六十三話 巣穴
木の横手からのそりと巨大な影が姿を現した。ラーテルベアだった。
完全に油断していた。まさか、待ち構えていたとでもいうのか。
「に、逃げ」林が後ろを振り返り走り出そうとしたが、その前にももう一体のラーテルベアが姿を現した。
前後に挟まれる形に出現したラーテルベアたち。
黒河が、「ハハ、完全に詰んだね。コレ」と乾いた笑みで言った。
ラーテルは気性が激しく恐れ知らずで有名だ。ライオンだろうが水牛だろうが出くわす相手に対してところ構わず喧嘩をしかけ、小動物なども襲って食べる。
神矢たちも、目の前のラーテルベアにとっては食用の小動物としか映らないだろう。
今度こそ絶対絶命の危機。
背中を汗が伝い落ちる。
冗談ではない。こんな所で死ぬつもりは毛頭ない。
神矢は、サバイバルナイフを構えて、ラーテルベアを睨みつけた。勝算など皆無。普通の人間がこんなのを相手に生き残れる可能性は、ほぼゼロだ。だが、やらなければ、足掻かなければ、本当にゼロになってしまう。
九条も隣で弓矢を構えようとした。
ラーテルベアと目が合う。……ふと、その目をどこかで見たような気がした。警戒はしているが、敵意が感じられない目。──そうだ。巨狼の時と同じなのだ。どこか知性を感じさせるような目で、神矢たちの動向を探っている。
「……九条さん、武器を下ろして下さい。おそらく、大丈夫です。コチラに危害を加える気は無さそうだ」
言って、神矢はナイフを腰にしまった。
「神矢くん! 正気か! 相手は危険な猛獣だぞ!」
反対する九条だったが、神矢の目を見て、ため息をついた。
「……あーもう、君がそう言うなら信じよう」言って弓矢を下ろす。
「あんたら正気か! お、俺はまだ死にたくないぞ!」
「林先輩、この二人がそうするって決めたんだ。大人しく従おうや」
黒河が林を宥めた。呼び方が、先輩に変わっていた。先ほどのケンカで、自分より強いとわかったから態度を改めたのだろう。
神矢たちはジッとその場で、ラーテルベアたちと対峙していた。
ラーテル側もこちらに敵意がないのを確認すると、踵を返して、背中越しにコチラをチラリと見て歩き出した。
意図が分からず立ち止まっていると、後ろのラーテルベアが鼻先で神矢の背中を軽く押した。
「……ついて行けって言ってるのか?」
「はは、そんなバカな……」
林が引き攣った笑みを浮かべる。そんな林にも、ラーテルベアは鼻で背中を押した。
「ヒィ! わ、わかった! 行けばいいんだろ!」
そうして、神矢たちは前後を挟まれる形で移動を始めた。
サバンナと森林の境界あたりを進んで行くと、地面に大きな空洞があり、そこにラーテルベアは入って行った。
ラーテルはミツアナグマとも呼ばれているアナグマの種類だ。ここは、ラーテルベアたちの巣穴なのだろう。
穴の大きさは、人間でも立って歩いて余裕で入れるものだった。その穴へと、神矢たちは連れて行かれた。
中は意外と明るかった。拠点の洞窟よりは劣るものの、特に視界に困ることはなかった。やはり、ここでも所々に光る岩が点在していた。
「……ああ、俺たちはこいつらの巣穴できっと生きたまま餌にされるんだ」
林が絶望の声を出している。
そう言われると想像してしまうからやめて欲しい。
少し進むと、広めの場所に出た。そこから、三方向程に分かれて空洞があり、その一つに前のラーテルが進んで行く。
さらに奥に進む。枝分かれした道を右へ左へととにかく進む。どれだけの枝分かれした道を進んだのか。神矢は脳内である程度のマップを描いて、焼き付けていった。
相当長く広い巣穴だった。
「……いったいどこまで行くんだ?」
疲れた声で九条がぼやいた。体感時間で、およそ一時間半程は歩いたのではないだろうか。
ラーテルたちはいったい何をしようとしているのか。何故、神矢たちを襲わずにここに連れてきたのか。
「……終わりだよ。俺たちはここで死ぬんだ。……そういや、このクマ、どっかで見た気がするんだよなぁ……。コブラの時じゃなくて……。どこだったけなぁ。まあもう死ぬからどうでもいいかぁ」
「林先輩うるさいっすよ。こっちには、悪運の強い神矢さんと九条さんがついているんだ。今回もきっと何とかなるっしょ」
頭の後ろで手を組んで呑気に黒河が言う。
「そんな期待をされても困るんだが……」
神矢と九条は視線を合わせて、ため息をついた。
やがて、少し勾配のある通路になった。上の方に向かっているようだ。
「……あれ、出口じゃないか?」
ラーテルの前方方向を見て神矢は言った。光が見えている。
そのまま進んで行って穴から出ると、そこはジャングルらしき場所へと通じていた。
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