8 秘技、だんごむし

 

 振り返ると黒髪の青年がいた。


(……瞳!)


 けれども彼を見たのは一瞬だ。今の私はすっかり瞳の色は変わっていて、真っ赤になってしまっている。魔族でござれと宣伝しているようなものだ。すぐに瞳を伏せて、青年に背中を向けてうずくまった。どくどくと心臓が大きな音を立てていて、体が震えている。見られただろうか、わからない。ふうふうと緊張でおかしくなりそうな呼吸を必死に抑え込んで、胸の前で両手を握った。


「……おい?」


 背後では男の人が低い声を出している。この騒ぎの間に、リス型モンスター(でも一角獣だった)はびっくりしたように逃げ出していた。魔族は討伐対象だ。見られていたとしたら、ひどくまずい。荒い息をゆっくりと飲み込んだ。そして振り返った。


 互いに無言で見つめ合った。私の瞳の色は、もとのエルと同じ、真っ青な瞳になっているはずだ。

 幻術スキルである。髪の毛が2センチ伸びるくらいの変化があるのなら、瞳の色だって変えることができるはずだ。ちゃんと練習をしておけばよかった、と後悔をしてももう遅い。あれからレベルも一つ上がっている。



 男の人と互いに見つめ合いながら、ざわざわと風ばかりが通り過ぎていく。ひらりと落ちた葉っぱが、ぽちゃりと静かに水面で揺れた。波紋がひとつ、ふたつと広がっていく。その間、私はずっと息を止めていた。すぐさま逃げることができるように、察知スキルからお掃除スキルに切り替えている。ここで声を張り上げればもしかするとスライム達が助けに来てくれるかもしれない。もしかしたらだけど。


 相変わらず男の人は眉間にきっちり深い皺を刻んでいて、黒と紫が入り混じった瞳で私を見下ろしていた。「お前、一人か? 親は」 きちんとした会話による問いかけである。腰にある二つの剣に手を伸ばされることもない。よかった、と息を吐き出した。幻術スキルLv.2さんよ、中々やるではないか。今の私は真っ青な瞳になっているようだった。


 やっと吸い込むことができた空気がとても美味しい。はあー、と私はため息をするように大きく深呼吸を繰り返した。「えっと、その」 座り込んでいた部分の土を叩く仕草で時間を取りながら考えた。しまった、まだ設定を詰めていない。


 街を目指したものの、どうやって街の中に入るのか。そして、入ったところでどうするのか。行くことに夢中で何も考えていなかったのだ。ポンコツなのはスキルではなく私だった。頭が能力に追いついていない。エルよすまない。


「えー、あの、はぐれて……」

「はぐれた?」


 訝しげな声である。うぐっとした。

 街の子供だと嘘をつけば、どこに住んでいると聞かれても困るし、捨てられたとするにも妙な場所だ。住んでいた村の名前を正直に言ってしまうと、数日前に魔族が生まれて、死体の確認がされていないとなると一瞬で疑われる。無難を求めるしかない。


 しどろもどろと視線をぐらつかせながら答えると、「親とはぐれて、なんとか一人で水場まで来たのか?」「そ、そう! それです!」 向こうに合わせることにした。


【称号 まぬけな嘘つき を手に入れました】

 おいやめろ


 勝手に聞こえるアナウンスに威嚇をしたところで仕方がない。ふう、と息を飲み込んで、考えた。「だから、その……」 いや、もしかするとこの状況、チャンスかもしれない。今の私は幼いけれど、それも武器と言ってもいい。この人が何者かわからないけれど、このまま謎の迷子ということで街まで連れて行ってくれないだろうか。親の名前だかは適当にごまかして中に入ることができたらこっちのものだ。


「あの、私を……!」

「俺は騎士団から派遣されて来たんだが……ん? 何かいったか」

「気のせいです」


 すっとお口にチャックした。バレたら一発討伐コースである。ぜってーバレてたまるものか。全力で逃亡することに意識をシフトさせることにした。


 男の人は呆れたようにため息をついて、膝をかがませた。それくらいしないと、私と彼は背の高さが違いすぎた。別にその人がとてつもなく大きいわけではなくて、私が幼すぎるだけだ。ざっと見て、この人が十代の後半くらいだとすると、私は八歳だから、十歳程度の差はある。前世の記憶と比べると、随分大人びた青年のように思えたけれど、ここは剣と魔法のファンタジー世界だ。そうならざるを得ないのだろう。

 彼はざっくばらんな口調のまま続けた。


「ここ最近、スライムが森から姿を消していてな。俺はその調査で来たんだが……。恐らくだが強力なモンスターが現れたんじゃないかと言われている。今は普段の森と思わねえほうがいい」


 もしかすると、その強力なモンスターとは私のことではないだろうか。スライムをうずたかく積み上げて女王様プレイを楽しんでいただなんて言えない。


「あ、そ、そうですか……あの、ご忠告ありがとうございます……」


 なんとも言えない表情でへらりと笑う私をどう思ったのか、青年はぐいっと形のいい片方の眉をつりあげた。


「だから、あぶねえんだよ、ここは。あとお前はさっき手を出してたモンスターも、幼体のうちは可愛らしいもんだが、周囲に成体がいる可能性もある。いいか、がきんちょ、もうちょい気を引き締めねえとサクッと死ぬぞ」


 とりあえず怒られた。口調は乱暴だが、親切さんなのかもしれない。

 すみません、と頭を下げながらも自分の無知に恥じながらも、ぴょこんと消えていったモンスターの背中を思い出した。一角獣となると討伐必須となるモンスターだ。滅多に見かけはしないが、万一こちらから手を出せば報復は恐ろしく、どこまでも追ってくる。


「でも、その……逃げちゃいましたけど」


 いいのだろうか、と消えていった場所を指差しながら確認すると、「ああ?」と再度彼は片眉を上げて「知るか知るか」とはたはた片手を振った。


「逃げる分には逃しとけ。こっちから手を出さねえ限り問題ない」

「はあ……」


 騎士団、と言っていたわりにはざっくばらんだ。そんなものなのだろうか。それともこの人だからなのかはわからない。

 私は改めて青年を見つめた。見かけにはあまり頓着していないらしく、髪の毛はぐしゃぐしゃだ。そのくせ下手に顔が整っているからまるでわざとそうしているようにも思えてしまう。お得な人だった。


 青年は動きやすそうなブーツを膝まで紐をくくっていて、外套をひらつかせていた。スライムが消えてしまった調査のため来たと言っていたから、本来の服装とは違うのだろう。あまり目立たない軽装で、食料なのか大きなリュックを背負っている。あとは腰元に二本の剣をさしていたけれど、なぜだかそれに目が向いてしまう。立派というわけではないけれど、ひどく彼に似合っていたからかもしれない。


 この人はまだしばらくこの森にいるのかもしれない。なぜならもととなるスライムたちはすでに解放してしまっているから、どれだけ探したところで原因は出てこないのだ。大変申し訳無い。これではお兄さんはただの無駄足である。


 しかしこの男の人、なぜだか見覚えがある人だなあ、と脳みそを回転させたものの、まったくもってわからないので、気のせいにすることにした。私はエルとして村の中で生まれ育ったけれど、こんなイケメンには生まれてこの方出会ったことはない。村の人口は少なく、住人の顔も名前も把握している。あえていうのなら、一緒に生まれ育った幼馴染が有望株なお顔をしているけれど、私よりもちょっと年が上なくらいだから、まだまだ先のことである。


「しかしどうしたもんかな……」


 視線を合わせたまま、まるで子供扱いをされたが、もちろん子供に間違いないので文句などなにもない。一体彼が何を悩んでいるのか。「ええっと、騎士様?」 といかけると、青年はひどく不満げな顔をした。何が気にさわったのだろうと困ったら、「そんなもんじゃねえ」と青年は小さな声とともに視線をそらした。


「騎士団つっても、その下っ端の下っ端、ただの兵士だ。わざわざこんなとこに向かわされる程度のな」

「はあ……」


 そりゃまた、と申し訳無さが募っていく。こんにちは、犯人です。

 しかし青年が考えている理由はなんとなく察しがついてきた。見つけたガキんちょ一名。親からはぐれたと申告している。放っていくにも寝覚めが悪いし、連れて行くにも難しい。どうしたものか、と唸っている最中、私はにんにん、と両手を合わせることにした。チャンスである。今この瞬間を逃せば逃亡は難しい。


 騎士様、じゃないのなら、兵士さん。いやなんかそれも言いづらいなと、「お兄さん」「……ん?」「スライムは、もう元通りになったんじゃないでしょうか。早めに帰ってみてもいいかもしれません」 さすがに良心の呵責があったので、伝えてみたところ、「お前、何を?」 黒紫の瞳をぱちぱちして訝しげにこちらを見ていたので、にかりと笑った。そして思いっきり飛び出した。


「秘技! だんごむし!!」


 ごろりんごろごろ。飛び出すように激しいでんぐり返りと共に、私は姿を消した。「え、お、はあ!?」 背後では困惑する青年の声が聞こえる。もちろん本当は消えていない。ほんの一瞬、周囲をカモフラージュするように幻術スキルを発動させたのだ。


 すでにスキルの効果は消えてしまったけれど、お掃除スキルから察知スキルにチェンジをさせて、青年の気配を探った。なんとなく、あそこにいるかも、というなんとなくを手がかりに、森の中を駆け抜けた。お兄さんも本気を出せば私を捕まえることができるだろうけれど、さすがにそこまではしないだろうと思ったのだ。想像通りだ。


 一発本番だったけれど、なんとかスキルを使うことができてよかった、とため息をつきながら、騎士団、もとい兵士のお兄さんから逃げ出すことができた事実に安堵した。武力持ちの相手とはなるべく接触を慎みたい。

 しかしさすがに考えなしのスキルの使用はよくはなかったなと反省しつつ、数日後、私はぶるぶる震えていた。大物である。


「わっしゃーーーーい!!」


 勢いよく、竿を持ち上げ声を上げた。立派な魚とともに、水しぶきが立ち上がる。「とったどう!!!」 新たなスキル、釣りスキルを取得していた。


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