30 銀の髪の男

 



 ヴェルベクトの街の人たちは、月に一度、礼拝堂に向かう。敬虔な雰囲気の中、両手を合わせて偉い人のお話を聞き、うんうん頷く。私も村にいたときは立派な建物こそなかったけれど、各地に派遣された牧師さんはいらっしゃったので、真面目に通っていた。


 お話と言えば、賢い教訓の他、魔族と人との戦いを逸話チックにしたものばかりで、ようは、魔族が怖いぞ、恐ろしいんだぞということをがっつりと教えられる。見かけの差と同じくらい、こうした場は私達魔族が“悪”なのだと認識する絶好の機会になっているのだろうな、と改めて感じた。


 なので、一度目、ストラさんに誘われたときはお腹が痛いと逃げ出した。二回目は歯痛である。三回目は無理だと悟って諦めた。行きたくない。



 礼拝堂の本部である教会は、魔族を狩りつくさんと舌なめずりをしている人たちばかりなのである。はー、行きたくねえ行きたくねえ、めちゃくちゃ怖い。でも街に住んでいる以上、礼拝堂での祈りは義務のようなものだ。それに参加しない方がよっぽど怪しい。


 イッチ達は念の為お留守番させた。姿を消しているとしても所詮は見かけだけなので、万一誰かにぶつかってしまえば、あれ、ここに何かありますけど。すごく……ぽにょぽにょですけど。気持ちいいんですけどキュンとする、いやいやちょっと待て怪しすぎじゃね、となる可能性もある。魔族だけではなく、モンスターだって間違いなく討伐対象一直線だ。スライム達よ、いのちを大事に。


 我らー! エルをー! 守りますけどぉーー!!? と三匹がびょこびょこ暴れていたけど、お掃除スライムたちよ、黙ってな。私はやりきって帰ってみせるぜ……と心の眉毛を太くさせながら、イッチ達をベッドの下に押し込んだ。入った瞬間にビリビリガクガクなったらどうしよう。


 礼拝堂は神聖な場所だから、魔族に襲われることはない。彼らは悪しきものであるため、この場に踏み入れることもできない、と村の牧師さんは言っていた。いやいや、こちとらちょっと見かけが違って固有スキルがあるけど、それ以外の中身は人間と同じですよ、とわかっていたけれど、大きな扉をくぐり抜けたときはさすがに肝が冷えた。こんなにびくびくしたのは、ヴェルベクトの門をくぐった時以来だ。


 何かあったらダンゴムシだ、とダンゴムシに絶大な信頼を寄せながらでんぐり返しで逃げる準備は万端だった。「エル、なにもじもじしてるの? ほら、次がつかえてるって」「あ、ストラさん、ままま、ままっー!」 とか言っている間に、ちゃんと礼拝堂の中に入っていた。ビリビリなし、元気そのもの。やっぱりねえ! とうははと笑いながらも心臓がどこどこ鼓動を通り越してお祭り太鼓になってた。よかったー!


 感想を言えば、教会の人たちってちょろいなあ、という感じである。目の前にこんなお子ちゃま魔族がいるのに、魔族の驚異を語って、でも自分たちがいるけど大丈夫、と解説していた。シュールな光景だった。思わずあくびをしてしまったとき、『ふざけんなよ』 ロータスの声が聞こえた。


 ――――魔族だったら、さぞ強いんだろうとも思うけどな、でもな、人間の街の中にいるんだぞ、わかってんのかよ……!?


 おっしゃる通りだ。あのとき、彼に助けてもらわなければ、私はどうなっていたかわからないし、大人の姿ならともかく、今の子どもの姿で魔族とバレてしまったら、私を雇っているはらぺこ亭の人達にも、とても大きな迷惑をかけることになる。


 頭の中の自分を思いっきり殴り飛ばして気合いを入れた。私は敬虔なる信者。魔族よぶっとばせ。恐ろしや。そんなもん見たことも聞いたこともないけどね! 自己暗示は完璧だった。


 やっと終わった、と溜め息をついたときには、謎の達成感に溢れていた。しかし隣のストラさんを見るとなんてことのない顔をしていて、とても激しい温度差を感じた。当たり前だ。こんなに気合いを入れ終わった私の方がおかしい。落ち着け……落ち着け……クールダウンといつもならイッチ達で癒やされているはずが、それができないことに苦しみを感じつつ、行き場のない手をふらふらさせていたとき、「あっ!」 さぞ、今思いついた、と言った様子でストラさんは棒読みに両手を叩いた。


「ここからだと、店からより街の門が近いよね、今日はヨザキくんいるかな。この間はびっくりさせて迷惑かけたし、ちょっと顔を出しに行こうかなあ」


 森のモンスターから逃げ帰って、やったとストラさんが小躍りしたときすっ転んで、ヨザキさんの目の前で盛大に足をくじいたときのことである。

 ストラさんはちらちら私を見ている。


「え、あー……」


 きっかけがないと、なんとなく顔を出せないのだろう。気にせず行っちゃえばいいのに、と思うけど、これは私が他人事だからだ。自分の恋のお相手なら、びくそわするに決まっている。私だって、ロータスに自分から会いにいくことはできないし、お店でなんとなく待っているだけだ、というところまで考えたとき、いやロータス関係ないし、と再び心の眉毛を太くさせた。


「え、エル……? か、顔が怖いんだけど」

「えっ、あ、ごめんなさい。どうぞどうぞ、行ってくださいな」

「ほんと? ありがと。でも、エルと一緒に帰らないと、か、かあさんが何か言うかな?」

「私はゆっくり帰りますから。店の近くで待ち合わせましょうよ」


 彼女はパッと顔を明るくさせた。自分の母親に色恋を知られるのは複雑な年頃なのだろう。行ってらっしゃい、と手を振ると、「うん!」と年相応に可愛らしい笑顔をへにゃりとさせて、赤髪を揺らしながら消えていく。青春だ。


 すっかり人がまばらになってしまった礼拝堂の中で、静かに天井を見上げた。さすが首都と言えばいいのか、立派な建物だ。天井には時代を感じるような絵がびっしりと描き込まれていて、それ一つ一つが物語の意味があるのだろう。


 モチーフとして木や枝、葉っぱが描かれているものが多い。あとは水だ。水場は、世界樹に水やりをしようとして溢してしまった神様のあととも言えるので、ひどく神聖なるものだ。各地に水場は存在するため、一体どれだけびしゃびしゃと溢しているのか、とツッコミを入れたいけれど、あの神様ならありえる、と実際に存在する神様を頭の中で思い浮かべた。


 木の根っこのようにどこにでも存在して、どこからでも見ている。人の営みを面白がって見守っているとも言える彼は、ゲームでも時折姿を見せた。私も、実際目にしたことがある。私のことを楽しんでいるのか、定期的に様子を見に来て、神様ということは秘密にしているみたいだけど、私には鑑定スキルがあるから丸わかりだ。今のところは関わりたくはないので見ないふりをしているけど、いつか私がボロを出してしまうかもしれない。イッチたちにも関わっちゃだめだと今度は強めに言っておこう。


 神様は姿を見つけたものに一度きりだけど、ご褒美をくれる。ゲームでは重要なアイテムをくれたり、能力を授けてくれたりと様々だった。でもそれをしてしまうと、神と縁を結ぶことになってしまって、神様ルートに行ってしまう。主人公のレベルが足りないときの救済措置役なのだ。どのルートをたどったところで、神様に関わってしまっては最後、神様ルートとは名ばかりの下僕ルートに分岐してしまうので、とにかく距離を置きたい存在だった。


 相手は超常の存在だ。考えたらやってくる、と必死で思考から削除すべく頭を振った。すると、礼拝堂のステンドグラスから差し込まれる光から、なぜだか目が離せなくなった。赤や、緑や、青や、何種類もの色合いが入り混じった影は、ひどく光り輝いていて、そこだけ空気が違うみたいだ。


 ステンドグラスには一人の少女が空から降りた姿が丁寧に描かれていた。地上では幾人もの男たちが両手を広げて少女を歓迎している。その絵をじっと見つめる人がいた。後ろ姿で顔は見えないけれど、腰まである銀髪が光に反射をしてきらきらしていた。同じ白い髪でも、ヨザキさんとは少しばかり色合いが違う。一瞬、女の人かと思ったけど、体格や背丈を考えると男性だ。ひどく見覚えのある光景だった。


 目の前がちかちかした。頭の中にある記憶がまるで目の前と重なるようだ。なんだろう、おかしいな、とひたすらに記憶をさらっていく。そしたら、なんとなくわかった。ステンドグラスに描かれた絵が、ゲームのオープニングとまったく同じだった。


(そういえば、主人公の結子が異世界から来た聖女ってことは、普通に受け入れられてたなあ)


 彼女は教会に召喚されたから当たり前なのだけど、この世界には異世界という概念も浸透しているのだ。ゲームでのOPが、目の前で芸術作品のようにあると、なんだか妙な気分になる。うーん、と唸って、もう少し近づいて見てみようとしたときに、男の人がちらりと私を見た。赤い瞳をしていた。


「えっ……」


 口から出た声は、正直、声にもならなかった。見間違いかと思ったけれども違う。確かに、赤い瞳で、私と同じだ。男性は明かりの中で髪の色を何色にも変えて、私と同じ目の色なのに、ひどく深い、いくつもの星を散りばめたような瞳をじっと向けた。表情はない。どこまでも暗くて、重たくて、瞳の色とは相反して、まるで死人のようだ。


 ぱくりと青年の口が動いたことに驚いた。こうして立って生きているのだから当たり前なのに、本当に死んでいるのかと思ったからだ。不思議と、声は遅れてやってきた。かすれて、ひどく久しぶりに会話をするような声だった。


「エルか」


 私の名前が聞こえたけど、気のせいだ。だって、こんな人に会ったことはない。男は続けた。


「……早いな。まあいい、迎えに行く」


 何を言っているのかわからない。同じ言葉を使っているはずなのに、言葉の目的が理解できなかったのだ。「そうだ、お前の村の名前、なんだったか?」 答えるわけがない。この人は、私が村から逃げてきたことを知っている。逃げることもできずに、無言でいた。ひどく体が震えた。男は、「ああ、思い出した」とだけ呟いた。怖い。


 悲鳴を上げていないことは奇跡だった。なぜ彼が私のことを知っているのか。そもそも、なぜ魔族がその瞳を隠すことなく街中にいるのか。わけもわからず思考がぐちゃぐちゃとねじれ上がった。


 やっと息ができた、と思ったときには、魔族は跡形もなく消えていた。一瞬にして、姿かたちがなくなっていて、白昼夢か何かを見ていたのではないかと錯覚する。でも確かに握った拳はじっとりと汗をかいている。察知スキルや、聞き耳スキルを駆使しても、周囲には誰もいない。


(今の、なに……)


 誰だったの。迎えに行くってどういうこと。

 理解もできず、はらぺこ亭に逃げ帰った。激しく心臓が鳴っているのに、ひどく体は冷え切っていた。


 ストラさんは、ヨザキさんとデートの約束をとりつけることができたと喜んでいたけれど、その内容は私の提案通りにお店でご飯をごちそうするということだったから、こっそり聞いていた女将さんが、「色気がないねえ!」と叫んで「うるさいわね!」と親子喧嘩を始めていた。


「じゃあその日は店を休みにするってことにするかい。せいぜい二人っきりでがんばんな!」

「ばっか、母さんのばっか!! ばかあ!」


 変な応援しないでよと悲鳴を上げるストラさんに、いつもなら女将さんと一緒に笑っているのに、今日はゆるく口元を動かすことしかできなかった。大丈夫? ときいてくるイッチ達の頭をなでて、一緒にベッドの中に潜り込んだ。

 怖い何かが、ずんずんと、近づいているような気がした。

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