92 人々、走る2
――ソキウス、商業ギルドにいる、いつも麦わら帽子のセイロウという男の人を探して。
エルからの説明はそれだけだった。だからこそ、自分で探すことを諦めて、俺に頼んだんだろう、とソキウスは考える。けれども、このセイロウという男はエルが考える以上に有名らしく、あっさりと見つかった。
(でも地面が落ちるということは、さすがに言えない……)
エルから、ソキウスは全ての話を聞かされた。
街の外に出てはいけないということで、説得力はあっても、混乱させたいわけじゃない。
水膜球の調節のために部屋から出ることができない主塔、もしくはヘイルランドの兵のもとへ行ってしまった副塔のどちらかがいれば、話は別だったかもしれない。兵の数が、そう多いわけではなく、今のカーセイは主導者を失っている。そんな中で、新たな混乱の種を蒔くわけにはいかない。
だから、ソキウスはセイロウに全ての事情を伝えるわけにはいかなかった。
けれど、見つけたセイロウという男は、エルの名を出すと、「ほいきた!」とばかりに膝を打った。
『ソキウスだね、覚えたよ。そいで俺は何すりゃいいんかね?』
セイロウという男のことを、詳しくはソキウスは知らない。けれど、ソレイユにやってきたときエル達を馬車に乗せてくれたのだという。そして土サソリが襲ってきたとき、エルは彼を助けた。そしてまた、今度は彼が力になってくれるという。出会いは巡っている。
何か、不思議な気持ちになった。ぐるぐると、人は出会って、別れて、それでもまだどこかに通じている。胸の底で、温かいものを感じた。『――ありがとう!』と、勢いよくごつごつしたセイロウの手を掴んで、お礼を言って、やっぱりびびって小さくなるのはこの数時間後。
セイロウのもとに集まったギルドの人々は、なぜか筋肉が多めだった。どちらかといえば細い体つきのソキウスは、そのまま埋まってしまって消えてしまおうと思った。いや諦めている場合ではない。
ソキウス達の目的は、住人達がこの街から出ないようにすること。何も難しいことじゃない。主塔が現在水膜球の作り変えを行っている旨は、住人達に知らされている。一日、いや、すでに数時間は経過しているから、半日待てばいいだけだ。夜が明けて、朝になった。なんとかなる。ソキウスを含めた商人達は、街の至るところに点在した。どこかで暴動が起きた際に、すぐさま対処できるように、市民のふりをしている。
念の為、メガホン――と、エルが名付けた魔道具は腰に下げていた。何が起こるかわからない。もちろん、何も起こらないに決まっている。水膜球を作り変えて、守りを万全にすれば、ヘイルランドの兵達も諦めるに違いないし、作り変えまでの時間稼ぎは風の壁が行ってくれている。風は半日前よりも随分勢いは弱まっているように見えるが、まだまだヘイルランドの兵達とカーセイとを遮る役割は保っている。
ヘイルランドからやってきた学生達の暴動に、落ち着けと声を上げる。頭を冷やせと伝えて、門番のもとに走って、間に合わなければ商業ギルドの筋肉達が炸裂する。大丈夫だ、問題ない。なんとかなる。そう、思っていた。
「攻めてきているのは、ヘイルランドじゃない、魔族なんだ!」
風の壁が出現してから、誰が言い出したかわからない噂話だ。最初は鼻で笑い飛ばすほどの話だったはずなのに、いつの間にかそれが正しいものという認識にすり替わっていることに、ソキウスは眉を顰めた。そして理解した。カーセイには、様々な国からの住人達がやってきている。その中にはヘイルランドの人間もいる。だから、同じ人間が相手と思うよりも、魔族が相手と思う方が、都合がいい。
そうだったらいいなという誰かの言葉が、そうに違いないと変わっていく。昔、ソキウスはエルはコマ遊びをしたことがある。白と黒のコマを使って、同じ色で別の色を囲めば、囲んだものと色に変わってしまう。黒を白で囲むと、全部が黒に変わっていく。
ぱたり、ぱたりと変化していくさまは、小さな子供の手で変わってしまう盤上を思い出した。
――魔族は、狡猾な生き物だ。
「違う」
――俺達、こうしていていいのか。少しでも、主塔様の力になるべきなんじゃないだろうか。
「違う」
――こうしている間にも、魔族は次の策を練っているかもしれない。
「違う」
――戦わねば。
「違うったら!!」
戦え、と一人が叫ぶ。戦え、戦え。武器を取れ! カーセイの外に!
やめろよ、と叫ぶ声はどこにも響かない。(め、メガホン……) このときのために持っているのだ。腰に手を伸ばして、魔力を調節する。ざわめきが大きい。こんなところじゃ、何も響かない。腕が震えた。何もできない。故郷を思い出した。あまりにも悔しくて、悔しくてたまらなかったあのときを。「――おい、坊主」 ごつごつした手のひらが、ソキウスの肩を叩く。セイロウだった。
「高いとこに、行きてえのか?」
その問いに、自分がどう返したのかわからない。多分、震えながら頷いた。すると、にっかり笑ったセイロウの後ろから、にゅっと太い腕が伸びる。ムキムキすぎる、と思っていたどなたかの一人だ。「ひげっ!?」 ソキウスの足を掴んだ。と、思うと複数人が集まっていた。「うぎゃっ!?」 吹っ飛ぶ。ぐるぐると宙を舞って、飛び込んだのは露店の屋根だ。布でできているから、ぼふん、と跳ねたあとに、はっとした。必死で腕を伸ばして、隣の窓の端にへばりつく。いつかのエルではないけれど、落ちてたまるか。歯を食いしばった。ぐんぐん上って、たどり着いたと思ったときには、もう随分高かった。
「や、やめろーーーー!!」
その場に立とうとしたけれど、高すぎるから、立ち上がることなんてできなかった。だから建物の屋根にくっついたまま、大声で叫ぶ。喉がひりつくように痛かった。違う、と慌てた。メガホンだ。こんな自分の声一つで、誰も聞こえるわけがない。「やめろったら!!!!」 メガホンで拡声された音に、やっと幾人かは振り返った。
「外に出るなよ、出ちゃだめだ、主塔様が、そう言ったんだろ!!!」
ソキウスの声に、そういえばと頷くものがいる。けれど、一瞬で流されていく。人々が暴れまわる度に、塵や埃が舞い上がる。(エルの、スライム達が、いたら……!!) 土サソリのときは、彼らがいたから音を拡散することができた。これがソキウスの限界だ。この魔道具は砂埃が舞ってしまうと、音を伝えるという、もとの能力が半減してしまう。
(こんなの)
三年前のあのときを思い出した。ソキウスの中で、悔しくて、悔しくて、たまらなかったあのとき。
(あのときと、同じじゃないか……!!)
エルが、きた。
村の人間に、そう伝えた。エルが、誰か知らない男とともにやってきて、魔族を倒してくれた。
魔族の死骸はとっくに消えていたけれど、何かが暴れまわったあとがあった。だから、信じてくれる、そう思った。
なのに誰も信じなかった。エルが去ってしまった後、はっとして、まずソキウスは寝ていた両親を叩き起こした。エルが帰ってきたんだ。俺達を助けてくれた。伝えた。なのに、彼らが最初に言ったことは、それを誰にも伝えるなと幼いソキウスの肩を掴んだ。痛いほどの力だった。真剣な声色で、重っ苦しくて、理解なんてできなかった。
だから、大勢に伝えた。エルが助けてくれたんだ、たしかにあいつは魔族になったけど、俺達のことを忘れてない。エルは、エルだったんだよ。何度も叫んだ。なのに、誰もソキウスの言葉に耳を傾けるものはいなかった。
少しずつ、少しずつ彼の周りから人々が消えていく。ぽつりと立った。恐ろしかった。人が消えていくことではない。同じ言葉を喋っているはずなのに、誰もソキウスの言葉を理解しない。怖くなって、ソレイユが他の葉からの移住を求めているときいて、渡りに船と逃げ出した。
ソレイユは不思議な街だった。太陽がいつもさんさんに輝いていることが不思議だったし、頭の上にはいつも薄い水の膜が揺れている。奇妙な道具に知識、真っ黒なローブを来た学生達。きっと自分はこの国に骨を埋めることになるのだろう、そう思った。ソレイユに残るためには、魔道の塔で優秀な成績を収めなければいけない。人よりも真面目に授業に取り組み、使い方もわからない魔道具を蘇らせるために調節する。
ある日、倉庫の中で不思議な魔道具を見つけた。
埃を被っていて、誰にも目を向けられていなくて、さみしげだったから、掃除をしてやった。どういった目的のものなのだろう、と構造を調べてみると、どうやら音を大きくさせる道具らしい。許可を得て、寝る間を削って、道具の調整に明け暮れた。友人達はソキウスを奇妙なものを見るような目で見ていた。
『そんなの使えるようにさせてどうするんだよ』
『便利だよ。音を大きくさせるだなんて、色々使えるだろ』
『主塔様と副塔様がすでに同じものを持っているじゃないか……』
『それは、お二人にしか使えない。これは、みんなが使えるようになるんだ。魔道具の扱いが苦手な人だって、誰だって』
ソキウスの言葉は、誰にも理解されはしなかった。
日が落ちて、沈んでいく。ランプの芯がすっかり短くなって、継ぎ足して、いくつもの夜も、昼も数えて。
ある日、出来上がった。塵や埃があるとうまく使うことができないと気づいたときには、愕然とした。やっぱり、自分の力なんてこんなものだと思ったけれど、新たな魔道具を蘇らせたのだから、副塔に報告しなければならないとなったとき、ヴェダーは驚いたようにソキウスを見た。
『これは、すばらしいものですね』
たった一言だったけれど。
とても、嬉しかった。
「聞いてよ、誰か、聞いてくれよ……!!」
誰かがしゃくりあげていると思ったら、自分だった。ぼたぼた情けなく涙が溢れるものだから、すっかり声がおかしくなって、指先だって震えている。
誰かに言葉を伝えたかった。エルが、魔族が助けてくれた。ソキウスの言葉を聞こえないふりをする彼らに、単純に、大きな声になれば伝えることができるんじゃないかと考えていた自分は、ただ純粋に、幼かった。
もっとたくさんの人に伝えることができれば。そうしたら、誰か一人だけでも、振り返ってくれるかもしれない。
「ふっ、ぐ、う……」
情けなくて、情けなくて、屋根の上でうずくまった。ぼたぼたと丸い後が、次から次にできていく。エルにはバレてしまわないようにと大人ぶっていたけれど、自分はいつまで経っても変わらなくて、なんの役にだって立たない。握りしめた拳が震えている。
「俺、結局、なにも……」
「うるせーにゃあ」
驚いて周囲を見回す。
幼い子供のような声がすぐそこで聞こえたけれど、いるのはあくびをしている猫一匹だ。ねずみ色の体をしていると思ったら、覗いているお腹の部分だけが妙に真っ白くてふわふわだ。
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