七話 フライビー

 校舎に戻り講堂前に来ると、廊下に教師たちが深刻な顔をして集まっていた。

「どうかしたんですか?」

「……あ、君たちか。実は大変なことがあってな。とりあえず、中を見てくれ」

 促され、神矢たちは講堂内に入った。

 六人程が床に寝かせてあり、苦しそうに呻いていた。それを診ているのは、保険医の早瀬紀子はやせのりこだった。

 ややカールのかかった肩までの髪で、目には黒いメガネをかけている。探索に行く前に体調を崩した教師だ。

 講堂内を見ると、何やら争ったような形跡があった。

 寝かせられている六人を、居残り組と、それに混じって既に帰ってきていた他の探索グループたちが遠巻きに見ていた。

「……何があったんです?」鮎川が案内した教師に聞いた。

「……少し蒸し暑かったから廊下の窓を開けた生徒がいたんだ。そしたら、でかい蝿みたいな虫が三匹窓から入って来て、部屋のみんなに襲い掛かったんだ」

「……は、蝿?」

「ああ。一匹殺したら出ていったよ。気持ち悪いから窓の外に放り出したから見てみるといい。だけど、何人かあの蝿みたいのに刺されたらしいんだ。それで、今寝かせて、早瀬先生に様子を見てもらっているんだが」

「は、蝿に刺された?」雪野が目をしばたかせる。

「意味が分からないだろうが、本当なんだ。あの蝿は、蜂の針みたいなのを尻から出していた」

 それを聞いて、神矢たちは顔を見合わせた。

 刺されたのは女生徒一人、男子生徒四人、男性教師一人という事だった。生徒たちは神矢の知らない顔だが、教師は科学部の三田みただった。

「鮎川先生は刺された人たちの様子を見てきて下さい。俺は蝿の死骸を見てきます」

 九条は言って、外に向かった。神矢もその後をついて行った。

 廊下の窓から少し離れて、大きな蝿の死骸はあった。頭部が潰れて絶命している。

「……確かに馬鹿でかい蝿だな。十五センチはある」

 九条はしゃがみ込んで、木の枝でひっくり返った死骸を突いた。

「刺された、って言ってましたよね。腹部の方見せてもらえます?」

 九条は頷いて、枝で腹を神矢に向けた。

 神矢も別の木の枝を拾って、蝿の腹を強めに押した。すると、腹部の先から野太い鋭い針が出てきた。針は注射針のようだが、その針の径が大人の親指くらいだった。

 こんなモノに刺されたらと思うとゾッとした。

「……蝿か蜂かどっちなんだよ。こんなんばっかだなこのジャングルは」

 不意に背後の茂みが動いた。驚いて、枝をさらに腹に強く押してしまった。

 振り返って見ると、小鳥が飛び立っていっただけだった。

「脅かすなよ」

 九条は息を吐いた。

 神矢も安堵の息を吐いて、また蝿を見た。そして、目を剥いた。

 針の先から体長八センチ程の長い蛆が出ていた。腹を強く押したために出てきたのだ。まだ生きていてうねうね動いている。二人はほぼ同時に持っていた枝で蛆を突き刺した。白い体液を流し、蛆は動かなくなった。

 通常、蝿は直接蛆を産みつけたりしない。そもそも、昆虫は皆卵から孵化する筈だ。

 荒い息をつきながら、神矢は嫌な想像を巡らせた。

 その直後。

 講堂から、悲鳴が聞こえてきた。

 神矢たちは講堂内へと駆け込んだ。

 寝かせていた六人のうちの男子生徒一人と三田が呻きをあげてのたうちまわっていた。

「何があったんですか!」

 離れてへたり込んでいる早瀬に、神矢は聞いた。

「お、お腹に何かいる」

 二人を指差して言う早瀬。神矢と九条はのたうちまわる生徒を押さえ、シャツの前をはだけさせた。腹の皮下で何かが一匹うごめいていた。

 叫びを上げる男子生徒。

 突然、その生徒が血を吐いた。ゴボゴボと咳込み、そして動かなくかなる。

「お、おい! 腹が!」

 九条が警戒した声をあげた。腹の肉が盛り上がり、そして裂けた。そこから大きな蛆が顔を出した。

 大きさが先程見たものよりも倍以上だ。太さが指三本分程もある。

 悲鳴が講堂内に響いた。ほとんどが、講堂から逃げ出した。

 肝心の保険医である早瀬は目の前のあまりの事にへたり込んで固まっている。

 だが残っていた中で、出てきた蛆を蹴り飛ばし、踏み潰した人物がいた。

 矢吹龍哉やぶきたつや。三年の問題児グループの一人だ。

 神矢と九条が一瞬呆気にとられたが、別の悲鳴で我に反った。

 もう一人、教師の三田が同じようにのたうちまわり、血へどを吐いて息絶えた。

 今度は背中から蛆が出てきた。

 それを、近くにいた男子生徒が、叫び声をあげて金属バットで殴り飛ばした。蛆は弾けて体液を撒き散らした。

 これで二人死んだ。

 残りの四人もどうしようもないのか。

 二人の凄惨な死にかたを見て、彼らは取り乱した。

「いやあ! 死にたくない! 助けて! 誰か助けてよ!」

 涙を流し、必死に助けを請う女生徒。

 頭を抱え、ただ震えるだけの男子生徒たち。

 彼らに声をかけたのは、矢吹だった。何故か、ナイフを取り出している。

「お前ら、どこを刺された? 刺された箇所に違和感はないか?」

 彼らは震えるだけで答えない。

「どこを刺されたかって聞いてんだよ! 早く言え! 死にたくないだろう!」

 矢吹はナイフを持って怒鳴った。

 四人はビクリとなり、それぞれ答えた。

 女生徒は右の二の腕。男子生徒三人はそれぞれ、右膝、右足ふくらはぎ、左腕を刺されたと答えた。矢吹は先ず、女生徒の腕を見た。か細い腕の刺された箇所は青く大きく腫れていた。

「腹も見せろ」

 一瞬嫌がるそぶりを見せたが、直ぐにシャツの裾を持ち上げた。

「触るぞ」矢吹は一応声をかけてから腹部に手を当て、様子をみた。

「……多分、お前は大丈夫だ」

「ホント!?」

「多分な。腕はちゃんと消毒しておけ。おい、次はお前だ」

 矢吹は右膝を刺された男子を呼んだ。だが、男子生徒の様子がおかしい。顔面蒼白で、息が荒い。

「おい! お前ら手伝え!」矢吹は神矢たちを見て言った。

 近くに寄ると、男子のズボンを脱がせと指示された。ズボンの上からでは、刺された箇所の状態がわからないからだ。

 脱がせてみて、矢吹も神矢も九条も顔をしかめた。

 膝より少し上の大腿部、皮膚の上からでもわかるように蛆が中でうごめいていた。

「この位置ならまだ何とかなる! 切って取り出すぞ! しっかり押さえとけ!」

 一瞬耳を疑ったが、今はそれしか方法が思いつかない。神矢は男子の体を押さえこんだ。一刻を争えのだ。

「行くぞ!」矢吹は男子の脚の表面を軽く素早くナイフで切り裂いた。

 痛みに叫び暴れようとする男子生徒。

 神矢と九条はそれを力づくで抑え込む。

 切り口に沿って蛆の背中が見えた。矢吹は切り口に素手で突っ込んで、蛆を捕まえ床に叩きつけ踏み潰した。

 男子生徒は痛みで気を失ったようだ。

 その間に、神矢は脱がしたズボンからベルトを引き抜き、脚の付け根辺りを締め付けて止血を施した。

「後は保健室で傷を綺麗に洗い流して消毒してもらえ!」

 矢吹は残りの二人の刺された箇所を見たが、大丈夫だろうと判断した。

 矢吹はへたり込んでいる早瀬の前に、見下ろすように立って言う。

「先生よ、ちゃんと仕事してくんなきゃ困るぜ。今ここで医療の心得があるのはあんただけなんだからよ」

 早瀬は矢吹の言葉に唇を引き締めた。

「わ、わかっているわよ! 九条さん神矢くん、その生徒を保健室までお願いします! 雪野さん、彼の傷口を縫うから手伝って! 他の刺された生徒も消毒するから保健室へ! 動けない人は誰か手を貸してあげて!」

 早瀬はどうにか気を取り戻したようで、的確に指示を出した。

 その後、少ししてようやく落ち着きを取り戻し、神矢は講堂に戻り、一番前で一人座り込んでいた矢吹に近づいて話かけた。

「あの蝿は、刺した箇所に直接蛆を生み付けていたんですね」

 矢吹は神矢を睨み付けるように見あげて、言った。

「そうらしいな。最初の二人は腹と背中を刺されていたからな。ひょっとしてと思って、他の奴らを調べた。確信を持てたのは、足に蛆がいた時だな」

「他の生徒はただ刺されただけだったという事ですか。……蝿の数は三匹という事だった。可能性として、一匹につき産める蛆は一匹のみ……と考えたわけですか」

「まあな。説明しているヒマはなかったから、とりあえず俺の独断と偏見で動いた。言っとくが間違ってるかも知れんぞ」

「それでも一人助けた。凄いですよ。この状況で冷静に対処している」

 矢吹は目をしばたかせて、「は」と鼻で笑って神矢の顔を見た。

「お前も大概冷静に見えるけどな。頭のネジ飛んでんじゃねえのか?」

「……心外ですね。オレはこんな状況を楽しめるような異常者じゃないですよ。先輩とは違います」

「ふん、それじゃあオレが異常者だって言ってるようなもんだろうが。まあ、否定はしねえがな」と、矢吹は面白くなさそうに言った。そして、

「……二人死んだ」矢吹が歯噛みした。「三田と、死んだ生徒の名前は青木だったか」

「仲間だったんですか?」

「話したこともねーよ。顔と名前だけだ。だが、知った顔が目の前で死ぬのは、な」

 息を吐いて、矢吹は神矢を睨みつけた。

「話は以上か? 特に用がねーならあっち行ってろ」

 神矢は矢吹から離れて、講堂を出た。廊下の窓から暗くなった外を見る。

 この地底のジャングルは一体何なのだろうか。

 蜘蛛といい、ムカデといい、ミツツボアリといい、今回の蝿といい知っている常識がことごとくひっくり返されている。

 常識に捉われていては足元をすくいとられ、簡単に命を奪われるだろう。

 既にムカデの件と今回で、六人が命を落としている。この先何人が生き残れるのだろうか。

 そこに果たして自分は含まれているのか。

 神矢は不安を潰すように拳を握りしめた。

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