31 疾走
「今日はとにかく、腕によりをかけてやるわ……!!」
ストラさんが両腕をまくりながら、気合いに瞳を爛々と燃やしている。わあ、ぱちぱち。がんばれがんばれ。ヒュウッヒュウッ!! 盛り上がっているように見えるけれど、実のところこれはすべてイッチたちの応援なので、パッと見、静かな空間だった。私も力なく両手を叩いた。
「……エル、なんか元気なくない? 大丈夫? お腹か歯でも痛いの?」
「えっ、いや、そんなことは!?」
礼拝堂に行きたくないと駄々をこねた言い訳が、まさかのこんなところまで響いている。あの銀髪の魔族と出会ってからというもの、心の底にとにかく重い影が落ちて、不安でたまらない。でもそんなことはストラさんには関係がないし、こんなにわくわくしている彼女だ。心配をかけさせるわけにはいかないので、元気ですとも! とスクワットを繰り返した。正直ちょっと動きすぎたので、若干困惑した瞳で見つめられたけど、不安を払拭することには成功した。
そいじゃああたしも出かけるかね、と言うおかみさんと一緒に店を出た。「エル、やっぱり一緒にいない? ヨザキくんと何話したらいいかわかんないし」「あっ……すみませんやっぱり唐突に目が痛んで……眼精疲労かも……ちょっと緑を見て癒やされてきます!」「やばいわ言い訳が適当すぎるわ!」 オッシャーーーッ! とストラさんを振り切ってイッチ達と飛び出した。女将さんとはもちろん別行動である。
せっかくの機会だ。私もできることをしようと思った。怖いけど、もう一度教会に行く。あの男の人を見つけたら、今度こそなんだったんだとひっつかんで、問い詰めてやる。同じ魔族だ、危険なことをしないだろう……と、いうのは私の願望で、相手がどんな力を持っているかわからない。でもあの男は迎えに行くと言ったから、ただ待っているだけでは結果は同じだ。どこにいても、あの男はやってくる。妙な確信があった。
だから、これからもしかすると、とても危ないことになるかもしれない、とみんなとベッドの上に座って話をした。まじで!? 頑張るわ! と言ったのがイッチで、理解理解! と上下にみょんみょんしていたのがニィだ。そしてとりあえずウオオオオオと気合いをいれているのがサンだった。話が早すぎというか、これ逃げてもいいよという相談だったんだけど。頼もしすぎか。
なのでいつも以上に気合いを入れたスライム三匹と一緒に、考えた末に、察知スキルと捜索スキルの二つを使用することにした。イッチ達にもお願いしている。私よりもよっぽど高性能な捜索スキルを彼らは持っている。
ずんずん歩いている間にも、いつもと同じ猫がやってくる。必死に無視をしていたのに、うにゃうにゃ言うから、「お、おなかでも、減って……ます?」と思わず敬語で問いかけてしまった自分がにくい。持っていた手持ちのお弁当の一部を差し出した後は、頑張って知らないふりをした。
無意識に、様々な場所を鑑定しているのは、すでに癖だ。あの魔族の男も鑑定できたらよかったのに、いざというときに気圧されてしまったことに歯噛みした。
人の鑑定をすると、名前と年齢、職業が出てくる。ものでも同じだ。建物の名前はとても便利だけど、不思議と何の表示も出てこないものもあって、はらぺこ亭にあるご飯の鑑定はできるのに、はらぺこ亭の建物自体はなぜかできない。女将さんや、ロータスの鑑定もできる。でも、ストラさんとヨザキさんはできない。
ひどくムラのある力だな、と改めて感じた。実績を解除したら、もっと便利になるのだろうか。あって困るものではないけど、使い勝手が難しい。
聞き耳スキルは、すでにLv.2になっている。今はちょっと耳がいい人くらいだけど、周囲の会話も聞き取りやすい。礼拝堂に向かう最中も、いつもよりも気を引き締めているから色んな声が入ってくる。「ぴーちゃん」 女の子の声だ。
泣き出しそうな声だった。道の端で、くったりとした鳥を小さな手のひらに乗せていた。かわいがっていた鳥なのだろう。女の子を鑑定すると、名前が出てきた。なんとなく、手のひらの鳥も鑑定した。名前は表示されていなかった。
弾かれるような感覚だ。人以外でも、名前があるのなら鑑定できる。でも、あの鳥はできない。つまりは鑑定に失敗した。何度も繰り返した感覚だけど、やっぱり不思議だった。そのとき、女の子は大声で泣いた。彼女の親が飛んできて、慰めている。かわいがっていた鳥が死んでしまったと必死に涙を溢して、とぎれとぎれに説明していた。
まるで彼女の気持ちまで、こっちにやってくるみたいで、自然と眉毛がハの字になってしまう。でも、何かが胸の内にひっかかった。人々の笑い声が聞こえる。石畳には、たくさんの人達が歩いていた。通り過ぎるたびに彼らを鑑定する。色んな職業で、色んな名前で、様々な年齢だった。名前がわかるひと、わからない人、鑑定できるもの、できないもの。死んでしまった鳥は鑑定することができなかった。
そもそも、鑑定ってなんだろう。
それはゲームの結子も使っていたシステムだったから、深く考えることはなかったけど、鑑定するということは、結果がついてくるということだ。その結果は、誰が作ったのか。純粋にスキルが教えてくれているのなら、あまりにもムラがありすぎた。じゃあ、他に一体だれが。考えたくはないことだが、ここは“ゲームの世界”だ。それなら、システム的に製作者が一つ一つ、ものに意味合いをつけていてもおかしくない。
ゲーム本編でのNPCプレイヤーだって、一人ひとり名前がついていた。だから鑑定できる人たちの名前はゲーム制作者がつけたものなんじゃないだろうか。イッチ達を鑑定すると、お掃除スライムAとしか表示されない。イッチという名前は、私がつけたものだからだ。じゃあ、鑑定できない人たちは、世界には大勢人がいるんだから、製作者の名付けから溢れてしまった人とか。
なにが、違和感があった。もう少し、深い何かがあるような気がした。今は原作の3年前だ。ゲームで設定を作るのなら、3年後の時間軸が基準になっているはず。つまり、鑑定結果とは、ゲーム制作者達が設定した、3年後にあるものにしか表示されない。鳥の名前が表示されないのは、死んでしまったから。死んでしまったら、ゲーム開始時点でいるわけがないから、名前なんてあるわけない。
つまり、ストラさんとヨザキさんは、3年後には存在しない。
「い、いやいや」
さすがにそれはないない、と一人でごちた。
違うに決まっていると思うのに、頭の中がくらくらして、道の端に座り込んだ。
鑑定結果が、製作者が作ったコードを盗み見ているだけなら、やっぱり名付けにもれてしまった人が存在すると考えるほうが自然だ。だって、こんなに人はたくさんいるんだから。でも、女将さんのシーラという名前は表示された。あんな人、クラウディ国のルートにいただろうか? NPCとして存在したのかもしれないけど、それならロータスがちょっとは反応しているはずだ。
ロータスルートは、トゥルーエンドをクリアしていない。それに、ゲームの節々まで設定を覚えているわけじゃないから、はっきりと頷けない。でも、そうに決まっている。違う、そうであってほしかった。でも、もしこの鑑定が、制作陣という枠を越えて、ただ、ゲーム本編の3年後を基準に世界という枠を見ていたら。
想像が、どんどん膨らんでいく。そもそも、ロータスはなんであんなに性格が変わってしまったんだろう。普段からまるで怒っているような顔つきの彼だけど、暗い表情で、言葉数も少なすぎる未来の彼は今とまったく違いすぎる。魔族に対する価値観に揺れてしまっている最中だと思っていたけど、じゃあ、魔族を恨むような、どんなきっかけが彼にあったんだろう。
普通に考えれば、片腕と片目を失くしてしまったときだ。これから、ひどい怪我を彼は負うことになる。それに対して恨んで、怒って、復讐を誓ったのだろうかと考えたあとに、私の考えるロータスとは、少しイメージがぶれた。そんな人ではないような気がしたのだ。
彼はいつも他人のためとばかりに動いている。自分よりも、他人のことばかり気をかけている。怒るのなら、自分よりも他人に怒る人なのだ。俺の目の前で死ぬなと苦しげに呟いた。
ヴェルベクトでの戦いでの死者は、片手で数えるほどばかりだった。――――じゃあ、その死者って、誰のこと?
合わせた両手が、気づけば震えていた。
それは人ひとりの死だ。たった数人だった。そんなのは、ただの感想で、死んでしまった人に“たった”と使うことは本当はおかしいに決まっている。
――――魔族は生まれたそのときから固有の能力を保有していますが、人の中には感情の発露を元に、ある日能力を開花させるものがいます
感情の発露。
未来のロータスは、ひどく魔族を恨んだのだろう。それこそ、新たな力を得るほどに。
考えた。幼い頃から大切にしていた居場所が、目の前で壊されてしまったら。友人や、幼馴染が彼の目の前で死んでしまったら。体中を血だらけにして、ロータスは叫ぶだろう。恨みの言葉を、幾度も喉の底から吐き出すに違いない。
はらぺこ亭の鑑定も、することができなかった。
――――早いな。まあいい、迎えに行く
まだ、魔族の襲撃の時期じゃない。そう思って、安心していた。でもそもそも、何で魔族はやってきたんだろう。単純に都市を征服したかったのだろうか。それとも、きっかけがあったのだろうか。例えば、誰かを迎えに行くような。
私は色んなところがうっかりしていて、一人で生きていくことなんてできないから、早々に街を目指した。じゃあ、原作のエルドラドならどうしただろう、と考えてみた。私とエルは同じ人間だから、ゆっくり、ゆっくり考えれば、なんとなくなら道筋がわかる。まず、すぐには人の街には行かない。だって私の噂が村から伝わっている可能性があるからだ。彼女の小さな体では魔族の国に行くには難しいから、森の中で入念に姿を消して、時期を見計らって、やっぱり人の中に紛れる。つまり、最終的にはこの街に行き着く。
その意味で、“早い”と言われたのなら。
前提として、これは私の行動を、あの銀髪の魔族が理解している必要があるけれど、そもそもあの男は私の名を知っていた。彼の固有スキルである可能性もある。私が今この街に来なかったら、どんな変化があるだろう。まず、はらぺこ亭には行かないから、ストラさんはヨザキさんと会う覚悟はまだできなかったかもしれない。ほんのちょっとだけど、私が焚き付けたようなものだからだ。でもきっと、彼女なら時間がかかっても同じように頑張るだろう。そして女将さんは、同じように気を使って店を開けるかもしれない。
つまりいつかは同じ状況になるだろうけど、今とは時期が違う。
私が、彼らの一部の物語を早めている。違う、と考えたい。でも怖かった。知らないうちに、礼拝堂へ向かっていたはずの足が別のところへ向いている。走っていた。口から漏れる息が苦しくて、短い手足が悔しい。泣きたくもないのに、涙があふれていた。うまく息ができなくて、幾度も足がもつれて、がくがくと震えた。
どうしよう。
わからない、どうしよう。
ただ、恐怖に震えた。こんなのただの可能性だ。ありえない。絶対違う。考える度にどんどん自分の想像が現実味を帯びていった。私はエルだ。でも、本当は違う。エルドラドという、『五つ葉の国の物語』の悪役だ。
まるで、ゲームの物語が逃げる私を追いかけてくるみたいだった。どこまで行っても悪役は悪役で逃げられない。主人公に討伐される運命だ。私はただ、ひっそりと生きたいだけなのに。でも本当はそんなことどうでもいい。不安はある。でも、たくさんの不安の中の、ほんの一部で、もっと他の、大きなものが、心の中で吐き出しそうなほど暴れている。ストラさんと、ヨザキさんが。彼らが、死んでしまったらどうしよう。
どうしよう、私のせいで、彼らがどうにかなってしまったらどうしよう。謎の男、迎えに行く。なくなってしまうかもしれないはらぺこ亭に、今、二人はいる。あまりにもタイミングが良すぎる。
明日のパンが美味しかったらそれでいいや、と考えていたはずなのに、ぐしゃぐしゃになった顔で、私は彼のもとに駆け込んでいた。へとへとの息で、まともに声を吐き出すこともできなくて、地面に崩れ落ちた。
「おい、エル……!?」
ロータスが、驚いていた。今日はヨザキさんがおやすみだ。だから、ロータスが珍しく街の門番をしていることはわかっていた。へたり込んでただ嗚咽を繰り返す私に、彼はしゃがんで肩に手をのせた。苦しくて、苦しくてたまらなかった。でも、こんなことをしている場合じゃないと必死に顔を上げた。そして、「ロータス……!」 たすけて、とパクリと口を動かしたとき、彼の黒紫の瞳が、はっきりと視界に映った。
ロータスは、とても心配していた。どうした、何があったんだ、と幾度も尋ねる。彼の姿を見て、自分は何をしているんだと我に返った。
ストラさん達が危険なら、ロータスだってそうだ。私は何を考えているんだろう。助けてと、幼子の特権を使って、他人本願で泣きついて、何をしようとしているんだろう。(絶対、だめ) そんなのだめだ。ロータスを巻き込むわけにはいかない。関わらせてはいけない。
彼の服を掴むように立ち上がった。
「はー、ごめんなさい、うっはあ、いきなりお腹が痛くなったので、おトイレを借りようと思ったんだけど、いきなりスッキリしたあ」
震えそうになる声を必死に押し留めた。必死に平静を保った。少しでも気を抜くと、おかしな声が飛び出てしまう。口元を、にんまりさせて笑みを作った。がんばれ、がんばれ、と自分を応援した。ロータスは、少しばかり不思議そうに首を傾げた。
「ん、おう? ……いや、やっぱりおかしいぞ、お前」
一瞬彼は納得しかけたけど、首を振った。「そんなことないよ!」 出た声は、自分でもびっくりするくらい大きくて驚いた。ロータスもそうだ。彼は僅かに瞳を大きくさせた。「……そう、か?」 うん、と返事をする、ごめんねと伝えて、お仕事頑張ってね! と背中を向けて走り去った。
絶対に、彼を巻き込んじゃだめだ。
短い手足を必死に動かして、走って、「イッチ! ニィ、サン!」 みんなの名前を呼んだ。人目なんて気にしなかった。とにかく急いでいたのだ。
彼らはウンッと頷いて、私の足元に滑り込んだ。ぼよんと跳ね跳ぶように疾走する。イッチ達の姿は見えないから、不思議な走り方をするなと思っているのか、街の人たちがときおり振り返って首を傾げる。少しでもはやく、はらぺこ亭に向かわなければ。嫌な予感ばかりが膨れ上がる。
「もっと、速く行ける……!?」
うん! とみんなは返事をした。三匹が重なり合って、力の限り街中を飛び抜けていく。どうか、勘違いでありますように。何もありませんように。祈った言葉は、ひどく空回りで不安ばかりが膨れ上がった。
***
二人の男がいた。
ヴェルベクトの街を一望できる、高い屋根に立ち尽くしていた。一人は腰まである銀の髪の男で、もう一人は短い髪をしているが、二人はそっくり同じ色の、真っ赤な瞳をしていた。銀髪の男の髪がひゅうひゅうと吹く風になびいていた。雲ばかりな空の下で、男は、まるで表情などどこかに落としてしまったように無表情で、血の気がなく死人のようだ。
「ヴェジャーシャ様、どうします、少し予定より早いですが」
短髪の男が、銀髪の男に問いかけた。こちらはキリリと眉がつり上がって、真面目くさった顔つきだ。「……うん」 銀髪の男は億劫に頷いた。「そうだな」 呟きながら眼前を見つめる。そしてまるで決まりきったセリフのように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「懐かしい街だ。念入りに、潰そうか」
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