38 本日までのおさらい

 

 かぽ、かぽ、かぽ、かぽ……


「で、どこから来たって?」

「クラウディ……いや、レイシャンから」

「あ? 海を越えて来たのか。そりゃ長旅だったなあ」


 はあ、まあ。

 御者の言葉にゆっくりと返事をするロータスの声を聞きながら、ううん、と思いっきり背伸びをした。かぽかぽと馬の蹄が土を踏む音がする。がたがたと揺れる馬車の中で、真っ直ぐ伸びる道を見送った。


「あの子は娘……じゃ、ねえよな。妹さんか?」

「いや、違います。あいつは――――」


 ぱふり、と藁の中に倒れた。ほっぺがちくちくするけれど、両手を伸ばした。「うわあー……」 ロータス達の声も小さくなって、次第に聞こえなくなってきた。びっくりするくらい、空が青い。ときおり流れる雲は細くて、ゆっくりと風の中を泳いでいく。


「空が、あおーい……」


 呟いた言葉は、広い空の中に吸い込まれた。どこまでも、まっすぐに道が続いている。遠くで砂埃が舞っていた。もそもそと藁の中身が動いている。ぽこんっ、ぽこん。ロータスが御者と話しているから、大丈夫だと判断したのか、イッチ達が藁の中に出たり入ったりを繰り返して、きゃっきゃと楽しげに遊んでいた。


「あんまり、激しくしたらだめだよー」


 こっそりと呟いた。わかってますとも、と返事が聞こえたけれどみんなが嬉しくなってしまうのは仕方ないかもしれない。なんてったって、イッチ達は雲ばかりの空のクラウディで生まれた。その次はレイシャンだ。年がら年中雨が降っていて、きまぐれにやむ雨は、いつ空が見えるのかわからない。


 だから、こんなにも真っ青な空は、初めてのことで、もさもさの藁も楽しくってたまらないのだろう。私も、過去の記憶があるとは言え、こんなに真っ青でどこまでも広がる空はエルとして見るのは初めてだから、なんだかわくわくする。


 ――常夏の国、ソレイユ。


 エルマと出会って、もうすでに一年近くが過ぎた。私とロータスは、新たな国へ足を踏み入れた。



 ***



 リピーズ歴、十三年。

 この世界は、王が変わる度に新たな暦を重ねる。リピーズと名前を変えたこの世界で、私とロータスが出会って三年が過ぎた。この世界は『五つ葉の国の物語』と呼ばれる、乙女ゲームの世界の中だ。一体なんの偶然なのか、ただのゲームのプレイヤーであった私は、敵キャラである最恐お色気魔女のエルドラドとしてこの世に生をうけた。


 エルドラドはたしかに人であったはずだけど、ある日魔族になってしまった。それは村からの追放を意味していた。

 魔族は人にはない固有の能力を全員が持ち、真っ赤な瞳と背中の羽でどこまでも飛んでいける。私は飛行スキルがド下手くそであるため、もしかしてつま先立ちしてるのかしら? という程度しか飛ぶことができないけれど、幻術という特殊スキルも保有していた。しかし悲しいことにも、スキルとは感情の発露で能力を強くする、つまり、レベルアップする。


 原作では人を恨み、それを力にして悪事を繰り返すボディコンレディだった彼女だけれど、崖から真っ逆さまに落ちていく最中に思い出したのは、お気楽日本人の魂である。こっちに石を投げつけて、追いかけられて、叫ばれた言葉は覚えてはいるけれど、復讐してやると叫ぶには心の中の体力が足りない。そして幻術スキルもレベルアップしない。


 まずは生きていくため、すたこらさっさと逃げるべしと考える私には原作での最恐チートが存在せず、あるのはポンコツチートのみで、なんとか街にたどり着き、スライム三匹をお供に原作のお相手キャラの一人であるロータスを味方に街から逃亡、なぜか原作の展開を知っているらしき銀髪美形魔族に狙われ、街から街、国から国へさよならポッポーを繰り返したのがここまでのおさらい。イッツ、フィニッシュ。


 雲ばかりな国、クラウディ国を抜け、ざあざあと雨が降る国レイシャンで、私とよく似た名前の女の子と友達になった。今でも思い出すと、なんだか楽しくなる記憶だ。それからいくつかの街を通り、人と出会って別れて、過ぎる暦とともに、たくさんの足跡を数えて作った。


 ロータスに出会ったときは、まだ三年、と思っていたのに、とうとう原作が、始まってしまう。

 聖女である結子が召喚される時が近づいてきたのだ。彼女は四つの国のどこかに喚ばれる。その、どこかというところまではわからないから、このままレイシャンに留まっていてもいいのかもしれない。けれども、私はソレイユに行くべき理由があった。ロータスや、イッチ達に相談し、まあ、別にいいんじゃねぇかとお返事をもらい、海を越えた。半分魔族になってしまったロータスは、私よりもずっと上手に海を飛ぶ。


 やって来たのは、カンカン照りの真っ青な太陽の国だ。

 どこまでも広がる砂浜の中、「おお」とロータスは驚いて波から素足を持ち上げた。海は何度か見たけれど、ここまで似合う国は他にはない。私は走った。両手を上げた。こりゃすげえ、とくるくるくるした。水着が欲しい。そしてイッチ達は。


「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」

「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」

「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」


「こわっ、めちゃくちゃこわっ!!!!! 分身してる!!!! 分身するくらい激しく震えてる!!!! 残像が見えるーーー!!!!?」



 ――上下に激しく、揺れていた。

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