77 雨のカーセイ
ソレイユでは雨が降ることがない。
クラウディのようにいくつもの水辺があるわけもない。ならばどこから水を得ているのか。スライムが消えてしまった土地だから、スライム水を手に入れることもできず、まさか遠い海から確保ができるわけでもない。
雨は降らない。じつはこれは正確ではなく、ほとんど、雨が降らない、と言い換えた方がいい。ときおりだけれど、まるで真夏の中のようなソレイユ国は、短時間だけ激しい雨が降ることがあるのだ。つまりはゲリラ豪雨みたいなものである。街全体を包む水球膜が雨を吸い込み、膜を分厚くさせ、溜まった水は次の雨まで少しずつ使用していく。
水球膜があるのはカーセイのような大きな都だけなので、そうでない村は突然来る雨に備えて、水を溜めるタンクをそこら中に設置している。それでも水はいくらあってもいいし、足りないばかりだから村中の人間がバケツを抱えて家と外とを何度も往復する。気象状況はゲームではランダムだったけど、だばだばの雨の中でNPC達が走っている姿をときどき見たものだ。
と、いうわけで、私とロータスは魔道の塔の窓からしとしと降る雨を見つめた。大方は膜に吸い取られてしまうけれど、それでも残ったものは都の中に降り注ぐ。いつもはからりとしているのに、今は少し蒸し暑い。テンションが高いのはイッチ達のみである。そういやレイシャンでもほほほい、ほいほい踊っていた。お水が大好きなスライム達だ。
――廊下の端っこから端っこまで、競争だよぉーーー!!
――いえーーーーい!!
――絶対に負けてたまるかってばよーーーー!!
ていんていんていん……。ころころ転がりながら消えていくイッチ達に目を向けた。そっちか。てっきりばびゅんと駆け抜けていくのかと思ったら、想像よりも平和に消えていった。魔道の塔の廊下は世界樹の間の中心部を囲むようにぐるぐる長いから、戻ってくるのは一体いつになるんだろう。
縦に長い塔だから、これくらいの距離でイッチ達の幻術スキルが切れてしまうこともない。元気にころころしておいでと見送ったところで、「なあエル」「……うん?」「推しってなんだ?」 様々なものが口から吹き出した。
原因はわかっている。
あれからというもの、暇を弄ばした結子はロータスの周囲に現れて、現れて、現れた。私は周囲の掃除をしつつその様子を伺って、ロータスのスルースキルにむしろびびった。えっ、周囲をぐるぐる回られて高頻度でセーブポーズまでされているのに、ツッコミすら、ないだと……?
むしろ苦しかったのは周囲に違いない。教官の周囲に、なにか謎の少女がいる。いつもヘイヘイしている。「闇落ちしろ」という不明な言葉を繰り返し、まるで呪いの如く踊っている。そしてターゲットにされている本人は多分まったく気にしていない。ろ、ロータス……。
学生さん達が気になりすぎて訓練に支障をきたしているというクレームは一瞬で副塔であるヴェダーに上って、そこから付き人であるナバリさんに突きつけられた。目の下の隈がすごいイケメンはできる限りの手腕で結子に願い、せめて訓練中はやめてほしいと懇願し、了承を得たらしい。苦労が偲ばれる。という前提全てを並べたところで、この中で正直一番怖いのはマジで何も気にしていなかったらしいロータスである。メンタル強すぎじゃない?? 私とイッチ達はどうなることかと固唾を飲んであわあわしていたというのに。
本来なら今の時間は訓練中で、魔道の塔専用に作られている広場で、大勢の学生さん達の体力をつけるべく授業を行っていたはずなのだけれど、何分、雨だ。水の確保という重大な仕事である水球膜の調整のため、学生さん、職人さん達総出で飛び出し、塔の中はすっからかんで、私達はいっときのまったりタイムを得てしまった。イッチ達も誰もいない廊下で競争が捗るというものである。
そしてその中の推し発言。
結子の言動には気にならなくても、謎の繰り返される言葉に常々疑問を得ていたのだろう。どう答えるべきか。推しという、この用語。心の中から溢れてくるものだから、言語化しろといわれると難しい、ので、ゆっくりと考えてみる。
「なんていうか、好きな人、という意味っていうか……。えっと、恋愛的とか好意的というよりも、推せる……待ってね、シンプルに説明して考える。結子の場合、ゲームに登場した中でロータスが一番好きって意味かな」
「あー……」
多分このあー、は聞いたはいいけれどもやっぱりあんまり興味がなかったけど意味がわかったからなるほどなという感じのニュアンスである。なんだか妙な説明をしてしまった、と照れてしまうのは、ゲーム好きとそうじゃない人間との温度差からなのだろうか。気まずい、と思うのは多分私だけだし、聞かれてもいないのに、なんとか自分の気持ちをごまかそうと、ぺらぺら関係ないことまで話してしまう。
「推しね、いない人もいるだろうけどね。でもお気に入りのキャラっているじゃん、いや、今はロータスのことキャラなんて思ってないし、ただの言葉だけど。私のゲームの推しはロータス以外だったな。ロータスって、ゲームとは全然雰囲気が違うしさ。でも今のロータスと同じだったらどうだったのかな!?」
言えば言うほど穴が深くなっていくような気がする。
聞かれたことだけ答えておけばよかったのだ。ロータスの眉間の皺の深さが怖い。「……お前にも、推しがいたのか?」 これ以上深堀りさせないでと思いつつも、言い出したのは私である。「うん……」 オタクでごめんねとたまにロータスとは相容れない壁を感じる。そっぽを向かれた。
これがオタクとそうじゃない人間との差だとよぶるんぶるんに唇に噛んでぐぐぐぐと色々打ち震えていたとき、廊下の真ん中には、ぽつんとサンが戻ってきていた。まったり競争をしていたと思っていたのに、ビートな魂が激しく鼓動してしまったのだろうか。トップでの到着に嬉しそうに喜んでじゃかじゃかサイドにキレよく踊っている。と、思えば、サンはふとロータスを見上げて、ぴえっと目玉を飛び出した。もちろん彼らに目はないので、ニュアンス上と思っていただきたい。
――ロータスが、がっくりした顔してる! 落ち込んでいる!
間。
どういうことだい、とそそっとロータスの顔を覗こうとすると、別にいつもの顔である。気の所為じゃない? と思ったところで、――なんか一瞬でもとに戻った!! と、サンが追い打ちをかけてくる。
「ろ、ロータス……」
「気の所為だろ」
「ファッ! ロータスのこと推しじゃなかったって言ったから!? 違うよ、ゲームの話だよ! 今の私が全身全霊で好きなのはロータスですから!?」
「気の所為つってんだろ」
おいおいサンさんや、ちょっと速すぎではないかい? とまったり戻ってきたイッチとニィが、私とロータスとサンの謎の絡みを見て互いに目を見合わせて、我らも我らもともちもち突進してくる。みんなでわいわいしている間も、小雨が窓の外で降っている。これもじきにやむんだろう。
雨が降る前に、私はヴェダーのもとを訪れていた。伝えるべきことがあったからだ。世界樹の間で、彼は手紙を握りしめて、ひどく難しい顔をしていたけれど、私の話を聞いてくれた。必ず、といえるほど、私はこの世界をゲームと同一視はできない。それでも。
準備は、していてほしいのだと、伝えたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます