29 可愛いな

 

 ――――この街は戦場となる


 本当は、そこまで大げさなものじゃない。

 魔族からの襲撃を受けるけれど、被害はごく一部にとどまった。なぜなら全てロータスが抑えこんだから。彼は片腕と片目を失いながらも、固有スキルを開眼する。魔族なら私の幻術スキルのように誰しもが持っているものだけど、人間は違う。彼らが持つ超常の力は、本当にごく一部の、稀なるものだ。ロータスはこの先の未来、その力を手に入れるのだ。


 ヴォルベクトの街に行くとき、その騒動のことは頭の中に入っていた。でも死傷者は片手で数え切れるほどの、小さな争いであったことも知っていたのだ。だからなんとかなるかなと思っていた。広い街の中で、わざわざピンポイントに当たる可能性は低いし、万一あったところでそれまでに一度街からトンズラすればいいだけだ。


 今は原作の三年前、魔族からの襲撃の時期は具体的に覚えてはいないけれど、今日明日のことではない。一年中が曇りの国でも、若干の四季は存在する。今は冬に当たってとても寒いけれど、夏の時期であったと原作では示唆されていた。それなら、残り数ヶ月の猶予はあった。


 五つ目の葉っぱである魔族の国まで行くという選択肢は最初からなかった。原作でのエルドラドは、人への恨みのためにクラウディ国に残った。でも私は違う。単純にポンコツだからだ。魔族の国まで、いくつもの難所を越える、長い長い旅になる。そんな旅を、いきなりできるわけがない。


 将来的に大人になって、自分自身に自信がついたら目指してもいいかな、という程度で、赤目を隠さなくてもいい生活には憧れるけど、私自身がうっかりしなければ幻術スキルで十分快適な日常を手に入れることができていた。

 だから、正直なところ、深くなんて考えていなかった。



 街が魔族に襲われる。ふーん、まあ、そんなストーリーだったよね、というような感覚だ。ロータスは腕を失くす。でも、その代わりに彼の生まれをひっくり返すくらいに大きな力を得ることができて、それは彼の人生の大きな変化となる。


 ゲームでの彼よりずっと可愛らしい笑顔を見る度に、心の奥で、ちょっと嫌だな、と思った。暗く、何もかもを恨んでいるような瞳に変わってしまうんだと先々の結果を考えてひどく気持ちが重たくなる。


 私の肩にただ静かに額を乗せる彼の姿に、胸が締め付けられた。


 いっそのこと、全部言ってしまおうか。街を魔族が襲う。だから助けて。でも彼はまだ何の能力を得てもいない、普通の兵士だ。伝えるなら、どこから、どんな敵がということも言わなければ意味がないのに、聞かれたところでわからない。原作の過去を、ぽつぽつとゲームでのロータスは語っていたり、NPCが言っていたのを知っているくらいで、実際の回想シーンがあったわけじゃないから、情報はひどく断片的だ。


 それならせめて、時期を伝えたらどうだろう。いつもよりも警備を念入りにしてもらうようにお願いしたりとか。



 思いついたのは、大人の私がロータスと別れてしばらく経ってからだった。私は今度こそ、さようならとロータスと別れた。遠いけど、やっぱり頑張って魔族の国に行くね、と適当な嘘をついたら、顔を上げたロータスはひどくホッとした顔をしていた。


 大人のエルは、もう消えた。

 MPの補給は非効率だけど、部屋の中でしたところで問題ない。いつもよりも真っ暗な部屋で体育座りをしていると、また猫が乱入した。をうをうとイッチ達が囲っていて、相変わらずの鑑定スキルの結果に溜め息がでる。



 ***



「ねえ、エルさあ、契約は二ヶ月って言ったけど、やっぱさ、もっといない?」


 そう言ってくれたのはストラさんだ。看板をひっくり返してCloseにして、暗くなった店内で私の金の髪をゆっくりとといてくれた。彼女の足は、もうすっかり元通りだ。ストラさんの怪我が治るまでという期限付きの契約だった。


「最初はさ、いくら猫の手って言っても、ちっちゃすぎじゃんって思ったけど、ほんと十分すぎたしさ。ときどきおっちょこちょいはあるけど、それでもすごく頑張ってくれてるし」


 もともと私と母さんだけじゃ、結構きついって思ってたんだよね、と僅かに髪の毛をひっぱって、鏡代わりの窓ガラスを見ると可愛らしいポニーテールになっていた。イッチ達がこっそりぴょんぴょん跳ねて、いいじゃんいいじゃんと言っている。


「えっと、でも……」

「これ母さんが言ってたこと。自分から言うと無理やりになるかもってさあ。ねえかーさん!!」

「うるさいよ!」


 ストラさんがケラケラと笑っている。ひどく温かい場所だった。「今日はロータス、来なかったわね」 毎日顔を出して、気づいたら消えている彼だ。今日は材料がなかったから、いつもより早く店じまいをしたのだ。顔を合わせなければ合わせないで、ひどくそわそわしてしまう。


「あいつ、ほんといっつも同じものばっかり食べて、どうにかならないのかしら」


 溜め息をつきながら、私の髪をやっぱり違う、とストラさんはほどいて別の髪型に変えていく。


「最初に食べたからって、おんなじものばっかり。どうかと思うのよね」

「……最初ですか?」


 首を傾げると、動かない、と怒られた。


「そう。ずっと前に、あいつがガキだった頃、お腹を空かせて店の前でふらふらしてたから、余り物のシチューとかったーいパンをあげたの。そしたら自分でお金を稼ぐようになったら、同じものばっかり頼むんだから」


 ロータスは孤児だった。お腹を空かせていたのは、色んな事情があったのだろうか。想像して、胸の奥がやっぱり重たくなった。


「あの頃、チビガキ達がたんまりうちに来てたのよ。母さんが端から餌付けしてた。でもみんな消えちゃったな。残ってるのはロータスくらい」


 あとはたまにヨザキくんかな、と呟くストラさんの声色がいつもと違った気がしたので、少しだけ不思議だった。ヨザキさんもロータスの昔からの知り合いだったのだろうか。もしかすると、同じ孤児院の出身なら、死んでしまった魔族のことを知っているのかも。


「あいつ、腕っぷしは強いから。ロータスがいると、うちの柄の悪い客もちょっとは大人しくなんのよね。あとは夜もときどきここらへんを見回ってるみたいだけど。わかってるってのに毎回メニューも頼むし、あの顔で律儀なのよねえ」


 ストラさんの言葉をきいて、やっぱり私は何もわかっていなかったんだな、と思った。ものすごいスピードで食べて消えて行くくらいなら、別のお店に行くか、もっと食べやすいものにしたらいいのに、と思っていた。ここは、ロータスの大切な場所なんだ。


 なぜだか少し、ぐずついた。自分でも、なんでだかわからなかった。ロータスという一人の青年のことを、何度だって考えた。


「あいつだって騎士団の仕事で忙しいんだろうし、恩を感じてるのか知らないけど、無理する必要なんてどこにもないのにね。無理ついでに、ヨザキくんでも引っ張ってこいっての」


 そしてなんでヨザキさん。真っ白髪の円筒状の帽子をかぶった門番さんのことだ。ロータスよりも人の良さそうな顔をしていて落ち着いた風貌の青年で、ときどきストラさんのことを聞いてくる。んん、と瞼を瞑って考えてみる。その間も、ストラさんはぐいぐいと私の髪をひっぱった。料理の腕はピカイチだけど、それ以外はちょこっとぶきっちょさんらしい。


「ああ~、結びにくい! いいわねこんなサラサラで!」

「あっ。好きなんですね」

「なにがよう」

「ヨザキさんです。ストラさんは、ヨザキさんのことが」


 一瞬の間のあと、ガラス向こうの彼女の顔は自分の髪と同じくらい、真っ赤に染まっていた。


「別に、会いに行ったらいいじゃないですか。いっつも門にいらっしゃるし」


 会う度にストラさんの怪我の具合を聞いてくる彼だ。少なくとも、嫌に思われているわけじゃないだろう。振り返ると、ストラさんは口元をぴくぴくさせていて、何かを言おうと思いっきり息を吸い込んだ。目を瞑って、諦めたように息を吐いて、「……そうよッ!」「やっぱり」 イッチ達までわらわら踊っている。


「もしくはこっちから呼んじゃえばいいじゃないですか。おいしいごはんをつくるよーって。もう元気になりましたって」

「め、目の前ですっ転んでて、そんなこと言いにいけるわけないでしょ! それに店だってそう簡単に使えないし」

「別にいいよ。たまには休みも必要だろ。あたしも羽でも伸ばそうかね」

「母さん!」


 ひょっこり出てきた女将さんに、娘の色恋に口出ししないでよ、とストラさんがあわあわと顔だけ向けて叫んでいる。彼女は少しだけ口元を噛んでいた。いつもの、自信たっぷりの姿はどこにもなくて、眉間にたくさんの皺をよせてうぐうぐしている。「じゃあ、今度、呼んでみようかな……」 小さな可愛い言葉だ。


 そしてやっとこさ私の髪も結び終えたらしく、「できた!」と彼女は満足げな声を出した。

 ガラスを見ると、あんまり見覚えのない自分の姿だ。高い位置で二つくくりになっている。顔を左右に動かすとぴこぴこ一緒にくっついてくる。なんだか不思議だなと確認していると、ガラス向こうにロータスがいて、ぎくりと跳ねた。気まずく視線をそらしたのは私だけだ。


「あ、母さん。ロータスがきたけど!」

「入れてやんな。あいつ一人分くらいならなんとかなるから」

「はいはい」


 かららん、とベルをならしてロータスが入ってきた。「寒い」と一声呟く彼の首元の消えてしまったマフラーは、今も部屋の中にこっそりしまい込んでいる。


「注文は……」

「いらないわよう。言わなくたってわかってるっての」


 たまには別のものも食べなさいよと呆れた顔をするストラさんに、ロータスは眉間に皺を作りつつ、恐らく困ったような表情をしていた。

 わかっているのに、彼は毎回同じメニューを言う。もしくは言おうとして、こっちが先に声をかける。あの顔で律儀なのよね、と言う自分のセリフを思い出したのか、ストラさんは耐えかねたように笑った。そんな彼女をロータスは不思議気に見て、お決まりの席につく。そして、私の頭に気づいたらしい。


「エル、面白い頭してんな」

「可愛いっていいなさいよ!」

「可愛いな」


 私の代わりにストラさんが怒って、そしてそのまま平静にロータスは頷いた。こいつはこんな男だ。「……あ、ありがとう」 なんとも言えない微妙な気持ちで口元をひきつらせていると、相変わらずぐしゃぐしゃのロータスの頭に目が向いた。ストラさんが私の頭をといてくれていたクシは、テーブルに置かれている。


「ロータス、頭、クシでといてあげようか」

「ん?」

「シチューができるまでの間だよ。この間、してあげようかって言ったでしょ」


 そういえばそんなこと言ってたな、と思い出したのだろうか。「まあ、好きにすりゃいいんじゃね」 特になんのこだわりもないのだろう。腕を組んで、おいしょと頭を下げる。そこに椅子を使ってなんとか腕を伸ばし、ぐしゃぐしゃの彼の髪をちょっとずつとかしていく。


「そういやあんた、好きって言ってた子! どうなったのよ?」

「あー……振られた」


 多分めんどくさくなって適当に言ってる。しかしストラさんは、軽いノリで聞いたはずが、まさかの重たい手応えに、「フヒュヒッ……」と謎の言葉を上げた。多分喉から空気が漏れたのだろう。


「そ、そそ、そんな素早く終わってるだなんてまさか思ってなかったし! ききき傷を深めたいわけじゃないんですけど!?」

「あ、わりぃ、違う。旅に出た。めんどくせえから適当に言った」

「ばば、ばあーーーーか!」


 叫んだあとに、「いや、どっか行っちゃったの……? そ、それはそれで、なんていうか、一期一会っていうか」とごにょごにょしている。ストラさんの方が若干年上と聞いているけれど、実のところ手の上で泳がされているのは彼女の方なのだろうか。私はただ、静かにロータスの髪をといた。旅に出た、と言った彼の言葉は平坦なもので、心の内はよくわからなかった。


「はい、できた!」


 痛くないようにと頑張っていたのは最初だけだ。どれくらいといていないのか、ガシガシと必死にして、やっと櫛通りがよくなったときには、ほっと息をついた。足りない背丈を補っていた椅子から飛び降りて、どうだと正面からロータスを見た。イケメンがいた。


「うわあ……」


 いや、もともとイケメンなんだけど、さらに格が上がっている。見かけに頓着しない冒険者風味から、どこぞの貴族の男前だ。「う、うわ、うぐっ」 ストラさんはあまりのロータスの後光が目に厳しかったのか、両手を押さえて呻いていた。


「なんか、すげえ違和感あるな」


 ロータスは自分の手で髪を確認ついでにガシガシとひっかいた。ついでにぐしゃぐしゃにし始める。「コンラーーー!!!」 ストラさんが怒った。私はあーあ、と作った作品を一瞬で壊される虚しさを知った。イッチ達はみんなが盛り上がっていると嬉しくなるらしい。らんらん跳ねて踊って、「ほら、シチューができたよ!」という女将さんの声をきいて、すぐさまお台所の掃除に走った。お片付けのお手伝いはございますかねェ!? と叫んでいる。


 けらけら笑った。

 外はひどく寒いのに、店の内側はほかほかしていてひどく楽しい。でも、胸の中はひゅうひゅうしている。ここにいたい。何も知らないふりをして、ずっとここにいたい。でもそんなことはできない。

 いつか私は選択しなければいけない。でも、何を選べばいいのか、それすらもわからない。


 まだ大丈夫、時間はある。何度も残りの時間を考えて、覚えている限りのゲームの知識を思い出した。何の役にも立たないものばかりだけど。

 魔族の襲来まで、まだ時間はあるから。だから、大丈夫。自分自身を安心させるように繰り返した言葉は、ただ思考を止めているだけに過ぎないとわかっていたけど、そうするしかなかった。




 幾日が過ぎたとき、私は大きなステンドグラスを見上げた。きらきらしていた。

 そして、一人の魔族と出会った。

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