33 終結

 

 私はこの世界の神様に会ったことがある。

 ゲームでは人の格好をしてときおり姿を現して、様々な願いを叶えてくれていた。神様はたったの一度きり人の願いを叶えてくれるけど、それをしてしまうと神様ルートに一直線だ。だから知らないふりをしていた。ヴェルベクトの街に来てからというもの、私という存在に面白がっていたのか、猫に姿を変えてずっと私の前でちらほらしていた。


 テイマースキルを使っている最中ならまだしも、他のスキルを使用しているときにもやって来ていたから、隠す気はないのか、それともうっかりなのかわからないけど。


 ゆらゆらと、目の前の猫は尻尾を動かしている。


 どしん、どしん、と揺れていた音はピタリと止まった。ときおり感じていたロータスの息でさえも止まってしまったから、ひっと悲鳴を上げた。でも違った。空間の、空気すらも動いていない。ぱくぱくと口をあけて、声すらでないと思ったら、息をすることもできない。空気が動いていないからだ。苦しくなって、喉をひくつかせた。パンッと猫が尻尾で地面を叩いた。


「うわ、はあ、はあっ、はあっ……!」


 前のめりに、ロータスを抱きしめたまま深い息を繰り返した。


「か、神様……!」

「あれ、俺のこと知ってるかんじ?」


 あれれ、と猫は金色の瞳をくるくるさせる。体の色は灰色で、つやつやした毛並みだった。「なになに、お願い事?」 呼ばれたから、思わず来ちゃった、と神様は口元をふくりとさせて、立派なひげをぴくぴくさせた。


 ロータスを、助けて欲しい。


 すでに伝えた願いだけど、再度言うには覚悟が必要だった。だって、これを伝えてしまえば、私は一生神様の奴隷だ。逃げることはできないし、苦しいことだって、たくさんあるかもしれない。なのに、はっきりと声を伝えていた。


「お願いです、ロータスを助けて!」


 驚いた感情がやってきたのは後からだった。でも後悔なんてなかった。時間が止まった世界の中で、ぴくりとも動かないロータスがこ、このまま本当のことになってしまったら。そっちの方が、ずっとずっと怖かった。ううん、と神様は唸った。人の姿になることができる彼なのに、何が面白いのかそのまま猫の姿でたしたしと周囲を歩いて回った。「うん、わかった」 そして頷いた。


「でもお断り!」

「な、え……?」


 気まぐれな神様だと知っていたけど、ここまできて、そんなことを言われると思わなかった。わかったって言ったじゃん。なんでそんなこと言うの。こっちからお願いをして、彼が肯定をする義務なんてどこにもないのに、ただ裏切られたような感情で、愕然とした。ひどい、と口が勝手に呟いている。


「ひどくなんてないよ。俺は君を助ける義務はない。そこの人のこともね」

「だって、そんな、一度きりならって、ゲームだったら」

「ゲーム?」

「い、五つ葉の国の」


 言ったところで、ここは現実なのだと知った。悔しくて、いや、苦しくて嗚咽が漏れた。なんとか、ロータスを助けることができる。そう思ったのに。都合よく、喜んでしまったのに。結局、何もできなかった。ぼろぼろとこぼれるだけの涙が悔しくて、情けなくてたまらなかった。


「そりゃあ、俺だって困っている人間の願いを叶えるのはやぶさかではないよ? でもさあ、そういうのって、願って、願って、それでもどうにもならない。そんな人間なら、一回くらいなら手助けしてあげてもいいけど」


 そもそも俺たち神様なんて気まぐれだし、期待してもらっちゃ困るよね、と猫は赤い舌をちろりと出した。感情を吐き出すこともできずに、動かないロータスの体を抱きしめた。止まっている時間が動き出したら、どうなってしまうのだろう。このままずっと動かないで欲しい。願っても、願っても届かない。苦しくて、瞳を瞑った。


「だって君は違うもん」


 あんまりにも涙ばかりがぼとぼととこぼれるから、瞳が溶けてしまうかと思った。苦しい。

 でもそうだな、ちょっとくらい、ヒントならあげてもいいかも、と猫は静かに尻尾を揺らした。


「それ、もうちょっとなんじゃない? 塵も積もれば山となるしね」



 空間が弾けた。時間が戻ってくる。猫の姿はどこにもない。僅かに、ロータスが咳き込んだ。苦しげな声ばかりが聞こえる。どんどん彼の血が流れていく。魔物がゆっくりと進む音が聞こえる。なんの解決にもならなかったのだ。


 なにがもうちょっとなのか。そんなの知らないし、ヒントにもならない。塵も積もれば山となる。いくら考えてもわからない。なんなの。助けて、わかんない。口元を震わせて首を振ったとき、イッチたちが、あれ、一体なんだったのお? と必死に瓦礫を押さえて会話をし合っている。


 おじゃまんぼしてきた猫さんだったねえ。猫さんだったねー。でもでも、神様ってエルがいってたよう。はええ、神様だったの。あちらが噂の。生まれたときに会ったよねぇ。記憶にございませんな。ございませんかあ。


「い、イッチたちも、見えてたの……?」


 あんまりにも必死だったから、止まった時間の中で動いているのは私だけだと思っていた。彼らも神様のことを見ていて、存在を認識していたらしい。そのとき、ふと礼拝堂の天井に描かれていた絵を思い出した。樹木や、葉っぱのモチーフが多くて、あとは水場だ。水場は世界樹に水やりをしようとして溢してしまった神様のあととも言えるので、ひどく神聖なもので、モンスターでさえも大人しくなる。


 イッチ達のお腹の中で、ぷよぷよと赤い核が揺れていた。――――スライム水。それは冒険者の間で、飲料水として重宝されている。水はクラウディ国において大切なものだ。神様の落とし物だから。なら、それをお腹の中に持っているスライムも。生まれたときに会った。つまり、そういうこと?


 だからって、そんなことが何に関わるのかもわからない。なんにもならない。柱が一本、目の前に落ちた。慌ててロータスをかばった。時間がない。もうちょっとなんじゃない? 神様はそう言っていたけど、一体、なにがもうちょっとなのか。


 誰か助けてと願う気持ちは、私が彼を助けないとという気持ちに変わって、たくさん考えた。いくつものスキルを頭の中で組み合わせる。そうしないと、ロータスだけじゃない。イッチ達だって、潰れて死んでしまう。魔物を消さなければ、街そのものまでなくなってしまう。


 ぐるぐる考えた。いろんなステータスを合わせて、確認して、消した。称号を確認する。ひとつひとつ、当てはめる。称号、まぬけな嘘つき。それをカチリとはめたときだ。一つ、頭の中でアナウンスが聞こえた。


【幻術スキルのレベルが上がりました】


 ぴろんっと音が鳴った。

 Lv.2から、Lv.3へ。つまり、複数同時に使用することのできるスキルは、幻術スキルを合わせて、同時に四つまで。幻術スキルの説明は、【思い込みを力に変える】 いつの間にか、それが少し変わっていた。【ついた嘘を力に変える】 称号は、僅かにステータスを上昇させる。野生児なら身体能力を。まぬけな嘘つきの称号は、幻術スキルに特化したものだった。


 持っているスキルの能力を確認した。すると、一つだけ方法に気づいた。ロータスを助けることができる方法に。

 重なり合った経験値が、やっと溜まった。スキルレベルがあがった。だからできることがあった。ひどく悩んだ。これはロータスが望むはずのない行為だ。どうしよう、と考えている時間はなかった。ただ彼に生きてほしかった。


「サンとニィはそのまま、壁を支えててね」


 がんばるぞう、とぶるぶるする。「イッチはこっち」 ロータスの隣に呼んだ。血の気のない青年の顔を、イッチは心配気に見つめている。すでに彼の意識はない。

 私は大人になった体を、そっとロータスに近づけた。そして破れてむき出しになった彼の首筋に唇をあてた。


「ごめんね」


 謝った言葉は、ただの自己満足だ。彼の首筋へ、歯を立てるように思いっきり噛み付いた。がぶりと口の中に血が滲んだ。


 水はクラウディ国にとって、神聖なもの。それなら、血液だって水の一つに違いない。


【釣りスキルを使用します】


 釣りスキルの特性は釣り以外にも、水の流れを僅かに変化させることができる。これだけじゃたりない。


【察知スキルを使用します】【捜索スキルを使用します】【お手伝いスキルを使用します】


 スキルをいくつも組み合わせて、ロータスの体の血液の循環を探った。察知スキルで彼の体の状態を察知し、探索スキルで血液を探る。そして、お手伝いスキルで底上げする。スキルのレベルは掛け算じゃなく足し算だ。使用するスキルが多ければ多いほど、その威力は上がっていく。ときおり聞き耳スキルを入れ替え、音を確認した。どくどくと流れるばかりだった彼の血の流れが止まっていく。首筋から同時に魔力を注ぎ込んだ。ネックレスに溜めていた魔力が、驚くほどのスピードで削れていく。


 じわりと汗が滲んだ。焦るばかりだった。イッチには、彼の体の中の水を借りることをお願いした。むん、といつもより体を大きくしたイッチの手が、にゅんとロータスの傷に伸びた。ロータスの血と、イッチの水がくるくる合わさる。流れた血の中に、神様の水が入り込んで、少しずつ彼の中に体温が戻っていく。



 全てが終わったとき、ロータスはゆっくりと“両目”を開いた。彼のその瞳を見て、少しばかり泣きそうになってしまった。嘘を力に変える幻術だ。でも、何もないところから全てを生み出すには私の力はまだ足りない。


「ロータス……」

「よく、わからんが」


 わずかにかすれている声だった。「随分、心配かけたのか……?」 片手を伸ばした。それから、私の頬を手のひらでなでてくれた。


「なあ、エル」


 大人の姿の私に、名前を呼んだ。








 ゲームでのロータスは、魔物との戦いで、片腕と片目を失った。そして、固有の能力を得た。

 そのときの状況がどんなものだったのか。私は想像でしかわからない。ストラさんと、ヨザキさんを失い、片目と腕すらもなく彼は血だらけで叫んだのだろうか。しかし壮絶な戦いの中、体中をぼろぼろにさせ、見事に魔物に打ち勝った。


 なぜゲームでの彼が深手を負ったのか。これはただの想像にすぎないけど、今と同じように、彼は誰かを守ったのかもしれない。片目と片腕がないだなんて、彼が固有スキルを持つにしても、動いていることの方がおかしい大怪我だ。でも、ロータスは勝利を収めた。なら疑問がある。


 ――――彼が初めから怪我をしていなかったら。固有スキルの能力もない彼が、魔物と相対していたら、結果はどうなっていたのか?



 ロータスは、まっすぐに立って、眼前を睨んだ。そして腰にさした二本の剣から、一本だけを抜き出した。目前には、彼の何倍も、何十倍も大きな、山のような生き物がいた。何十本もある手足を蠢かせ、ぎょろぎょろといくつもの目が周囲を見回している。


「おい、好き勝手に壊しまわってくれたもんだな」


 ロータスの言葉に、魔物は不可思議な音を立て体を破かせながらぎちぎちと裂けた口を覗かせた。「たまんねえな」 青年は呆れたように肩をすくめた。魔物からすると、彼はただの餌だった。食って、壊して、殺して、ただそれだけで、理性などどこにもない。青年めがけて、魔物が飛び込む。その山のような塊が、動くこともなく胴体のみをバウンドさせた。


 それだけでも、あまりにも大きすぎるから石畳を削り、街を崩していく。細切れにされてしまった足達が、僅かに震えてぐちゃりと落ちた。


「胴体ばっかで、足がほっせえからそうなるんだよ」


 彼の言葉を理解したわけではないだろう。魔物は吠えた。GYASYAAAAAAAAAAA!!!!! 耳がおかしくなりそうだ。声にも言葉にも、何にもなることのないなりかけの叫びが、イッチ達と隠れて様子を窺っていた私のもとまでやってくる。怖くて震える体に、イッチたちがもそもそとやってきた。自分たちだってただのお掃除スライムだから、逃げ出したいに決まっているのに、大丈夫! と言っている。ロータスが言ってたもの、と。


『あれくらい問題ねえな。ちゃちゃっと終わらせてくるか。お前は、ちゃんと隠れとけよ』


 説明はじっくりさせてやる、と怒ってないけど、怒っているみたいな吊り目で彼は口角を上げた。ロータスは、誰よりも強かった。孤児であるから出世なんて見込めなくて、ただの下っ端だったけど、スライムが森から消えてしまった原因をたった一人で探るようにと命じられるくらいに、強かったのだ。


 固有スキルを得たという理由だけでは、彼の出世までの時間は短すぎた。国一番の騎士になるまで、所要した時間はたったの一、二年だったのだから。

 そこはまあ、ゲームの設定だもんね、と深く考えていなかったけど、こうして剣を振るうロータスの姿を見て理解した。彼は、スキルがなくても、ただの生身の青年でも、強すぎる。


 彼が真っ直ぐに魔物に剣を突き立てたとき、魔物は断末魔を叫び、力なく崩れ落ちた。


 誰もいない、崩れ落ちた街の中で、ただ一人、青年が立っていた。ぼろぼろの服で、雲ばかりの空を見上げていた。雲の隙間から、ゆっくりと光がさした。日が沈んでいく。


 ――――その背中にはまるでコウモリのような羽が、一対。


 ゆっくりと赤い光に染まっていく。

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