56 変身シーンかよ

 

 逃げるぞと告げるロータスの手は空振って、宙を掴んだ。「こっちだ!」 首根っこを引っ張られて、わっと驚く間に、私と一緒にロータスも素早く扉の中に滑り込む。イッチ達はすでに部屋の中に入り込んでいた。パタン、とドアが閉まる音が聞こえる。勢いよく引っ張られたまま、私と、私の腕を引いた主は荒くさせた息を飲み込んで、ドアの外で過ぎ去る足音を待った。


 ほっとしたように、息を落とした少年は私とよく似ている。

 違うところは瞳の色と性別、あとは年齢くらいだ。でも、その瞳だって、赤に変わる以前の私とまったく同じ色合いだ。彼は私よりも三つ上だったと思い出して、最後に出会った記憶より随分変わってしまった少年を座り込んだまま見つめた。今は、たしか十四歳のはずだ。その年頃の少年に比べると背は低いかもしれない。座っていても、大人の姿である私の方が少しだけ背が高い。でも、とても大きくなった。


 ソキウス、と呼んだ名前は口元だけだ。

 塔から落下しながら、一瞬顔を合わせただけだったから、ソキウスをこんなにじっくりと見るのは久しぶりだった。広くはない部屋にはベッドが一つ、机も一つ。あとは本棚が敷き詰められている。困惑して、中々言葉が出てこなくて、声もくぐもってしまう。「え、あ……」 彼と私がよく似ているのは当たり前だ。私が、エルドラドが生まれ育った村は全員が遠い親戚のようなものだったから、ソキウスもたどっていけば、私と血がつながっている。


 自分で言うのはなんだけど、エルドラドはぴかぴかな美少女だった。つまり、性別を反転させてはいるものの、ソキウスだって、負けじ劣らずの美人すぎる外見だ。今は、すっかり男の子になっているけれど。


 彼に腕を掴まれたまま、長く息を飲み込んだ。フードはすっかりずれている。互いにじっと見つめ合った。まるで苦い表情だ。「お、まえ……」 彼の唇が、ぶるりと震えた。私だってそうだ。何を言っていいのかわからない。でも、ソキウスは叫んだ。どうにも耐えきれない言葉を、勢いよく。


「お、おま、おま、お前は誰だーーーーー!!!?」

「お、おおおお、おっしゃる通りィーーーーー!!!」



 うっかり大人エルドラドのままだった。



 ***



 部屋の中で一体どういうこっちゃどないせえととプルプルするスライム三匹、ロータス、私とソキウスとぎゅうぎゅう詰めだ。

 ロータスの隣で逃げようとする私を見て、顔を隠していたものだからてっきりエルだと思ったらしく勢いよく腕を引っ張ったといわけだ。体のサイズを見間違えたのは、慌てていたし、真っ黒ローブを着ていたからだろう。間違えるのは無理もない……いや私エルですけど。間違ってはないんだけど。


 サンの誘拐事件が発覚する前に塔に侵入しようとして、見事自由落下を果たした際にも地上にはロータスの姿があったし、そもそも三年前にも彼らは顔を合わせている。村を襲いに来た魔物を、ロータスがさくっと退治してくれて、私と二人で逃亡した。そのときに、ソキウスに見つかってしまった。


 ソキウスとロータスは、若干ではあるけれど面識があるといえる。胸元のネックレスがちりちりした。ソキウスも同じものを持っている。きっと、それで私が近くにいると気づいたのだろう。ネックレスのことはすっかり忘れていた。捨てる、というには石に魔力を溜めるという特性に頼って幻術スキルを使用しているから難しいとしても、どこかに置いてくるべきだった。臍を噛んだ、とこんなときに言うんだろう。


 ドアの外には、すっかり人の気配はない。

 逃げよう、と立ち上がろうとしたとき、「エルはどこだよ! どこに連れてったんだ!」 ソキウスは線の細い体だから大して痛くもないけれど、力いっぱい私の腕を握った。ロータスが動いた、と思ったけれど、ソキウスの顔を見て、ひとつ、息を吐き出しただけだった。イッチ達はあいやよいよいと混乱して踊っている。私だってそうだ。でも、ロータスを見るとするりと気持ちが落ち着いていく。


「あんた、うちの村のやつじゃないね、知らない顔だ。でも……」


 ソキウスは、言葉を言いよどんだ。うちの村、と言ったのは、私の容貌が瞳の色を除いて、ひどく村の人間を彷彿とさせるものだからだろう。死んでしまった私の母は、考えてみれば大人になったエルドラドと少し似ていた。


 ゆっくりと、ソキウスを見下ろした。大人になった姿の私よりも、彼は少しだけ小さい。端正な顔を真っ赤にして、眉を吊り上げて怒っている。と、最初は思った。でも違う。私の腕を掴む手は震えていた。心配してくれている。


 ソキウスはエルドラドが魔族になってしまったことを知っているはずだ。だから、私を見つけて、魔道の塔の主にでも私達を差し出すつもりなのではないかと思っていた。でも、彼の姿を見ると違うような気がした。


 この狭い部屋は、ソキウスの自室なのだろうか。机の上にはたくさんの本が広げられていて、ベッドの上にも紙束が載っている。本棚以外の壁には、書き込みをした紙がところ狭しと貼られていて、たくさんの努力のあとは、三年の月日を物語っていた。硬い床に座り込んだまま、ゆっくりと、息を吐き出した。強い瞳だった。


(別に、知られても、今更困らない……)


 ソキウスにとって、エルは魔族だ。今の大人の姿になった私も、真っ赤な瞳をしているから、魔族であることはすぐにわかる。今更私がエルであることを知られて、困ることなんて何もない。


「……私だよ」


 でも、ぽろりとこぼれた言葉に、しまったと思う自分がいないわけでもなかった。わざわざ自分から情報を渡す必要なんてどこにもない。何があるかわからないのだから。「私が、エルだよ」 なのに続きをつぶやいていた。しまった、と思ったくせに。


 ソキウスは、空みたいな真っ青な瞳を大きく見開いた。曇りばかりのクラウディ国の空よりも、ソレイユの、真っ青な空の色を思い出した。握られた腕はそのままだった。じわりと熱い熱が、こちらに伝わってくるようだった。私の言葉を聞いて、ぱくりと少年が口元を歪ませて、何かを告げようとしたそのときだ。風が舞い上がった。


 廊下の中を縦横無尽に駆け回る風は、部屋の中すらも通り抜けて去っていく。ドアの下には小さな隙間があった。そこからひゅるりと入り込み、我らの黒のローブをはためかせ、弾き飛ばす。あ、アア~~~!! イッチ達はセクシーなポーズをして己を隠すがごとく手のひららしきものを作って、体の前にクロスさせている。変身シーンかよ。あなた達、すでにローブなんて着てませんけど。


 ロータスはもはや何も言うまいと眉間の皺がさらに深く口元を引き結んで腕を組み、私といえば、座り込んでいたはずが局地的に発生した旋風により、全てのローブが剥ぎ取られた。魔道の塔、生きるには中々難しい構造である。


 言い直した。

「……私が、エルだよ」


 すでに私の痴態を隠す布などどこにもなく、ボンキュッボンを主張する服を見て、ソキウスは信じられないものを見るような目で、ひくひくと口元をひきつらせた。視線は一点である。ひどく気まずく谷間が激しい。しかしそのまま見ているわけにはいかないと思ったのか、真っ赤な顔のまま、視線をおろおろさせた。青少年にはひどすぎる姿である。消えたい。「う、」「う?」 なんか聞こえた。



「嘘をつけえええーーー!! お前がエルなわけあるかーーーー!!?」

「そうなるよねぇえええええーーーー!!!??」

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