76 「さすが私の推し!」「圧迫すんのか?」

 のけぞり固まっていた結子が、ぐりんと起き上がって私達と仁王立ちで相対した。一瞬考えたことは、逃げることだ。でも今更すぎるし、ここで逃げてしまうなら、そもそも最初から関わらなかった方がいいに決まっている。


 ――お前ら連れて逃げる程度なら、俺がいくらでもなんとかしてみせらぁ


 ロータスの言葉を思い出して、ぐっと足に力を入れて向き合った。逃げることなら、いつだってできる。だから前を向いた。しかし残念ながら結子が向かい合っているのはロータスである。私のことなんて一切視界に入っていない。それはそれでなんだか悲しい。


「……え? ロータス? あなたクラウディ国のロータス??? 違ってない? 間違ってるよね?」

「何が違うかは知らねえが俺の名前はロータスだな」

「いや違うじゃん? ロータスっていったら闇が闇を呼んで闇属性なんですけど?」

「属性か。たまに持ってるやつもいるらしいが俺はねえな」

「こんなのただの好青年じゃん!?」

「面と向かって言われると若干照れるな」


 いや照れてないでしょうが、という怖い顔つきのままロータスは返事をした。たしかにゲームでのロータスが闇側とすれば、今のロータスは完全なる陽である。好青年といわれればそうなのかというか、結子からすればそうなのかというか。


 というか互いの会話が噛み合っているようでまったく噛み合っていなくてなんだか凄い。イッチ達と固唾を飲んで見守るばかりである。「あっ、教官、さようなら~!」「ああ。また明日な」「へ、返事をしている~~!!?」「するだろそりゃ」 ロータスが学生さんに挨拶をするだけで大盛りあがりである。


「お、おかしくない? う、腕があるし、その、目も」


 原作のロータスは隻腕であり隻眼だ。片目には大きな傷があるのだ。ロータスの故郷、ヴェルベクトを襲った魔物と相対したとき、みんなを守るためについた傷だ。今のロータスはその傷がないかわりに半分魔族となってしまった。そのことは私の幻術スキルで隠しているから、結子にはわからない。大混乱だ。

 さすがのロータスも反応に困ってきたのか、彼は非常にマイペースな男である。


「色々あった」

(めちゃくちゃ端的にまとめてる……)


 色々あったのか……と結子は頷いているけれど、「いや色々って何!?」 彼女のツッコミがとまらない。「で、でも、たしかに声はロータス! 間違いない!! 複雑!!! 推せる!!! さすが私の推し!!!」「圧迫すんのか……?」 とても違う。


 推すは専門用語だったのだなと、結子の叫びを先見の鏡から聞こえていたヴェダーが魔術的な言葉を使用しているのでは? と困惑していたことを思い出した。我らは翻訳しなければ言葉すらも伝わらない。


 通じない悲しみに目頭を押さえたところで、『助けてすりゃえも~~ん』『ほんやくぷるるんすりゃいむ~~!』『ぱぱらぱっぱら~~!』と、隣で小芝居を初めているイッチ達に著作権が危ないことを教えたのは誰だよ。私だよ。あと結子の推しはロータスだったんだなと今更な驚き。


「っていうかこの子さっきからずっといるけど誰? 親戚の子? 似てないけど」


 とうとう結子からの視線がこちらにやってきた。ぎくっとしてイッチ達と一緒にロータスの背中に隠れる。大きな背中だから、そのまますっぽり入ってしまった。ロータスは静かに瞳をつむった。そしてめちゃくちゃそっぽを向いてスルーした。無言。場を和ませんばかりにウェイウェイ踊っているのはイッチ達のみである。もちろん結子には見えていない。


 結子に私がエルドラドとバレてしまったら面倒になるに違いないので、万一のときには情報は最小限に止めようと話し合いはしている。まあ、結子関係なく魔族であることがヴェダーとソキウス以外に知られたくもないので、結局いつもと同じ状況だ。


 うんともすんとも言わないロータスの反応を見て、結子はつん、と口元をとがらせて、「まあいいか」と呟いたので、ちょっとだけほっとした。そりゃそうだ。まさかこんなミニマムが、ぼんきゅっぼんのエルドラドなんて思いはしないだろう。たしかに顔と髪の色は同じだ。でもゲームでのエルドラドは姿かたちまで変えられるなんて公式にはない。


 幻影の魔女と呼ばれていた彼女は幻術スキルを使って男達を意のままに操る。男性キャラを連れてエルドラドの決戦に向かうと、操られたキャラクター達が結子に反旗を翻し、強制的な負けイベントとなってしまう。エルドラドとの戦いには結子一人が赴き、ATKを上げに上げまくって物理で戦うしかない。


 なので、エルドラドの能力は人間を惑わすもの、と私含めて多くのプレイヤーは思っていたけれど、実際幻術スキルの説明項目をタップしてみると、これは【思い込みを力に変える】能力なのだ。つまり、私もやろうと思えば人を思うままに操れるようになる……? とあはんポーズを行ってみた。私、エル、とってもナイスバディな女の子。みんな私の魅力にめろめろだから、すぐに言うことをきいちゃうの無理だわ。最後早口で無理って思っちゃったわ。


 自身の能力の低さを痛感して崩れ落ちている私など結子は歯牙にもかけず、ただただロータスに質問を重ねていた。なんでここにいるのか、どうして私を見て、ロータスと教えてくれなかったのか。そもそもこんなのロータスじゃない。全部の質問に、ロータスは適当に返事をして、彼には珍しくそっぽを向いたままだ。答えに困る質問ということもあるけれど、正直、結子も随分失礼だ。ほとんど初対面の人間相手なのだから、人によっては怒り出すこともあるだろう。


 つまり、互いにまったくもって会話になっていないのだ。

 結子の中にあるロータス像を相手にして、結子はロータスに話している。まるで鏡に向かって話しかけているようにも見える。それもロータスもわかっているから、ぽりぽりと頭をひっかいて、静かに結子を見下ろしたまま、言葉を告げた。


「俺は、俺だ」


 こんなのロータスじゃない。会話の中で、何度か結子が主張していた。その言葉を聞いて、彼女はぶるりと唇を噛み締めた。それから置き場のない言葉を探すみたいに、ゆっくりと息をして、吐き出した。


「ろ、ロータスは」


 私の騎士じゃないの……? と続きに呟かれた言葉は、とても小さかった。私だって、聞き耳スキルをオンにしていなければ、聞こえなかったかもしれない。でもロータスには聞こえていた。


「違う」


 はっきりとした声でロータスは返事をした。一瞬、泣き出してしまうのではないかと思った。相変わらず握ったままの絵筆を拳の中でぶるぶるさせて、「ホワァ!」と結子は叫びつつ絵筆を地面に叩きつけた。イッチ達がずざっと逃げた。


「そんなの、そんなの……」


 わなわなと体が震えている。言いたい言葉が口から出せない。そんな顔で、何かを言おうとして、できなくて、背中を向いて、「ッ!! 闇落ち、させたるからなーーーーー!!!!」 聖女なめんなよーーーー!! と勢いよく去っていく。


 どんな捨て台詞だと思いつつもこれでよかったのだろうかと不安が募った。決まった物語の中ではないのだから、何が正しいかなんてわからない。

 ぽん、と頭の上にロータスの大きな手のひらが載った。

 載せられた手のひらに向かって腕を伸ばして、ちょんと触る。ロータスの体温は、実は人よりちょっとだけ高い。飲み込めない気持ちはあったけれど、少しだけ吐き出すことができた。消えていく結子の背中は、もうすっかり小さくなってしまっている。


 イッチ達は、結子から投げ捨てられた絵筆を救出せんばかりにのそのそと近づいた。つんつこ、おスラ手のさきっちょを伸ばしてつついて、なんぞこれ、なんぞこれと円陣を組んでいた彼らは、ふと空を見上げた。相変わらず、雲ひとつない真っ青な空だ。風が吹いたと当時に、ゆるりと空の膜が揺れていた。


 ――雨が、来るよ。


 私にはまったくわからないけど。水の匂いがするから、と教えてくれる。

 それからすぐに、カーセイの都に大雨が降り始めた。雨なんて、一つも降ることのないこの国に。バケツを何杯も勢いよくひっくり返したみたいな、大雨だった。



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