78 強制イベント

 

 ――ひどく苦しい。

 “それ”はざらざらとした土の中に埋まっていた。温かい土の中で、ゆっくりと眠っていたのに。

 雨は、だめだ。息もできず、泥の中に沈んでいく。


「苦しいか」


 一匹。

 二匹、三匹。耐えきれず、飛び出した。集まる度に、わざわざと擦れ合い、音が響く。「苦しいか。あちらに都がある」 場所を教えてやろう、と男は言う。赤毛の男。自身と体と同じ色。それ以上はわからない。なぜなら、己は人ではなく、言葉はシンプルにできている。人の姿などどうでもいい。


 力を与えられた。失った力以上のものを。行くべき先を教えられた。ざらざらと砂の上に足跡を残し、進んでいく。少しずつ、少しずつ。何十匹もの彼らは、まるで一つの生き物のように、ただ一つの場所を目指す。


 常夏の国、ソレイユ。その首都、カーセイ。

 都の名など、知りもしない。ただそこに人がいればいい。喰らい尽くす命が、あればいい。



 ***



「強制イベントが来るわ……!」


 叫んだのは結子である。ずやりとてっぺん向かって人差し指を突き出して、反対の手は腰につけている。今更だけど、結子の服装はセーラー服のままだ。ブレザーより涼しくてよさそうだけど、この場所では中々に異世界感が強めである。ゲームも同じ服装だったからあまり気にならなかったけど。


 青いスカートをひらひらさせて、ロータス、学生さん達全員の視線を独り占めし、むふんと鼻から息をふきだした。私といえば、本日は広間の清掃中である。雨が降った後のお手入れとして、ローラーごろごろ。私の体よりも大きいけれど、魔道具だから軽くて便利。ごろごろ。イッチ達もごろごろ。


「いい? ロータス。私はこの強制イベント、ばっちりしっかり収めてみせる。私の聖女力、とくと目に焼き付けてよ。そしてあがめてほしい、聖女さまさまと二重の様で!」

「そろそろ走り込みでもすっか。土もそこまで濡れてねえだろ」

「ンンンンめっちゃ無視ィイイイイ!!!!」


 もはや結子のことを、学生さん達すらもスルーしている。そんな中、全力疾走で駆けつけてきた男の人がいた。裾の長い服をばたばたさせて、ひどく動きづらそうだけれど、目の下の隈がすごい彼は「聖女様、訓練中は絡むのはおやめくださいとあれほど申し上げたはずなのですがァアア!!?」「放しなさいよナバリィイイ!!!」 もう誰もなりふりかまっていられない。


「よっしゃ、んじゃ行くか」


 ずるずる引きずられる結子に目すらも向けず、ロータスと学生さん達はえっほえっほと消えていく。私はごろごろしつつもすでにこれが日常みたいに思えてきてなんだか嫌だな、と思いつつ、結子が言っていた強制イベントについて考えた。やっぱり、彼女も気づいていた。


 気づいていた、というよりも知っているというべきなのか。私よりガチめプレイヤーの結子である。ローラーを置いて、溜め息をついて空を見上げた。できれば、無事このイベントを終えることができればいいのだけれど。




 ***




 本当にこのイベントがやって来るかどうか。それに対して、絶対の自信があったわけじゃない。だってここはゲームの世界ではあるけれど、私にとっては現実だ。決まりきったイベントがそのまま起こるというのは現実味のない話だ。何もなければいいと祈っていたのに、やはり“それ”はやってきた。


「に、二時の方向から、来ます……大量の、土サソリです……!」


 土サソリとはこの世界におけるモンスターの一種だ。ただのサソリではなく、尻尾の先には炎を灯し、人の命を養分とする。肉眼でもわかるほどに真っ赤な体がわらわらと集まり、まるで赤い波が迫ってくるかのようだ。一匹ならなんとかなるだろうけれど、二匹、三匹と噛みつかれてしまえば命に関わる。


 ゲームでは結子が街に訪れた後に降る初めての大雨の後に土サソリ達が街を襲う。それなら結子が来なければよかったのか、という話だけれど、結子が来ても、来なくてもいつかは雨が降ったに違いない。そうなると大雨で寝床と体中の養分を失った土サソリ達はカーセイの都に来るしかない。


 水球膜を管理するための街の周囲にある簡易的な塀にロータスや私、ヴェダーは上っていた。もちろん私達以外にも大勢の大人達もいる。塀の上には、さらに一段高くに見張り用の足場があり、双眼鏡を片手に青年が叫んでいる。


「ど、どんどん増えてきます……数は、わかりません……!」


 ゲームでは、この土サソリはモンスターと表記されていた。でもよくよく考えてみるとただのモンスターの割には、随分統率がとれている。


(あれは多分、魔物……)


 魔物とは、魔族が従えたモンスターのことだ。胸の奥をぎゅっと掴まれたような気持ちがある。一度魔物に出逢えばわかる。モンスターにはない、奇妙な圧迫感があった。そして視界の端にはあばあばとソキウスが両手を動かして涙目になっている。


「かえっ……かえりた……だめだ、覚悟、覚悟が、か、かくごがあ……!」

「お、落ち着きなよ、泣かないでよ」

「泣いてるわけない!」


 いや泣いてるよ……。

 ソキウスはただの学生だけど、実のところものすごく優秀な学生だ。声を増幅する魔道具を蘇らせた男なのである。それってスピーカーじゃん? と最初に聞いたときは思ったけど、実物を見てみるとこれは違うとハッとした。スピーカーではない。メガホンである。運動会とかに活躍するそれである。懐か死したらどうする。まだ名前がついていなかったので、そのままメガホンという呼称になった道具の調整をギリギリまで行っているのだ。


 教官役であるロータスはともかく、私がこの場にいる理由は、表向きはメガホンの保守、清掃作業のお手伝いだ。私が知っているメガホンと違って、このメガホンは魔道具だから、周囲に塵や埃が多いと音の拡散が下手くそになってしまう。伝達を行き届かせるために、右に左にとムキムキのお掃除メン達が大忙しだ。普段一緒に掃除をしているのはイッチ達だけだから、まるで仲間が増えたみたいで不思議な気分だ、といっている場合じゃない。どんどん近づく土サソリ達を見る度に心臓の音が大きくなる。怖かった。動いていないと怖くて仕方がないし、動いていても、どくんどくんと耳元で音が聞こえて、指先が震えて、何度も箒を落としてしまった。


 ソレイユルートは、クラウディルートとは違って、何度かプレイしている。だから、この強制イベントも、毎回見ていた。なのに怖い。画面の向こうでボタンを押しているだけの状況と、喧騒や地響きすらも伝わってくるような今とは、全然違う。


 そんな中でも、結子はむふんと胸を張って、調整されて渡されたメガホンを片手に握っていた。相変わらずセーラー服のスカートを風の中ではたはたさせていて、なんてこともなく余裕にあふれている。やっぱり、とその様子を見ながら考えた。きっと、勝算があるのだろう。


 彼女はこの魔道の塔で、ヴェダーからはなるべく関わり合いにならないようにと避けられているし、乱暴な言葉でいってしまえばやっかいもののように扱われていた。結子の隣にいるナバリさんは今現在含めて、いつも憔悴しきった顔をしている。でも彼女はゲームのプレイヤーだ。しかも私よりもこのゲームをやり込んでいるから、隠し要素のような私では知り得ない情報も知っているかもしれない。だからこその余裕、という風に見えた。見張り台の下に立って難しい顔で土サソリ達を睨むように見つめているロータスをちらりと見て、気合を入れたように拳を握っていた。いいところを見せてやろう、そんな顔を見てる。でも、全然いい。


 結子がこの状況をなんとかしてくれるなら、私はそれでいい。誰も死なないで、終わることができるのなら。一応、念の為にヴェダーにお願いはしているけれど、にわかプレイヤーの私の猿知恵なんかより、確実な攻略法があればそれにこしたことはない。


 ――現状を整理した。

 土サソリはカーセイに向かっている。これは強制イベントで、そもそもこのルートの難易度は高くはないから、回避は本来なら容易だ。土サソリの弱点をつく固有スキルを持っている仲間をパーティーに入れていたらいいのだけなのだ。

 先見の鏡を使えばそのことがわかるから、レイシャンにいるキーマンのキャラクターに協力を仰げばいい。結子は先見の鏡を見ていないけどストーリー的にもちろん知っているはず。でも、彼女は世界樹の枝のショートカット機能を使うことができないから、簡単にレイシャンに渡ることができず、仲間を増やすことができない。


(キーマンキャラがいれば、バトルもなくシナリオだけで回避されるイベントだけど……)


 レイシャンにいるキャラクターを仲間に入れずにイベントをプレイしたことも、ある。そのときはバトルモードに移り変わり、主人公のレベルを上げていなければクリアはできなかったはずだ。結子はレベル上げを行っているのだろうか? それとも何か突破口が?


 下手な口出しはしたくない。ヴェダーの視線をちらりと感じたけれど、まずは掃除に集中だ。イッチ達もフル回転している。『あーあー、マイクテス、マイクテス……』 メガホンを使って、結子が声を出した。彼女が聖女であることはヴェダーも渋々ながら了承している。聖女でしか知り得ないことを知っているし、クラウディ国のお墨付きだ。だからこそ、魔道の塔から無理に追い出すこともできないし、この場を収める方法を神から授けられていると言われれば口を閉ざすしかない。実際は神じゃなくて、ゲームの知識なんだけど。


『聞こえてる? 聞こえてるよね。私、結子。で、聖女。今みんなの目の前に土サソリがいるの、わかる? これ、ほっといたら都のみんな、喰いつかれて養分吸い取られて死んじゃうから』


 結子の声が聞こえているのは塀の上にいる大人達だけじゃない。都の人達にも聞こえている。い、言い方……! と顔を上げた。小さな子供もいるのだ。怖がらせすぎても仕方がない。でも、事実であるのなら叫んで、彼女の言葉を止めてはいけないことぐらいわかる。ぐっと唇を噛んで堪えた。


『でも大丈夫、私がいるから。私はこの世界のこと、全部知ってる。上手に誘導してあげる。まずはこの土サソリ、いとも簡単に撃退できます』


 ざわついていた周囲だけど、わずかに明るい声が上がった。よかった、とホッとしたときだ。


『今から、一台の馬車が逃げ込んでくるけど、絶対に中に入れないでね。その人、おとりにするから』


 ぴたり、と声が止まった。

 聞き間違いかと思った。でも、違う。はっきりと結子はおとりだと言った。『門はちゃんと閉めてるよね? どれだけ言ってきても開けちゃだめだよ』 念押しするような言葉に、ざわつきが大きくなる。『静かにして!!』 きぃん、とメガホンがハウリングした。結子自身もびっくりしたのだろう。自分の耳に指を当てて、顔をしかめている。しん、とその場は静まり返った。


『いい? 馬車にはね、男の人が乗ってるけど、都に入れずに放置してるとね、サソリに襲われるの。そこで五番目に男に噛みつくサソリがボス。そいつがわかったら誰でもいいから思いっきり剣でも何でもぶっさして退治して。何百匹いるサソリ全部を倒すのは無理だけど、ボスを倒せばサソリはちりぢりに消えていく。一匹でだよ? 効率的ですごいでしょ』


 これ、私が何回もプレイして気づいた裏技なんだから、とむふりと笑う声は、聞こえているのに、まるで私の耳には届かなかった。「あ、あなたは何ということを……!」 ヴェダーが結子に近づき、メガホンを取り上げた。何よと結子が怒っている。じゃあ、他に退治する方法、知っているっていうの? 多分こんなことを言って、ヴェダーに食いついているのだろう。ざわつきが広がる。

 五番目に噛み付くサソリ。一匹でも、噛まれれば子供なら死に至る。それが五匹。確実におとりとなった人間の命は確実にない。


 ――それは、いいのか?

 ――いいのだろうか。

 ――けれどもすべての土サソリを倒すことなんてできない。

 ――でも、やっぱり。


 大人たちのざわつきが広がっていく。

 言葉を繰り返す間にも、土サソリの軍勢はカーセイに近づいてくる。迷っている暇なんて一つもない。そのときだ。


「誰か、助けてくれ……!!!!」


 全速力で馬車を走らせる男がいた。土サソリから、必死で逃げてきたのだろう。カーセイの門がぴっちりと止まっていることに気づいて、絶望したように悲鳴を上げた。いつの間にかヴェダーからメガホンを取り返した結子が、『開けちゃダメ!!!』 大声で叫んだ。塀から飛び降りようとしていた男の人は、門番の一人だ。最初にロータスを学生だと勘違いして元気に、にかにかと笑っていた彼だ。


 ダメだと叫ばれた言葉に、門番さんは体を固まらせた。どん、と扉を叩く音が聞こえる。聞き耳スキルが、勝手にオンになっている。悲痛の叫びだった。開けてくれ、開けてくれ。どうか、どうか。


 助けてくれ。



 拳が震えた。目の前が真っ赤になった。箒を投げ捨て、大勢の人をかき分けた。イッチ達が先の道を作ってくれたから、小さな私の体でも簡単にたどり着くことができた。「えっ、きゃあ! な、何よ!」 無理やり結子からメガホンを奪った。伸ばされた腕から逃げるようにお腹の中にメガホンを抱える。ごろごろ転がって、亀になってしまったところで、結子が私に覆いかぶさるように手を伸ばした。でもすぐに結子はのけぞってこけた。「ひんぎゃっ!」 ぼいん、と見えない塊が彼女の顎にアタックしたのだ。イッチだ。手加減はしてくれているようでホッとした。もう一度、思いっきり逃げた。


 メガホンの使い方は魔道具でも、そうじゃなくても変わらないらしい。いつの間にか隣にはロータスがいた。呆れられているかもしれない。昔、無鉄砲に一人でつっこんで怒られた。そう、一人で。今は一人じゃない。

 みんながいる。


「使い方は?」

「わかる!」


 ロータスの問いかけに、思いっきり返事をした。そして――。


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