34 続きにつながる物語

 




「エル、いいのか?」

「うん」


 暗い夜の森の上空で、ロータスは子どもの姿になった私を抱えて、まっすぐに空の中で立っていた。背中にはコウモリ羽がゆっくりと動いている。黒紫の彼の瞳は、片目だけがひどく赤い。


 


 いや、厳密に言うと違う。彼の怪我を治すとき、私の力を目一杯に注ぎ込んだのだ。私一人だけの力では、彼の怪我を治せなかった。幻術スキルは、所詮は嘘の塊だ。大きすぎる嘘は端から崩れて消えていく。イッチ達に聞いてみると、スライムは神様の使いのような存在なのだそうだ。神様が落としてしまったたくさんの水は、水辺となり、僅かにこぼれた雫は、スライムとなった。誰もがおいしく飲めるスライム水は神様の欠片なのだ。


 その神様の欠片を使って、やっとなんとか、形になることができた。

 私とロータスの力はぐるぐると入り混じった。いや、どちらかというと大半が吸い取られてしまった。おかげで大体のスキルも消えてしまって、今持っているのは、幻術とテイマー、飛行、お掃除の4つだけだ。幻術スキルもレベルダウンして、LV.2に戻ってしまった。


 代わりに、ロータスは飛行スキルを手に入れた。なんと驚くこと、Lv.4。私なんて2ですけど。いつまで経っても上がりませんけど。才能の差なの。


 ロータスは魔族ではない。ゲームと同じように、彼は固有スキルを開花させることはなく、ただ自由に飛行ができる、片目だけ赤い青年だ。でも人は彼を魔族だと思うだろう。だって、普通の人たちと違う。


 翼は、飛行スキルをオフにすればいいだけだ。でも、瞳は違う。目覚めた彼の瞳を見たとき、ただ唇を噛み締めた。ひどく自己満足な行いだった。私の幻術スキルを使えば、元と同じ色のように見せかけることはできるけど、私から離れればしばらくすると元通りになってしまう。彼はもう、自由に人の中で生きることはできない。私は、彼の人としての人生を奪ってしまった。


 ごめんなさいと何度も謝って、喉を枯らした。

 自分の瞳を初めてみたとき、ロータスはひどく驚いていたけど、『死ぬよかましだろ』と言って、ぐしゃぐしゃと私の頭をなでた。でもそれも、本当なら違う。


「乙女ゲームね。異世界にこの世界の未来の話があるってのは、正直理解し難いとこだが」

「うん……そこじゃ、ロータスはこんなことにはならなかったよ」

「さてな。言われたところで、実感なんてわくわけねぇ」


 この世界には、異世界という概念は存在する。でも、ゲームという枠の中で自分たちが存在するとなると話は別だ。泣きながら、私はロータスに全部を告げた。自分は前世の記憶があるということ。三年後の未来を知っているということ。

 彼は、ぱくぱくと口を開けて、閉めて、でも何を言えばいいのかと考えていた。互いに無言になってしばらくして、「よし」と膝を打った。お前の話をきいたところ、確実な未来が一つある。それを、確認してみるかと。



 ***



 私がスライム達に乗ってやって来た距離を、ロータスはあっという間に翼を滑らせ、空を飛んだ。懐かしい場所だ、というほど時間が経ったわけじゃないけど、大きな崖の上にある村を静かに見下ろした。あの村には、魔物がやってくる。私が生まれた村だから。


 ゲーム本編では、エルドラドの村はすでに滅んでいて、エルドラドは復讐先を失ってしまったことで、ぶつけようのない苛立ちを関係のない人に叩きつけていた。結子もその一人だった。なぜ、エルドラドの村は滅んでしまったのか。はっきりとは描写されていなかったけど、想像ならできる。ヴェルベクトの街と同じだ。


 魔族が、魔物を召喚した。エルドラドを追放した村だったから。礼拝堂で、私を迎えに行くと言った魔族は、私の村の名前を聞いた。答えなくても思い出したと言っていた。彼はこの物語を知っている。


 魔族は不可思議な力を持っている。それが、未来を読み取る力だったのなら。正しい物語のエルドラドは、ヴェルベクトの街に向かい、あの魔族に保護された。そして、ついでとばかりに襲撃され、ロータスが撃退した。その流れで、銀の髪の魔族はエルドラドの故郷も潰してしまったのだろう。それを、エルドラドは良しとはしなかった。ゲームでの彼女は、他人の手を使って復讐を遂げたいと考えるような、そんなキャラクターではなかった。やるのならば自分で、徹底的に。


 本当は子どもなのに、背伸びをして大人の姿になって、扇情的な格好をする。それは彼女の苛烈さと、不安定さの表れだ。結果的に、エルドラドは銀髪の男と手を切った。だから一人で、クラウディ国の中で悪さを繰り返して、結子と敵対することになる。


 あの男は、まるで決まりきった未来を歩いているようだった。こちらが何も言わなくても、勝手に話を結論づけて、勝手に消えた。だから、物語通りに近々エルドラドの村も襲撃するだろうと予想すると、案の定だった。


 誰もいない広場の暗闇の中、ロータスは静かに剣を鞘に収めた。

 そこにはヴェルベクトに襲撃した魔物ほどではないが、人が相手にするにはあまりにも不釣り合いの大きさの生き物が、真っ二つに切られて崩れ落ちていた。


 物音一つ立てず、ロータスは全てを決着させた。

 村が襲撃されることを私はロータスに告げた。そのときは、何を考えていたわけじゃないけれど、確認しに行こうと言われたとき、それならと顔を上げていた。できることなら、村を救って欲しいのだと。


 ロータスは、私にいいのかと尋ねた。だって、彼らは私を追い出した人間たちだ。石を持って、投げて、力の限りぶつけてきた。


「うん。別に、恨んでいる気持ちが消えたわけじゃないけど」


 知らないところで勝手に死なれてしまうのは、何だか嫌だなと思ったのだ。

 失敗したと、また銀髪の男が新しい魔物を送るかもしれないけど、そんなことはもう知らない。いくぞ、と私に伸ばされた手に頷いたときだ。


「う、うわあ!」


 住人に気づかれてしまった。こんな時間に、夜の散歩でもしていたのだろうか。「な、え、モンスター……? でも、死んで、る……?」 魔族が使役するモンスターを、魔物と呼ぶ。ここら辺は穏やかなモンスターばかりだから、あまり見ることもないのだろう。慌てて隠れようとしたときだ。


「エル……?」


 名前を呼ばれた。

 私よりも、ほんのちょっと歳が上で、生意気で、でも村には似つかわしくないお坊ちゃんみたいな少年だ。


「ソキウス……?」


 幼馴染の彼の名前を呼ぶと、記憶よりも少しだけ背が伸びた顔は、悲しげにくしゃりと崩れた。「ロータス、行こう!」 大人を呼ばれてはたまらない。彼は無言で頷いた。「ま、待てよ!」 ソキウスの声がきこえる。すぐさまロータスは空を滑空する。まて、待てよ! 必死で少年は叫んでいた。


「ごめん!!」


 あのとき、何もできなくてごめん。

 届いた言葉は、私の想像とは違ったものだ。彼は自分の首元からネックレスを引き抜き、大きく振った。オレンジの光が、僅かに雲の隙間から覗いた月の光に反射して、きらきらしている。「あ……」 お祭りでは、私とお揃いで彼もネックレスを買ったのだ。捨てないでいてくれたんだな、と思った。私も服の隙間から取り出して、合図のように大きく振った。見えただろうか。


「……戻った方がよかったか?」

「ううん」


 未練があるわけじゃない。ぐんぐんと、村から遠のいていく。

 もう、私はどこにも戻れない。

 ヴェルベクトの街でも、悪い魔族だと主張して、叫びまわってしまったのだ。いくら子どもの姿になって誤魔化したところで、大人の私は、ひどく顔が似ているから、結局どこかでボロが出てしまう。崩れてしまった街が悲しかった。はらぺこ亭はなんとか持ちこたえて、壊れたのは端っこだけだ。ロータスからもらった隠していたマフラーをこっそり持ち出して、ストラさん達に挨拶もできず、彼と旅立った。ロータスは、旅に出るとヨザキさんには伝えたらしい。


「……ほんとに、ごめんね」


 ロータスはもう、私から離れて生きていくことができない。彼の意思なんて関係ない。赤い瞳で、魔族として生きていかなきゃだめなんだから。「あー……聞き飽きた」 なったもんは仕方ねえ、と彼は溜め息をついた。体が小さくなってしまう。


 村の距離が遠くなったから、さきほどよりもゆっくりと空を飛ぶ。私は飛行が下手くそなので、相変わらずロータスに抱きかかえられている。ただただ申し訳なくて、彼の腕の中で小さくなっていたとき、「そもそもだが」 とロータスは続けた。


「俺は、お前が魔族だってことは初めからわかってた」

「……え?」

「屋根から落っこちて来た魔族もお前だってことは、さすがに知らなかったけどな」


 つまり、子どもの私と大人の私は同一人物とは思わなかったけど、子どもの私も魔族だと知っていたということだ。「……え?」 寝耳に水だったから、わけも分からず、同じ言葉を繰り返してしまった。見上げたロータスは、少しだけ言いづらそうに口元をもごつかせていた。


「……初めて会ったときだよ。エル、お前目の色、隠してなかったろ? それが一瞬で変わったから驚いた。魔族の固有スキルで、色を変えてんのかと思ってたが」


 少しずつ、思い出した。あのとき、私は初めて瞳の色を変えてみたのだ。まだ常時の変化をしていなかったから、反応に遅れてしまった。もしかして、見られたかも、と不安に思ったけど、ロータスが何も言わないから大丈夫だと思った。なのにそんな。



「だから次に会ったとき、店で聞いただろ。スライムが元通りになっていた。なんでそれを、わざわざ俺に言ったんだってな」


 会話は覚えているけど、目的がわからない。森からスライムが消えてしまった原因を探しに、ロータスはやって来た。でも、もうみんな私の周囲から解散してもとに戻ってしまったから、大変だな、と思って、そのことを最後に伝えてしまった。


「どうせ俺が困るとでも思ったんだろ? まぬけなガキンチョだと思ったよ。逃げて、隠れているくせに、馬鹿なみたいなお人好しが飛び出てくる。魔族のくせにな」


 だからどうしても見捨てることができなくて、はらぺこ亭に引っ張っていってしまった、とロータスは語った。世話ができる先を見つけたものの、そのまま放置をして、万一があってはいけないと最初はいつも以上に頻繁に顔を見せた。でもどんどん馴染んでいく私を見て、拍子抜けした、と口元を力なく笑わせた。


 本当に、小さくなるしかない。


「考えてみりゃ、同じだな。でかくてもちっこくても。お前は同じだ。なんでわからなかったんだろうな」


 ふざけるなと、以前ロータスに怒られたことがある。お人好しにやってきて、ふざけんじゃねえよと私の危機感のなさを怒られたのだ。「……だから、気になったんだがなあ」 呟いたセリフは多分私に聞かせたものじゃない。え? と瞬いたとき、イッチ達が、ぴょんと私とロータスの鞄から飛び出した。


 げんきですかー! げんきですともーーーー! そろそろくるしぃーーーい!


「ご、ごめんごめん……」


 もにょもにょうぐうぐ出てくる彼らは、案外自由に伸縮できる。でも狭い鞄の中にいると、話は別らしい。そろそろ外の空気も感じたいよねえ、と互いに会話を繰り返していて、最初はスライムの存在に驚いたロータスも、『こいつらなんか可愛いな?』と言って、ぷよぷよふにふにしていた。


 遠いところに行こうと思う、とイッチ達に伝えたとき、ふわわわわ、と彼らは震えた。お掃除スライムは一箇所に留まらない。掃除をして、どんどん遠くに行く生き物だ。でも、仲間から離れて、三匹だけでとなると、きっと話は別だ。


 どうする? とはらぺこ亭の二階でロータスからもらったマフラーを回収しながら問いかけたとき、彼らはスススッとクロスに交差して動いた。住み慣れた部屋の中を捜索しているようで、すぐさま勢いに乗って、滑るように私の前に並んだ。準備はできたよ、キリリ。

 いや、荷物何も持ってないじゃん……というツッコミは野暮なのでやめておいた。


 ロータスにくっついて、どんどん遠くに飛んでいく。風がまっすぐとびゅんびゅん私の頬に当たる。彼を見上げた。そしたら、もういいか、と思ったとき、だめだと首を振った。それから少し、覚悟を決めた。神様に向かって叫んだときよりも、もしかしたらずっと怖くて、言葉にするまで考えて、あぐねて、震えたかもしれない。


「あの、私、エルなんだけど……」

「ん? 知ってるが」

「そうじゃなくて、実は、大人にもなれまして!」

「見たから知ってる」


 実際に見せたし、ネックレスも持っている。「そういや、俺のこと名前も教えてねーのに言ってたこともあったわ」「え、う、おお……」 ポンコツすぎて、驚いた。じゃなくて。


 ぐっと唇を噛んだ。


「大人に、なれるんだよ……」


 ロータスは私のことを、好きだと言っていた。もしかしたら、どうでもよくなってしまっているかもしれないし、あのときは私のことを、こんな子どもだと思ってもいなかったから、話も違うけど。

 私が擦りだすように呟いた言葉に、ロータスは眉をひそめて考えた。はらぺこ亭で、言ってた、と小さく付け足した言葉で、勘づくものがあったみたいで、あっと彼は瞬いた。それからひどく、言いづらそうな顔をして、視線をきょろつかせた。


「あー、うん、あー……」


 そりゃ言葉に困りますよね、としか言いようがない。こんな複雑なこと、ありえない。見ると、ストラさんのからかいにも負けなかった彼なのに、耳たぶが少しだけ赤い。


「私は、ロータスのこと、好きだよ……」


 卑怯だと思いながらも、先に気持ちを伝えてしまった。イッチ達は、わおー……と、呟いて、空気を読んだのかしゅんしゅん鞄の中に戻っていく。ロータスは苦しんでいた。幾度か何かを言おうとして、言葉を飲み込んで、吐き出した。


「…………育て」

「え」

「とりあえず、育て! 以上だ!」


 ガキに迫る趣味はねえ、と彼が呟いたとき、ぽふりと姿を変えてみた。ちょうど夜だ。MPの補給も問題ない。「おわっ!」 急に重たくなったものだから、バランスを崩した。ひゃあと悲鳴をあげて、彼の首元にくっついた。それから、ぽそりと耳元で、囁いてみる。


「お、大人になれるんだけど、これじゃだめかな……?」


 ロータスは、じっと私を見下ろした。それから、一瞬で顔を赤くした。「ばっ」 溜めた言葉の後に、「ば、馬鹿か!」 叫ばれた。


「な、なんつー格好してんだよ、服着ろ服!」

「ふ、服は着てるし、前からこれでしょ! それに好きでこんなイケイケじゃないから!」

「イケイケってなんだよ、見えすぎなんだよ、ふざけてんのか!」

「大真面目だよお!」


 っていうか好きで着てたわけじゃねえのかよ……!? という彼のツッコミに、そこは話せば短いし長いので、今度きちんと説明しなければいけない必要性を感じた。私の性癖が疑われてしまう。大人の体をお姫様だっこで持ち上げられたまま、ロータスはさすがに耐えかねたのか思いっきり視線をそらしている。「そ、そんな格好しなくてもな」 あー、と言葉にならない声を吐いて、溜め息をついている。


 さすがにちょっと、無理やり過ぎたかと反省した。

 ロータスは、やっぱり長い溜め息をついた。それから、「別に、変わらねえって言っただろ。ガキでも、そうじゃなくても、お前はお前だよ」 つまりそれって。


「ロータス、すきーーー!!」

「あほ、ばか、くっつくなーーー!!」


 二人で上に、下にと空の中であわあわする。「いい加減にしろ!」と怒られたときには、すっかりお子様になって、首根っこを掴まれる形で持ち運ばれた。扱いがちょっとひどい。

 いつの間にか、ゆっくりと空が明るくなっていく。さすがに変な持ち方だったのは一瞬で、あとはちゃんと抱えてくれた。まずは新しい街へ向かう。私達のことを知らない街へ。それから――――どうしよう。


 考えることはたくさんある。目的地だって、はっきりと定まっているわけじゃない。でも、みんながいる。ロータスと、三匹のスライムだ。明るい空の向こうへ、ゆっくりと進んでいく。




 ***





「ロータス、旅に出たんだって?」


 ぽつりと呟いた赤髪の少女の言葉に、うん、と白髪の青年は頷いた。水臭いわよね、という感想に、そうだね、と同じく返事をする。少しばかり少女に元気がないのは、可愛らしい妹分の少女がいなくなってしまったからだ。街で魔物が暴れまわった。街には大きな傷跡を残したが、不思議なことに、少しばかりの怪我人が出たくらいで、死者は誰もいなかった。


 妙な格好をした、金髪の魔族の女が悪さをしでかしたのだと言う。今からこの街を壊してやろうと散々に宣言をして、その通りに行った。女は間抜けで、わざわざ予告をしてくれた。だからその間に、周囲の市民の避難が完了してしまったのだ。多くの市民が、女を嘲笑した。愚かな魔族は、やっぱり愚かなのだと、笑っていた。


 その魔族の女は、消えてしまった少女と、よく似た風貌だったのだと言う。まるで、少女を大人にさせたような顔つきだった、とはらぺこ亭の常連が教えてくれた。魔族も少女も消えた。だからもう、事実はわかりもしないけど。


「エルは、私達を逃がそうとしてくれたわよね……」


 必死に、行ってと叫んでいた。

 ヨザキは、何も言えなかった。ただ、友人との言葉を思い出した。潰れてしまった建物と、魔物の死骸を手分けして処理していたときだ。いきなり現れた姿に驚いて、どこに行ってたんだと疑問を告げた。


『ヨザキ、俺は旅に出る』


 ただそれだけだった。抱えた荷物は彼が外に向かう任務のときに、使っていたものだ。あまりにも短い言葉だったから、何を言っているんだと聞くことができなかった。代わりに飛び出したセリフは、自分でもよくわからないものだった。


『ヴェジャのところに行くのか……!?』


 その名前を言ったのは、随分久しぶりのことだ。昔は、いつも三人で遊んでいた。女みたいな顔つきで、ヨザキの真っ白な髪とは少し違う、銀の髪を持つ少年だった。本当の名前は、もう少しばかり長いけど、言いづらいから短くしていた。


 ロータスは幾度か瞬いた。違うに決まっている。あいつはもう死んだのだから。でも、なぜだかそう思った。ヨザキにとって、彼の死はひどく辛いものだった。だから、奥深くに埋めていた。見ないふりをしていた。でもロータスは違った。ずっと、何かを考えて、前を向いて、内に疑問を抱えていた。


『悪いな』あっさりとした別れだった。背中を向けたロータスに向かって、何かを言わなければ。そう思ったのに、何を言えばいいのかもわからない。『ロータス!』 呼び止めたいわけではない。でも、彼の名を呼んでいた。『僕の髪を、からかわなかったのは、お前だけだったよ!』 ヨザキの髪は真っ白で、まるで老人のようだ。子どもばかりの孤児院では、いつも笑われて悔しくて、唇を噛んでいた。


 ロータスにとってはなんてこともないものだったかもしれないけど、人と、自身の価値観は違うものだ。吐き出して、下を向いた。そして顔を上げたときには、ロータスは消えていた。


「エルは、魔族だったのかしら……」


 ヨザキは弱い男だから、その可能性を口にすることも恐ろしかった。ストラの強さが、羨ましかった。できることは、どうだろう、と曖昧に返事をすることぐらいだ。


「ねえ、魔族って」


 ストラでさえも、それ以上の言葉は言えない。考えてはいけない。生まれ持った価値観は、そう簡単に崩れない。互いに無言になった。でも、気づいてもいた。老人のような髪を持つ子どもだから、おかしいに決まっている。そんな言葉に幾度も小さな拳を握って、生きてきた。もしかすると、それはひどく似ているような気もした。


 自分は、ロータスのようになれない。そのことが悔しかった。


「僕には、何もわからないけど、でも」


 彼女の進む道が、辛いものでないといい。そう願った。無事で、また会える日が来るように。




 ***




 真っ直ぐに、真っ直ぐに進んでいく。光が落ちて、こぼれていく。くるくる落ちて、滑って、転がった。目が覚めると、覚えのある人間がいる。いや、ゲーム画面でいつも見ていた人たちだ。私は召喚されたのだという。理由は随分聞き覚えのあるものだ。


「い、イケメン……」

「は?」


 おっとと、と口元を押さえた。うっかり目の前の青年を見つめすぎていた。

 持っていた学生手帳を覗いてみると、名前も変わっているらしい。名前は“結子”。知っている。これは“ゲーム”のヒロインだ。


「なにこれ? 乙女ゲーの主人公? 勝ち組じゃん、万歳じゃん、私の推しキャラよ、待っててよーーーー!!!!」







「ぶくしゅん」

「うわロータス、風邪ひいた?」


 焚き火にあたる? と聞いてみると、彼は不思議な顔をして、人差し指で鼻をこすりながら首を傾げた。

 頭の上は、とっぷりと帳が落ちている。雲がない空というのは、中々に新鮮だ。あれから、三年の月日が経った。私は八歳から十一歳に。ロータスは二十一歳だ。



 ――――五つ葉の国の、物語が始まる。



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