一話 沈む校舎
出る杭は叩かれる。さらに抜き出た杭は、さらに叩かれるか排除される。
神矢祐稀は身をもってそれを学んだ。
自分が周囲の人間と違うと感じ始めたのは、小学校に入ってからだ。
勉強もスポーツも、周囲の者よりも遥かに優れた成績を残してきた。最初の頃は、親にも誉められ、周囲からは羨望の眼差しを受けてきた。
だが、それも長くは続かなかった。羨望の眼差しは、いつしか嫉妬に変わり、クラスからは浮いた存在となった。
「なんであいつばっかり」
中学に入り、嫉妬は憎悪へと発展した。
何故あいつばかりが。あいつさえいなければ。あいつのせいで。
その矛先は、やがて家に対しても行われた。
自宅には石が投げ込まれ、壁にはさまざまな罵詈雑言の落書きをされ、嫌がらせの電話が毎日続いた。
母親は精神を病み、手首を切って自殺しようとした。命は助かったが、しばらく精神が不安定な状態が続き、ここにはもういられないと父親は判断し、顔見知りのいない場所へと引っ越すことになった。
新しい場所では、神矢は本気を出すのをやめた。何事もほどほどにすれば、問題は起きないのだ。
中学を卒業し、高校に入って二年。無難な日々を過ごした。
だが、友達を作ることはしなかった。誰も信じない。信じられない。どいつもこいつも腹の中では、何を思っているのかわかったものではない。
自分で壁を作り、あまり話さず常に一人だった。
夏休みに入り、神矢は補習のため学校へと来ていた。
成績が悪かったわけではなく、母親の精神状態が少し悪化したため、それの面倒を見るべく欠席が多かったからだ。
丁度その時、父親は海外に出張中だった。
父親は父親なりに自分たちのために頑張っている。だから、今回のことは仕方がないことだと思っていた。
時刻は、午前九時。神矢のいる教室内には、赤点組が多く来ていた。神矢を含めて十五名。
神矢のクラスからは八名、隣のクラスから七名である。
他の教室でも赤点組が補習を受けている。二年生の何人が補習をしているかはわからないが、二クラスに分けられるくらいの人数はいるということだろう。一年生も三年生もそれなりに補習の人数がいると思われた。
この高校は、正直、偏差値がそれほど大したものではなかった。勉強嫌いが多く、多少柄の悪い生徒もそれなりにいたりした。
「うわぁ……かったりぃ。何で休みに学校なんだ!」
「しかたないって。留年はしたくないしな」
朝から愚痴を言い合っている。
「ねえ、これ終わったらプール行かない?」
「あ、いいね。いこいこ」
「あ、それ俺たちも参加で」
「ばーか。あんたたち下心丸見えなのよ」
そんなやりとりを聞き流しながら、神矢は左手に頬を乗せて、参考書を眺めていた。
「神矢君も来る?」
突然、机に腰掛けてきた女子に話しかけられた。クラスメイトの
少し驚いた。まさか、まだ話しかけてくる生徒がいたとは。
「雪野、何でそいつ誘うんだよ。ろくに話したことないだろ?」
「話したことないから、こうして声かけてんの。あんたたちは黙ってて。で、どうする? 神矢君?」
「……興味ない。悪いけど放っておいてくれ」
神矢は冷めた口調で言った。
「ほらな。そんなヤツ誘うのが間違ってんだよ」
雪野は、神矢の顔を少し見て小首を傾げ、ふと、視線を神矢の胸に移した。
「ねぇ、それ何。ボールペン?」
違う。ペンライトだが、神矢は黙っていた。早く行けの意思表示だ。
「プール、気が変わったら言ってね」彼女は言って自分の席に戻った。
気など変わるはずもない。神矢は、ちらりと雪野の背を見て、また参考書に目を戻した。
教室に担任の鮎川が入ってきた。
「はいはい。遊びの予定は、この補習を乗り切ってから話してね」
補習が始まり、時間が過ぎる。
午前の補習が終わると同時。神矢は、小さな揺れを感じた。
周囲を見たが、誰も感じた様子はない。気のせいか。そう思った後、また少し揺れがきた。
「ん? 今揺れなかったか?」
「え? そうか」
「ほら、また揺れた」
「何? 地震?」
小さな揺れは断続的に続いていた。
校舎の外では、生徒と教師が部活動に精を出していた。
最初に異変に気づいたのは、陸上部の女子だった。
「……ねえ、校舎の下から水出てない?」
その言葉に校舎を見た者が次々と眉をしかめる。
「ホントだ。凄い水ね。水道管が破裂したとか?」
校舎の周りに広がる水。そして、一人が首を傾げ、目を擦り校舎を見直した。
「……おい。何か校舎傾いてないか?」
それは突然起こった。机に置いていたシャーペンが転がった直後だ。
体が一瞬浮いたような錯覚が起き、教室が傾いて机とイスが雪崩れのように端に押し寄せてきた。
咄嗟に回避しようと、神矢は机の上に転がるように乗った。だが、押し寄せる勢いで跳ね上がったイスで額をぶつけた。
教室内に響き渡る生徒たちの悲鳴。
教壇にしがみついている鮎川も、蒼白な顔で叫んでいる。
「みんな! 何かにしがみついて!」
荒い息をつきながら、神矢は状況を見た。
教室が斜めになっている。四十度程だろうか。
押し寄せた机やイスに挟まれて、数人が怪我をしている様子だった。だが、どうやら全員無事らしい。
「……いったい何が?」
誰かがその質問をした同時、再び校舎が激しく揺れた。
斜めになっていたのが、今度は元に戻ったのだ。
「何なの! 何が起きてるの!」
泣きながら喚く女子たち。恐怖に震えている。
そして、校舎自体も変わらず地響きのような振動で揺れていた。
神矢は窓の外を見た。それを見て違和感を覚えた。
何だ? 何かおかしい?
景色が低い。ここは三階のはず。まるで二階から見たような景色……。
それが段々とさらに低くなっていく。
神矢は愕然となって言った。
「校舎から早く出るんだ! 沈んでいるぞ!」
言ったその瞬間、体が完全に浮いた。
校舎が一瞬にして、地面の中へと吸い込まれた瞬間だった。
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