き出ているようで、ごぼごぼと水面が盛り上がっていた。
更には岩の上部からも湯が小さな滝のように流れ出ていて、風情もある。
溢れ出た湯が岩の隙間から流れて出ていっていて、それが先程の外側の水溜まりに繋がっていた。
周りの岩は真ん中が空いたドーナツ型をしており、風の通りも良い。硫化水素が溜まることはなさそうだ。
湯に手を浸すと、それなりに熱かったが入れなくはない。深さも丁度良さそうだ。
「ねえねえねえ! 入りたい入りたい! 入っていい? 入っていいでしょ? 綾ちゃんも入りたいよね?」
雪野は大興奮している。
「そ、そりゃあ入りたいけど」と、上原は神矢たちを見て、顔を少し赤らめた。
空気を読んで九条が言った。
「俺たちは離れているから入ったらいい。さっぱりしたいだろ?」
「……うん。それじゃ、お言葉に甘えて。覗かないでよ」
「大丈夫。ちゃんと大人としての分別はあるさ。安心するといい」
そういう訳で、神矢たちは温泉から少し離れることになった。
「さて、それじゃあ俺たちは」九条が言い。
「コレはもう覗くという選択肢以外ないでしょう」
真面目な顔で河野が言った。
「な、神矢。お前もそう思うだろ?」
「いや俺は別に」
九条が腕を組んで神妙な顔になった。そして。
「俺の知り合いにな。女湯とか更衣室を盗撮やら覗きをして捕まったヤツがいるんだ」突然そんな事を言い出した。
「そいつは家庭を持っていたが、犯罪がバレてそいつの家庭は崩壊。子供たちもいじめられて辛い学生生活を余儀なくされたんだ。君たちはそんなことになりたくないだろう?」
九条の目は真剣だった。
「……じょ、冗談ですよ。そんなことするわけないじゃないですか」
河野が乾いた笑いをした。
神矢は元より、そんな低俗な事をするつもりはない。
「それより、一つ気がかりな事があります」神矢は真面目な顔で言った。
「ん? 何だ?」
「今日は午前中に簡単だけどトイレを作りました。午後に探索して、竹を発見してベッドの目処も立ちました。薬となる薬草も河野のおかげで採取できたし、更には温泉地まで発見しました」
「今日一日で凄い成果だよな。みんな喜ぶぞ。何が気がかりなんだ?」
「人間は欲深い生き物です。アレが出来れば次はコレ、コレの次はアレとどんどん要求がエスカレートします」
「……あーなるほど。それは確かに」同意する河野。
「温泉が見つかったら次は何を要求されるか。それを考えると気が重いんですよ」
そんな神矢に、九条が大きくため息をついた。
「……君は苦労性だな。もっと肩の力を抜けよ。そんなんじゃ、この先もたないぞ」
「ですが」
「一人の人間ができる事なんてたかが知れている。人間は協力し合う生き物だ。団体競技とか体育祭や文化祭でそういったのは学ばなかったのか?」
神矢は首を横に振った。
「家の事情で休むことが多かったので、あまり体育祭などは参加できませんでした」
参加したとしても、言われた事をやる雑用係で目立たないようにするつもりであったが。
野球では、「お前ベンチで応援な」だったし、バスケではボールが回って来なかった。協力という言葉の意味を、無意味に考えさせられただけだ。
神矢の心情を九条は何かしら感じ取ったのか、
「……そうか。何か事情がありそうだな。悪かった」と謝った。そして、続ける。
「とにかく、君一人が全部背負う必要はない。重い荷物は分けて、周りにも持ってもらえ。負担を分け合うんだ。遠慮なんざ不要だ。俺や鮎川先生、雪野さん、上原さんは、嫌がったりしない」
「……あ、一応僕も」河野がおずおずと手を挙げた。それに、九条が「ああ。頼むよ」と頷く。
「とにかく、君はもっと、周りを頼った方がいい」
人に頼る。今までそんなことを考えた事がなかった。自分が出来ることは全部自分でやる。それは当然のこととして、確かに一人だけでは限界がある。
特にサバイバルにおいて、周りとの協力は必要不可欠なものだ。生きてこの地底世界から脱出する為には、そういった妥協も必要か。
「そうですね。ちょっと自分で自分を追い込んでいたみたいですね。ありがとうございます」
九条は笑みを浮かべて頷いた。
隣で河野もうんうんと頷いて言った。
「……僕はこの植物の知識を活かしてもっとみんなの役に立って見せるよ」
「ああ。頼りにさせてもらうよ」
九条が言うと、河野の顔が嬉しそうに弛んだ。
神矢は軽く深呼吸して、九条に言われた通り少し肩の力を抜くことにした。
疲れた身体に熱めの湯が染み渡っていくようだった。
真ん中が開いたドーナツ型の岩に囲まれた温泉地。湯水はサラサラとしており少しもベトつかない。湯で濡れた腕を空気に晒すと、直ぐに乾いていくような不思議な湯だった。
地底世界の自然界に囲まれた温泉。正に秘湯中の秘湯。
雪野と上原は全裸になって湯に浸かり、はぁぁ、と身体の中の澱みが消えていくような感覚に恍惚の表情を浮かべていた。
「……この温泉ヤバいね。メッチャ気持ちいい」上原の弛緩し切った顔に雪野も同意した。
「ホント、コレはお湯に全身を優しくマッサージされてるかのよう」
二人して少しの間温泉に浸かって身体を癒した後、雪野は上原に聞いてみることにした。
「でさ、さっきの続きなんだけど、綾ちゃんは神矢くんと探索に行った時に何があったの?」
突然の質問に、上原の顔が赤くなったのは、湯の火照りだけのものではないだろう。
「……神矢に命を助けてもらったのよ。ピラニアとかがいる危険な川の話は知ってるでしょ?」
「……ああ、小川くんがその川に落ちて亡くなったって」
上原は頷いた。
「その話ね。事故ということだけど、少し違うのよ」
「どういう事?」
上原は言いにくそうにしていたが、その時の事を話してくれた。
上原たちが悪ふざけで神矢たちに川に入れと言った事。危険だと言う神矢たちを無視して小川が入ろうとした事。危険な魚たちがいると判明して、小川が上原たちを責めて口論となり、上原が川に突き落とされた事。激昂した宍戸が小川に傷を負わせて小川も落ちて、先に小川がピラニアたちの餌食になった事。そして、溺れる上原を神矢が助けてくれた事。
「……そう、そんな事があったんだ。それで、しばらく綾ちゃんも凛ちゃん少し元気がなかったのね」
「小川のあんな最後を見ちゃったからね。でも、少し落ち着いて状況を省みて、神矢が危険を顧みずに助けに来てくれた事を考えたら、なんかまともに顔を見れなくなっちゃってて。だってさ、普通親しくもないろくに話した事のない他人を助けたりする? わたしは多分そんなことできない。でも、神矢は躊躇なく危険な川に飛び込んでわたしを助けてくれたのよ。溺れるわたしを力強く引っ張ってくれて、わたしを先に岸にあげてくれて、そんな事されたらもう惚れるしかないじゃん」
顔を赤らめて言う上原に、雪野は「そうよねぇ。自分を守ってくれた人には、やっぱり特別な感情持っちゃうわよね」と、笑みを浮かべて頷いた。
「わたしの時もそうだったよ。初日、蜘蛛に追いかけられて途中で転んで、もうダメだって思った時に神矢くんと九条さんが助けてくれて。あの時の二人は、ヒーローに見えたわ。神矢くんは多分、相手が誰であれ命が危険に晒されていたら行動してしまう人なんだと思う。優しい人なんだよ。普段はちょっと素っ気ないけどね」
雪野は岩の向こう側にいるだろう神矢を見て言った。
「……やっぱり、遥も神矢の事」
「うん。わたしも神矢くんの事好きになっちゃってる。前から気にはなってはいたんだけど、今回の件で完全に惚れてしまいました」
上原は驚いたようだった。
「え? 前から気になってたの? あ、そういえば、プールにも誘っていたわね。え? いつから?」
「同じクラスになって、少ししてからかな。常に一人でいて周りと馴染もうとしなくて、けれどどこか寂しそうな雰囲気が気になってたのよ。何回か話しかけようとしたんだけど、神矢くん、家庭の事情とかでよく休んでいたじゃない? だからなかなか話す機会がなくて」
「ズル休みだとかサボりだとか引きこもったとか、色々言われていたわね……。わたしも言ってたその一人だけど、今はわかるわ。アイツはそんな事をするヤツじゃない。ああもう、過去のわたしを殴ってやりたいわ……」
頭を抱え自己嫌悪に陥る上原。
「そんな事言うならわたしだって同じだよ。特にわたしの場合、神矢くんを気にかけていたにも関わらず、クラスメイトを悪く言う人たちを注意しなかったんだし。でも、コレからは違う。この先、神矢くんが悪く言われても、わたしは神矢くんの味方でいる」
上原は頷いて、「わたしもよ」と言った。
教室にいた時と比べて、ここに来てから神矢は話してくれるようになった。彼がどう思ってくれているかはわからないが、ようやくクラスの仲間となれたと雪野は思った。望む関係は勿論もっと親密になることだが。
「でも、神矢くんて鈍感なのよね」
「……それはわたしも思った。神矢はこの状況を何とかしようとしているんだろうけどね」
二人は互いに苦笑しあった。
「お互い、先は長そうね」
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