28 ふざけんなよ

 


 えっ、それだけ?


 正直なところ、ちょっと意外な反応だった。あんまりにもあっさりしていたから、もしかして全部私の勘違いだったのかな? と恥ずかしさが募っていく。やっぱりそうかも。私には窺いしれない表情だったから、もごもごして、首元のマフラーをいじった。そしたらロータスが貸してくれたものだった、と今更ながらに思い出して、慌てて取って渡そうとした。


「つけとけよ。いらねえならいいけど」


 でもロータスの言葉をきいて、しばらく考えて頷いた。ありがたくいただきたい。いやほんとにありがたい。はらぺこ亭でのお手伝いで若干のお小遣いは貯まってきたけど、子どもの私が大人ものを買うのはおかしいんじゃないかな、と必要以上に警戒してしまう気持ちと、何があるかわからないから衣服にお金をかける余裕がないのだ。


 ぺこり、と頭を下げると、ロータスは笑っていた。「あんま、うっかりなことすんなよ。足元気をつけろよ。走ってこけんなよ」 注意点が子どもかという話である。いや本当は子どもですけど。


「うん、その、はい、気をつけ……ます」

「おう。そんじゃな」


 別れがカラッとし過ぎではないだろうか。逆にこっちがもやもやする。

 でも、こんなものなのかもしれない。彼は剣を握っていて、モンスターとだって戦う。別れと出会いなんて、日常なのかもしれない。


 それじゃあ、それじゃあ、と互いに何度か言葉を交わして、背中を向けた。以前と同じように引き止められるかと思ったら、まったくもってそんなことはなかった。かつかつと夜の街を歩いていく。歩くほどに、羞恥が喉の奥から迫って、吐き出しそうになってくる。「~~~~~!!」 とにかく死ぬほど恥ずかしい。


 異性として、多分好きだと思われた。でも、本当は子どもだし、魔族だし、なんかもうややこしすぎるし、騙しているのも気が引ける。だから距離を取るべきだと思った。きっとこれが最善だ。次にロータスに会うときは子どもの顔をしてはらぺこ亭でそしらぬ顔で会ったらいい。これっきゃないぞ、と何度も頭の中でシミュレーションを繰り返していた。


 私の中では、行くなと思いっきりロータスは私の腕をつかんで、ごめんなさいと振り切ってそのまま夜の街を駆けていた。るーるーるー、という効果音がついていた。でも現実はこれだ。とにかく、本当に恥ずかしかった。


(自意識、過剰……!!)


 多分今、耳の後ろが真っ赤になっている。察知スキルの反応や、イッチ達の捜索スキルでロータスがこっちを追いかけていないことがわかった。とにかく、逃げ出したかった。そしたら全部がチャラになるような気がしたのだ。うにゃにゃと呼び寄せられたにゃんこが一匹やって来た。またお前かと溜め息を出たけど、今はそんな場合じゃない。ぴこんっ、と今度は別の反応がひっかかった。


 子どもの姿に戻ることも忘れて走っていたから、案外反応が近くにあることに今気づいた。三人いる。悲鳴まで聞こえてくる。女の人が、男の人に悪さをされている。

 以前ストラさんが言っていた。夜中に女一人が出歩くなんて、襲ってくれと言っているようなものだと。嫌がっている目の前の少女に、どんな事情があるのかわからないけど、やめてと叫んでいる。イッチ達に、行ってと叫ぼうにも相手は女の子を取り囲んで二人いる。なんとか一人横転させたところで、続きがない。イッチ達はこっそり動くことができるだけで、攻撃性はないただのお掃除スライムなのだ。


 ならばと勝手に体が動いていた。「ズヤァ!!!!!」 滑り込みながら男の腹部に重たい尖ったヒールを体ごと叩き込む。「ごっふ!!?」 顔は両腕で隠した。飛び出したものの、何してるんだと自分の行動にぞっとした。女の子が乱暴されるシーンなんて、刺激的すぎて私の心が追いつかなかったのだ。


「に、ににに、逃げていいよ!?」


 腕をクロスして目と一緒に視界を隠しているから、いまいち状況がつかめず慌てて叫んだ言葉は妙に格好がつかない。でも遠ざかる足音が聞こえたから、なんとか大丈夫だろう。その調子で私も逃げよう。男達の目の前で姿を変化させるわけにはいかないから、上手に暗がりに逃げ込んでダンゴムシだ。よしと反転したところで思いっきり捕まえられた。


 イッチ達も応戦して一人の足を邪魔してくれたけど、残りの一人がただの私の一発でやられてくれるわけがない。「いてえな、くそ、逃がすかよ」 苛立った声がする。でもすぐに笑った。「なあ、すげえかっこしてるけど、そういう趣味なんだよな」 聞こえた声にぶるついた。「いや、あの、えっと、そんな」 目を見られたらおしまいだ。あんまりにも軽率すぎる行動だった。スキルがあるから大丈夫、なんて心の底では軽く考えていたのかもしれない。情けなさに腹の底が震えてくる。


「顔、見せろよ!」


 無理やり腕をねじ上げられた。細い私の腕では抵抗なんてできなかった。口から悲鳴がもれていた。でもそれだけだった。頭の上にばさりと布がかけられたと思ったら、覚えのある匂いで、ロータスの外套だった。彼はあっという間に男二人を叩きのめして、肩で息を繰り返して意識がなくなった青年一人を足蹴にしている。


「え、あの、ロータス……」

「悲鳴がきこえた。女が走って来た。何かあったと思って、走ってきた」


 端的に彼は状況を説明した。そして、ギロリと勢いよく私を睨んだ。「ふざけんな!!!!」 怒っていた。彼の外套を抱きしめながら、ぎくりと体を震えさせた。


「気をつけろって言っただろうが! お前がどんなスキルを持ってるのか、俺は知らねえよ。魔族だったら、さぞ強いんだろうとも思うけどな、でもな、人間の街の中にいるんだぞ、わかってんのかよ……!?」


 何も言えなかった。

 スキルがあるから。イッチ達がいるから。最初のときよりも、ずっと感覚が鈍っていて、自分が針の中に生きていることを忘れていた。お気楽な日本人の魂が、なんて笑っている場合でもなんでもなかった。ロータスは舌を打った。そして男達を放り出して私の手を掴んでずんずん進んでいく。「あ、あの、ロータス」 どこに行くの、と言う疑問の前に、私達の騒ぎの声で少しずつ周囲から声が聞こえてきた。慌てて口をつぐんで、彼の外套に隠れた。


 辿り着いて両手で押し付けられたのは路地裏の外壁だ。薄暗くて、月の光も入らない。大人になった私よりも、いくらか高い背で彼は私を見下ろして、私の顔の両側に両手を突き立てた。「お前、何考えてんだよ……?」 押し殺した怒りの声だ。今度は叫ばなかった。人がやってきてはたまらないからだ。


「な、なにって……」

「俺は人だ。お前は魔族だ。うっかり目の前で落ちてきて、人によっちゃ、お前はその場で死んでたんだよ。逃げてよかった。そのまま遠くに行きゃよかったんだ。それがなんだよ、俺が探してるとでも思ったのか? お人好しにやってきて、話したいと言われたらふらふらくっついてきて、それが今度は人助けだ? ふざけんじゃねえよ」


 彼の声は震えていた。ロータスの言っていることはわかる。私だって、自分で馬鹿だと思っていたことだ。でも、会いたいと言ったのはロータスだし、そのことで怒られるのはなんだか変だ。そう思う私の気持ちも彼は理解しているみたいで、苦しげに唇を噛み締めていた。


 その顔を見て、なんとなくわかった。窺いしれない彼の表情だと思っていたのに、そのときばかりはよくわかった。過去に死んでしまった友人を私に重ねていた。なのに必要以上に私がうっかりだから、どうしたらいいのかわからなくて、困って、怒って、彼だってどうしたらいいのかわからなくなっていた。


 ごめんなさい、と謝ればいいのだろうか。でもロータスに謝るのはなんだか変で、でもやっぱり謝っていた。「ごめんなさい……」 うん、とロータスは呟いた。それから、私の肩口に頭をのせた。「気をつける……」 一瞬、泣いているのかと思った。でも違った。うん、とロータスは声の代わりに僅かに頷いて返事をした。


「行くなよ」


 聞こえた声は、気のせいかと思った。でもそれは彼の中で矛盾する言葉だったらしい。「行けよ。魔族の国ってとこがあるんだろ。そこを目指せ」「……すごく、遠いよ」 それは四つの国の真ん中に位置する、五つ目の国だ。


「俺の前で死ぬなよ。でも、俺の前じゃなくても死ぬな」


 誰も死ぬなと呟く彼の声は、願うような言葉だ。



『五つ葉の国の物語』

 四つの人の国と、一つの国。魔族の国を、人は奪おうと争い合う。魔族はそれに抵抗している。それがいつしか種族同士のいがみ合いとなってしまった。ロータスはまだ知らない。この街が戦場となることを。

 彼はその戦いの中で、片腕と片目を無くす。そして、新たな力を得る。そのことを、彼は知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る