94 世界樹飛行

 

 赤い瞳が、こちらを睨んでいる。

 えっ、と息を飲み込んだ。






 目を覚ますと、大きな葉っぱの上で寝転がっていた。文字通り、大きな葉っぱだ。緑色で、弾けるようなみずみずしさがと弾力があって、ほわほわしている。「ろ、ロータス、ロータス!」 二人で意識を失っていたみたいで、頭の上ではイッチ達がほいさ、ほいさささ、とお水をかけてくれたり、ぺとぺとしたり頑張ってくれていたらしい。


 移動したときと変わらずロータスの手が私のお腹をがっちり掴んでいたことに、「ひぎぇっ」と悲鳴を上げている場合じゃない。照れている場合でもない。もぞもぞ体を移動させて、イッチ達と全員で力を合わせて、ロータスの顔面をビシバシ叩いた。寝ているときでさえも深い眉間の皺がさらに深くなっていく。


「痛えよ」

「おはようございます!!」


 のっそり起きて、周囲を見回し考えた。何か妙な夢を見ていたような気がする。


「なんか、ぼうっとすんな。夢でも見てたか」

「ロータスも?」


 意味があるような、以前に何か気になっていたことのような気がしたけれど、ロータスも言うのならやっぱり気の所為だろうか。イッチ達はむんと胸(らしき場所)をはって、我らはずっと起きとりましたが? と自慢げである。えらいえらい。


 三匹の頭を撫でるには私は二本の腕しかないので光速でシュパシュパさせつつ、「随分、でけえな」 ロータスの言葉に頷くように、ついでに空を見上げた。私達は、信じられないほどの大きさの葉っぱの上にいる。私とロータス二人が乗っても余裕があるくらいで、葉っぱが大きいのだから、そこにくっつく枝は長くて、太い。さらに幹となると考えられないほどだ。


 魔道の塔の真ん中にあった、世界樹の木は、ただの“根”の一つなのだろう。


「まるで、ジャックと豆の木……」

「ん?」


 この世界にはない童話を思い出してしまう。どこにあるかわからない、大きな大きな木は、分厚い雲を突き破って遠い空に上っている。これを登らなければいけない。そして枝を切り落とさなければいけない。ただ吐き出したつもりの息は、口からまるで溜め息みたいだ。自分の心情が如実に表れてしまっている。いけない、とすぐさま口を閉じた。


「そうだ、腕輪!」


 確認してみると、ちゃんと右手につけているままだった。よかった、とほっとした後に、今度は鞄の中をひっくり返した。イッチ達が入る前提なので、ちょっと大きめの鞄の中の底から出てきた紙を握りしめた。開いてみると、しっかりとこの国の地理が描かれている。いや、すでに今いる場所はソレイユではないだろうから、この国、というのはおかしいのかもしれない。


 土の上に立っているわけではないから、足元はふわふわするけれど、葉っぱはおそろしくしっかりと枝にくっついていて、私とロータスが歩いたところでびくともしない。地図を広げた。クウガに伝えられた落とすべき大地は、赤く丸をつけている。


「……腕輪をしてるからかな、どこの枝を切ったらいいのか、なんとなく、わかる……感じ」

「不思議なもんだな」

「うん……」


 第一関門はなんとかクリアした。わからないとなるとお手上げだったから、むしろ条件の一つだったといえるかもしれない。


「それで、この高さ……」


 切らなければいけない枝は、まだまだ、ずっと遠くにある。見上げて、そのままこてんと後ろに倒れそうになったところでロータスとイッチ達に支えられた。「何してんだ」「気が、遠くなって……」 きをみて、きがとおくなった。下手な冗談にも笑えない。


「こんなの、どうやって行ったらいいのさぁ……!」


 確かに壁のぼりのスキルは持っているけど、限度がある。と、なったところで、ロータスは私を見て腕を組みつつ、首を傾げている。なんなんだそのポーズは、と思って、勝手に眉の間に力が入る。「いや、普通に」 普通、とは。


「飛んでいけばいいんじゃねえのか?」



 ***



 最近はすっかりご無沙汰だったために、うっかりすっかりであった。決して、自分の飛行スキルが上がらないからヤケになっているわけではなく、街の暮らしが長くなると、消えていくものもある……ということで、私はロータスに抱きかかえられつつ、ついでにイッチ達は私達の荷物に潜り込み、懐かしの空中飛行をスタートさせた。


 ぎゅんぎゅん進んでいくのに、まだまだ先は豆粒だ。ロータスの飛行スキルが高くなければ、一体どうなっていたことやら……と、会話しているのはイッチ達である。「全部聞こえておりますけどね……」 フォフォフォオ! という謎の言葉と一緒にみんなは鞄の奥に引っ込んだ。


「しかし、最初は青々してんな、と思ったが」

「うん……」


 ロータスの言いたいことはわかる。上に行くにつれて、明らかに世界樹は枯れてきている。一部ではごっそりと枝どころか幹の表皮まで剥がれ落ちていて、まるで同じ一本の木とは思えない。この大きな木全体が、全ての国を現しているんだろう。ソレイユが最初にできた葉っぱとするならば、私達が目指す場所はさらに上だ。


 一時間、二時間、どれくらいになるのだろうか。気を失っていた時間がどれくらいのものになるのかもわからない。雲の上すらも突き抜けてしまった場所だから、時間の感覚も曖昧だ。私はロータスに抱えられているだけで、何もできない。なのに、気持ちばかりが焦っていく。


(クウガは、私達を送り出すのは、念の為だと言っていた……)


 だから、絶対にやり遂げなければいけないものではない。

 そう思えたら、どんなに楽だろう。


「念の為にきた要員だからこそ、やり遂げなきゃ受け皿にも何もなりはしないのよォーーー!!!」

「とりあえず落ち着けや」


 じたばたするだけさらに効率が悪くなるだけなので、荒くなるのは鼻息ばかりである。


 それからしばらくして、ロータスは、「無理だな」と、一言だけ呟いた。最初の葉っぱと比べると、随分茶色い葉っぱの上に座り込んでロータスの背中から消えてしまった翼に目を向ける。急いではいるものの、何があるかわからない。連続での飛行はある程度体力も消耗するし、短い時間ではあるけれど、休憩も行っていた。


「……休憩する?」

「いや。スキルが使えねぇ。これ以上は無理だな」

「…………ほう。ほう、ほう!?」

「飛べる高さを超えちまったのかもしれん」

「そん……あっ、ほんとだ、私も使えない!」


 ロータスに比べたらしょっぱいけれど、一応私も飛行スキルは使える。ので、試してみたところ、いつも以上にちまっとした翼しかでない。ぱたぱたさせたところで、うちわ以下、壊れた扇風機以下である。


「あ~……うう、飛行スキルって、ほんとに翼を動かして飛んでるわけじゃ、ないもんねぇ~……」


 物理法則を無視して飛んでいるのだ。もともとのスキルに、上昇できる高さの制限がついていてもおかしくはない。地面なんてもちろん見えないし、どこまで飛んで上ったのかわからないくらいだ。こんな高さまで来たことはないから、気づかなかった。


「ってことは、つまり」

「まあ、そうだな」

「だ、だよねーーーーー!!!!」


 と、泣きながら幹に手をつけて、えいえい頑張る。こんなところで命がけのロッククライミングをすることになるとは思わなかった。壁のぼりスキルを全力でオンにして、称号はもちろん野生児に変えている。背に腹は代えられないどころか命に代わるものなど何もない。


「んぐ、ぐぐ、ぐぎぎぎぎ」


 私が登って、その下では何があってもいいようにロータスが、イッチ達はすでに自由の身となって、枝と枝の間を跳ねるように飛んでいき、先々をチェックしつつ進んでくれている。

 多分下を見たら終わる。人生単位で終わってしまう。「来るんじゃなかった!!!!」「めちゃくちゃ今更だな」「後悔しないために逆に先に言葉だけ出してるの!」「ものはいいようだな」


 そんなこんだから、登るスピードはどんどん遅くなっていく。ロータスがいてくれてよかった。イッチ達もいてくれてよかった。私一人じゃ、きっと何もできなかった。


 少し前だったなら、一人じゃ何もできないことに呆れて、悔しくなって、ヤケになってから回っていたかもしれない。でも、今は違う。私ができることはとても小さなことかもしれないけれど、きっと何か意味はある。今までの旅で、たくさんの人と出会ってきたように。


(ソキウスは、大丈夫かな……)


 ふと、考えた。

 私よりも年上で、兄さんぶりたいくせに、本当は誰よりも泣き虫だ。打たれ弱くて、そのくせ正義感も強くて、よく似ている見かけも相まって、ポンコツ気味なところは見ていると自分を思い出してしまうときがある。

 何もかもいっぱいいっぱいで今だって怖くて仕方ない。だから、不安なんて残しておきたくなんてなかった。ソレイユに来て、初めて出会ったセイロウという行商人は、何かあったときは力になると言ってくれた。その“何か”が、今として考えていいのかわからないけれど、どうしようと迷うくらいなら勢いよく飛び出してしまおうと決めた。


(街は、きっと、大丈夫……!)


 だから私は前に進む。「う、う、ぐ、うぐー!!!」「おい、無理すんな。おぶってやるから」「……ギリギリになったら、おねがい、しますっ!」 もちろん自分の実力を過信しているわけではないので、危なくなったらいくらでもお願いする。しかしとりあえず今言えることは、壁のぼりスキルがとにかく愛しいの一言である。魔道の塔をのぼろうとしていたときが私にもありました。



 ――エル、魔物がいる、気をつけてぇ……!!


 ニィの悲鳴が聞こえた。おっとりしているけれど、その分ニィは一番周りを見ていて、目端が利く。ロータスにももちろん聞こえた。丁度ある枝に足をかけて、ロータスは私の首根っこをひっつかんだ。それから背負って、葉に飛び乗る。「Kisyaaaaaaaaaa!!!!」 真っ黒な口は甲殻的で、大きなハサミがこちらに向けて開いている。


「でかすぎる蟻だな」


 ロータスは私を抱えたまま、腰から引き抜いた剣を一気に凪いだ。真っ二つに切れた蟻は、体の左と右を反対方向に飛んで消えてしまう。頭の上から、ぼとぼと新たな蟻が落ちてくる。ためらわず、ロータスは切った。「ロータス、私はいいから!」と、言い切ったぐらいで、ぽんと垂直に投げ上げられた。嘘じゃん。


「ひっほおおおおおお」


 地上ならまだしも、高度何メートルだかまったくもってわからない状況の縦移動は確実に命が縮まる音がする。拳をグーにしたまま丸まって、招き猫の如く落下する私をイッチとサンがキャッチした。死ぬかと思ったという言葉は、今この瞬間に使うべきなのだろうとそのとき思った。


 ――エル、お顔洗う?


「な、泣いてねえですわい!」


 鼻水なら出たかもしれないけれど。

 その間にも、ロータスと蟻の戦いは続いている。何分、あちらは数が多い。倒しても、倒しても――と、思っていたけれど、案外終わりはあったようで、いつの間にか転がっている蟻は一匹だけになっていた。ひっくり返って、手足をじたばたさせて、次第にその動きも止めていく。


「……お、終わった……?」


 ロータスからの返事はない。ただ、彼は頭上を見上げてきた。ロータスの鋭い眼光を受けて、まず聞こえたのは、ぱち、ぱち、と静かに手のひらを叩く音だ。次に長い足が見えた。男の人が、枝に腰をかけて、こちらを見下ろしている。


「お見事」


 赤髪で、幼い顔つきのくせに、妙に低いこの声には覚えがある。マルクと、銀の髪の魔族は言っていた。

 銀の髪の魔族――ヴェジャーシャと一緒にいた青年。彼も、間違いなく魔族だった。今も彼は髪と同じ、真っ赤な瞳で私達を見下ろしている。背中には矢筒を背負っていた。マルクは静かにその場に立ち上がって、私達と同じ葉の上に降り立った。ふわり、とまるで重さを感じさせないような仕草だ。



 自分達以外の魔族と出会うとなると、なぜだかひどく緊張する。


「は、はじめ、まして……」


 思わず絶対にこれじゃない、という挨拶をしていた。最近ロータスは私へのツッコミが少なくなってきている。適応しているのか、諦めているのかわらないけど、いや違うだろとか言ってほしい。イッチ達も、いつの間にか私の周囲に集結していて、緊張めいた雰囲気でマルクを見ている。


 誰もつっこんでくれない。重苦しい沈黙が流れていた。とても嫌な空気だった。「いいや、はじめましてではない」 そしてまさかのマルクからのツッコミだった。そっちから来るとは思わなかった。


「僕達は、以前に出会ったことがある。だからこの場合はじめまして、ではなく、お久しぶりです、もしくはこんにちはと言うべきなんじゃないか? そのあたり、きちんとしておくべきだと思うんだけど?」


 そしてまくしたてられた。

 眼鏡はしていないけれど、眼鏡クイが似合う台詞である。


 多分この人、めんどくさいやつ。


 声に出さずとも、私とイッチ達、そしてロータス、全員の思考が重なった瞬間だった。

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