九話 自然の掟

 地底生活二日目。

 講堂内で一人で菓子パンの朝食を取っていると、鮎川の声がした。

「……あんたたち、野上君の食料取ったらダメじゃない」

 そちらを見ると、一年の男子生徒三人組のところに鮎川が注意しているところだった。

「いや、野上がくれるって言ったんだ。な? 斎藤」

「そうそう。腹減ってないから自分のも食べてくれって。あ、最初断ったんだぜ。だけど、どうしてもっていうから」

 鮎川は野上という生徒に目を向けた。

「そうなの? 野上君」

 鮎川から見えない位置で、二人の男子は険しい顔になり野上を睨み付けていた。威しをかけているらしい。

「……はい。気分が悪かったから」

「そう……。だとしても、大切な食料なんだから自分の分はしっかり確保しなきゃダメよ。それと斎藤君も池田君も」

 鮎川が二人に顔を向けた。その時には、二人はすでに普通の顔になっていた。

「友達だったら、ちゃんと協力しないと」

「わかってるよ。俺たち親友だし。な?」

 二人は野上と肩を組んだ。野上は「…うん」と力ない笑みで頷いた。

 鮎川が去った後、斎藤と池田は野上に「グッジョブ」と親指を立てていた。

 ここでも弱肉強食か、と神矢はため息をついた。

 短髪で四角い輪郭の男子が池田。斎藤は面長で細い目をしている。

 いじめを受けている野上は、前髪が長く、目もとがよく見えない。やや小柄な体格で猫背で態度からして頼りない感じがした。

 神矢は気にせず、朝食を食べ終えた。

 その後、少しして再び探索を開始することになった。昨日よりも人数は多く、五人で六グループになった。

 神矢たちの取ってきたミツアリの蜜をもっと欲しいと言う生徒が多かったのだ。

 甘い物に群がる蟻ならぬ、甘い物に群がる人。

 こんな事もあるだろうと思い、神矢たちはミツアリの居場所はよく覚えていないと誤魔化していた。それに、おそらくもう移動して、その場にいないだろうという事も伝えた。

 その理由は簡単だ。必要以上にミツアリの蜜を採取すれば、ジャングルの危険性が増す可能性があるからだ。

 海外でのミツツボアリの農場は人の手で管理されているが、ここでは違う。ここは自然界で、あれだけの蜜を蓄えるアリは、おそらく他の昆虫や動物へ供給しているのではないかと神矢は考えた。その供給を断てば、この密林の生態系に関わり、やがて自分たちに返ってくるかもしれない。

 午前九時。

 神矢は昨日と同じく鮎川、九条、雪野、兵藤の五人で探索を行うことになった。

 他の班を見ると、先程の斎藤、池田、野上の姿があった。

 斎藤と池田は、金属バットを持っていて、野上は彫刻刀だった。

「お前にピッタリの武器だな」

 斎藤が言って二人で大笑いしている。

 くだらない連中だ。神矢が冷ややかに二人を見ていると、彼らはその視線に気付いた。

「なんすか? 先輩?」

 神矢は相手にするだけ時間の無駄と思い、彼らから目を逸らした。それを二人は何か勘違いしたようだ。

「何だあいつ。俺らにびびってるぜ」

 笑みを浮かべそう言って、彼らは探索へと向かった。

「生意気な一年ね」

 雪野がその後ろ姿を見て言った。一部始終見ていたようだった。

「文句言ってやろうかな」

「いいよ。相手にするだけ時間の無駄だ」

 神矢の言葉に雪野は苦笑した。

「大人というかクールというかドライというか……。教室にいた時からそんなんだったわね」

「別に普通だと思うけど」

 神矢が適当に答えると、「ほら、そういうところ……」と、指摘された。

 そんなやりとりを見て九条が笑い「よし行くか」とみんなに声をかけ、神矢たちも探索に向かった。


 

 神矢たちは、昨日探索した場所まで自分たちがつけた木の目印で辿り、さらに奥まで進んだ。

 今いるメンバーは四人。兵藤は途中で腹の具合が悪いということで、途中でリタイアした。

「まるでRPGだな。誰かマップとか作成していないのか?」

 九条の言葉に、神矢が答えた。

「ノートで作成中です」

「おお、素晴らしい。君のジョブはマッパーだったのか」

「……違いますよ。ただ必要だから描いているだけです」

「ちょっと見せてくれ」九条が神矢のノートを覗き込み、「……なるほど。うん、個性的で独特だな」と、苦笑いをした。

「下手なのは自覚してますよ」

「え? 見せて見せて」雪野と鮎川も神矢の絵を覗き込み……視線を逸らした。

「人には向き不向きというのがあるのよ。気にすることないわ」

 フォローする鮎川。雪野に至ってはかける言葉が思いつかなかったのか、

「また何か美味しい物ないかな?」と周りを見回していた。

「あ、あれ、さっきの一年たちじゃない?」雪野が指差して言った。

「斎藤君たちのグループね。三人だけだけど、他の人たちとはぐれたのかな?」

 鮎川が小首を傾げる。

 野上がラグビーボール程の、葉に包まれた実のような物を腕いっぱいに抱えていた。今にも零れ落ちそうだ。

「あれ、食べ物かな? ねえ! あんたたち!」

 雪野が声をかけて、三人に近づいた。仕方なく、神矢たちも近づく。

 三人は驚いて、こちらを見た。

 野上の持っていたのを間近で見て、神矢は眉根を寄せた。

 鳳仙花の実のような形をしている。

「斉藤くんたちからもらったんだ。食べれそうだから、くれるって」

 嬉しそうに、野上は言った。

 斉藤と池田は顔を見合わせ、笑みを浮かべた。そして、少しずつ後ろに下がって距離をとった。

「へえー。これ、食べれるの?」

 雪野がその実を触ると、抱えていた野上の腕から一つこぼれ落ちた。

 ダッシュで逃げ出す斎藤と池田。

「ん?」九条が怪訝な声を出すのと同時。地面に落ちた実が突然弾け、黄色い粉を撒き散らした。

 目と鼻がむず痒くなり、何回もくしゃみが出た。目からは涙が出て止まらない。突然花粉症にかかったかのようだった。その後も、野上が抱えていた実が全て落ちて、さらにいくつかが弾けた。

 離れた場所からその様子を見て、斎藤と池田は大笑いしている。

「やったやった! 見事に引っ掛かりやがった! 見ろよあの顔!」

「だ、駄目だ。笑いすぎて腹痛い」

 神矢は涙目で彼らを睨みつけた。

 その横で野上がくしゃみしながら何やら呟いていた。

「……ちくしょう。仲直りの印って言ったのに…何でこんなことするんだよ。俺が何したっていうんだ」

「ちょっと何なのよ! もう最低!」雪野、鮎川もくしゃみやら涙やらで顔がくしゃくしゃだ。

 神矢は弾けた実を見た。やはり鳳仙花の一種なのだろう。中身は黄色い粉と一緒に種も入っていた。

「あー面白かった」

「じゃあなー」

 二人はその場を去ろうとした。

「ま、待ちなさい!」

 呼び止める鮎川。

 その時、神矢たちの近くの茂みががさがさと動いた。

 茂みの間から獣の黄色い眼が見えた。

 最悪のタイミングだ。

 そいつは茂みからのそりと現れた。

 黒豹。体長は一般的に知られる地上での豹と変わらないが、その危険性もおそらく変わらないだろう。

 全員身構えたが、涙で前が見えない上、くしゃみが止まらない。最悪の状態だ。

「やべぇ! 逃げろ!」

「あいつらを襲っている間は時間が稼げるぞ!」

 斎藤たちは、その場から逃げ出した。

「くそ! あいつら!」九条が歯噛みして、逃げる二人の背を睨みつけた。

 神矢と黒豹の眼が合った。豹は頭を下げ、姿勢を低くし今にも飛び掛かりそうな体勢をとった。

 手にサバイバルナイフを持ち、構える神矢。だが、涙とくしゃみが止まらず、まともに戦える状態ではない。

 背中を冷たい汗が伝う。

 突然豹がくしゃみをした。二回、三回。眼も痒くなったのか、前脚で顔を掻く。

 まだ先程の粉が舞っていたらしい。どうやら豹にも効果覿面のようだ。

 豹は目線を神矢たちから、逃げ出した斎藤たちへと向けた。

 そして、地面の土を舞い上げて、猛スピードで追い掛けた。

「な、何でこっちくんだよ!」

 悲鳴を上げ、必死に逃げる二人だが、豹の駿足には敵わない。

 豹が飛び掛かり、斎藤の背中に鋭い爪を食い込ませ、そのまま押し倒す。絶叫が森に響いた。が、すぐにそれは消えた。

 豹が斎藤の喉元をくわえ、へし折ったのだ。だらりと首が曲がり、その目が池田を見た。

「斎藤!」

 悲鳴を上げる池田。その彼の背後からもう一頭が姿を現し、彼を押し倒した。

 そして、彼の喉笛を噛み切った。

 ひゅーひゅーと、空気が漏れるような呼吸音をだし、そして池田は息絶えた。

 わずか数秒の出来事。

「何! 何がどうなったの!」

 雪野は目を擦った。涙でよく見えなかったらしい。

「今のうちだ……。逃げるぞ!」

 神矢は雪野の手を掴み、走った。その後ろを九条が同じように鮎川の手を掴みついてくる。野上も必死でその後をついてきた。

 豹は追い掛けて来なかった。獲物は確保したのだから満足したのだろう。

 しばらく走り続けていると、少し開けた場所に出た。

 突き当たりは岩の壁だが、その間からは綺麗な水が流れ出ていた。

 走ったのと先ほどの花粉のせいで喉が渇いていた。すぐに、その水を口に含んで飲んだ。

 本来なら菌がいる可能性も考えて、煮沸消毒したかったが、そんな事を言ってられなかった。

 雪野も鮎川も九条も野上も、水を飲み、目を洗った。

 そして、ようやく一息ついた。

「……いったいどうなったの? 豹は?」

 雪野が不安な顔で訊いた。

 鮎川は目を伏せ、口元を手で覆った。彼女は二人の死に様を見たのだろう。

 九条が雪野の質問に、「二人は豹に殺されたよ」と告げた。

 絶句する雪野。

「あいつらがいたずらに使ったあの鳳仙花のような実が、俺たちを救ったんだ」

 神矢は言った。

「……自業自得だよ」

 野上が吐き捨てるように言った。

「あいつら、同じクラスになって最初仲良くしていたのに、段々と俺を苛めるようになってたんだ。今日の朝食も、実はあいつらにとられたんだ。でも、こんな状況だからケンカしてる場合じゃないって思って我慢して……。それで、さっきあの実をくれるって言って…仲直りの印だって…。こんな状況だからわかってくれたんだと思った! でもそうじゃなかった! あんな奴ら死んで当然だ!」

「お、おい、落ち着け」

 九条が野上を宥めた。

 鮎川が教師の顔になり野上に何か言おうとしたが、神矢はそれを手で制した。

「何言うつもりですか? 死んで当然なんて人間なんてとか言うつもりですか?」

「その通りよ! 彼らはまだ十六歳だったのよ! 野上くんに酷いことをしたかも知れないけど、だからと言って死んでいいわけないじゃないの!」

 神矢は鮎川の目を真っ直ぐに見返した。

「立場的にはわかりますけど、奇麗事言ってる場合じゃないんですよ。それこそこの状況だし、あいつらに起こったことは明日のわが身にもなりかねないんです。実際、あの弾ける実がなかったら、俺たちが豹の餌食になってたかも知れない」

 それに、野上の気持ちはよくわかるしな、と内心で付け加えた。

 鮎川は神矢から視線を逸らして、唇を噛み締めた。

「でも、彼らの犠牲は無駄じゃなかった。それに関しては感謝しましょう」

「どういうこと?」怪訝な顔する雪野。

「あの鳳仙花みたいな実だよ。あれは、猛獣撃退用に使える」

「……なるほど、確かにな」九条は顎に手を添えて頷いた。そして、神矢を見て言う。

「それにしても、君は本当に冷静だな。本当に高校生か?」

 その目に浮かぶのは、軽蔑か畏怖だろうか。

「嫌味を言っているんじゃないぞ。むしろ、感心しているんだ。だけど、あまり無理はしない方がいいぞ」

 気遣うような言葉に、神矢は戸惑った。

 無理をしている? 俺が?

 そんなつもりはない。だが、何故か動揺している自分がいた。それを誤魔化すように、神矢は湧き出ている水に目を向けた。

「……これで水も確保できましたね。一休みしたら戻りましょう」

 特に異論はなかった。

 

 

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