十七話 処遇

 地底世界の夜は、地上の夜よりも明るい。

 かなり上方にある岩の天井は、一部が星が煌めくように光り、その他の部分も淡い幻想的な光を放っている。

 洞窟内も真っ暗闇ではなく、周囲の岩壁が淡く光っていて眠りにつくのには丁度いい暗さだった。

 そんな中、足音を立てないように数人の人物が動いていた。

 向かう先は、洞窟奥の三叉路の中央だった。そこは少し進めば行き止まりで何もない少し開けた空間だ。彼らの一人が、中央の通路を少し進んだ岩壁へと身を隠し、残りは奥で待機した。

 彼らは、ひたすら時が来るのを待った。

「夜は冷える。必ず誰かはトイレにやってくる筈だ」

「成る程。そこをいただくってわけっすね」

「誰が来るかな? 誰が来るかな?」

「さしずめ女ガチャだな」

 そして、通路から誰かがやってくる足音が聞こえた。

「……来たぞ。よし、今だ!」

 一人が飛び出して、その女の手を掴み引き寄せる。そして、間髪入れずに手で口元を押さえて声を封じた。

「静かにしろよ? 静かにしないと」

 別の一人がナイフを彼女の顔の前でチラつかせた。

「って、鮎川先生じゃねーか。うはは、やったな。大当たりだぜ」

 鮎川は彼らを睨みつけた。いや、もう正体はわかっている。昼間、下衆な話をしていた男子生徒、戸狩、芦尾、村田だ。

「何か言いたそうだな、先生。手を離してもいいけど、大声は出すなよ?」

 ナイフの腹で鮎川の頬をペチペチ叩く芦尾。彼女を羽交締めにしているのは戸狩だ。

「……あなたたち、こんな事していいと思ってんの?」

 強気な態度を取ろうとする鮎川に、男子たちは興奮した面持ちで鮎川の身体を舐め回すように見る。

「先生は最後にエッチしたのっていつ? そろそろ男が欲しいんじゃない? ほら、こんな状況なんだからさ、我慢は良くないよ?」村田が下卑た笑みを浮かべた。

「あなたたちいい加減に……」

「お前ら、俺の言葉を忘れたのか?」

 生徒たちの後ろから、菅原が現れた。

「最初にヤルのはオレだって言っただろう。鮎川先生なら尚更だ」

「菅原先生……」鮎川は、彼を睨みつけた。

「あなたが生徒たちを焚きつけたのでしょう? 教師としてあるまじき行為ですよ」

 そんな鮎川の言葉はもう菅原には届いていないようだった。

「鮎川先生も俺の事が好きな筈だ。この筋肉に惚れない女などいない。さあ、鮎川先生、オレと愛し合いましょう!」

 鮎川はため息をついた。

「残念です。みんな、お願いします!」

 その言葉に、通路から次々と女子たちが姿を現した。全員手には短めの竹槍が握られており、その尖った先端を菅原たちに向けた。

「な、何だ! いったいどうなっている!」

 慌てふためく男子たち。いくつもの竹槍を向けられて手を挙げるしかないようだった。

「こ、これは一体?」菅原も動揺している。

 そんな彼らに女子たちは非難の声をあげた。

「あんたちサイテーよ! 人間のクズよ!」

「無理矢理やろうとするなんて、女の敵め。あんたたちにやられるくらいなら死んだ方がマシだわ」

 唖然とする菅原たち。

「何で我々の事がわかったんだ……」

「彼らが教えてくれたのよ」

 そう言って、鮎川は女子たちの後ろにいた神矢たちを見た。

 神矢の他には九条と矢吹がいる。

 午後の作業をしている時に、神矢と九条は、休み中の出来事を矢吹に話して相談し、さらに、その事を女子部屋の女子を全員集めてもらい注意喚起を呼びかけた。

 何かあれば直ぐに矢吹に言うように伝えたが、彼女たちは憤慨して自分たちも戦うと決めた。

 そして、菅原たちが動き始めたのを見て、神矢たちがそれを女子たちに伝え、囮として鮎川がかって出たというわけだ。

「鮎川さんも無茶しますね……」九条は呆れ顔で言った。

「生徒に危険な事をさせるわけにはいかないですから。生徒を守るのも教師の仕事です」

 二人はお互いの顔を見て、笑みを浮かべた。

「そこそこそこぉ! 何良い雰囲気になってんだ! あ、鮎川先生は俺に惚れて──」

「そんなわけないでしょう! 誰があなたみたいなデクの棒を好きになりますか!」

「で、デクの棒?」

「そうでしょう! 自慢の肉体が傷つくのがイヤだって言って、外の探索にも行かないでただ鍛えているだけで何もしないのは、ただのデクの棒以外の何者でもないでしょう!」

 そうだったのか。神矢は基本探索に出ていたから、菅原が何をしていたかなんて知らなかったし、別にどうでも良かった。

「お、俺はいざという時の為に身体を鍛えていて」

「今がそのいざって時でしょう! 生徒たちが危険を承知で生き延びる為に食糧の確保や、生きる為の知恵を振り絞っている時にあなたは何もしていないじゃないですか!」

 鮎川の指摘に、菅原の顔がだんだんと怒りに染まっていく。それに気づいた九条は、鮎川の近くに近づいた。

「挙句の果てに男子生徒を焚きつけて女子を襲うなんて。そんな人を好きになれるわけがないでしょう!」

 鮎川の言葉は正論である。だが、時に正論は、相手によっては怒りの起爆剤になる。菅原がそうだった。

「黙れ! この雌豚がぁ!」

 竹槍を構える女子たちが、菅原の怒声に思わず身をこわばらせて下がった。その隙を逃さずに、菅原が鮎川へと覆いかぶさるようにして襲い掛かる。

 が、その間に九条が入った。

「どけぇ!」

 九条の顔面目掛けて、菅原が大ぶりで右拳を振るった。確かに筋肉は凄いが、所詮ただ鍛えただけの筋肉。動きを重視した筋肉のつき方は違うため、菅原の動きには無駄が多い。それが、素人目にでもわかった。

 九条は菅原との距離を半歩詰めてその腹に拳を叩き込んだ。

 菅原の拳の勢いが衰え、やや前のめりになった所に、今度はその横面に拳を叩き込む。よろけたところで、片腕を取り背中側へと捻り上げて、そのまま地面へと押し倒した。

 文句のつけようがない九条の完全勝利だった。



 菅原たち四人は、洞窟の入り口近くで、太く頑丈な蔦に身体を腕ごと縛られて、横に並べて座らされていた。

 その前には、洞窟組の全員が揃っている。

 騒ぎを聞いて駆けつけてきた男子たちには既に事情を説明してあった。

「菅原がこんなクソ野郎だったとはな。見下げ果てたヤツだ」

「テメェのような人間が教師だなんて世も末だな」

「……芦尾、村田、戸狩、お前らはいつも、女の話ばかりしていたよな。いつかこんな事をしでかすんじゃないかとオレは思っていたよ」

 次々と菅原たちに非難の言葉を浴びせる男子たち。

 非難された戸狩たちは、慌てて弁解した。

「違うんだよ! 俺たちは菅原に唆されただけだ! 出来心だったんだよ!」

「そうだよ! 悪いのは菅原だけだ! 俺たちはなにも悪くない!」

 責任を全て菅原へと押し付けようとする。

「黙れ。殺すぞ」矢吹が殺気を込めた視線で、彼らを黙らせた。「……くそどもが、イヤな事を思い出させやがって」小さく矢吹が呟いたのを、神矢は聞き取った。

「で、こいつらどうする?」

 矢吹が女子たちを見て尋ねた。

「決まってるでしょう! 今すぐ追放よ追放! こんな奴らと同じ空間にいたくないわ!」

「そうよそうよ! このまま置いといたら、またいつ襲われるかわかったもんじゃないわよ!」

「犯罪者は繰り返すって言うもんね! 追放以外は認めないわ!」

 未だ怒りが収まらない女子たちの意見に、男子生徒たちも同調した。彼女たちがまだ竹槍を装備しているため、逆らえない雰囲気もあった。

「そうだそうだ! こんなヤツらは百害あって一利なし! 追放に賛成!」

「まあ、当然の処置だろうな。戻ってきても絶対に入れんじゃねーぞお前ら」

 満場一致だと思われたが、それに賛同しない人物もいた。

「みんなの気持ちは分かるが、追放はやめといた方がいい」

 そう言ったのは九条だった。そして、

「わたしも九条さんの意見と同じよ」と、襲われた鮎川当人もそう言った。

 驚くべき一同。

「先生なに言ってんの! 襲われたんだよ!」

「みんな聞いて」鮎川が生徒たちの顔を見回した。

「確かに、菅原先生は酷い事をしようとしたわ。決して許されない事よ。わたしも許すつもりはありません」

「だったら!」

「今ここで、夜のジャングルに菅原先生たちを追放したとして、彼らは無事に生きていけると思う?」

 その問いに、顔を見合わせる一同。

「まあ、猛獣やらデカい虫に襲われて死ぬかもな」

「でも死んでも自業自得じゃん」

 菅原たちが死ぬ可能性は皆わかっているようだ。

「死ぬかもしれない危険なジャングルに放り出して、彼らが命を落としたら、それは私たちが彼らを死に追いやった事になるのよ。わかってる?」

「そ、それは」

「この先、探索を続けていて、ひょっとしたら、彼らの死体を発見することになるかもしれない。それを見た時、あなたたちはどう思う?」

 皆それを想像したのか絶句した。

「例え彼らがどうなったのかわからなくても、後々になって必ずあなたたちの心にしこりを残すわ。わたしは、あなたたちに後悔して欲しくないのよ」

 鮎川の言葉に、全員が黙り込んだ。

 神矢は言いそびれていたが、最初から追放には反対だった。鮎川の言う通りだったからだ。菅原たちが追放によって命を落としたとして、こんな奴らのために罪の意識を覚えるのは真っ平だった。

 九条がぱちぱちと拍手した。

「さすがは先生。お見事です。仰る通りだ。こんなヤツらの為に、君らがつまらない業を背負う必要はないんだよ」

「九条さん……」

 鮎川と九条の視線が交わり、そして鮎川の頬が少し赤くなったように見えた。

「……あれ? あれれ? 先生、ひょっとして……」

 女子の一人が鮎川の顔の変化に気づいて、何かを言おうとしたのを、鮎川は慌てて咳払いして誤魔化した。

「とにかく追放は無し! わかった? 他の案を考えましょう」

 皆、納得したようだ。

 神矢は菅原を見た。俯いてその表情は見えないが、頬に力が入っているように見える。歯を食いしばっているようだ。

 鮎川の九条に対する思いに気づいて腹を立てているのだろう。醜い男だ。

 処遇について話し合っていると、突然洞窟の外から大きな声がした。見張りの誰かだろう。

「猛獣が出たぞ! みんな持ち場につけ!」

 次から次と問題が発生する。神矢たちは洞窟の外へと出て警戒態勢をとった。

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