100 君が生まれた

 



 全部が終わった、とは到底言えるわけじゃない。

 たしかにあのとき世界樹は少しばかりの息吹を芽生えさせた。けれども結局、今ある葉が枯れていくのは事実なわけで、新たな枝は、新たな大地と人々になって、進んでいく。


『魔族は、次の世代となる人間だ……』


 魔道の塔の一室で、ヴェジャーシャは語った。


『繰り返しは、たしかに終わった。国に根付く世界樹が形を変えたことで、物語は歪んでしまったのかもしれない。私は、この先の物語を知らない』


 これから先、どうすればいいかもわからない、と声を落として、彼は消えた。マルクとともに、どこかに旅立ってしまった。未だに魔族に対しての偏見は、どこにでも存在する。その全てをすくい上げることは難しいだろうけど、どこまでも旅をしていくのだと言う。


 攻めてきたヘイルランドの兵が消えて、から、一週間ばかりがすぎた。ヴェダーやクウガ達は、事後処理に奔走している。ヴェダーはしきりにイッチ達の手を握ろうと四苦八苦して、サンにそこはお尻よとまた叫ばれていた。イッチ達の結界に守られていた彼は、気づくと道のど真ん中に転がっていたらしい。放置するだけ放置して去っていくとは、中々に鬼畜な方々である。死んでしまうよりもずっとマシだったとヴェダーは笑っていたけれど。


 カーセイの塀の上から広がる大地を見つめた。あのとき、私達が見た花は、驚くべきことに世界各地に降りしきったらしい。けれど、ヴェジャーシャが残した言葉が、どうしても気になった。ロータスも私の隣で、ぼんやりと空を見上げている。ヘイルランドが去った今、水膜球は、以前と同じ形に作り変えられている。魔道具の寿命を永らえさせるためらしく、ゆらゆらと、頭の上ではカンテラが揺れていた。


「ねえロータス」


 おう、と返事をする彼の反応は、いつもよりも随分遅い。イッチ達は、きゃっきゃと楽しそうに鬼ごっこをしているらしい。


「魔族が、新しい人間なら、今いる“人間”という形は、いつか少しずつ数を減らしていくのかな」


 魔族が国を滅ぼすのではなく、滅んでいるからこそ、魔族が生まれた。枯れた世界樹は、新たな枝を生やす。そこから生まれてくる人々は新しい人達だ。

 枯れた世界樹から、人が生まれることは、長い時間をかけてなくなっていくのだろう。それって、「私達と、人との関係が、逆転してしまうのかな?」 どれだけ遠い未来なのか、わかりはしないけれど。

 たくさんの魔族の中に、人間は少しだけ。想像するのは難しいけれど、ありえる話だ。


「いつか、人が魔族に差別される時がくるのかな……」


 さあな、とロータスは返答した。

 そうだ、未来のことなんて、わかるわけがない。全部ただの想像だ。でも、そのことを考えると、ひどく不思議な気持ちになった。私の心の中にいるエルドラドは、ざまあみろ、と言っているような気がする。でも私個人としては、そうならなければいいと思う。人と魔族が手を合わせて、それぞれが個性なのだと思うときが来たらいい。


「魔族は、ただの新たな可能性なのかもしれないね。そうだったら、いいのにね」


 と、呟いたところで、「当たり前でしょ」と声が聞こえた。結子だ。どうやら私達を探していたらしく、ロータスを見つけて、瞳を輝かせて、すぐに表情を曇らせた。彼女の後ろには、もちろんナバリさんがいる。

 結子は、ヘイルランドとの戦いの際も、ずっと部屋にこもりきっていたらしい。そのことに対してもちろん非難するつもりはない。彼女の存在は争いの火種となったけれど、もともと結子だって巻き込まれた人間だ。イレギュラーに外の人格を保ったまま召喚されたのは、世界樹と聖女のリンクを外すためのヴェジャーシャの仕業だったわけだし、同情すべき点は多い。


 なので、「あ、久しぶり」ととりあえず声をかけた。ふんっと結子は鼻から息を出して、ぷいと顔をそらす。……まあ、もろもろの感情と現状は別だよねと思いつつ、「それで、当たり前ってなんのこと?」 私の言葉に、結子が話した言葉だ。


 結子は腕を組んで、そっぽを向いたまま、じろっと私を見下ろした。「そんなこともわからないの? ほんとにプレイヤーの片隅にもおけないっていうか」とまで言ったあとに、自分の口を苦々しく歪めた。多分、彼女としても思うところがあるんだろう。


「……知らないなら、仕方ないけど。あなた、自分の名前。考えてもみなさいよ」

「はあ、名前」


 エルですかね、と答えてみると、違うでしょ、と怒られた。


「エルドラド、シャングラ、ピア。あなたはそのままだし、シャングラは、シャングリラ、ピアはユートピア。名前の由来よ。多分制作スタッフ達の遊び心でしょ」

「ユートピア、シャングリラ……聞いたことはあるけど、エルドラド……?」

「エル・ドラード! 黄金郷! あんた自分の名前の由来も知らなかったの!? 全部、どこかにあるかもしれない理想郷のこと!」


 ははあ、と口から変な息が出てしまった。理想郷。新しい世界。そう思って、私達はつくられた。……そうなのだろうか、とやっぱりよくわからない。結子は口元を押さえつつ、ぶつぶつと呟いている。


「そういうなら、ロータスだって、黒い蓮なんて存在しないし、由来的には存在しない同士ってことで何か意味があるんじゃないかとか考察されてたけど、それはあくまでも主流意見じゃないし、ロータスが! もともと魔族側になる可能性もあったとか! 私は認めたくないわけで!?」


 独り言がものすごく大きい。すでにロータスは意識を遠くしていて、ぼんやり空を見上げている。ちょっとは結子を見てやって。「それはどうでもいいのよ!」 カッと彼女は威嚇した。ビビっているのはイッチ達である。鬼じゃ鬼じゃと言いながら、今度は結子から逃げていく。いや鬼ごっこてそれなのか。


「私、帰るから!」

「お、ほう。はい……おつかれ!」

「もうちょっと他になんか言うことないわけ!? もとの世界にって意味よ!」


 結子は吠えた。あ、そっち、と瞬いた。大声を上げて、体を大きく見せている、と思ったら、よく見ると彼女は小さな女の子だ。ヘイルランドが攻めてきたとき、帰りたいと呟いていた彼女の言葉はよく覚えている。そりゃそうだ。「……そっか、おつかれ」 心からのセリフだ。片手を出した。結子はしぶしぶといった様子でそれに応じた。でもすぐに弾き飛ばされた。Oh……。


「でも、もちろんもとの世界に戻るのが一番だと思うけど、帰ることってできるの? クラウディ国をあげて召喚した存在なわけだし、教会も、国も手放すのかといわれると……」


 ゲームでの結子は期間限定の召喚だったからできなくもないように思うけれど、実際のところ話は複雑に入り込んでいる。彼女の意思一つで、なんとかなるとは到底思い得ない。「そのところは」 結子の背後で、そっと気配を消していたナバリさんが、すっと姿を表した。


「聖女様はこの世界に必要な存在ではありますが、争いの火種にもなりかねないと、今回の件で国の者達も把握したはず。私が、責任を持って彼らを説得し、聖女様をお返しします。彼女をお守りする」

「ナバリ……」


 結子は震えながら口元を押さえた。


「えっ、やっぱりよく見ると、イケメンだよね? いいやつだし、嫌いじゃないし、推しは間違いなくロータスだけど、それはおいといて、ここでフラグを立ててもいいのでは――」

「あと正直もう嫁に会いたくて仕方がないんです。クラウディ国に帰りたい」

「既婚者かーーーーい!!!!」


 ツッコミが激しい。結婚しとんのかーーーーい!!! とさらに結子は叫んでブリッジをしていた。元気を出して。



 ゲームの物語は、終わる。聖女は消えて、世界樹は少しずつ枯れていく。けれども、新しく芽吹くものもある。風が、静かに通り抜けた。



 ***



「マルク、少し、待ってくれないか」


 主の言葉に、青年は頷いた。もちろんですとも、と返答する。カーセイの都は、すでにもうちっぽけだ。彼の主は静かに瞳を細めて、去ったはずの都を見つめた。

 マルクは、主の全てを理解しているわけではない。彼は全てに絶望して、故郷に残した妹のことばかりを考えていた。村から逃げ出した自分が、情けなく、悔しくもあった。そのとき手を差し伸べられたから握りしめた。それだけだ。それ以上の理由など必要ない。


「……あんたはあんたで勝手にしなさいよ。私は私で勝手にする、か」


 このところ少しばかり、主は饒舌になった。それは、マルクにとって喜ばしいことのように覚えた。柔らかい表情を作るようにもなった。


「あの子は、多分混じっていた」

「……エルの、ことですか?」

「そう。エルドラドと、誰か別の、他の人間が。本当に、彼女は勝手にしたのかもしれない。誰かの手のひらの上で踊ることを、誰よりも嫌っていたから」


 エルという少女のスキルをマルクはあまり理解していないが、主はそうではないのだろう。静かに風が吹いている。主のスキルを使用すれば、一瞬で目的地にたどり着くことができるけれど、今ばかりは歩いてくことを選んだ。一歩いっぽ、踏みしめていくのだと。


「思い込みを、力に変えるスキル……。ゲームを起動させる度に、新たなプレイヤーがやってくる。その度に、繰り返す十三年を私は苦しんでいた。エルドラドは、いつか来るはずだったプレイヤーの一人の記憶を取り込んで、結子と同じ、異物の一人になったんだろう」


 彼女と結子がいたからこそ、物語は決まったレールの上を進まなかった、と主は説明した。


「彼女は、自分の記憶を前世だと思っているかもしれないけどね。まあ、全部ただの想像になるけれど。結局、彼女に聞かなければ何もわからないし、聞くべき相手はもういない。エルドラドという女は消えてしまったのだから」

「……自分自身も消してまで、抵抗したと?」


 ひどく理解ができないことだ。けれども、主は笑った。


「そうだよ、彼女は、そんな人間だった」


 自由に生きていた、と呟いて、大きな風が通り過ぎた。





 そのとき、どこかの場所で、一匹の猫が尻尾を丸めてあくびをした。人間達の営みを見た。猫だと思う何かは、瞬くと人に姿を変えて、立ち上がる。両手を伸ばした。ただ彼は、自由を噛み締めた。でもすぐに苦笑した。


「俺さあ、ちょっとあの子に嫌われすぎじゃない?」


 別にしたくてしてたわけじゃないんだけど、ため息をつく。でもそんな彼の姿は、もちろん誰にも見えはしない。「俺はねえ、もうそういう存在なの。決められたルールの中でしか生きられない。悪意とか、善意とか、そんなのないけど。でもさあ人の願いを叶えるうちに、自分の願いだって欲しくなるよね」


 俺って神様なわけだけど、俺は誰に祈ればいいのかな、と首を傾げる。でもまあ、祈る相手なんていないけれど、試しに、叫んでみてもいいかもしれない。誰が聞いているかなんて、わからないけど。誰か、一人でも自分の声が届くのなら。


「やっぱり、ハッピーエンドがいいな! 終わるってのなら、幸せに終わらなきゃ。終わりのない物語は、もうたくさんだ。でも、いつか幸せに終わると決まっているなら、俺はこの世界を、どこまでだって見届けてもいい!」


 いつの間にか、猫は消えてしまっていた。彼はただの、人の願いを叶えるシステムだ。繰り返したルートは、頭の中にしっかりと刻み込まれている。けれど、この先のことはわからない。なんていったって、彼だって経験がないことだから。





 時間が流れる。どこまでも、ゆっくりと、枯れて、生まれて――ころり、と少女がこけた。


 彼女を抱えたのは、一匹のスライムだ。ぽよぽよしていて、大丈夫? とばかりに少女に問いかける。問題ないさあ、とすきっ歯を見せて笑った。金髪で、黒紫の瞳を持つ可愛らしい女の子だ。


「ねえシィちゃん。今日はちょっと、冒険をしてみようか」


 思い立ったような彼女の言葉にやめといた方がいいんじゃない、とぷるりとスライムは震える。


「だってぇ、お兄ちゃんはお父さんと街に行ったし、お母さんはイッチちゃん達とお仕事してるし。お留守番ってつまんなくない?」


 そんなことはないんじゃない? とぷるぷるするスライムに、そうかな、と考えてみる。することはたくさんあるよ、と教えてくれる。お花はとっても綺麗だし、葉っぱの絨毯に転がってもいいし、お水で足をぱしゃぱしゃとさせてもいい。


 そう言われてみると、なんだかとても楽しくなってきたような気もしてきた。「それも一つの冒険ともいえる!」と自分でとりあえず納得して、拳を握る。少女の背の後ろを、ぴょんぴょんとスライムが跳ねた。気持ちのいい風が吹く。両手を広げて、ころころと原っぱを駆け回る。それからまたこけてしまった。スライムを下敷きにして、カラカラと女の子は笑った。


 どこまでも、青い空が広がっている。

 聞こえてくるのは、楽しげな笑い声だ。

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