62 小さな星の集まり
前回までのまとめ。ヴェダーがサンにつけた印は、実はサンのお尻についていた。
スライムなので体の部位が本人にしかわからないために起こった悲劇。あと私が最後にとどめをさした。大変申し訳ない。
お尻を抱えてふるふるするサンを全員で慰めつつ、「と、とにかく」と、さすがのヴェダーも若干口元をひきつらせて、ぱちんと一つ、指を鳴らした。サンにつけられた赤い絵の具らしきあとはそれだけで消えてしまう。話を戻そう。
けほん、とヴェダーは咳をしつつ、説明した。
「私は、そこのスライムくんに“印”をつけておいたんですよ。そうしたら、逃げられたとしてもどこにいるかということはすぐにわかりますから。なのに、探知の魔道具を使ってみると、どこにもいない」
ヴェダーの腕輪は魔道具だ。気配察知の機能がついていて、ヴェダーが使用することで驚くほど高性能になりモンスターの気配を探知することができる。つまり探知の魔道具ではサンの気配を見失ったのに、もう一つ、私が知らない別の魔道具でつけていた印は反応した。これはおかしい、となると、誰かが気配の遮断を行っている。
「魔道具か、スキルなのか不明でしたが、そちらのスライムくん、出会ったときは宿のベッドの上で踊っていましたからね。まずは宿をとった人間を調べようとしましたが、そちらから来てくださるのならありがたい話です。私も忙しい身ですから、仕事をしながら待っておりました」
「ご、合理性の鬼ィ……」
お忙しくいらっしゃる。というか今サンが踊っていたとさらりと言ったけれども、それを見たときのヴェダーの心境をもうちょい教えてほしい。なんというか、気分はうちのスライムがすみませんという感じである。多分あやつは一人カーニバルを開催していた。
「それで、あなた方は、一体何をしにいらっしゃったのですか?」
ド直球ストレートな質問だ。思わず唸った。すると、ヴェダーは私の心境を読み取ったのか、「回りくどい質問はあまり好きではありません。時間の無駄ですから」 お忙しくいらっしゃる副塔様である。唸る私の前には、気づけばロータスが立っていた。何かあれば、構うことなく飛び出そうとしていることがわかるし、ヴェダーももちろんそれを理解している。
今は自分に幻術スキルを使用したままだから、大人の姿だ。でも結局、ロータスの力ばかりを借りてしまう自分には辟易する。そうして、気持ちを重たくしている場合ではない。話し合いは、私の領分だ。ずいと前に足を踏み出した。
「目的は、お伝えします。その前に、こちらも質問があります」
大人の姿であってよかったと思う。少なくとも、ヴェダーを見上げる視線はいつもよりも少なくて済む。
「私は、見ての通り魔族です。なのに、あなたは私達を拘束するわけでもなく、攻撃するでもなく、何もしない。それはなぜですか?」
ここはあえて、『私』と告げた。ロータスも飛行スキルを見せてしまったから、魔族と思われているかもしれないけど、彼の瞳の色は、幻術スキルを使ったままだから黒紫だ。ごまかし通せるのなら、力ずくでも通したい、と思ってのことだ。
人と魔族は敵対するものだ。問いかけた自分の質問は、ひどく虚しいものだと思った。
でも、そんな虚しいことが私の中ではすでに当たり前のことになっている。エルドラドになったから、魔族になったから。人よりも下なのだとは思わない。でも対抗しようと思っているわけでもない。ただ、私達には“差”がある。それは見かけであったり、固有スキルであったり、はっきりと目に映るわかりやすいもの以外にも、存在する何かがある。
その“差”を、見ないふりをするわけにはいかない。
いつの間にか、ヴェダーが伸ばしていた木々の枝は、元通りになっていて、静かな月明かりが空から丸く足元に映していた。ヴェダーは錫杖を握り、木の幹を背にしてゆっくりと微笑んだ。先程までの、まるで作っているような笑みではなく、うっかりとこぼれてしまった。そんな笑みだった。
「……あなたは、こんな噂を知っているでしょうか」
しゃん、と聞こえた音は、今度こそ錫杖からだった。澄んだ鈴の音のような、とても綺麗な音だ。
「……噂?」
「むしろ、あなたが一番知りもしないものかもしれませんね。でも、私は知っています。この木が教えてくれた」
見上げた木は、ヴェダーや、ロータスよりもずっと高い。青々とした葉はしっかりとしていて、生きる力にあふれていた。――これは世界樹の、一つである。いや、本当の世界樹はもっと大きくて、この木はただの枝葉の一つだ。ソレイユで使用するショートカットに使う世界樹の枝は、ここを中心にしている。だから魔道の塔の、結子の部屋に行くときも、この場所に入るときも、同じ呪文を使う。根っこは同じなのだから。
「私の大きな仕事の一つが、この木の管理になります。この世界で初めて世界樹の葉として生まれた国がソレイユです。だからこそ魔道具という過去の遺物をこの国では使用することができ、どこよりも長く、他の葉へ根を伸ばしている。ですからね、私はひどく、耳が利くのですよ」
何がいいたいのか。自然と、こっちの眉間の皺が深くなる。目的がわからないおしゃべりは不安になる。遠回しの会話は嫌いだと言ったくせに、と思ったけれど、これはヴェダーにとったら、まっすぐした説明なのだろう。それなら、口を挟まずにじっと言葉を聞こうと思った。ヴェダーは満足げに頷いた。
「私は、以前からあなたのことを知っています」
三年ほど前からでしょうか? と付け足して、ついと片手をあげた。私達の周囲に、小さな泡がいくつも浮かぶ。その泡一つひとつの中に、何かが映っていた。ぱちりと瞬くと、ぐんとそれが大きくなる。映っているものは、私だった。
必死に走っていた。
街中で、今と同じ大人の姿で顔を真っ赤にして、注目! と叫んでいる。自分が悪い魔族だから、悪さをしでかすぞ、街を壊してしまうぞと脅して、できる限りの大声を出していたけれど、今見てみると、ちょっとだけ泣いていた。怖かったのだ。蜘蛛の子のように逃げる人々を見て、ほっとした。誰も怪我をすることがないように、思いついた名案のつもりだった。
でもそのとき、本当に、本当に少しだったけれど、悲しく思う気持ちもあった。私は魔族だから、そんな風に人は逃げる。
でも逃げてもらわなければ、大変なことになってしまう。溢れかえった重苦しい魔力に押しつぶされてしまいそうだ。大切な人達を守る、なんて大層なことは言えないけど、せめてできる限りのことをしたかったのだ。現れた魔物をロータスが倒すと、泡が弾けた。
「これは三年前、クラウディ国の首都、ヴェルベクトでの記憶です」
――知っている。
見返してみると、滑稽だなと思った。あのときはあんなに頑張っていたつもりだったのに、馬鹿みたいにがむしゃらで、情けなくて、もっと上手にできる方法なんていくらでもあっただろうに。
「私は他の葉の情報を、なるべく拾い上げるようにと努めています。しかし、四つの国全てとなると膨大な情報ですから、ある程度の選別が必要になります。この事件で、ヴェルベクトの街の一部は崩壊しました。気にするなという方が難しい。しかし、街の状態に比べ、驚くべきことに死者は一人もいなかった。その話の裏には、一人の魔族がいた」
あなたですよ、とヴェダーは私に瞳を向けた。いつの間にか私達の周囲にはいくつものシャボン玉が溢れていた。その一つひとつに様々な景色が映っている。
「私は不思議に思って、あなたを追いかけることにしました。すると、いくつもの噂話も舞い込んできた」
――間抜けな魔族だよ。街を壊そうとするときに、わざわざ自分から予告するんだから。
――おかげでみぃんな逃げることができたもんな。ちょっと怪我をしたやつはいたけどよ。
――そりゃ、あそこの家の息子が間抜けだったからだろ。逃げる途中に驚いてすっころんだんだろ。
――なんにせよ、馬鹿な魔族でよかったな。
げらげらと男達が笑っている。そう思われるだろうと思っていたから、嗤われることに対しては、あまり多くは感じなかった。
――本当に、そうなの?
だから、男の言葉に声を震わせながら尋ねた女性が不思議だった。知らない女の人だ。疑問を投げた彼女に、男達は一斉に振り返った。びっくりして、小さくなってぶるぶる震えた。それなら、口に出さなければいいのに、拳を握って、ただ、不思議に思っただけなの、と下を向きつつ続けた。
――街を壊すのに、自分から言う必要なんてあるのかしら。何か、別の目的があったんじゃないかしら。
別の目的ってそりゃなんだ、と問われると、わからないけど、と女の人はさらに小さくなってしまう。
――でも、なんだか変だなって思ったのよ。本当に、その魔族は私達の街を壊したかったのかしら……?
女の人の疑問に、男達は顔をあわせて首を傾げていたが、興が冷めたようなに、知らねえよと去っていく。顔を上げた女の人は可愛らしい顔つきをしていたけれど、本当に、知らない人だ。
「あの、この人は……」
「あなたは会ったことがあると思いますよ。少しばかり時間をさかのぼって、枝の記憶を見てみますか?」
次の記憶は真っ暗な夜の日で、ふざけるなとロータスに怒鳴りつけられたときだった。
魔族で、どれだけ強いのかなんて知らないけれど、ここは人間の街なのだから、もっと慎重に生きるべきなのだと諭された。思い出すと、気恥ずかしさばかりが募る。それを少しさかのぼってみると、私は一人の女の人を助けていた。男の人達に路地で絡まれて困っていたのだ。魔族の姿で、ズヤァと踵のヒールを男の腹に叩き込んだ。それがきっかけで、ロータスに怒られてしまったのだが。
私が知らない女の人の記憶が流れる。夜に街を出歩くことは危ないとわかっていた。でも、どうしてもの事情があった。男達から逃げて、震えながらロータスに助けを求めたはいいものの、そのまま逃げてしまった。重たい後悔と一緒に、彼女の中には奇妙な格好をした女の記憶が残った。
それから幾日か経ち、街で暴れた女は妙な格好をしていたと噂をきいた。だから、もしかしたらと思った。自分を助けてくれた女が、魔族だったのだろうか……?
一つの泡には、一つの記憶が眠っていた。その次は、知っている人たちだ。ストラさんは元気に動き回っていて、はらぺこ亭の端っこには穴があいてしまったが、なんとか再建できたらしい。お店は相変わらずの人気っぷりで、女将さんと一緒に食堂を盛り上げている。よかった、とほっとして見つめた。
――あれ? 前にいた、ちっこい子は辞めちまったのか?
常連さんからの問いかけに、お皿を両手に持ったまま振り返って、少しだけ悲しそうな顔をする。でもそれは一瞬だ。私一人じゃ満足できないっての? とむんと怒る素振りをした。いやいや、と常連さんは慌てた。イヨッ、ストラちゃん可愛らしいよ、クラウディ一の美女だねえ、と盛り上げられる中で、いえいと回ってポーズをしている。料理がこぼれるだろこの馬鹿娘! と厨房から女将さんの怒鳴り声が聞こえた。
そんな風に、わいわい盛り上がる食堂の端っこで、ぽつりと誰かが呟いた。
――あのガキ、魔族だったんだよ
瞳の色は、なんとかごまかしてたんじゃないか? あのガキによく似た女が暴れてから、すぐに消えた。怪しいやつだし、そうだってんなら最低なクソガキだ、と昼間から酒を飲む男に、ストラさんは拳を振るった。いや行動が早すぎる。私は泡越しに突っ込んだ。ストラさんが持っていたお皿の料理は周囲のお客がキャッチして、がるがる唸る美女を幾人もがホールドした。腹に一発くらった男は一瞬でのびていた。でも、ストラさんはそれでも叫んでいた。
――根も葉もないことを言わないで!!
嘘だ。泡の中では、ストラさんの気持ちもほんの少しだけわかる。きっと、私は魔族なのだとストラさんもわかっていた。初めはもしかしたらだったのに、考えれば考えるほどそんなような気がしてきた。彼女は魔族は恐ろしいものだと教えられて生きてきた。だから、私が魔族だといわれてもよくわからないし、そこで思考は止まってしまう。言ってはいけないし、考えてもいけないことだからだ。でも。それでも。
――エルは、いい子だったんだから!
魔族ではなく、私個人に対することなら、いくらでも叫ぶことができる。
大きな瞳を涙でいっぱいにさせて、男達に後ろから抱えられながら。勝手に飛び出る自分の声に驚いた。でも、後悔なんてなかった。
ストラさんに殴られた男は、ハッとして意識を取り戻して、このアマ、とテーブルを蹴り飛ばし、立ち上がった。それを横からころばしたのはヨザキさんだ。営業妨害は街の平和を守る門番として許せませんので、とえんとつ帽子に手をかけながら笑う彼を、男は真っ赤な鼻を押さえて殴りかかるように起き上がろうとした。けれども幾人もの屈強な男達に見下され、すぐさま口元を引くつかせた。
お代は結構だから一生来るんじゃないよと最終的に女将さんに追い出され、はらぺこ亭の扉の前で、呆然とつむじ風を味わっていた。
「あなたはただの、一滴の水だ」
ヴェダーは静かに私を見つめた。
「けれども、その小さな一粒は、わずかな波紋を生む。生まれた波紋は、またどこかに響き、どこまでも続いていく」
ぱちり、ぱちりと泡の中の物語が一つずつ教えてくれる。
あれは魔族だった。
本当に?
一体、目的は。
街を壊すよりも、もっと悪いことをしようとしていたんだろう。
じゃあ、それってどんなものだ?
わからない。
わからないなら、違うのかもしれない。
それは、たくさんの噂話のような声だ。幾重にも重なるような、人々の声だった。
「あなた達の旅を、私はときおり覗いていました。もちろん、これはただの枝の記憶ですから、万能ではありません。ところどころが抜けてしまうから、あなた達がソレイユに来たことは知ってはいましたが、この街にいることは知らなかった。けれども、私達はあなた達になんの悪意もないことを知っています」
ロータスとイッチ達と一緒に旅をしてきた記憶が、どんどんと溢れて、シャボン玉の中に浮かぶ。ロータスに森の中をおんぶしてもらって、モンスターから逃げ惑って、みんなで笑って、ご飯を食べて、新しい街や村に行って、星空を見上げて眠った。記憶の中では、エルマが笑っていた。兄が魔族に変わってしまったという過去を持っていて、色んなことに苦しんで、それでも歯を食いしばって生きる、小さな女の子の友人だ。
――エルに、また会いたいな。
気づくと、ロータスが私の顔を大きな手のひらでぐしぐしとぬぐっていた。なぜだと思うと、ひどく涙が溢れていた。何を、どう飲み込んでいいのかわからない。ぼろぼろとこぼれた涙が止めることができなくて、幾度も息を飲み込んで、我慢をしようとして、駄目だった。
人は恐ろしい。少し見かけや立場が変わってしまっただけで、一瞬にして態度を変える。でも、ソキウスのように、魔族という種族ではなく、エルとして私を見てくれる人だっている。
それが正しいことなのか、正しくないのか。そんなこと、私にはわからない。でも、嬉しいと感じてしまう。
ぐずぐずになった私の顔を、ロータスはさらにぐしゃぐしゃになるようになでた。怒ろうと思ったはずなのに、うまく言葉が出なくて、彼の分厚い手のひらを掴んだ。温かくて、硬い手のひらだ。剣を握る人の指だ。そのことにひどく安心して、ただ唇を噛み締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます