57 幼馴染と


「嘘じゃねえよ」


 本人である私が一番狼狽しているというのに、ロータスは努めて冷静に声を出した。ソキウスとは半泣きでポカポカしあっている最中である。エルじゃない、エルだもん、ちょっと出るとこ出てるだけだもんと精神年齢が互いに下がってきている現状に、ロータスは一石を投じた。ようは冷静になったのだ。


 つまりこれは現状証拠を出すのが一番の解決法である。えいやと幻術スキルを解除して、THEチンチクリンであるもとの姿に戻ると、ソキウスの時間は止まった。信じられないものを見る目でこちらを見た後、顔面を片手で握りしめ、唸って、多くの葛藤を乗り越えた後に事実を認めた。勝利の舞。


 私とイッチ達がえんやこらと踊ってしばらく。


「お前が魔族の固有スキルを持っているのはわかったよ。でもなんで、わざわざこんなところまで来たのさ?」


 ソキウスは子供の頃から、ちょっと大人びた口調だった。今考えると、私よりも一歩先に進もうと躍起になっていたのかもしれない。お兄さんぶりたいのだ。


「なんで、というか……」


 こうして面前に座ると、私が魔族だからといって、ソキウスはこの街の管理者である魔道の塔の主へ突き出すつもりはないことはわかった。でも、それ以上を告げるとなると躊躇する。サイは止めない。私の判断を待っている。逡巡した。でも、なんとも優柔不断なことに、私は結論を出すことができなくて、「そ、それより!」と少しだけ大きな声を出して、言葉をごまかしていた。出した後に、外に聞こえなかったかとドキリとして一瞬の間が開いたけれど、大丈夫だったみたいだ。安心して続けた。


「ソキウスこそ、なんでここにいるの? 魔道士になりたかったの? そんなの聞いたことなかったよ!」


 この国はよその葉っぱからの人間を歓迎しているし、逆にいうとクラウディ国だってそうだ。技術の取り込みと、人材を求めている。ソキウスと別れた三年の月日というのは、短いようで、とても長い。特に、私達のような子供にとったら。ごまかそうとしたから、少しばかりきつい瞳を向けてしまったかもしれない。ソキウスはたじろいだ。幼馴染の知らない一面に、寂しいと思わないでもなかったから、気になっていたことだ。


「な、なんでって……」


 言いよどんで、視線を逸らす。「い、いいんだよ俺のことは。あんな村、どうだっていいんだ。どうでもいい」 そう吐き捨てた少年の姿はどうにも違和感があった。晴れの一つもない雲ばかりの国ではあったけれど、特産品のオレンジを握りしめて、おいしいなあと笑う私の記憶の中の少年とは一致しない。彼の首元ではやっぱりネックレスが揺れている。私が魔族に変わってしまったことは知っているのに、捨てないでいてくれた。最後に別れたとき、彼はごめんと謝ってくれた。


「……も、もしかして」


 嫌な予感が、ぐんぐんとやってくる。「ソキウス! 村の人達に何かされたの!?」 捨てずに、首から提げられているネックレスを見て、私との関わりを指摘されたのだろうか。頭の後ろが、カッとするように熱くなる。生まれ育った村だ。いい人も、悪い人も両方いた。よくて、悪い人だっていた。でも、飲み込めない感情だって未だにある。「違う、そういうのじゃ、ない」 ソキウスはネックレスを握って、悔しげに言葉を落とした。


「あいつら、エルが助けてくれたっていうのに」


 村を襲った魔物を退治したときのことだろうか。実際には私ではなく、ロータスが倒してくれたのだけれど、それは横に置いておく。「い、言っちゃったの……!? 村の人達に!?」 返事はなかったけれど、噛み締めていた唇が答えだ。魔物は死んでも、死骸は残らない。時間が経つと消えてしまう。証拠なんてどこにもなく、万一見たところで魔族である私がけしかけたと思う人もいるだろう。


 想像した。

 誰も信じる人もいない中で、ソキウスは叫んだ。エルが戻ってきた。助けてくれたんだよ。小さな手でぎゅっとネックレスを握って、そう叫ぶことは、どれだけ勇気がいることだっただろう。


 ソキウスと私の仲がよかったことは、村中が知っている。子供の戯言だと思われたのだろうか。でも、主張することをやめなかった。その証拠が今も首元で揺れているネックレスだ。きっと、彼はいつの間にか一人きりになった。だからこの国に来た彼を、逃げたと言う人もいるのかもしれない。けれども、ソキウスは見切りをつけたのだ。よその葉からの住人をソレイユは歓迎しているから、渡りに船だったのだろう。


「ば、バカだなあ……」


 こぼれた言葉は、呆れ果てたものだった。でも、ロータスよりも小さな体で、必死に叫んだのかと思うと、奇妙に喉の奥が熱くなった。握りしめていたソキウスの拳に、ゆっくりと手のひらを乗せた。「バカ、だなあ……」 まるでゆっくりと染み渡っていくようだ。じわじわと、心の内側に、まるで静かに水を与えてくれたみたいに。


「バカじゃない」と、反論したソキウスは、わずかばかりに震えた声で、見ると大きな瞳には涙が滲んでいた。背伸びをして大人ぶるのに、泣き虫なソキウス。変わったのに変わらない姿を見て、嬉しくなった。すぐにソキウスは私の手から逃げて、ごしごしと手の甲で瞳をぬぐった。自分が泣き虫なことは、私にバレていないと思っているのだ。


「お、俺のことは答えたよ! 答えを聞いていない! だいたい、ずっと気になってたんだ、そいつ、一体誰なんだよ!」


 静かに空気を読み、腕を組みつつ壁にもたれていたロータスである。唐突に話しかけられ、ん? とわずかに瞳を開いた。


「あー……えっと、ロータスは、ヴェルベクトの街で出会って、今は一緒に旅をしてくれてるというか」

「い、一緒に旅……?」


 予想はついていたものの、改めて説明されるとさらに不信が募ってきたらしい。そりゃそうだ。消えた幼馴染は謎の男と一緒にいた。「……このおっさんと?」 おいこらてめぇ。


 聞き捨てならねえ、とソキウスの頭をアイアンクローしながら、「ロータスはまだ二十一ですから……ふざけんじゃねえぞ……」「いたいいたいいたいいたいいたい! っていうかその格好やめろー!!」 攻撃力を求めるあまりに痴女モードに変わってしまっていた。ソキウスはどこを見ていいのかと真っ赤な顔をしながら視線を揺らした。その間、ロータスは「やりすぎんなよ」と言いながらぼんやりしている。まったく気にしたそぶりもない。ちょっとは怒ってください。


「ロータスはねえ、ずーっと私のこと助けてくれたんだよ……なんっかいも助けてもらったんだよ、ふざけたらもいじゃうよ!?」

「わ、わかった、わかったよ、おっさ」

「お兄さん!!!」

「お兄さんだな!!?」


 十代半ば間近の少年からすれば、二十歳を越えて落ち着きすぎる雰囲気のロータスにそう言いたくなるのかもしれないけれど、私の目が黒いうちは許さない。イッチ達もシャドーボクシングを繰り返している。シュンシュンシュン。想像よりも速い拳にちょっとびびった。


「わかった、お兄さんだ、お兄さん!」


 と、ソキウスが認めてくれたのでよしとしたけれど、やっぱりソキウスはしっくりしない顔で眉をひねった。「……でも、そのお兄さんが、なんでわざわざエルと一緒にいるんだよ。あのときからだから、三年もいるんだよね?」 言外に、何を企んでいるんだと疑っている顔つきだ。「あのねえ!」 拳を握って立ち上がった。ロータスのこととなると、かっかしてしまうのは私のよくない癖だ。


「ロータスが、私と一緒にいるんじゃないの! 私が、ロータスと一緒にいるの!」


 片目の色は黒紫から赤に変わってしまった彼だが、片目だけだし、ロータスなら私の幻術スキルなんて使わなくても、一人で生きていくことは十分にできるだろう。けれども、私はそうじゃないから、一緒にいてくれているのだ。だから私がロータスにくっついている、という台詞が正しい、と思っている。


「私が!!! ただ、ロータスの嫁になりたくて! 一緒にいるのーーーー!!!」


 叫んだ後で、固まっているソキウスの顔を見て、さすがにこっちも赤面した。ロータスといえば、壁にもたれたまま片手で顔を隠していた。

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