93 言葉って

 

 なんかこの猫喋ったような気がするけれども猫が喋るわけがないので、「なんだ、気のせいか」 納得した。


「人間ってこんにゃうるせぇもの? お昼寝もできにゃあでないの」

「とっても気の所為ではない!!!」


 一瞬で瓦解した。確実に猫が喋っている。叫んで仰け反って、そのまま屋根から落ちてしまいそうになった。そんなソキウスを見て、猫は「んにゃ?」と首をかしげる。「エルでにゃーの!」 真っ赤な瞳をきゅるんと大きくさせた。つまり、この猫も――魔族。なのだけれど、驚くばかりのソキウスは一向に頭が回らない。


「俺は……エルでは……ない……」

「ンンン? でも金髪にゃし、ちょっと大きいようにゃ気がするけど、あたしにすれば人間みーんにゃ大きいし」

「めっちゃアバウトじゃん……?」


 たしかにエルとソキウスは親戚のようなものだから、顔だって似通っているけれど、さすがに男女の差がある。似ていると言われたことは何度もあるし、自分だってわかっている。でも見間違えられることはない。けれどそこは、猫にしてみればどうでもいい話なのだろうか。


「エルじゃにゃあの? あらそう。じゃあなんであんたはそんなシクシクさんにゃの?」


 ソキウスは慌てて自分の腕で涙をぬぐった。猫と言えど、喋る猫だ。泣いているところを見られて気まずくならないわけはない。顔が真っ赤になるくらいにこすりまくって、鼻水をすすった。そうしている間にも、喧騒が大きくなる。格好をつけている場合じゃない。


「だから、争うなよ、外に、い、行くなって……!」

「聞こえるわきゃにゃーのよ。うるせーうるせーにゃの」

「だからって、諦めるわけいかねえんだよお……!」

「にゃんで?」

「……エルに、頼まれたから」


 返答をした後で、違う、と思った。「俺が、腹を立てているからだよ!」 とにかく、苛立っていた。伝えたい言葉がある。なのに、誰かも聞いてくれない。同じ言葉を話して、聞いて、理解しているはずなのに。


 叩きつけた拳がひりひりする。静かになったと思うと、猫は口を中途半端に開けて、ぼんやりしてソキウスを見ていた。「やっぱ、あんた、エルのお知り合いさんなの?」「う、うん、まあ……」「そりゃ丁度いいにゃあ!」 猫は短い足をぴょんと伸ばして、いつの間にかソキウスの肩に乗っている。うわ、と驚いて身じろいた。なんだかすごく温かくて、びっくりしたからだ。


「あたしはねえ、レイシャンでエルにちょっとした恩があんのよ。うっかりみんなの前で魔族ににゃっちゃったもんだからさあ。そんときはあんまり何にも考えてなくて、そいじゃあ、とバイバイしちゃったけど、恩返しってことくらい、しといた方がいいかにゃあって後で思ったのよ」


 とりあえず、この猫がエルと知り合いということはわかった。それにしてもよく喋る猫だ。猫ってこんなおしゃべりだっけ、とよくわからなくなってくる。「あんた、エルにすっごく似てるし、あんたにいいことしたら、それが恩返しってことでいいよね?」 多分よくない、と思うけど、勢いに押されて頷いていた。


「いいよね、いいよね。いいってことで! そいじゃあ、まかせて!」


 ソキウスからは見えないが、猫の尻尾がくるんと回る。くねくねした長い鍵尻尾が、まるでハートの形を作っているみたいだった。


「あたしの名前はピア! 固有スキルは、ハウリング!」

「お、俺はソキウス、だけど……」

「ソキウス、でっけえ声で話してみな! 腹の底から思いっきりね! あんたの声を、あたしが全部届けてあげる!」


 この猫の言うことが、どこまで本当はわからないけど、いっそのこと、どうにでもなれ、という気持ちになった。「い」 へっぴり腰だけれど、ゆるゆると立ち上がる。拳を握った。誰か一人でもいいから。


「いいかげんに、しろーーーーー!!!!!!」



 ***



 一体何が起こったのかと、そのとき、大勢が空を見上げた。どこからか声が振ってくる。でも、どこかわからない。外に行くべきだ、いや、行かないべきだ。武器を取って、戦おう。嫌だ、怖い――言葉が入り乱れてぐちゃぐちゃで、同じ言葉を喋っているはずなのに、誰かも通じ合っていない。恐怖が恐怖を呼んで、膨れ上がる。わけもわからず、ただ叫んでいるものもいた。


 そのときだ、少年の声が聞こえた。声変わりをしたばかりのような、少しばかり柔らかくて、ちょっと突くと、壊れてしまいそうな声だった。


「来てるのは、魔族じゃない! ヘイルランドの兵だよ! わかってんだろ!」


 金の髪をした少年だった。一体どうやって上ったのか、屋根の上で、声をあらん限りに振り絞ってこちらに声を伝えている。


「だいたいな! 魔族がどうかって、なあ、今、関係あるのかよ……!!?」



 ***



 魔族には、それぞれ固有のスキルがある。エルが姿を変えることができるように、このピアという猫にも能力があるんだろう。

 ひどく不思議な光景だった。ソキウスの言葉が、街全体に届いている。来ているのは魔族じゃない、と叫んだ後に、ソキウスの肩に乗っていたピアが、「いやあ、来るとき見たけど、魔族もいたにゃあよ?」と言っていたので、まじかよと反応してしまったものの、聞かなかったことにする。


 誰かに、ずっと叩きつけたかった言葉があった。培った価値観の中で、それはひどく恐ろしいものでもあったけれど。


「魔族だからどうとか、なんでそれで行動を変えるんだよ。俺たちは個人だよ。個人が集まって、国になってるんだろ、魔族だってそうだ。俺の幼馴染は、魔族になったよ、でも、そいつは、そいつのままだった! なんでもかんでも、決めつけるなよ、現実を見ろ! 来てるのは、ヘイルランドの兵だ!」


 まっすぐに、外を指差した。カーセイのさらに向こうに立ち上る風の壁が、まるでごうごうと音を鳴らしているようにも見える。


「主塔は、なんとおっしゃった!? 外に出るな、争うな。副塔はなんとおっしゃった! 同じだろうが! 今、主塔は必死で水膜球の作り変えを行っている。……みんなが、カーセイを思う気持ちは、わかる、何かしなきゃと思うのも、敵がいて、倒してしまえばそれでいいと思いたくなる気持ちも」


 何もしないことは辛い。

 とてもわかる。苦しくて、目の前にがむしゃらに進みたくなる気持ちは、多分、誰よりも。

 それでも。


「戦わない戦いも、あるんだよ!」


 どこまで、ソキウスの言葉が伝わったのかわからない。けれどもたしかに、争う声は少しばかり小さくなったような気もした。一人でも伝えることができたいい。そうしたら、その一人が別の一人に伝える。それを繰り返していくことができる。


「疲れたにゃ、スキルはおしまい」


 と、ピアは言って、ソキウスの肩から滑り降りるように落ちて、そのままソキウスの手の中で眠ってしまった。瞳を瞑ってしまえば魔族ということはわからないにせよ、魔族とは思えない警戒心のなさだ。どうしたもんか、と困ってしまった。


 屋根の上でどうすることもできなくて立ち尽くしていると、「おおい」と下から声をかけられた。ありがたいことにも、セイロウが長いはしごを立て掛けてくれている。ピアを落とさないように片手で抱きしめて、ゆっくりとソキウスは屋根から下りた。


「おつかれさん。随分すげえ魔道具を持ってんなあ。……ん? その猫はなんだ?」

「え、へへ……」


 セイロウはすっかりピアの固有スキルを、ソキウスの魔道具の力だと思っている。とりあえず、ピアのことは笑ってごまかすことにした。

 相変わらず街の中では喧騒が響いている。外に行くべきだと主張する言葉も、ちらほらと聞こえた。


「……なんか、やっぱ、なんの意味もなかったな」

「そうか?」


 見てみな、とセイロウが指をむけた。

 魔族がいるのなら、こんなところで手をこまねいている場合じゃない、と叫ぶ青年に、一人の女性が声をかぶせた。その言葉は、驚くことにソキウスが先程叫んだものと、随分似ている。外にいるのは魔族じゃないし、魔族だとしても私達は何も変わらない。戦わない戦いもある。


「……なあ?」


 指をさしたまま、にかりと笑うセイロウに、なんとも言えない気持ちになった。自分の言葉が、まったく違う人の口から出ているとなると、ひどく奇妙だ。「そりゃ、全員がはいそうです、なんてならねえよ。でも、すくなくともお前の声で冷静になったやつもいるだろう。さっきよりも、随分落ち着いた雰囲気になってんぜえ」 そうだろうか。


 ――言葉を伝えるのって、めっちゃくちゃ重要なんだぞ!


 随分前の夜に、エルに叫んだことだ。

 腹の裏側を触られたようなくすぐったさがあった。少しでも、誰かに届くものがあれば、それでいい。「それにしても、エルの嬢ちゃん、魔族だったのかあ……」 そして顎を触りながらのセイロウの言葉に、ワンテンポどころかツーテンポは遅れて、「えっ」と瞬いた。


「……いやまさかそんなわけないないないない」

「めちゃくちゃそう言ってただろ? ほれ、幼馴染がって」

「それは言ったけど、言ってない!」


 背中から汗が溢れて止まらない。自分の言葉を思い返して、そんなに危ういことを言っただろうか、と思う。たしかに幼馴染が魔族になった、とは勢いで言ってしまったけれど、セイロウがエルとソキウスが幼馴染であることなんて、そもそも知るわけもないのに。「ほれ、商人だから。察しの良さは折り紙付きよ」 恐ろしすぎる。


 だからって、いくらなんでも肯定することはできない。ぶるぶる必死で首を横に振った。振り続けた。止めなければ、多分一生し続ける。「……いやそんだけ否定するなら、別にいいけどよ」 セイロウが麦わら帽子をかぶり直しながら、溜め息をついた。


「エルの嬢ちゃんが魔族ってことは……あのロータスって兄ちゃんもかね。俺は魔族ってもんに会ったことがなかったから、考えねえようにしてたけどよ、知り合いがそうだってんなら、なんかちょっと、考え方も変わるもんだな」


 しみじみとしたその言葉の意味は、なんとなくソキウスにもわかる。うん……と、頷く前にもう一回首を振った。「だから、違うっての! 誰もそうだって言ってないし!」「へえへえ、わかったよ」 そういうことで結構結構、と両手を突き出す。空を見上げた。


「さって……夜が終わって、朝になり。あと半日。気合の勝負だねこりゃ」


 うちの野郎どもの体力はまだまだ尽きねえが、坊っちゃんはどうかねえ、とセイロウはソキウスににんまり笑う。


「そんなもん、余裕に決まってるだろ!」


 だから、早く戻って来い、と心の中で小さく呟く。



  ***



 そのとき、私とロータスは、ぐるぐると螺旋の中にいた。どこまでも続くような螺旋で、行くことはできても、帰ることができないような、そんなぐるぐるの中。ロータスは、いる。ぎゅっと抱きしめられた感覚がある。だからわかる。なのにわからない。自分が一人きりでいるみたいで、今度は自分もわからなくなる。


「虫唾が走る。反吐が出る」


 あれっとなった。

 私の口が話している?

 どこかで聞いた声だ。たしかに私なのに、私じゃない誰かが、苛立たしく吐き出すように。


「猫は嫌いよ。理不尽な、あの神を思い出すから」


 エルドラドは怒っていた。長い金の髪をなびかせて、鋭い真っ赤な瞳をこちらに向ける。

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