26 我らが掃除、しときますので

 

「好きな女の話だな」


 ん、んんん、んんんん


 口元が勝手にへの字になる。もしかしてこれはと思うのは自意識過剰なのだろうか。ロータスには色んな知り合いがいるのかもしれない。むしろそうであって欲しい。

 違うに決まっている、私は魔族だし、変なところしか見せていないし絶対違う、と思いながらもむやみやたらにテーブルを拭く手がとまらない。でも気にしていない、絶対違うから。気にしない。テーブルを綺麗に磨き上げてみせる。


【聞き耳スキルを取得しました】

 やめてください。


 私の心境を的確にスキルに昇華させるのはやめて欲しい。ストラさんとロータスの会話が、さきほどよりもよく聞こえる。「す、好きってあんた……」 自分で聞いてみたものの、さすがにそんな返答が返ってくるとは思わず、ストラさんがくらりと一歩後ずさった。「はぐわあ!」 そして男らしい悲鳴(でも女性)でぐねりとなった足首に手を当てて、未だに完治しない古傷に震えている。大丈夫なのか。

 彼女は脂汗を流しつつ、それよりと顔を上げた。


「好き? なにそれまじで? ちょっとマジで?」


 ストラさんの混乱する顔を放って、彼は黙々とシチューを食べている。「まあな」「もうちょっと照れろ……!!?」 からかいに強い男、ロータスである。なぜだかこっちの方が照れてくる。まさかの発展してしまった恋バナに口元を噛み締めながら彼らの周りをぐるぐると掃除する。握りしめた布巾はぐしゃぐしゃになっていた。あわわと持ち上げてると、私の手にそっとニィの手がにゅいんと伸びた。


 我らが掃除、しときますので


 ストラさんのしゃくれた顎を修復するため駆けつけていた三匹だが、いつの間にか私の周囲でふるふるしている。なぜだか気を使わせてしまって大変申し訳ない。


 すでにプロの領域に足を踏み入れているイッチ達は三匹の力を終結しあっと言う間にお店を光り輝かせていく。女将さんは厨房にこもっているし、ストラさんはロータスの発言に驚いて私の動きには気づかないし、珍しくお客さんもいないしで、ただ私は膝を丸めて座った。なぜだろう、とにかく切ない。


「え、ええー、どんな子? いくつくらい、どこで出会ったの?」

「ん? 多分同い年か年上だろ。出会ったのはここらへんだな」


 情報が流れるほどに、うううん、大人の姿として出会ったのははらぺこ亭の屋根の上、見かけはそれくらい……と心の中でひっそり考えてしまう。そしてどんな子、と聞かれた言葉にロータスは固いパンを噛み締めながら考えた。


「すげえ、寒そうな……」

「さっき言ってたわね……」


 いやそういうことを聞いているんじゃないんだけど、とストラさんは言いたげである。


「っていうか寒いってなによ。むしろあんたがガチガチに着すぎなの。女の子にはねー、いろいろあんの! 服には機能性以外にも、おしゃれの美学があんのよ! あんたにはわからないでしょうけどねー」


 ぽんぽん、片手で胸を叩くストラさんに、ロータスはわずかに眉をひそめた。なにやら考えている様子だった。


「そりゃ俺にもわかるけどな。でも限度ってものがあるだろ」

「限度って。なによちゃんと服を着てるんでしょ? 丸見えなわけじゃないんだし」

「丸見えなんだが」

「痴女じゃん……」


 テンションの落差がひどい。「丸見えって」 ストラさんは静かに口元を押さえた。そして、「すごい痴女じゃん……?」 二度言った。



 結論的には、好きでしてんだからわざわざあんたに文句言われる筋合いはないんじゃない、というストラさんの言葉にそりゃそうか、とロータスは頷いていたけれど、ただただ胸が辛くなる会話だった。いやこれ私のことじゃないかもしれないし。ワンチャン、ほんとにワンチャンあるかもだし。


 ロータスはこの街で育った。だから顔も広いし、人にもよく頼られる。知り合いも多いだろう。痴女の一人や二人、いたっておかしくない。だから違うし大丈夫、と胸に手を当ててロータスと向き合った。青年の顔をまっすぐに見ることができないと思うのは、私の中のやましいような、妙な気持ちが暴れているからだ。



 石畳の道の上で、夜になるとロータスに会う。ロータスはいつも木の幹にもたれかかっていて、不機嫌に眉がつり上がっているのに、怒っているわけではなくいつも同じ表情だから、このところ慣れてきた。それより丸見え、という言葉を思い出して、普段よりも心持ち気をつけて毛布を巻いてみたけど、あまりにも心もとなく風一つでばさばさする。


「おっふ、ぶしゅっ!」


 ロータスに声をかけようとしたとき、大きく風がはためいた。毛布は悲しく私の顔にへばりつく。「あ、あう、あう、おうっ」 知っているかい。これを人はポンコツと言うのだ。ヒールつきの両足をじたばたさせるものだから、攻撃的な足音ばかりが響いている。


「なにしてんだよ」


 呆れたみたいな声だった。ロータスは私の顔にへばりついた毛布と、ぐしゃぐしゃの髪の毛を手のひらでかきわけた。「ご、ごめんなさい……」 ぶしゅ、ともう一回くしゃみをしたとき、彼は持っていた自分のマフラーを首元に無理やりまいた。ぐえ、と冗談を言っている場合ではない。


「それくらいしとけ」


 首元がしっかり隠れるとホッとする。分厚い布だ。好き好んでこんな格好をしているわけではないので、お借りしてもいいのだろうかと困った気持ちと、ありがたや、という純粋な気持ちで「ありがとう……」と鼻をすすってお礼を言った。見上げると、びっくりするくらい優しそうな顔がそこにあった。いやいや。


 目が合うと、ロータスはいつのも不機嫌な顔つきに戻ってしまった。どうしたとばかりに僅かに眉をぴくりとして、すぐに私の首元を見てマフラーを結んで、正面向き合ってだから自分でするようにはいかないのか、こうか? こうだ。こうだったな? と首を傾げて格闘している。

 じわじわと、指先が温かくなったのは、マフラーのせいだけじゃない。


「……嫌だったか?」

「えっ、いえ、そんなわけじゃ」


 ストラさんに、好きでしてるんだから文句を言われる筋合いはない、と言われたことを気にしているのだろうか。私の返答にほっとしたようにも見える。彼女からの忠告がきいているのか、ロータスはそれ以上、何も言わなかった。いや好きで着ているわけじゃないんだけどね?


 納得のいく形で巻けたのだろう。「おし」とロータスは白い歯を見せてにかりと笑った。長いマフラーをぐるぐる巻きにしたから首元がもこっとして、不安だった胸元はしっかりと隠れている。案外器用だ。


 私じゃないかも、と少しくらいの逃げ道で考えていたけれど、私だってそこまで馬鹿なわけじゃない。ロータスが一瞬だけ見せた、ひどく優しげなあの顔を思い出した。ぎゅう、と胸の奥が痛くなる。寒いのに、寒くない。ぱくりと口を動かして、お礼を伝えた声は、自分でもびっくりするほどか細かったから、少しばかりロータスは驚いているみたいだった。でも、こっちはそれどころじゃない。


 彼の純粋な好意に気づいてしまったのだ。

 どうしたらいいのか、わからなかった。

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