19 「ホワチャアッ!」 「い、いてえ!?」

 魔族、とロータスはしっかり呟いた。聞き間違いではない。私はぱくぱくと口を開けて、ロータスと向かい合った。今の私のお目々はばっちり赤目で、その上背中には羽が生えている。そりゃ魔族だ。なんてこった。

 飛行スキルは慌ててオフにしたからすぐさま羽は消えたけれど、今更遅いに決まっている。


 空は雲の合間から、ときおりぼんやりとした月明かりが落ちた。そして道にはぽつぽつと街灯が並んでいた。夜になると勝手につくというお手軽なものではなく、夕方に近づくと、はしごを持った男の人がひとつひとつ、灯りに火をともしていく。だからたくさんあるわけではないけれど、残念なことにはらぺこ亭の前にはしっかりと一本の街灯が私達を照らしていた。


 街の人たちにはなんてことのないものかもしれないけれど、前世での記憶も、村育ちのエルドラドの記憶にもない仕事だ。きこきこ音を立てながらガラスを開き、火を灯す仕草はなんとも面白いものでイッチ達と頬を合わせるようにわくわくと見つめていたのに、今はそれが恨めしい。しっかりと私の痴女スタイルを照らしている。谷間がすごい。いや違う。問題はそこじゃない。いやそこも大問題なんだけど。「ふえっ……」 ぶるっと震えた。


「ぶえっくしゅゥ!!!」


 力強いくしゃみをしたあと、間をあけて、はっとした。視線を下ろせばロータスの腰元には、普段と変わりなく二本の剣がさされていた。おうふ、とあまりの展開に現実から逃げ出してしまいそうになってしまった。魔族がこんにちはと兵士と見つめ合っている。正直なところ、ピンチなことこの上ない。一体、なんでこんなことに?


 ――――まさか瞳の色まで見えるわけもないから大丈夫大丈夫


 なんでこんなフラグみたいなことを考えてしまったんだろう。打ちつけた顔がひりひりして正直泣きそうになったけれども、そんなわけにはいかない。


「だい、じょう、ぶ、か……?」


 実のところ、ロータスも大層困惑している様子だった。当たり前だ。見上げると屋根の上におかしな女がいた。なんじゃありゃとなって、見上げたらまさか頭から降ってくるとは思わないだろう。飛行スキルがなければあわや大事故一歩手前だ。っていうか普通顔面から落ちる?


 自分自身への呆れや悲しみが渦巻いている間に、ロータスは大きな手をこちらに向けてくれた。人よりも少し背が高い程度の彼だけれど、手のひらは随分大きい。剣を扱う人だからか、硬い手のひらにどきりとしながら私はひっぱられつつ、ゆっくりと立ち上がった。


「え、あ、ありがとう、ございま……」


 そこまで言ってハッとした。私魔族なんですけど。ロータスは兵士なんですけど。

 モンスターなんて目じゃないほどに、悪、即、斬! な世界観である。考えるよりも先に行動していた。


「ホワチャアッ!」

「い、いてえ!?」


 エル は 恩を 仇 で 返した !


 ロータスの手首に、できる限りの手刀を叩きつけた。

 本当にすみませんという気持ちと、とにかく逃げねばという気持ちがぶつかり合って、「大変、申し訳、ございませんッ!!!」 叫びつつバックステップを踏むという奇天烈な動きとともに、シャアッ! と両手を上げ威嚇した。回収した毛布が、風の中でばたばたと泳いでいる。だめだこれは。


 さすがに何かおかしな空気になりそうだと威嚇を収め、私は彼と見つめ合った。ただただ寒さばかりが体を叩きつけてガタガタする。鳥肌がめちゃくちゃすごい。肌の面積を減らしたい。


「お前……」


 ロータスが、何かを言いかけた。そのときだ。エル~~~! 頭の上で、私にしか聞こえない声でイッチ達が叫んでいる。テイマースキルもレベルが上がったから、顔を見なくても彼らが言いたいことが伝わる。私どころか、イッチたちの姿まで見えてしまっていたら大変だ。屋根の上でぼんやりと光っていた彼らは、賢くも光を抑えていて、ステータスを確認した。きちんと幻影中になっている。大丈夫。


 こっちはいいから、隠れてて!


 イッチ達の声は届いても、私の声は届くだろうか。強く心で念じると、彼らはハッとしたように屋根の上から消えていく。よかった。今度はロータスに向き合った。こんなことをしている暇はない。うん! と気合を入れて、私は走った。あっ、とロータスは驚いた声をあげた。背中にははらぺこ亭だ。でもまさか、まっすぐに帰るわけにはいかない。だから、ロータスにぶつかるように、彼の背後にある通路へ思いっきり駆けたのだ。


 捕まえられそうになったら、だんご虫作戦だ。転がりながら、一瞬幻影で姿を消す。消えるのは一瞬だから、本来の子供の姿を見られてしまう可能性もあるけれど仕方がない! と一か八かで飛び込んだのに、案外サクッと通り抜けた。ほっとして振り返りたくなる気持ちを抑え込んで、そのまま駆けた。とにかく、遠く、遠くへ逃げなければ。ロータスが追いつけないくらいに、遠くへ。





 ――――その日、街には痴女が出たと、まことしやかに噂された。

 腰まである金髪をなびかせながら、ボディコンスタイルの女がそれはもう恐ろしいスピードで、ばさばさと毛布を片手に走り抜けたそうだ。遠目で、顔はよく見えなかったそうだが、とにかく必死な様子は伝わってきた。そして、アッと瞬いた瞬間、消えてしまったという。


 もちろん私のことである。死にたい。


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